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プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 04プロレス実況は「フィクションの語り方」に似ている〜レスラーの情報をいかに無駄なく説明できるか。

 「プロレス」を説明する難しさ
 
 プロレスの実況は「プロレス」を説明するための一つの表現方法である。
 小説には小説の、まんがにはまんがの、映画には映画の観せ方や伝え方、表現方法があるように、プロレスを誰かに魅力的なものとして説明するために「プロレス実況」ほど適したものはない。そして数あるスポーツ実況の中でも、プロレスの実況は「フィクションの表現方法」と親和性が高い。
 ほとんどのスポーツ実況ではスポーツを実況することに主眼が置かれ、あくまで選手の情報は副次的なものに過ぎない。個人競技や格闘技の試合であっても実は「誰が勝つか」の延長線上にしか実況は存在しない。身も蓋もない言い方をしてしまえば、結果を伝えるための前振りを現在進行形で伝えているに過ぎないのだ。
 しかし試合の勝敗が興行の一部であるプロレスの実況では、勝ち負けを伝えるための実況とは少し趣が違ってくる。野球やボクシングように「試合を伝えるための実況」ではなく、プロレスの実況とは「プロレスの試合」ではなく「プロレス」そのものを実況しているからだ。あくまでプロレスの試合は「プロレス」というものを形作る要素の一つでしかない。
 
 プロレス実況の特徴
 
 プロレス実況が他のスポーツ実況と異なるポイントは二つある。
 一つは一試合の中で必ず選手個人の情報を掘り下げる、という点だ。対戦相手や試合形式、銘打たれたシリーズや開催場所、トピック的な情報の有無によっても変化するが、概ね今現在放送されているレスラーにまつわる情報を試合中に盛り込んでくる。いわゆる「煽りVTR」を現在進行形で伝えている、という言い方もできるかもしれない。
 それだけであれば他のスポーツでも行われていることだが、短い試合時間の中でめまぐるしく攻防が変化するプロレスにおいて、レスラー個人の情報と目の前の試合の情報を同時に視聴者に伝えるためには、実況の上手さもそうだが(この点はアナウンサーの職能だが)、予備知識としてどれだけ「プロレス」というものを理解しているかも重要になってくる。
 選手が使う技、対戦相手との因縁、最近の戦績、これからの展望、これら全てを把握しておかなければならない。「プロレス」だけではなく「プロレスラー」を知らなければプロレス実況は成り立たない。試合内容だけでなく、そういう複合的な情報がより合わさって「プロレスの試合」は形成されている場合が多い。タッグマッチなら最低4人、レスラー同士の相関図を把握しておく必要がある。くり出された技を見て「叩きつけたっ!」と実況するのは通常のスポーツ実況の範囲なのである。
 もう一つのプロレス実況の特徴は「比喩」の多さである。
 これもプロレスの実況に限った手法ではないが、プロレスの実況では特に顕著な点である。
 当たり前のことだが、スポーツ実況において中継される競技以外のことを説明する者はいない。選手個人の情報や世間話的な内容になることはあっても、例えば野球の実況なら野球から意図的に外れるような表現は通常、使用しない。
 しかしことプロレスの実況においては、まるでフィクションでも語っているかのようにわざわざ「比喩」や「暗喩」が用いられる。
 例えば、
 
「タイガーマスクの四次元殺法」(目の前でくり出されたムーブに対する比喩)
「掟破りの○○」(「相手選手のフィニッシュホールドは使わない」というプロレスの「お約束」に対する暗喩)
「危険な香りがプンプンと匂い立つ」(目に見えないものの比喩)
 
 など、もうどこに向けて実況しているのか、文章にしてみると余計に意味がわからなくなる。
 だが、これらはプロレス実況ではごく当たり前に用いられる表現だ。視聴者も特に違和感を感じることはない。
 これは「プロレス」には試合を成立させるためのルールとは別に、観ている側が「前提条件」を理解していることが前提で用いられている表現方法が存在するからである。
 
 フィクションとしてのプロレス
 
 語弊がある表現になってしまうが、アメリカのプロレスに対して「ファンタジー」という比喩が用いられることとも関係してくる。それはプロレスを語る時の表現が、そもそも「ファンタジー」を語る時の手法と似ているからだ。
 フィクションは特に「前提条件」が共有されていることが多いが(*1)、本来、あらゆる表現方法は作者の頭の中を理解させるための手段に過ぎない。フィクションの土台がファンタジー世界であれば、現実の社会を描く場合と違ってより多くの情報を読者に伝える必要がある。しかし読者に「前提条件」を共有させることができれば、より多くの情報を、あるいは「物語」にとって重要な部分だけを伝えることができる。自分が「おもしろい」と思ったことを相手に共有してもらうのは思いの外、難しい。その手段の一つが「前提条件を理解しているという前提」で視聴者や読者に情報を伝える、というものだ。
 例えば「ロープに振って、ドロップキック」と実況したとする。
 しかし、この実況は映像がある状態では特別必要なものではない。ドロップキックという技を知っていれば見た段階で判別できるから技名の繰り返しにしかならないし、技名を知らなくても「何か攻撃をした」という状況は伝わる。それに本来、映像のないラジオの実況として伝えるのであれば「ロープに(相手選手を)振って、(反動で戻ってきたところに)ドロップキック(を胸元にくり出した)」という( )の中を表現しなければそもそも伝わらない。
 わかりやすくまとめると、
 
 ①動作のみの実況
 ②「ロープに振って、ドロップキック」(前提条件を「理解している」前提の表現)
 ③「ロープに(相手選手を)振って、(反動で戻ってきたところに)ドロップキック(を胸元にくり出した)」(前提条件を「理解していない」前提の表現)
 
 となる。
 ③は意図がわかりやすいように区切ったので、日本語としては若干わかりにくくなっているが、それぞれ観客の理解度、あるいは「前提条件の共有の有無」によって表現の仕方が変化する。
 ①であれば汎用性は一番高くなるが、今一つ臨場感や没入感に欠ける。③であれば前提条件を理解している観客にとっては煩わしい表現になってしまう。これはプロレスを例に挙げたものだが、同じことは当然、ファンタジー世界の描写であっても適用することができる。
 自分の知識なり経験がどこまで前提条件として共有(共感)されているかを見極めるのは、表現方法を選択する上で重要なポイントだ。
 例えば十年前に「スマホ」と表現した場合、その形状の描写が必要だったはずだ。この場合は現実に存在する商品の描写だが、ファンタジーのような完全なフィクションを語る時、どこまで説明し、どこを省くのか、おそらくそのさじ加減の一つの指針となるものが「プロレス実況」にはある。
 余談だが、「実況」とは本来「映像がない視覚情報」の補完作業だ。近年の「中継の一部としての実況」という確立された立ち位置とは目的・用途が違う。映像のないラジオドラマのセリフに意図して説明口調が混入するのも、言わば「物語」を「実況」している状態だからである。
 
 情報としてのプロレス
 
 プロレス実況の第一人者といえば、間違いなく古舘伊知郎だろう。より正確に言えば、現在のプロレス実況のパターンを作ったのがこの人である。長州力をして「もうやめてくれ」と試合中に言わしめるほど、一試合で「プロレス」を語ってくれる。めまぐるしく攻防が変化するプロレスにおいて、選手個人の情報と目の前の試合の実況を並列させる手法は素人がとても真似のできる代物ではない。先の「タイガーマスクの四次元殺法」は彼が産み出した比喩である。
 では「素人には真似のできない実況」のどこから学ぶことができるのか。
 それは「時間軸が異なる情報であれば、試合内容と並列して伝えても意外に違和感がない」という点である。
 プロレスを形作るための要素が試合以外の情報にもあるとすれば、それを伝えるためのポイントはどこにあるのか。それは目の前で試合をしている「レスラー」の情報として伝えていくのが適切である。
 実際のプロレス実況では、
 
 レスラーの過去(相手との因縁、対戦成績、ケガからの復帰、遠征先からの凱旋)
 レスラーの現在(試合内容、疲労度、ダメージの蓄積具合、新技のお披露目)
 レスラーの未来(試合後の展望、第一挑戦者、防衛戦の相手、次のシリーズ)
 
 といった「同じレスラーの時間軸が異なる情報」を試合の実況中に混ぜている。もちろんこれにアナウンサーの話術の妙が加わるので、右から左にこの手法がフィクションを語る時に転用できるわけではないが、プロレス実況ならではの特徴ではある。
 これをフィクションに置き換えた場合「キャラクター」に紐付いた情報を伝えることが、その「世界」を形作る情報の一番簡単な説明の仕方であると捉えることができる。
 例えば「街の風景」として表現するよりも、「キャラクターが観た街の風景」として表現した方が理解しやすくなる、というわけだ。自分の好きな戦国武将にだけ詳しくなったりするのも、この「キャラクターに紐付けられた情報」だからである。ただの「情報」よりも「誰かの情報」の方が人は興味を持ってしまうものだ。
 
 物語るプロレス
 
 物語作者が「フィクション」を「物語る」ように、プロレス実況は「プロレス」を「物語って」いる。
 その時、ただ説明しただけでは理解されづらいし、共感してくれなければ人は飽きてしまう。
 だから共感しやすいような個人的な情報を紹介したり、抽象的でも印象に残るような「比喩」を用いたりする。そして時には「前提条件を知っている前提」で説明したりする。口承文芸のような身振り手振り、間をとったり、ためをつくったり、「物語る」以外の興味を引くような技術も時には必要になるだろう。
 そして「物語る」と「実況する」の違いが表現方法の違いで、フィクションか目の前の光景かでしかないのであれば、プロレスを語るのもフィクションを語るのも実は大して違いがないことになるのである。
 
 *1 探偵が頻繁に死体を見つけても「ミステリー」では突っ込まれないし、「ファンタジー」では「エルフ」や「ゴブリン」が何の説明もなしに登場する。そのジャンルの物語に触れる以前に読者が持っている予備知識のようなものである。

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