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プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 08ユニット編成が変わる時「ストーリー」は動き出す〜物語のバリエーションはそれほど多くない。

 プロレスの「ストーリー展開」
 
 プロレスにおいて試合外で展開される「ストーリー」は大まかに分けて二種類ある。
 一つはレスラー個人に属するもので「海外武者修行」や「凱旋帰国」、「キャラクター・ファイトスタイルの変更」がそれに当たる。これは#05、06である程度、説明したので今回は省く。
 もう一つは所属する軍団(ユニット)の内外におけるいざこざや対立である。これにベビーフェイスとヒール、どちらの側のユニットに属しているかで更に細分化される。ベビーであれば「世代闘争」「ライバル」「外敵」などのストーリーで、ヒールに内包されるストーリーは「引き抜き」「追放」「ダークヒーロー」といったものになる。近年では明確にベビーとヒールに線引きできないユニットも多いし、はっきりとどちらかに線引きされている展開でもないのであくまで区分けに過ぎないが、ベビーとヒールのどちら側かという視点で見ていった方がよりその後の展開が鮮明にわかる。
 ベビーフェイスのストーリー展開はその単語から連想できるように、比較的わかりやすいものが多い。
 そして内包される要素も共通するものが多い。「世代闘争」「ライバル」「外敵」に共通する事柄とは何か?
 それは「他のユニットとの対立」に収斂していく。「世代闘争」であれば中心になるレスラーはいても個人で戦い続けるものではない。必ず「若手のユニット」対「中心選手のユニット」になる。そのレスラーにとっての「ライバル」であれば大抵は別のユニットに所属している。同じユニットにライバルがいる場合はタッグチームになる。最近はめっきり少なくなってしまった「外敵」は他団体の選手が相手なので、最も大きな軍団抗争といえる。
 一方ヒールは「引き抜き」「追放」「ダークヒーロー」など、ヒールとしては対ベビーフェイスの試合が中心となるのだが、ヒールユニットとしてのストーリー展開は「ユニット内の抗争」になるケースが多い。
 
 ヒールのユニット内抗争
 
 今回のタイトルに関わる内容は、区分けとして紹介はしたがベビー側のユニット編成ではなく、主にヒール側のユニット編成に関係するものだ。
 正直、ベビーフェイスのユニット編成はそれほどおもしろくはない。言ってしまえばほとんどのベビーフェイスのユニットは「本隊」の亜種でしかないからだ。当然、ユニットが違えば戦うことになるのだが、感情移入できるような対立構造は少ないので選手個人への声援が多くなるケースが多い。だからプロレスの中心となる「ベビー対ヒールの対決」以外のストーリー展開がつくりにくい。どうしても選手個人の試合にフィーチャーするものが多くなってしまう。
 しかし、ヒールのユニット編成は「愛憎渦巻く群像劇」になっていくケースが多い。
「引き抜き」というストーリー一つとってみても、ベビーフェイスのユニット間での移籍はそれほど話題にならないが、ベビーのユニットからヒールのユニットへの移籍はプロレスにおいてはちょっとした事件である。ベビーのユニット間の移籍に「裏切り」や「制裁」などという単語が用いられることはない。字面だけで想像できるような展開がヒールのユニット編成には内包されている。
 他にはベビーとヒールのユニット間の抗争ではなく、「個人となったヒール」対「組織としてのヒール」という図式になると「追放」や「ダークヒーロー」といった展開となる。傍若無人にふるまい続けたヒールのリーダーはいつか必ずその地位から「追放」されるものなのである。#06でも少し触れたが、要は悪い組織からの「足抜け」の儀式である。その後、どこのユニットにも所属しなければ孤高に戦い続ける「ダークヒーロー」にならざるを得ないのである。その意味でまさに「悪の軍団」の物語としてふさわしい展開なのである。
 
 ヒールの宿命
 
 ベビーフェイスのユニットが「個人の集団」であるのに対し、ヒールのユニットは「組織としての集団」である。ただの個人の寄り集まりであれば何をしようがそれほど所属するユニットに影響はないが、それが「組織」となると選手の加入や離脱だけが組織そのものの肥大化や弱体化に直結する。
 先述の通り、これらの展開はベビーとヒールで明確に線引きされるものではないが、やはりどちらの側のストーリーかでおもしろさの質が明確に変化する。一切波風の立たないユニット間の移籍は、物語論として考えても先の展開がおもしろくはならない。
 これは同時に「ヒールはチャンピオンになりづらい」というジレンマとも関係してくる。
 #6でも説明したが、強いチャンピオンは次第に「いつ誰に負けるのか」を期待されるようになる。しかしヒールのチャンピオンの場合はチャンピオンになった時点で常に「いつ誰に負けるのか」を期待されるようになってしまう。これはヒールのユニットが「組織内」のストーリー展開に向いていて、個人の闘争には向いていないためである。それ故、ヒールでレスラー個人がフィーチャーされるような展開になると「追放」や「ダークヒーロー」といった展開になるのである。ダッグのチャンピオンにヒールレスラーが多いのも、この個人と組織のストーリー展開の向き不向きが関係している(2人以上でユニットとしての役割を果たせる)。
 
 物語論としてのヒール
 
 唐突だが、魔王は軍団であっても勇者は少数である。勇者の側が一国で魔王に立ち向かう話はあまりない。巨大なマップ兵器で魔王城ごと魔王を吹き飛ばそうとする物語もない(少なくとも私は知らない)。国対国の物語はあっても、そこに善対悪という図式が成り立つと途端に「組織対個人」に物語は収斂していく。
 これはラスボスを倒すまで次々に敵を用意しなくてはならない「ゲーム的」な展開ではあるのだが、「悪役が倒される」ための理想的な物語展開ともいえる。悪役は強ければ強い方がいいが、脳筋ばかりでは展開も飽きやすい。だから敵の種類も豊富な方がいい。勇者が苦戦したり仲間が裏切ったり懐柔されたり、手練手管を使われる展開は応援もしやすくなる。
 そう。悪役は「倒される過程」にこそその花形があるのである。
 だからヒールのユニット編成のストーリーは対ベビーではなく、ユニット内の物語に最終的に収斂していくのである。
 物語論と呼ばれる研究の一端である世界中に同時多発的に共通する物語のバリエーションの発見は、同時にその物語の中で生きるキャラクターそのものに付随する物語のパターンにもなっている。
 ストーリーのバリエーションとは単純なパターン化のことではなく、キャラクターをとり巻く環境によって内包されるものが常に変化していくものなのである。

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