時間と意識と物質について
ときどき、とりとめのない、
どうしようもないことを考えて。
この世界に何の意味があるのだろう、とか。
空想してみたことを書く。
1.時間とは何か
時間とは、物質と物質に働く力の相互作用により
発生しているようだ。
単純化するために、
この世界が、AとBといつ2つの物質(エネルギー)
だけしかない状態を考える。
それを観測者Cから観測したとき、
時間が発生する。
時間の単位は、
距離の変化量(移動距離)により決めることになる。
今の時間単位は、地球の自転1回転が24時間で、
その1/24が1時間、その1/3600が1秒になるが、
地球にいる人類の時間だから、そうなる。
物質AとBの2つしかない世界では、
AとBの間の相互作用(重力や電磁気力など)により
AとBの位置が刻々と変化する。
観測者C自体、AとBに相互作用に影響を与えるが、
それも含めて、
物質A、物質B 、観測者Cの3者の間で、
刻々と変化する関係性に、時間が発生する。
2.観測者について
(1)観測者がいる世界
2つ以上の物があると、相互作用が生まれる。
それを観測すると時間が発生する、と仮定する。
観測者Cがいないと時間の流れは発生しない、
と仮定する。
これには2つの意味を考える。
1つは、観測者が物質に対して、どの程度の加速しているかにより、時間の経過は変わるため、観測者の加速度系を決めなければ、時間を測定できないと考えられる点。
もう1つは、物質自体、素粒子自体が、
確率の波のような状態なので、観測者がいないと、
相互作用の位置が確定しない、と考えられる点。
だから、つまり
観測者がいて、時間の流れが発生する。
(2)観測者がいない状態の世界。
観測者がいない世界では、
すべての物質の相互作用における、
確率の重ね合わせの世界のような分布が、
どこまでも広がっている。
観測者がいないので、一瞬で、無限の時間の相互作用がずっと先の未来まで、計算される。
夜眠ると8時間たったても、一瞬で朝になる。
その間の時間経過は後追いでしかわからない。
眠るだけなら、観測者が目覚めた時点で時間が流れ出すが、完全に世界に観測者が一人もいないとき、
時間は流れない。
何も確定しない、時間に流れがない、
だから、あらゆるものの過去から未来までの、
あらゆる確率的な可能性の広がりが、
無限に広がっている状態となる。
3.意識とは何か。
観測者Cには意識がある。意識がないと観測者になれない。
意識のない物質Dがあったとして、
物質A、B、Dの3つだけの世界では、時間は流れない。
意識とは特別なものだ。
物質とは観測するための道具にすぎない。
意識は物質からはできていない、と仮定する。
石や水や空気や海や川や
いろんな化学元素がらできている物質、
無機物や有機物、これらをどう組み合わせても、
意識が生まれるとは、思えない。
もしそれができるなら、工場で、物質を組み合わせて、意識を作ることができてしまう。
でも工場で意識は生産できない。
生物だけに宿る。
AIプログラムは、会話では上手い返しができたとしても、意識ではない。ここは議論があるだろうけど。
脳の中に意識があるだろうか?
未来に物質の分子の構造を丸ごとコピーする機械ができたとして、脳を丸ごと分子レベルで複製したら、
そこには意識ができるのか?
元の脳の意識と、コピーした脳の意識は、
別々の意識になるのだろうか?
意識とはこの世界でいう物質(素粒子)の組みわせで、できてはいないとすると、もっと別の次元にあり、生物に宿る、と仮定する。
でも意識は、物質世界とも密接に結びついてる事実がある。
脳を損傷したり、手術したりすると、意識や思考や記憶などに影響するのをどう説明するのか。
脳波や電気信号が計測できるし、
意識や思考とも関連性がある。
痴呆症やアルツハイマーとか、意識が別の次元にあるならなぜ起きるのだろうか?
言語能力は、脳に依存すると仮定する。
人の歩いたり感じたり、五感についても、人の脳の能力に依存する、だから、脳を損傷したら、その機能が損なわれる、これと意識が別次元にあるのは、矛盾しない。
意識は、
この世界からは測定できない別の次元にある。
意識には、暖かな感じや冷たい感じや、何かを感じたり、意識したり、好き嫌いがあったり、こうしたいと思う、原始的な能力はあるが、複雑な思考や言語能力はない、五感もない。
もっとぼんやりとした、
意識のエネルギーのかたまりのような存在と仮定する。
それは、タマシイ、と言ってもいい。
人間に宿る時、人間の成長とともに、
意識は、言語能力を学び、五感を知る。
ここでは議論しないが、生物には意識が宿り、
その生物ごとの機能と能力の範囲で、意識は、
成長し、思考や意思を持つ、と仮定する。
4.物質とは何か。
宇宙ができる前、ビックバンの前のときの
空間の揺らぎには。
反物質と物質が常にできていて、消滅しているを繰り返している、という話がある。
物質が表面上何もない世界にも、常に変化があることになり、相互作用している可能性がある。
この空間の揺らぎは、時間と呼べるのだろうか。
人は意識をもっているから、
現在だけでなく、過去においても、
時間を発生させることができる。
過去を計算して、何億年前とかのことを思うことができるか、人がそれを計算した瞬間に、過去ができる、とも言える。
過去の時点では時間がなかったのに。
人がいなければ、過去も現在も未来も
すべてが確率分布になり、なにも時間が流れない。
だから、ビックバン前に、
空間の揺らぎがあり、もし人がそれを計算できるなら、
そこには時間の流れがある、と言える。
人が計算できなければ、時間の流れはない、
と言える。
観測者の主観で、時間の流れは決まる。
と仮定する。
明日の朝、起きたら、1万年すぎていたとする。
でも一瞬でもある。
過去を計算して計測できるなら、
1万年の流れがそこに出来上がる。
もし誰一人として1万年の流れに気づかなければ
そこには時間流れはなく、一瞬でしかない。
物質も時間も、意識により決まる。
意識はこの次元にはない。
物質と時間はこの次元にあるが、
別の次元にある意識を通してしか計測できない。
世界とは、観測者の意識の計測した結果だと思う。
だとしても、過去に行ったり、未来にいったりは、
できない。
本当はもう何度もできているのかもしれない。
誰にもわからない、違う仕掛けが
あるのかもしれない。
そういうことを考えるのがとても興味深い。
日々の日常に疲れた時、
そういう空想をすると、とてもおもしろい。
たぶん、世界の成り立ちを解明はすることは、当面難しいだろうから、自由に好きに空想する。
そして、また日常の日々を、がんばりたい。