元号考:その1
※-1 元号といったら,いつも使うのは「元号?」それとも「 西暦?」
「元号と西暦の関係-なぜ元号にこだわるのか?-」『朝日新聞』2015年8月22日朝刊b10面をめぐる小考から,この記述を始めたい。
付記)冒頭の画像は後段に利用する画像資料に出所あり。
1) 天皇・天皇制との関係に触れない「元号問題の記事」の不思議さ
元号と西暦の使い分け。ふだんはさして気にしないのだけれど,書類や手紙に書くさいに悩むことがあります。節目の年を勘定するときには,西暦が圧倒的に便利。でも,役所の書類は元号表記を求められることが多いのが現状です。いっそのこと,どちらかに統一すれば合理的だと思ったのですが,賛同者は少数にとどまりました。
補注)ところで,なぜ役所は「元号表記」を求めるのか? ネット上から関連する知識を借りながら,以下のように説明しておく。
2)元号使用の現状
日本において,元号法により元号の使用を規定する法的根拠があるが,私文書で使用しなくても『罰条などはない』。一方で,西暦には,元号法のような法律によるなにかしらの『規定は存在しない』。
a) なお,元号法制定にかかる国会審議で「元号法は,その使用を国民に義務付けるものではない」との政府答弁があり,法制定後,多くの役所で国民に元号の使用を強制しないよう注意を喚起する通達が出されている。
b) また,元号法は「元号は政令で定める事」「元号は皇位の継承があった場合にのみあらためる事(一世一元の制)」を定めているに過ぎず,公文書などにおいて元号の使用を規定するものではない。
c) しかしながら,公文書の書式においては生年などを記載するさい,西暦を選択しまたは記載するための『スペースはほとんど設けられていない』。
d) そのため,日本共産党などは,事実上西暦が否定されており「元号を使わなければ受理しないなど,元号の使用が強制されているのは不当」であると主張している。
同様に,キリスト教原理主義者団体などは「元号の使用を強制し西暦の使用を禁止するのは,天皇を支持するか否かを調べる現代の踏み絵である」と主張している。
21世紀に入った今日,インターネットの普及などもあり,日常において「元号より西暦が主に使用されるケース」は,格段に増えてきている。元号では「今年が何年なのかわからない」,「過去の出来事の把握が難しい」という人も若者を中心に増えてきている。
しかし,元号は前述のとおり公文書で使用されており,公的機関に提出する書類や申請書でも元号が使用されることが多い。そのため前述のような元号による時代把握が困難な者でも,自分の生まれた年は西暦よりも元号の方で覚えていることが少なくない。また,あらたまった年賀状や手紙など,状況に応じて使用されている。
3) 報道機関
a) 日付欄の表記を「元号(西暦)」から「西暦(元号)」にあらためた報道機関とその時期は,以下のとおりである。
☆-1 朝日新聞が1976〔昭和51〕年1月1日。
☆-2 毎日新聞が1978〔昭和53〕年1月1日。
☆-3 読売新聞が1988〔昭和63〕年1月1日。
☆-4 日本経済新聞が1988〔昭和63〕9月23日。
☆-5 中日新聞・東京新聞が1988〔昭和63〕年12月1日。
参考)昭和天皇「裕仁」の老齢化に伴う病状悪化が始まったのは,1988〔昭和63〕年の9月であった。
それでも,昭和時代の末期には,未来の予測(会計年度など)を「(昭和)70年度末」といった〔ありえなかった年度の〕表記をしていた。
1989〔平成1〕年への平成改元以降,その他の各報道機関も本文中は原則西暦記載,日付欄は「2012年(平成24年)」の様に「西暦(元号)」という順番の記載をおこなうところが多くなった。
産経新聞や一部の地方紙(河北新報・静岡新聞・熊本日日新聞など)やNHKのニュースのように,本文中は原則元号記載,日付欄は「平成22年(2010年)」のように「元号(西暦)」という順番の記載をおこなっている報道機関もある。
ただし,産経新聞の記事を配信するウェブサイト「MSN産経ニュース」では,トップページの今日の日付は「2010(平成22)年04月04日」,個々の記事タイトルの下にある配信日時は「2010.4.4 02:04」,記事の本文中では「平成22年」のように不統一が見受けられる。
しんぶん赤旗は日付欄に元号と西暦を併記していた時期があったが,現在では西暦のみを表記している(なお,以前・従来の日本共産党は天皇制反対であるが,現在・当面は否定していない姿勢であるから,奇妙な逆さま的な符合か?)
ところで,つぎのような『週刊現代』の広告が,本日〔2015年8月24日〕『朝日新聞』朝刊の13面に出ていた。これは,その右側部分を切り出したものである。
ここで赤丸でかこんだ「ことば:国母」とは,筆者のしるかぎりでは初めて接したものである。「皇后:美智子」をこのように祭り上げる表現・形容をする今日的な意味は,奈辺にあるのか?
ウィキペディアの通り一遍風になる説明では,この国母とはこう記述されている。
本ブログ筆者のしるかぎり,前段に紹介した週刊誌の記事に関して広告に登場させられたこの「国母」という文句をみて,一瞬驚かされた。
前段の説明の表現によれば,正田美智子(平成天皇の配偶者)は,「皇帝や天皇,国王の生母」でない事実はさておき,「皇后・王妃や国家指導者(国民の父)の配偶者等を指して使われる」という説明にはあてはまるものの,いまのこの国:日本のなかで,この国母ということばを使用するのは,日本国憲法における根本理念に照らして異様な表記にさえ映る。
仮にこうした表記が使用されるとしたら関連させていえば,この皇后:美智子の配偶者である明仁天皇は,日本という国の「国家指導者(国民の父)」という位置づけを有していたことになる。
そう考えてみると,「国母」⇒「国父」という類推・敷衍が当然の理屈として導出される。だが,このことばをもちだした週刊誌的な着想は,「記事の見出し」に付けてみた文句とはいえ,まるで中空で犯した「勇み足」であったか,あるいは「アヒルの水かき」的にもむなしい空想心の発露のように感じられた。
※-2 元号使用の不都合-便利なのは西暦だが… -
1) 元号使用の状況
ここからは,参照する記事本文に戻っての記述となる。つぎの画像資料は参照している記事に出ていたものである。
〔記事に戻る→〕 「覚えが悪いせいとは思うが,今年は平成25年と勘違いしたり,西暦2017年と思いこんだりして自己嫌悪に陥る」。そう書いたのは静岡県の56歳女性。「友人に話したら同じ間違いをしている人が結構な人数いた」とも。
西暦と元号をめぐる戸惑いはほかにも多くの人が経験している。
「15年と書かれ,昭和15年と2015年を間違えた。困る!」(北海道,48歳男性)
「年の所に2マス空いてたので,元号を書いたら西暦といわれた。頭の20が省略されていた。そりゃ間違うだろうと思った」(東京,70歳女性)
補注)このたぐいの疑念は本ブログ筆者もふだんから実際に接しているし,他所〔の記述〕でも話題にしたことがある。
だが,そのたぐいの不便・不都合を「年号:元号」を使用すること〔法律はあるけれども罰則がないにもかかわらず,一部では不文律が控えているかのように,あるいは罰則が実在するかのようにごまかして元号を書かせている〕が,しかも一方的・勝手にまかり通っているのが日本社会の特徴である。
ここで関連させては,以下のような話題も付加しておく。
イ)「国旗及び国歌に関する法律」(平成11〔1999〕年8月13日法律第127号)があるが,この法律にも罰則がないにもかかわらず,国旗を掲揚せず〔日章旗を揚げたくない〕・国歌を歌わない〔君が代を歌いたくない〕国民・市民・住民を,実際には罰している。
しかも,この法律ができて施行されるさい,当時の首相が「罰することはありません」と明確に約束していた。ところが,それがまったくウソとなるその後の展開になっていた。つまり当初より「悪意と虚偽を刷りこんだ」この法律を成立させてからは,そのように罰則条項があるかのように,いままで運用させてきている。
その法律が国会におて審議されるなかで当時の首相であった小渕慶三は,「法制化に伴い,国旗に対する尊重規定や侮辱罪を創設することは考えておりません」(1999年6月29日)と明言していたものの,つまり「国旗の掲揚等に関し義務付けをおこなうような規定は盛りこんでいなかった」にもかかわらず,この法律が実際に施行されると,その解釈にさいしてとなるや「国旗に対する尊重規定や侮辱罪を創設したに」等しい運用がなされていた。
ちなみに,敗戦後において日本の民主化を指導してくれたアメリカにほうでは,「国旗や国歌を強制する」のは「個人の思想・信条の自由」の問題として「憲法違反である」との最高裁判決が出ている。ところが,日本においてはいまだに,基本的にその自由がほとんどない,つまり民主主義の成熟度に関しては問題のありすぎる国家体制にまま,いつまでも停頓している。
かつて「日の丸」の旗は「血のマル」の印であった。この極悪の印象をなんら払拭する努力もなしに,そのまま敗戦後も使いつづけているところに,日本に特有である国旗〔そして国歌〕にまつわって,いまだに釈然とさせられていない問題が残されている。
上の画像下部に補記している文章の続きを,さらに本文として以下に引用する。
この日章旗の持主本人であった日本兵の息子が,長い時間を経て戻ってきたこの武運長久の文字などが寄せ書きされたこの現物をみて,その感想をこう語っていた。
「戦争についてほとんど語らなかった父ですが,この旗を実際にみて,どんなに悲惨な戦いだったんだろう,語ることができなかったのではないかと思いました。思い出したくない記憶だったのでしょう」
「〔持主となっていた〕ブッシーさん親子は,日の丸の赤のなかに血がにじむ思いがあると分かってくれて,こんなに傷んでいるのに,大切にしまっておいてくださって感謝しかないです。ビルさんにお礼の手紙を送りたいです」
以上のNHKの千葉放送局が放送していた戦争の思い出として登場させられていた話題は,「武運長久」が文字どおりならば,「武」の部分は抜きにする結果として語られていた。ともかく,その残りの「運長久」に恵まれた結果か,10人に1人しか生き残れなかった戦場から生還できたその当人にとって,
あるいは,戦時期に当人のまわりに生きていた人びとが,そしてまた現在に生きるわれわれがこのNHKの番組に接して感じて思うことは,こうした日章旗にまつわって敗戦後に経過してきた長い時間もおもんぱかるに,はたして,国旗というものに向かうとき物神崇拝的に接していいものか否かは,おのずと判然としてくる話題である。
内閣府ではたとえば記者会見する場で,官房長官が登場するとき「日の丸に敬礼する」が,「自国を象徴するための標識に過ぎない国旗に敬意を表する態度」と,その「日章旗に拝礼するかのごとき態度」とがまったく判別不能であるかのようなやり方でもって「国旗にお辞儀をする」という風景は,国旗と人間の尊厳との距離感のもち方に関してならば,尋常ならざる違和感を抱かせている。
外国の例で多いのは,国旗に対して正式にそれなりの意思を表示するときは,胸に手を当てるやり方が多い。こちらの方法だと「国旗」に対する「自分(主体)の立場」は,対等かそれ以上のなんらかの主体性が伝わってくるが,お辞儀がこの国なりの作法だとしても,そこでは「物神崇拝」の「上下の観念」がにじみ出すことを否定できない。
さきほど紹介したアメリカの場合では,「国旗や国歌を強制する」のは「個人の思想・信条の自由」の問題として「憲法違反である」との最高裁判決が出ていた。これは,国旗という旗印・旗幟のとらえ方の問題を考える場合,この基本的な立場を明示していた。
日本には「錦の御旗」ということばがあるが,これと同様な感覚でもって日の丸にも対してきたのだとしたら,「モノである旗」と「生きものである人間」とのあいだにおける「抽象的な価値関係」が,完全に転倒させられた事態が生じていた事実を意味する。
つまり「国旗」を「錦の御旗」とみなし,これを絶対視する意向そのものである態度が,政府・権力側にはあって,しかもこの前提(日章旗に関する価値観)を,法にもとづかずに国民たちに対しても実質強制している。
明治維新を迎える時期に起きていた日本国内における紛争史において回顧してみれば,その「錦の御旗」は,どこかの誰かが勝手に京都の商人に創らせた,いわば贋物的な代替物であった。
ところが,これを維新軍側も幕府軍側も,将兵たちのあいだでは本物だと信じて対応されていた。その「錦の・・・」というところが勘所となっていたい〈しだい〉が,明治時代開始から130年ほど経った時点(前後する記述のこと)になってもまだ,
「国旗及び国歌に関する法律」(平成11〔1999〕年8月13日法律第127号)の上におおいかぶさるようにして効いているようでは,この国はあいもかわらず「後進国的な政治体制」,すなわち19世紀的な体質を依然吹っ切れていない国柄だと軽侮されても,これに返すことばがみつからないのではないか。
元号の問題じたいはそこまでひどくはないものの,基本面にあっては〈同じく筋の悪い国家精神〉をそのなかに隠然とのさばりつづけさせている。そのせいで,元号のとりあつかい方が,日本国憲法の本性に対して「時間の針」を逆回しさせるごとき悪影響をもたらしてきている。
以上, イ) と記号を頭に振った段落の記述であったが,だいぶ長くなってしまったので,この イ) に関する内容の記述であった点を,ここで再確認してもらってから,つぎの ロ) に進みたい。
ロ) 2004〔平成16〕年秋の園遊会での一場面に,つぎのような光景があった。
東京都教育委員を務めていた米長邦雄氏が天皇明仁に向かい,「日本中の学校にですね、国旗をあげて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」といったところ,天皇は言下にこう返答した。「やはり強制になるということではない方が望ましいですね」。
その天皇明仁の返答は,日本国憲法の基本精神から出るものではなく,この精神に即した範囲内での「反論→批判」であった。しかしその後もたとえば,安倍晋三政権下の話題であるが,下村博文文科相が国立大学の学長に対して「国歌斉唱と国旗掲揚」を,事実上要請し物議を醸していた。
註記)ここでは,つぎの『田中龍作ジャーナル』2015年6月22日の記事を参照したので,興味ある人はこちらも直接読んでほしい。
〔だいぶ間が空いたが,※-2の 1) で引用していた記事に戻る→〕 アンケート結果をみると,日常的に使う年号は,元号派が32%,西暦派が68%。
7割近くを占める西暦派が挙げた理由は「便利」がもっとも多かった。年数計算の起点がひとつなので,過去の出来事と現在との時間距離が簡単に分かる。創立 ?! 周年,祖父母の年齢,金婚式……。西暦表記を使っていればたちどころに計算できる。
元号を使っていて不便だと感じる人は49%。たしかに年の隔たりは計算しづらい。具体的には「大正生まれの親の年齢が一瞬分からなくなった」「昭和より前になると何年前か分からない」などといった声が寄せられた。
平成に改元したさいの政府発表によると,平成は247番目の元号。初の元号は西暦645年から使われた「大化」なので,平均すると6年弱で改元されてきた計算となる。幕末あたりまでならまだしも,それ以前となると覚えるのも簡単ではない。
補注)そもそも論でいえば,一世一元だけの制度が正式に決められたのはつまり「天皇1代の元号をひとつだけにする」ことは,明治1:1868年9月8日の詔(みことのり)で定められていた。
それまでは,天皇の即位,祥瑞(しょうずい),災害,甲子(かっし)・辛酉(しんゆう)の年など1代に数回改元されることもあった。
つまり,明治維新を契機に元号に以前まではなかった,その「一世一元の制度」が創造されたことになる。換言するならば,この「一世一元の制度」は『明治時代からの《新しい伝統》』である。
元号の場合,年の途中で切り替わる不便さを挙げる声もあった。たとえば1989年は1月7日までが昭和64年,1月8日からは平成元年。1989年生まれを元号で表わすと,昭和64年生まれと平成元年生まれがいることになる。
【参考画像】-昭和64〔1989年〕の10円銅貨画像-
補注)本ブログ筆者の記憶では,昭和から平成に元号が移ったあたりを境に,出版社のなかには出版年の元号表記を止めてしまい,西暦に変えるところが多く出てきた。その理由は説明しなくともたやすく理解できた。
それでも元号を使う人が一番の理由に挙げるのは,「行政文書を始め,書類の多くが元号だから」。ただし,なぜ行政文書が元号なのかについては,元号法との絡みで理解している人もいる。
たとえば,京都府に住む72歳の女性は,「元号を使うという法律はすでにある。そのために公的な文書が元号になってしまった」。実はこれは誤解で,公的文書の元号表記と法律は関係がない。
2) 国家側の隠微な方法:意図して半強制的に元号を使用させるヤマト的(?)なイデオロギーの顕在
元号法という法律はあるのだが,そこで定められたのは元号を決めるということ。その使用に関しては触れられていない。
元号法を所管する内閣府の大臣官房総務課は「元号の使用を強制することはないし,元号使用に関する政府のガイドライン的なものもありません」。ただし「県や市町村の中には定めている場合があるかもしれませんね」。
とはいえ,実態として国関係の文書は元号表記がほとんどでは? 「うーん。以前からの慣習というか,一千何百年続いているものなので……。多くのところはそういう感じではないかと思います」
補注)この説明には「明治からの新規の伝統である」元号制の歴史的な淵源に関する〈あいまいなゴマカシ〉が仕組まれている。もっと正直になって事実を正確にいわねばならないはずだが,
このように「 〇 〇 な感じ・・・」でといいつつ,単にウンヌン的な話に逃げるところは,年数の問題とはまた別であるどころか,もしもそこまで永い歴史がある問題ならば,もっと簡単にしかも自信をもって即答できそうな「問い」であったはずだ,との確認を入れてみたくもなる。
ここでの問題としてはまた,一千何百年続いている元号制の部分と,これに対して,明治以来から敗戦後の昭和期にまでに「新しく創られ,付加され,上書きされた」元号『制』の「歴史的な由来」は,より的確に識別したうえで議論する余地があった。
元号に関しての「明治からの新しい歴史」をもって,「古代からの旧い歴史まで」を粉飾したり,あまつさえそのなにかを抹消(抹殺?)したり,さらにはデッチあげたりすることがあれば,より端的にはいえばこれは「元号の歴史に対する恣意的な捏造の行為そのもの」になる。
〔記事に戻る→〕 とはいえ,慣習として元号を使い続けるお役所とは対照的に,アンケート結果からは西暦志向がみえてくる。「一本化するなら西暦に」は85%。ただし,一本化じたいに賛成する人は3割にとどまる。
西暦が便利だが,元号は元号で大事,守っていきたいということらしい。「年をとるにつれ,2つを使い分けることは日本独自の素晴らしい文化だと感じるようになった」(福岡,45歳男性),「元号からはそれぞれの時代の特色を感じられる」(兵庫,61歳女性)。多少の戸惑いはありつつも,両者をうまく使い分けていくしかないようだ。
3) 元号はそれほどにすばらしい日本の歴史・文化史的な伝統なのか
元号制については,前段に登場した意見のように「日本独自の素晴らしい文化だ」と解釈されている。しかし,このあいまいでもある主観的な理解をもって,しかも世界のなかでは,それも先進国にあってただ1国,日本だけがひどくこだわってきたのが,この元号の問題でもある。
「天皇・天皇制」という王制(東洋王朝としての皇統連綿性〔万世一系?〕)との深い封建遺制意識を保持しつつ,この元号というものが維持されているのだとしたら,したがって,この事実にかかわってはとくに,その歴史的背景・事情を,まずさきに確実に理解しておく必要があった。
昭和の時代は長かった。たとえば昭和1桁台に生まれた人であれば,いわば「同時代に生きた人びと」にとっては,「平均寿命に近いほどの長期間」をこの「元号の昭和」とともに過ごしてきた。それゆえ,その途中の人生の過程にあっては,この元号だけでもとくに不便や不都合を感じることはなかったと思われる。
しかし,時代が進み昭和から平成へと元号が変わってからは,本日の記述の材料にとりあげてみた記事のように,時間の経過に併行する時代(時期)の把握では,元号と西暦との円滑な対応がうまくいかず,少なからず困った場面が出現してきた。
そこで「西暦・元号変換ツール」という道具がネット上に提供されている。これは「新元号にも対応した西暦と元号(令和・平成・昭和・大正・明治)を相互変換するツール」だといい,
「令和10年は西暦何年?」「西暦1999年は平成何年?」といった場合に簡単に答えを求めることができるほか,「明治200年は西暦何年?」「西暦2000年は大正何年?」といった使い方も可能だと解説されている。
そういえば,わが家では新年の直前の時期になると,毎日新聞社の配分によるものなのか,新聞販売店からカレンダーを配達してくれるのだが,このカレンダーの毎月ごと上欄に印刷されている「2024年」のすぐ下には令和6年と印字されているだけでなく,ついでになのか,平成36年,昭和99年とも印字されている。
その令和6年という元号の年はいくらかは参考になり利用価値ありそうだったが,平成36年や昭和99年となると,ほとんどというよりは,まったく無意味なくらいに先に過ぎた「今年」に関する表記であった。
以前,なにかの書類はたとえば平成10(1998)年に作成のそれに,将来計画上における年次として平成35年とか平成50年とか記入,表示される場合がないではなかったものの,このような非常にわかりにくい年次の指示は止めて,さっさと西暦で書いてくれたほうがよほどわかりやすいよ,というのがごく自然な反応ではなかったか?
しかも,以上の話題はなお日本国内限定版での内容であって,一歩外国へ出たらそう簡単には通用しない,つまり,ほとんどといいくらい,使えないのが元号の話題であった。もっとも,外国各国にある大使館のなかでは,そうではないけれども……。
元号が日本にはあるから「日本はすばらしい伝統のある国」なのだといったふうに,いかにも「歴史的な観点」からの根拠・理由があったかのようにそれもごく単純に観念されたり,かつまた,そのようにごく自然に夢想される場合もあった。
けれども,そのようになんとなく思いこんでいる人たちが,はたして,以上に説明したごとき「元号にかかわる歴史的な事情・背景」を,多少なりにでも本当にしっているかといえば,ほとんどの人がしらなかった。多少判っているつもりの人でも,井の中の蛙がその井戸のなかの下にある横穴から世界を観ているだけだから,歴史の時間に関してより普遍的な見地に立つ理解ができていたわけでは,全然なかった。
ところが,そのようにしかしらないでいながら〔ということもしらない結果〕,実は「元号はすばらしいもの」だという既定の狭量な思考方式に,いつか・どこか・どのようにしてなのか分からぬが,それでもなんとなく,そのように「束縛・洗脳」されてきた。
元号もどきに自国の文化・伝統の精華を求めるのは,いいかげん止めにしたほうが賢明というものである。
そもそも,絶対最上級的に,つまりそう簡単には比較の相手・材料のみつかるはずもない「日本の元号」が,これをもってただちに,これこそは世界にはもう観られない貴重ですばらしい「暦の区切り・単位」だなどと,お国自慢にもなりえない自慰的な自画自賛の発想は,過去の歴史のなかにおいてのみ封印しておいたほうが好ましいに決まっている。
本ブログ筆者のごとき意見に異論のある人は,どうぞ遠慮なく議論のための材料を投じ,批判もしてほしいものである。
以上の議論についてのさらなる,歴史的でそして論理的な,つまり〈科学・理論的な吟味〉は,明日以降に続く「本稿の続編」に任せる。こちらが記述されしだい「リンク」を,この下に張っておくつもりである。
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付記)本稿の初出は 2015年8月24日,更新 本日 2024年2月12日。
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【「本稿:その2」は,こちら( ↓ )】
⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/nad95ea729300
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