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愛犬(生き物)と生きるということ。


結婚もしていない、もちろん子供もいない自分にとって、犬との生活は自分の子供のようであり、友人のようでもありなんと表現していいかわからないけど、強い絆で繋がっていると思う。
もちろん、一緒に生活していく中で腹立たしく思うイタズラや、よりにもよってなぜここで?という場所で、粗相をしたり面倒臭いと思うこともあったけど、それも含めてその子の個性だと急に今思えるようになった。

前に聞いた言葉で、アメリカの格言に「犬は人間の最良の友」
という言葉があるらしい。すごく納得できた。
犬は人を裏切らない。だからこそ自分もそれに応えようと愛情を注ぐ。

人間と犬とではどう考えても寿命の差がある。
平均的な寿命をまっとうしたならば、必ず人間が看取らなければならない。当然そうしなければいけない。
しかし、とても辛いことだ。
犬は人を裏切らないし、愛情をかければかけただけ、それに応えてくれる。言葉を話すことはないが、犬は人の声のトーンや表情などをよく見ている。
また犬も、様々な表現で意思を伝えようとする。

散歩に行きたいなら何度も玄関の方を向いたり、玄関に走って行ったり、お腹がすけば食事場としているところに立ってアピールしたり、おやつが欲しければ何度もこっちを見た後、おやつが置いてある場所を見ることを繰り返す。ボディーランゲージと同じだ。
それゆえ、直接会話はできなくとも、心でお互いわかってるよねという様に心で通じ合っているのである。

最期の日が来た時、長年の家族であり友人を失う辛い気持ちを昇華し、全て良い思い出として受け入れられる時が来るのだろうか。
それとも、もっとできた事や、やる事があったのではないか、自分を優先し、寂しい思いや辛い思いをさせたのではないかと自問し、己の行為への罪悪感や、喪失感を抱えたまま生きていく事に耐えられるだろうか。
そんな気持ちをどう自分なりに消化し、乗り越えていくのだろうか。

人間はなぜ、最期に悲しい思いをする事を理解した上で生き物と生活を共にすることを選択するのだろう。
最期を迎える辛さは生活を共にする事は、最期を迎える辛さと比例して、あまりある幸せを与えてくれるからだと、わかってはいる。
でも、最期の時が来るのがこんなに早いなんて事実は受け入れる事はできないよ。

1人になる自分。一緒に生活してきた時間。
今の自分には、どんな言葉も他のどんな楽しい事も、とても理解し受け入れる事は出来そうもない。

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