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プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 03「世界観」とはロープワークである〜「お約束」を理解することで物語に没入する。

 「世界観」と「お約束」は同義
 
 フィクションで「世界観」を指す場合、多少の解釈の違いはあれど、その単語を知っている者ならそれほど齟齬のない使い方になるだろう。プロレスにおいてもその使い方はそう変わらない。ただ「世界観」という語を用いないだけだ。それは実は呼び方が変わるだけで、どの分野でもエンターテイメントであれば多かれ少なかれ存在する考え方だ。
 汎用性の高い例を用いるなら、「お笑い」の世界で言うところの「お約束」や「天丼」といった行為も名を変えた「世界観」の一種である。近年のSNSの発達によって妙に業界用語や内向きの作法みたいなものが実生活にも紛れ込む傾向にあるが、本来その分野でしか通用しないはずのものも多い。自分が所属する「お笑い」以外のコミュニティで「つっこみ」と称して頭を叩かれて不快にならない者はいない。
 要するに「世界観」とはその分野(フィクションであれば舞台である「世界」)でのみ通用する、あるいは人間関係の規範にその行為が容認されている状況を指すのである。
 その時、世界観で重要なのは「なぜ、そういう世界なのか」を「科学的考証」ではなく「そういうもの」として作り出すことが大切だということだ。フィクションであれば科学的考証がある程度、世界観を構築する要素にもなるが、その業界や分野でしか通用しないことを科学的に証明できることの方が稀だろう。
 
 プロレスの「世界観」
 
 プロレスの「世界観」にまつわる一例として「ロープに振られたレスラーはロープの反動を利用してマットの中央に戻ってこなければならない」(実際はロープの反動で「戻ってこない」ことの方が難しいのだが)というムーヴがイメージしやすいだろう。一般人、特に初めてプロレスを観る人にとってはとっつきにくいポイントかもしれないが。
 それはプロレスという競技のいわゆる「暗黙の了解」ではあるのだが、前章から繰り返してきたことでもあるが、同時にそれを理解することで「未知の世界」に没入するための第一歩にもなる。
 通常のロープワークの流れを理解しているからこそ、それを拒否した時のムーヴのバリエーションにも注目することができる。
 
「ロープに掴まり、戻ってくるタイミングをズラしたところで反撃する」
「相手のタッグパートナーがリング外から攻撃を仕掛ける」
「ロープワークを行えないほど疲弊している」
 
 そのどれもが「ロープに振られたら戻ってこなければならない」という「お約束」を観客が理解しているから可能になるのである。「お約束」が「お約束」を生む、「世界観の連鎖」とでもいうべき状況になる。もうここまでくれば観客に没入している感覚はない。その「世界観」にどっぷり浸った状態で試合を観ることが当り前になる。
 世界観とはその「世界」を通底するある種の「お約束」を積み上げることで構築できるのである。
 
 ロープワークの豆知識
 
 ボクシングや格闘技ではリングを囲むロープの数は四本である。対して、プロレスのリングは三本のロープで囲われている。この違いは何か。
 格闘技では基本、場外戦(トラッシュトークの類ではなく、試合中の場外戦のことである)というものが存在しないので、リングから故意にしろ偶然にしろ落ちないように「四本」のロープで囲われている。
 対してプロレスは、ある種、場外戦を行うのも「お約束」や「世界観」の一種なので、リングから出やすいように、かつ戻りやすいように「三本」なのである。
 プロレスラーが最初にリング内で学ぶプロレス技がこの「ロープワーク」であるという(筋トレや受け身といったものはプロレスの、というよりは武道や格闘技の基本なのでここでは省く)。
 このロープ、見た目の印象ほど実は柔らかくない。
 中にワイヤーが入っていて、ロープワークを始めたばかりの練習生は背中の筋肉が不足しがちなので、ロープワークの練習で背中に直線上の痣ができるのだという。これが先述の「実は戻ってこない方が難しい」理由である。格闘技と違って「囲う」ことが目的ではなく、「戻ってくること」が前提にあるのでより反発力の強いロープになっている。「世界観」や「お約束」はただそこに存在するのではなく、それを支えるレスラーの日々の努力があって初めて成り立つものなのだ。
 
 「世界観」は「キャラクター」を輝かせるために存在する
 
 どのレスラーが言った言葉なのかうろ覚えなので断言はできないが(ジャンボ鶴田だったような気がするが)、プロレスをプロレスたらしめているものの一つが「5カウント以内であれば反則が許される」というルールであるという。別の章でこの内容はより詳しく掘り下げたいところだが、この「5カウント以内なら反則が許される」というルールは、両者がリング外に出て場外戦になった場合「リングアウト負け」になる「20カウント」に内包される。つまり場外戦であれば「20カウント以内」まで反則が許されるのである。
 これも他の格闘技にないプロレス特有の「世界観」で、テーブルを使った攻撃やラワン材のないエプロンでの攻撃、場外マットを剥がして床への直接の投げ技等、より過激な攻撃の手段にもなり得るが、この場外戦の一番のポイントは、反則行為の許容範囲が広がるということは、より「ヒール」の攻撃が輝く場所になるということだ。
 リング内なら5カウント以内のところが20カウント以内になるのだから、残忍な攻撃はよりその残忍度を増す。より過激な攻撃が可能になるし(同じ技でもヒールが使うとブーイングが起こる)、同じ反則攻撃でも相手が攻撃を受けている時間は当然、長くなる。また、場外で同じヒールユニットの仲間が攻撃しても反則裁定は下らない。それがわかっているから「ヒール」によりヘイトが集まる(もちろん様式美としてのブーイングである)。それは反則攻撃の「5カウント以内」が場外カウントの「20カウント」に内包されていることの証明でもある。
 この「場外20カウント以内」という「世界観」がヒールというキャラクターをより際立たせるのである。
 
 ロープを挟んでの攻防
 
 #02でも説明したが、ヒールは飛び技をあまり使わない。それは場外戦でも同じで「プランチャ」や「トペ」と呼ばれるロープを挟んで場外の相手に繰り出す飛び技は主にベビーフェイスのレスラーが使用する。
 もちろん見た目に派手で見栄えがする技であるという理由はあるにしても、場外戦がヒールがより輝く場所であるがゆえの「悪辣非道を働くヒール軍団を一掃するベビーフェイス」というわかりやすいカタルシスを試合中に与えるための「お約束」の一種でもある。ロープを挟むことで、よりベビーとヒールの対立構造が試合の攻防そのものから感じとることができるのである。
 前章の内容がちょこちょこ挿入されることからもわかるように、プロレスに限らず「対立構造」だろうが「キャラクター」だろうが「世界観」だろうが、それ単独で成り立つものではない。
 様々な要素を内包しながら、それぞれが相乗効果を生みつつ展開され、プロレスにおいてはそのクライマックスが「試合」なのである。そしてその試合も、その一試合だけで終わるものではなく、長いシリーズの一つ、さらに一年を通しての興行からビッグマッチへと「長編の物語」のように繋がっていく。
 そしてその「試合」に花を添えるのが、次章で紹介する「プロレス実況」なのである。

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