サザンクロス

妻に連れ去り別居されました。50代の男です。息子は高校3年。結婚生活28年でした。離婚…

サザンクロス

妻に連れ去り別居されました。50代の男です。息子は高校3年。結婚生活28年でした。離婚調停の準備から離婚になる予定です。コメント頂けると励みになります。

最近の記事

別居したことに怒ってるのでなく、黙って出で行ったことに怒ってる。怒りと悲しみ、喪失感。全ての言葉を使っても表現できない。この苦しみは経験した人しかわからない。

    • 息子を奪いマインド・コントロールした妻を許さない。

      • 息子に会えないなら死んだのと同じだ。

        • DVは不適切な言葉

          予め主張書を裁判所に持参した。この主張書を書くのに、専門書、体験談を書いた本を読んだ。使えるフレーズ、文章をメモに書きとめた。特にDVで連れ去られた夫の体験談はDVが不適切な言葉として蔓延している。虚偽も横行し、警察は話しを聞くだけで証拠もないのに、「無断で別居しろ」と言うだけなのだ。日常的に24時間暴力をするような根っからの悪で暴力から警察が避難を指導するならわかる。しかし、ほとんどはそのレベルにならない大変軽度なのもので、お互いが喧嘩して物を投げ合ったり手を出しあったり罵

        別居したことに怒ってるのでなく、黙って出で行ったことに怒ってる。怒りと悲しみ、喪失感。全ての言葉を使っても表現できない。この苦しみは経験した人しかわからない。

          1人の年末年始

          出て行った妻と息子は今なにをしてるんだろう。 おせち料理は買ったのだろうか。昨年まで私がすべて準備していた。 2人だけでどこまでやれているのか、やはり気になるし心配だ。 1月半ばに3回目の調停がある。それにむけて資料を作らないいけない。 新年も2日から仕事だ。年末年始は通過点に過ぎない。

          1人の年末年始

          息子のいないクリスマス

          誕生日も過ぎてしまい何もしてあげることもできない。LINE送信したが既読にならず。別居してからずっとだ。誕生日にLINEくるかもしれんと見てくれるかと期待したが、ダメだった。何を考えてるかわからん。母親が連れて行ったことで私への信頼関係はない。拒否感だけが残ってる。私も息子に怒ってる。とはいえ、こんな息子にしてしまったのは夫婦の責任だ。けれども子供は父親と母親と半分でできている。面会交流は別居親のためでなく、子供のためでもあるのだ。

          息子のいないクリスマス

          息子のものを送る準備

          家に残された嫁の荷物を先月、相手側の弁護士事務所に届けた。別居時に必要なものは運んでいったが、全部ではない。かなりの荷物が残されている。子供のものも。幼稚園から小学校の美術作品、中学、高校のテキスト、ゲームなど。私が持っていても処分はできない。息子に返すしかない。 また誕生から中学生までの写真を選んでUSBメモリーに入れた。これは今月誕生日になるプレゼントにしようと思っている。息子の心に響いてくれたうれしいが、どうだろう。

          息子のものを送る準備

          相手側の弁護士と話する

          相手側の弁護士事務所に電話した。扶養関係の書類についてだ。声を聞くといつもの事務員でなかった。わかる事務員に変わってくれるようだ。するとなんと代理人弁護士が出た。(弁護士事務所に弁護士はまずいない。弁護士は多忙で外出している。)私は息子との交流を話をした。息子は高校を出たら進学する予定だ。養育費は原則20歳まで。進学する入学金などは含まれない。養育費で足りない場合は請求してくるわけだが、これは法律では決まってない。こちらが応じるかは私の判断だ。ましてや調停は裁判、審判でもない

          相手側の弁護士と話する

          夫婦関係調整と婚費費用分担調停の報告

          1回目の調停は婚姻費用分担調停であった。2回目のメインテーマは夫婦関係調整調停だ。(同時進行)この調停を望んでいた。この準備のために主張書をA4紙に6枚を書き上げた。日数にして3日はかかった。何度も公正しては書き直した。事前に裁判所に提出、相手側にも用意した。調停人は前と同じ二人、よく話す気さくなおばさんと、聞いてるだけのおじさん。主張書を読んでくれた実感はあまり感じなかった。主張書には相手側に質問をいくつか書いていた。回答はあった。その中には呆れた回答もあった。答えてくれな

          夫婦関係調整と婚費費用分担調停の報告

          巻き添えはやめて

          別居されて3ヶ月。息子は今月で18歳になる。社会では成人だが、本当の成人は20歳であることに揺らぎはない。息子の誕生日にケーキ🎂を買って祝ってあげれないのは辛い。今、(;>_<;)何を思ってるんだろう?もしこのまま10年間会えなくなったらどんな姿になってるんだろう?怖い。子供の成長を見られない。別居するなら妻だけ家出すればいい。子供まで巻き添えにするなと言いたい。

          巻き添えはやめて

          別居されて3ヶ月

          息子に会いたい、連絡をとりたい気持ちが失せてきた。姿がみえないのだから、私の中では存在しないのと同じだ。ちょっとでもコンタクトをとろうなら相手の弁護士が文句を言ってくるに違いない。それも非常に鬱陶しいストレスになる。連れ去られたらもう会うことは99%無理だ。もう息子は高校生、父親に会いたい年頃でもない。私の気持ちなんかわかるわけもない。私の中では、一緒に過ごした17年8ヶ月の思い出しかない。それで充分だ。妻には憤慨してるが、いつか許せるときがくるだろう。

          別居されて3ヶ月

          独りになると生活音もしない。誰も帰ってこない。シーンと静まりかえった室内が物哀しい

          独りになると生活音もしない。誰も帰ってこない。シーンと静まりかえった室内が物哀しい

          同意なき連れ去り

          同意なき連れ去りは海外では誘拐罪である。日本では違法でなくてもモラルに反する礼儀知らずの行為である。例えば話合いをしたけど理解してくれなかったならまだ理解できる。そのチャレンジも勇気もなく逃げてしまった。無断で連れ去り行為はとても卑怯なことであり残酷は仕打ちである。別居は私も望んでいた。それは妻も知っていた。黙ってでて行ったことが容認できない。飛ぶ鳥跡を濁さず。息子の教育にもよくない。

          同意なき連れ去り

          初めての調停

          別居後初の調停があった。婚費分担調停である。調停に行く前に調停はどんな雰囲気か、調停人はどんな人か、どのように調停は行われるのか、調べた。調停室で夫婦揃って説明を受けるのか、別々なのかはっきりしない。時間通りに行ったら待合室で少し待ち呼び出された。そこには相手側はいなかった。すでに時間差で調停をしていたのだ。だから受付、裁判所前で出くわすこともない。帰りも時間差でずらされる。調停人は年配の女性と男性だった。気のやさしそうなよく喋るおばさんと、無口でどこでもいるようなおじさんだ

          初めての調停

          調停を前にして

          別居されてから2ヶ月近く経つ。婚費分担調停が数日に迫った。妻の顔を見ることができるかもしれない。気になるのは妻の気持ち。無断で連れ去り別居したことに、罪悪感、後悔、後ろめたさを少なからず感じてるいるだろう。もし別居を伝えて同意を得ていれば、こんな調停はしなくても協議離婚で収まったはずだ。その後の人生も罪悪感なく最低限の事務連絡ができたはずだ。

          調停を前にして

          あのCDを妻が買っていた

          私と妻が知り合ったきっかけはクラシック音楽だった。同じピアニストのファンでもあった。残された妻の物に、大量のカセットテープ、CDがある。結婚前から長い年月を経て溜めて保存されていたものだ。ほとんどは古いものばりだが、そこに新しいCDがあった。2年前にショパンコンクールに出た角野隼斗のショパンのピアノコンチェルトだった。私も彼のYouTubeやショパンコンクールで注目して気になったピアニストのひとりだ。そのCDを昨夜聴いた。妻と趣味が同じであっても夫婦関係が破綻するとその音楽の

          あのCDを妻が買っていた