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京都人がトリサポになった話①

皆さん、こんにちは。京都のトリサポいのけんと申します。初投稿です。パソコンの練習がてら、noteをインストールしてブログをやってみようと思います。

はじめに


私は京都府出身で、スポーツ観戦が大好きだ。野球では阪神タイガース、サッカーでは京都サンガFC 以下 サンガを応援している。根っからの関西人で大分県に縁もゆかりもない。なんでそんな私が大分トリニータ 以下 トリニータを応援するようになったのか?経緯を順番に書いていこうと思う。

  • 目次

  • 経緯1 2012年西京極

  • 経緯2 学生時代

  • 経緯3 2020年社会人に

  • 経緯4 社会人2年目の苦悩と天皇杯準決勝

  • 経緯5 運命の天皇杯決勝

経緯1 2012年西京極

遡ること10年前、中学生だった私は家族に連れられ、京都サンガの応援に行っていた。土日はサンガの日という認識で、毎回、京都市西京極陸上競技場兼球技場(長いねん!)以下 西京極に足を運んだ。

この年のサンガは、好調を維持してギリギリまでJ1自動昇格権にいたものの、最後の最後で3位に転落。この年からスタートしたJ1昇格プレーオフに回ることになった。
プレーオフ準決勝の相手は…大分トリニータ。
J2で3位のサンガ、6位のトリニータという構図である。

結果 
2012年11月18日 14時4分キックオフ
京都 0-4 大分

得点者 森島保仁 17分 33分 61分(PK) 90分
会場 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球戯場
入場者 1万760人
主審 松尾 一

この瞬間サンガの2年連続J2が決定。西京極はお通夜状態であった。因みに私の高校受験前最後の試合がこの試合。辛かったよ。
 この時は対岸でお祭り騒ぎの大分サポーター、そして大分トリニータが大嫌いだった。そりゃ地獄へ叩き落されたのだから嫌いになって当然だ。
サンガはその後2022年にJ1に帰ってくるまで12年を要することとなり、ジェフ千葉とズッ友と揶揄される長いトンネルに入ることになる。大分はというとPO決勝で千葉を元サンガの林丈統の決勝ゴールで破りJ1昇格を決めた。そして私も暫くスポーツ観戦から離れる生活を送るのだった。

経緯2 学生時代

高校と大学時代を合唱部で過ごした私は、サッカーからも離れる生活を送っていた。そして友達との付き合いがきっかけで甲子園に通うようになり、野球に興味がシフト。大学生の時には立派な阪神タイガースファンとなった。ところが、突然Jリーグに戻るタイミングがやってくる。
 大学2年生の時だろうか。阪神の試合が中止になり初めて吹田スタジアムに行くことになったのだ。対戦カードはガンバ大阪VSコンサドーレ札幌。久々のサッカー観戦、初めて生で見た遠藤保仁にはテンションがめちゃくちゃ上がったを覚えている。

吹田スタジアムの写真。日本でもトップクラスの臨場感を誇る。

試合は元イングランド代表ジェイ選手のゴールで0-1で負けたが、またスタジアムに戻りたいと思えるようになった。そして、翌年の冬にまた転機が訪れる。
 11月ド平日の火曜日、大学はゼミのラジオ放送(大学が地域FM局と連携して、学生が地域の魅力を発信するラジオ番組を放送しているのだ!)の打ち合わせと合唱部の予定だった。しかし、ゼミと合唱部が急遽お休みになり予定がパーになってしまったのだ。
家から出て地下鉄の車内で連絡を受けた私。「もう家出たわなんで休みやねんはよ言うてや!」とめちゃくちゃイラついたのを覚えている。だって家にいたら全休やったやん(クソ大学生)。
この時、阪神は甲子園で試合がなく野球観戦の選択肢はなかった。ただ、この時スポーツ観戦に飢えていたので、スマホで必死に何処かで試合がないか検索すると…?

2018 明治安田生命J1リーグ 第28節
セレッソ大阪VS名古屋グランパス 
 キンチョウスタジアム 当日券あり
心の中でガッポーズ。すぐに京都駅に引き返した。初めての1人で大阪?まあ家帰れるやろ知らんけど。
そんな状態で新快速の早さに驚き、地下鉄御堂筋線の混雑具合にビビりながら長居駅・キンチョウスタジアムに到着!結果は相馬勇紀(当時は特別指定選手で47番!W杯頑張って!)のプロ初ゴールで名古屋が0-1で勝利。

当時のスコアボード スマホカメラのクオリティーよ…。

この時、私は一人でスポーツ観戦する楽しさを知った。そこから私は空き時間があれば球場かスタジアムへ通うようになった。私のスポーツ観戦本格課金の始まりである。

経緯3 2020年社会人に

2020年、私は大学を卒業してホテルへ就職した。しかし、入社後すぐに某感染症が流行りホテルが休館。スポーツ観戦もできなくなった。(ギリギリでサンガスタジアムのこけら落としは参戦できた)しかし再開後にお客様が来るわ来るわ。繁忙期が続いて苦戦しつつも1年目を乗り切った。
 ただ、当時はホテルのイベントも縮小気味だったので、感染症が落ち着いたらもっと忙しくなることは確定的。生活の一部であったスポーツ観戦を奪われ、身体も心も疲弊していった。テレビを見る時間もなかったので、この年のスポーツはほとんど見れなかった。東京五輪ゆっくり見たかったな。

経緯4 社会人2年目の苦悩と天皇杯準決勝

2021年、感染が収束する気配は一切ないまま4月を迎えた。この年は自分の部署だけ後輩が入ってこなかったので、かなり寂しかった記憶がある。この時期にはホテルも客入りが回復し常時繁忙期のような状況だった。
 イベントも復活し、外国人観光客がいない以外はいつもと変わらない風景が戻ってきていた。同時に同期が続々と辞めていった。相談できる仲間が毎月誰かいなくなるというのは精神的にかなり来るものだ。正直この時期からホテルを続けられるのか不安だった。
 
そんなある日、ホテルの先輩から、サンガが天皇杯で浦和に負けたという知らせを聞く。いつの間にか今年のサンガの天皇杯終了のお知らせである。その後も、ガンバとセレッソの大阪勢を倒し、京都含め関西クラブをボコボコにしながら浦和は決勝へ進む。ではこの時反対のトーナメントの櫓では何が起こっていたのか。
 この時期遅番が多かった私は、この日も22時を過ぎの帰宅だった。テレビをつけるとチャンネルはBS1。川崎フロンターレの試合でどうやら天皇杯を放送している。試合はPK戦に突入していた。この時の川崎は昨年より勢いは落ちたが、Jリーグでは無双状態。そんな川崎を苦しめてるのはどこのクラブだろうか。白と青のユニフォーム、ガンバかな?でもこの前浦和に負けてるし違うか。どこだ?

天皇杯準決勝 川崎F VS 大分 2-2でPK戦に突入!

頭の整理が追い付かない。大分ってJ1でもうすぐ降格しそうなところのはず。それが川崎に2点取って追い付いて勝ちそうなとこまで来てる!?意味が分からん。もうそこからはテレビにかじりついた。次の日4時起きで7時から勤務とか関係なしである。そして大分の高木選手が川崎の山根選手のPKをストップ。なんと大分が川崎に勝ったのである!

この時私は淡い期待を抱く。大分が浦和倒してサンガの仇とってくれんのちゃうか?と。この瞬間、決勝戦だけ大分サポの仲間入りが確定した。

経緯5 運命の天皇杯決勝 

2021年12月19日、天皇杯決勝の日を迎えた。幸運にもこの日は公休だったので試合をリアタイ観戦することに。
 浦和の圧勝が大多数の予想の中、東より西のクラブに勝ってほしい気持ち。そしてサンガを埼スタでJ2に降格させ、今年の天皇杯も終わらせた浦和絶対負けろおぉぉ‼‼ という気持ちをエネルギーに大分を応援する。
 しかし、前半6分に柏から移籍してきた江坂任のゴールで浦和に先制されてしまう。前半終わって1-0。ただ大分もボコボコに攻められまくっているわけではなく、まさしく決勝戦という好ゲーム。時間は後半ATへ入りもう終わるかな…という頃、大分が最後のチャンスを作り、下田北斗のクロスをペレイラが合わせ最後の最後に同点に追いつき1-1!

もう叫んだ、叫びまくったことだけを覚えている。このままいけば浦和を倒せるかもしれない!大分押し切ってくれ!と思った直後…。

柴戸のミドルウうぅ‼コース変わったああぁ槙野おおおぉぉ‼‼‼‼
浦和 2-1 大分

私の願いは叶わなかった。いやぁほんと持ってるわ槙野、これがお祭り男なんやな…。浦和強すぎるわ。まずそんな感想を抱いた。
しかし、大分は川崎を倒して、浦和と互角の勝負をしたことは紛れもない事実。こんな強いやつらがJ2行くんか。絶対来年のJ2チェックしよう!
 このような経緯でついに大分の試合をチェックし始めることになった2021年の冬だった。

次回へ続く!


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