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選ばれなかった過去

XやThreadsなどのSNSをしていると、子どもの頃、自分が本当のことを話しても、大人の勝手な価値観から教師に全否定されトラウマを抱えているといった呟きをよく見かけます。

それに対する回答でそんな教師は地獄に落ちるべきだと書かれてあったりしますが、私も少なからず理不尽な目に遭ったほうではあるものの、そこまでは思えないですね。

もう対象者がこの世界にはいないかも知れないという可能性を考えると、声が届かない人にもう何の感情も湧かないという感じでしょうか。


既に鬼籍に入られた中学校時代の男性教師の話になりますが、毎月、手書きとタイプライターを駆使して、生徒の作文などを集めて学年通信なるものを発行されていた教師がいました。

けれど、その作文というのも、その教師が特定の生徒に依頼して書かせたものがほとんどで、文字がきれいな上、内容も無難で、教師目線から保護者に見せてもおかしくはないとされる(批判的な内容がない、優等生であり文章自体の完成度が高い)そんな作文ばかりでした。

当然全く依頼を受けないほうは自分が否定されているようで辛いし、その保護者も思い出であるはずの文集に自分の子の作品が乗っていないのはどうしたものかという思いを持つでしょう。
依頼を受けるほうは受けるほうで、試験期間であろうが、受験前であろうが毎月決められたテーマの文章や漫画を書かなくてはならないので大変だったそうです。

タイプライターもお気に入りの女子生徒数人を集めて、特定の子だけに教えたりしていたそうです。
姉はその選ばれしメンバーのひとりであったそうですが、友達同士でもクラスメイトでもない何のつながりもない3人の女子生徒を集めてタイプライターを教えたことに違和感を覚えたそうです。

私にしてみれば、その時代はそんなものだったという感じでしょうか。
私は選ばれないほうの大勢のうちのひとりのメンバーではあったものの、人生の荒波を経験しながらも文字で表現することを大切に思う気持ちを失わなかった、それだけでよかったと思っています。

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