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日本の大学が抱えている病理(4)

 ※-1「本稿」の前編・構成案内

 以下に本稿の前編3稿をさきに紹介しておきたい。いずれも長文で読んでもらうには忍耐と苦痛が必要になるかもしれないが,前もってこちらにも目を通してほしいところと希望したい。

 本稿の連続ものとなった記述は,日本の大学が抱えている積年の病理,為政者が高等教育の真価を全然理解しようとしない惨状,とりわけ「文系不要論」の錯誤と悪影響としてなにが起きてしまったかなどを議論してきた。

 日本の大学におけるいわば高等教育は,先進国のなかでのみならず,近隣諸国のありようにさえ以前から徐々に見劣りする状態に落ちこみつつある。

 アジア諸国のなかではノーベル賞受賞者の数が多いことはこの国が誇れる事実であった。だが,その受賞者のほとんどは理系研究者であり,大学や研究機関から文系の人材がノーベル賞を授賞した人物は1人もいない。

 ノーベル賞受賞者に関したそのような事実(実績)を思いおこしただけでも,なにを思ったか「文系不要論」という愚にもつかない暴論的無知を提起した,まさに暗愚な,それも財界人の存在は,この国が21世紀になってからというもの,確実に「没落過程」ならば順調に歩みつつある状況を,金儲けの観点・利害からしか,つまり自分たちの世界=洞窟のなかの小さな穴をとおしてしか観ることができなかったゆえ,事実そのものとしてまったく感知もできないできた。

 いまの,それでなくとも実体としては高等教育というには恥ずかしい非一流大学を「ギョーサン抱えている実情」のなかで,わざわざ文系不要論を唱えたところで,この論がはたして有意義たりうる可能性がありうるかという「事前の認識」(基礎的な予備知識)からして皆無であった財界側の無知・無識だった人物は,大学業界に「選択と集中」などといった,ある意味きわめて非学術的な戦略論の発想を直接にもちこむ過誤を犯した。それでもなお,「自分たちという存在」の有害性を,完全に近いくらい自覚しえていなかったとなれば,大学人側に与えた迷惑度は激震級であった。

 結局,日本の大学はどうなったか? さらに混迷し,疲弊してゆき,活力を失ってきている。「企業の論理=当座の営利追求目的」一辺倒に即した高等教育を強いていたら,ノーベル賞受賞者が輩出できなくなるぞと,当のその受賞者たちが強く警告する意味を理解しようにも皆目できなかった実業界人のなかでも,本稿において特定して紹介し,批判したその人物が冨山和彦であった。

 しかもこの無責任な,大学コンサルを得意になしえたつもりの人間は,その後は関心をほかに向けてしまい,いまでは大学の研究体制や教育のあり方にはそれほど興味がないかのごときに振るまっている。

 ともかく,本稿全体を通して意識する問題性は,つぎの3点に要約されていた。反復するがこの「本稿(4)」でもひとまずかかげておく。

  要点:1 高等教育機関における研究や教育を「教育は百年の大計」という見地をもって観察できていなかった「実業人の浮薄な意見」を「真に受けて摂り入れた」失策

  要点:2 「急がば回れ」が教育の原点であり,最良の方法であるが,その逆をいく実業人の経営コンサル的な目先だけの助言によって,大学の教育現場が混乱させられてきた「錯綜」

  要点:3 さすがに,教育現場に直接「選択と集中」戦略をもちこむ愚かさに気づいたらしいが,その間において大学側の受けてきた負的打撃がひどく,その打撃(悪影響)が「多大」であった

本稿の要点3つ

【参考動画】-「和田秀樹ちゃんねる2」2024年7月5日から-


 ※-2「〈ひらく 日本の大学〉「私大が多すぎる」 学長も懸念 朝日新聞・河合塾共同調査」『朝日新聞』2020年1月27日朝刊25面「教育」

 大学の数が多すぎるという声が各方面から上がるなか,大学自身はどう考えているのか。朝日新聞と河合塾の共同調査「ひらく 日本の大学」で学長に尋ねると,3分の2が「私立大が多すぎる」と答えた。一方,今後の学生の収容定員についての方針は,減員を検討している例が国立大に目立った。 

問題は大学教育の内実にあるのではないか

 1)「進む少子化,淘汰避けられず」

 調査は昨〔2019〕年6~7月,大学院大学などを除く761校を対象に実施し,90%に当たる683校が回答した。

 平成の30年間〔1989~2019年のこと〕に,18歳人口は193万人から118万人(2018年度)に減ったが,大学は499校から私大を中心に782校に増えた。この間に大学進学率は25%から53%に倍増し,学生数も207万人から291万人に増えた。

【参考資料】-18歳人口と大学問題:最近の関連統計-

この先18歳人口は急激に減少する
私大の3分の2ほどはいずれ消滅するのではないか

 この現状を大学自身はどう受け止めているのか,学長に尋ねた。国立大の数が「多い」との回答は27%,公立大は30%だったが,私大については67%に達した。私大の学長ですら65%が私大の数は「多い」と答え,「適正」の28%の2倍以上だった。

 私大の数を「多い」と考えている大学は,入学定員が3千人以上の大規模大は80%に達するなど,規模が大きいほど多い。また,地域別で見ると,福岡県を除く「四国・九州」(78%),京都府・大阪府を除く「近畿」(75%),「北海道・東北」(72%)が多かった。東京都,愛知県,京都府,大阪府,福岡県の「大都市圏」は64%だった。

 私大の数が多いと考える理由について,東北地方の公立大は「多くが定員割れ状態にあり,少子化の進行に伴い,今後淘汰されることは避けられない」とした。また,大学数について帝塚山大(奈良県)は「今後の少子化を考えれば,当面は500校程度が適正と考える」とコメントした。(記事の引用はひとまずここで中断,次段に補注の長い議論が入る)

 補注)本ブログ筆者はこの記述以外にもいくつもの記述のなかで,日本の大学は3分の2は不要であると重ねて主張してきた。一昔(以上)前からの指摘であった。

 もちろん学生数も “だから3分の1でよい” とまで,強調してみた。ただし,大学の規模や国立大学・公立大学・私立大学ごとに事情の差があるゆえ,具体的にその内容を指示しえていない。

 ただ,単純に割り切った考え方をすると,偏差値でいえば現状の「55」あたりを見当(境)にした「その3分の2だ,あるいは3分の1だ」という数字を振りかざしてきた。

 ただし,あくまで数字の問題なので,偏差値の「55」とはいっても,これが絶対的な基準ではない。一流大学は全般的に大規模な大学が多く,学生の総収容数が5万名を超すところさえある。

 毎年度の入試に関していうと,日本全体の大学進学者総数(毎年:1年次分のことである)のうちから「1%台から,なかには2%近くもの比率」でもって,合格して手続(入学)した学生を収容する大規模の大学もある(学部段階での話)。

 関連していうと,そのほかの中小・零細規模の諸大学をも配慮に入れた全体の判断をするとしたら,日本の大学「数」そのものが「多すぎて要らない余計な大学が多くある」という論理の運びにもなりうる。

 ともかくも,大学の数そのものの多さが当面の話題として語られたとしても,なんらおかしいことはない。

 もしかしたら,「不要・無用の大学群」の数は「3分の2」などではなくもっと増やして「4分の3」という数になるかもしれない。戦前かあるいは敗戦後10年経ったころまでの大学数を想定するさいの参考にしてみたら,というごとき意見もあってもよい。

 つぎにかかげるのは,以上までの議論の参考に資するためにかかげてみた関連統計である。

 「新制大学は,昭和23〔1948〕年度から発足したが,昭和28〔1953〕年4月現在の設置者別の新制大学数」は,この表のとおりである。  

1953年4月当時は国立+公立で106校
私立は120校である

2023年度現在は4年制大学で
国公立校が82校と95校で177校
私立は590校
私大の比率が高いことを異様と受けとめるべきか?

 1953年4月当時における大学の設置数は,最近における日本の大学数の3分の1弱である。たとえば,2017年度「日本の大学数」は764大学で,うち国立大が82校,公立大が87校,私立大が588校であったもの(この各数字で計算するとその間に,日本の大学は約3.4倍にまで増えてきた)が,

 前段に紹介した旺文社の円グラフに記入されている統計は,国立大学が82校,公立大学が95校,私立大学が590校にまで,まだ増加してきた数字となっている。

 ところで,である。非一流大学となればおよそ,学問だとか研究に値する教授(授業・演習・実習・実験)が,高等教育と名に値するほど「まともには成立していなかった」「事実」は,それらの大学の現場で教鞭をとっている教員たちの立場とすれば,周知の事実である。

 そしてとくに,それらの大学に勤務している教員たちの日常的な悩みの深さは,実際にそうした「名ばかりの非一流大学」で教鞭を執った彼らの経験に即していえば,最大・最極の地点にまで到達していた。何冊もの単行本にも,その「日本の大学」的な虚実がとてもエグい現実そのものとして,正直に描かれてきた。

 もちろん,一流大学の学生であっても出来の悪い者も混ざっているし,勉強など関心のない者もいる。本ブログ筆者が実際,15年も前に聞いた話として,こういうものがあった。私大の雄の一校であるW大学では,学生の学力(勉学能力・その水準)が2極化してきたため,そこの教員たちは,それなりに「困っているという事情」が発生していたとの由……。

 私大のなかでも一番偏差値の高い大学であり,それこそ東大・京大を志望したが受からずに,W大に流れてきたという多くの優秀な学生のほかに,付属高校からの進学者や,そのほか事情もからんでだが,けっこうな員数の「出来の悪い学生」が流入している状況が,どうしても教育展開において問題にならざるをえなくなった,というのである。
 
 W大のそうした入学者の代表格の1人が,夜間部に入学させてもらったあおの森 喜朗であった。この森はラグビーを名目にした推薦入試をしてもらった形式で,W大に入学できていた。

 もっとも,私大の運営方針に属する事項でもあるゆえ,そうした現実が生まれていることじたい,ただちに非難すべき事象ではない。

 問題はたとえば,東京付近の諸大学に関して呼称のある,つまり,『GMARCH』--これは「学習院大学,明治大学,青山学院大学,立教大学,中央大学,法政大学」のことを指す--や『日東駒専』--これは「日本大学,東洋大学,駒澤大学,専修大学」のことを指す--以下の水準(偏差値でいう話だが)の諸大学は,

 端的に超はっきりいっておくが,あってもなくても同じというか,むしろその存在意義など当初からほとんどない「非一流大学群」が,本当にウヨウヨすると形容してよいくらい実在してきた。

 現状日本における教育社会のあり方にとって,そうした大学群ははたしてどのような効用,存在価値があるのか? この点を解明した教育学者や社会学者がいないのは,思うに奇妙なこの国の知的状況ではないのか?

 大学らしい「教育と研究」(これがどういう中身になるか,ここではあえて説明しないが)をほどこそうにも,とうてい “うまくついてこれない” 学生たちを称して「大学生」と呼んでみても,これは完全に羊頭狗肉であった。

 最近,文部科学省がとくに大規模私立大学に対する定員厳守を指導してきた関係で,私立大学に関する偏差値そのものが,相対的にという意味あいで,全体的にいくらかは上昇してもきた局面が生じていた。

 たとえば前段にでていた『GMARCH』の大学・学部は,2019年度入試では,ほぼ60あたりが出ている。また『日東駒専』のそれは,ほぼ55あたりに出ている。いずれも,大規模大学群であるので,いろいろな学部・学科があり,一律・一様に判断するわけにはいかないものの,一応の判断材料(基準)として利用することはできる。

【参考資料】 ここでは,あくまで一例としての資料の例示であるが,つぎのように解説されてもいた。

  「【最新版】2019年 MARCH・GMARCH 偏差値ランキング」『偏差値』2019.12.06,https://逆転合格.com/ranking/march/

  「【最新版】2019年 日東駒専 偏差値ランキング」『偏差値』2019.11.14,https://逆転合格.com/ranking/nittokomasen/

 要は,関東地方の場合,それも東京都(首都圏)の範囲でいえば,「日東駒専」の入試に挑戦しても合格しない高校生は,わざわざ,それ「以下の大学」に入って勉強したところで,めだってよい成果を上げえない。にもかかわらず,あえて進学するというのは,本人にとっても保護者にとっても「人生の無駄」を結果させる必然性すらある。大卒の卒業証書がほしいという目的:気持は理解してあげたうえで,そう断定している。

 たとえば,大学卒業生が外食産業においてチェーン店の店長になるのに,大学の教育が必要かと想定してみればよい。大学教育の内容がいまの日本の大学では実質的には完全に,専門学校並み(あるいは場合によってはそれ以下)になっている要素・事情もある。それでも,卒業資格としての「大学の水準」にこだわっている。これはもはや,学生たちの学力水準に関して計数的に表現される問題ではなくて,その以前に控えていそうな諸問題にかかわっていた。

 2020年度からは専門職大学・専門職短期大学が正式に発足したが,文部科学省は「職業に直結する理論と実践の両方を学べる」のが,この新しいタイプの大学「専門職大学・専門職短期大学」だといっているけれども,既存の大学・短期大学が実際に教授している中身とどれほど違いうるのか,まともに説明しきれていない。

 前段で,学生の「学力水準に関する問題」だけでなく,彼らの「資質面の問題」があるといいいつつ,くわえて「学力水準の高低=量的指標とその内実=資質面との区分」を意図してみたのは,

 従来の「大学・短期大学」があり,専門学校もあり,また高専(高等専門学校)もある当時〔2019年度まで〕の高等教育制度に,さらに専門職大学などをくわえたところで,いったいいかほどの存在意義がありえ,実際にその教育効果を上げうるのか疑問が大きいと感じたからであった。

 要は,日本の高等教育制度にあっては,実際的・具体的には類似(近似)する各種の制度が並立している。乱立といってもいいそうした状況があるところに,それぞれの制度がもっているはずの特徴を,わざわざみいだしにくく(あえて混濁させ無意味にも)させる可能性の高い新しい大学制度を,創設させていた。

 ところで,従来の大学で「職業に直結する理論と実践の両方を学べる」ことはできていなかったのか? 工学部・医学部・法学部での教育はどうなっているか? また,文系の経営・商学系の学部での教育はどうなっているか? その「両方を学べる」というのはチンドン屋が背中にかかげるノボリと大差なかった。

 高等教育制度じたいの抜本改革はそっちのけにしたまま,目先だけの代わりばえしない「類似メニュー風の大学案内」を新たに付け足したところで,私立大学の多い大学業界では,無用な業界内競争をさらに昂進させるだけである。

 さらにいえば,いずれ近いうちに,いままで先延ばしにされてきた措置の効果が限界に達してしまい,現状にあってはなんとか生きのびている非一流大学の倒産が,一気に群発するかもしれない。そうだというのに,いまさら専門職大学という種類の大学を発足させたのは「屋上屋を架す」文教政策でしかありえず,愚の一言に尽きる。

【参考記事】-『読売新聞』から-

敗戦処理はできるだけ早めに対処しておくべきである
その到来は分かりきっていた現象

 ところで日本は,中曽根康弘が1983年に提唱した留学生受け入れ10万人計画を,21世紀初頭にはフランス並みの10万人にする計画をまとめていた。それと同時に,原則禁止されていた留学生のアルバイトを「資格外活動」と位置づけて週20時間程度なら届け出不要とし,「解禁」する政策転換もおこなわれていた。

 いまでは,その資格外活動の法定時間は原則週28時間以内にまで拡大されている。「留学生受け入れ10万人」の目標は2003年に達成し,2008年に福田康夫内閣のもとで策定された「30万人計画」も,2018年末時点で33万7千人と,これも達成された。

 補注) 日本に来ている留学生の質は,その量が急増したせいもあって,およそ勉強とは縁の薄いものたちまでが大量に紛れこんでいた。留学生たちにアルバイトさせて自国の人手不足を補わせるというのは,本末転倒もはなはだしい「実質では臨時的な移民政策の代用品としての留学生」の利用であった。

 留学生受け入れ10万人から30万人への増大も,少子高齢社会の穴埋め策にしか映らなかった様相を呈していた。こうなると,日本の大学生じたいからして,勉学に励んでいない者が多いという問題と同時に,アルバイトに精を出す留学生の問題も「教育社会問題」として認知されざるをえなかった。

 前段の記述は,2020年当初から日本にも襲来した新型コロナウイルス感染症のためにその後,だいぶ様子が変わった。その間足かけ4年もその疫病の悪影響がつづいていた経過は,別途,吟味を要する研究課題にもなりうるが,ここでは議論できない。

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 2) 学生定員,私大は増員・国立は減員目立つ

 調査では各大学に,今後5年程度の間に,全学年の学生定員について増減させる予定があるかも尋ねた。

 全体では,学部については「現状維持」が73%と大半を占めた。一方,「増やす・増やす方向で検討中」も18%あり,とくに私大は21%に達した。私大が大半を占める入学定員3千人以上の大規模大は24%,大都市圏の大学は22%が増員を検討していると答えた。首都圏への学生の集中を是正するため,政府は東京23区の大学の定員増を抑制しているが,都内の大規模大の増員意欲は依然として強い。

 一方,「減らす・減らす方向で検討中」はわずか4%だった。だが,国立大は7%と公立大や私大より多く,大都市圏より地方大学で多かった。大学院でも傾向はほぼ同じだった。

 補注)私大の「定員増加に対する欲望」は,経営問題である利害の観点からすれば当然であって,18歳人口が減少しようがしまいが「ウチだけはともかくできれば拡大路線を採りたい」と考えがちになる方向性は,いちがいに否定できない。

 だが,国立大学や公立大学は,けっしてそうはいかないし,そうする必要性がない。「教育問題としての大学のあり方」に関して必要である思考の必要性が,私大側においては “当たりまえの認識” として重大な欠落があったり,極端に偏在しているとみなされるほかなかった。
 
 18歳人口がじわじわと減少しているにもかかわらず,どうして自学だけはそれから無縁でいられるか,という問題があった。もともと,私大が観ている〔観ようとしている〕将来の方向は,一国全体の未来を捕らえた大学経営のあり方とは,ひとまず直接的には関係性が希薄になりがちである。

 日本のとくに私大は,コンビニ業界にも似て,過剰な店舗(大学)の展開となっており,つまり,過当な競争状態を意味している。ところが,なまじ教育産業であるだけに,定員が多少充足できていなくとも,その状態でもって「存続できる教育産業経営体」として残存できている。

 この大学(学校法人)としての特性(経営環境)に守られて,貴重な若者「人材」を学内に大学生としてとりこんだまま,彼らの「時間と労力」をもったいなくも,そして実質的には無為に過ごさせている。いうなれば偉大なる無駄を実践中というか,漫然と経過処理中だということになる。

 仮に,非一流大学に滞留している若者たちの存在がモラトリアムと形容されることがあったとしても,これは必ずしも正確ではなかった。当該の若者たちは実質において「飼い殺し状態になった4年間」を過ごしているだけだ,と把握されてもなんら奇異感を発しない。

 ところで,『危ない大学 消える大学』 (YELL books) で有名な島野清志は,毎年制作・刊行していた同書を2019年版で終止させていたが,その後,こういっていた。

  「日本の大学は良い,普通,微妙,論外の4つに分類される」

  「失策と醜聞にまみれた教育行政によって大学間の格差は著しく拡大してしまった。その現状は玉石混交,月とスッポンと表わすほかはない」

 日本国文部科学省の大学行政の失敗はさておき,その日本の大学の大分類である「良い,普通,微妙,論外の4つ」のうち,「微妙と論外」はまさに廃絶させるべき大学に該当する。「良いと普通」の大学を残したら,いったい何校程度まで日本の大学は残りうるか?

 玉石混淆状態にある日本の大学を仕訳・腑分けし,できるだけ月とスッポンに分類・整理したうえで,なんらかの大手術をほどこさないことには,先進国中で遅れをとっている大学としての研究・教育体制が挽回できずに,このまま後進国化していくかもしれない。

 毎年,日本人学者・研究者によるノーベル賞受賞を話題にしてウンヌンする以前の問題が,日本の大学のなかには宿痾のごとくまとわりついていた。日本の経済力・政治力の低下傾向よりも先行して学問の世界が,衰退しつつ弱体化するようでは,この国に希望がもてなくなる。

 本ブログ筆者にいわせれば,島野清志のいった「論外の大学」はもちろん論外だし,「微妙」な大学ののなかには理由があってそう評価づけされているもの以外は,「論外の大学」と同じあつかいでいいと思う。

 補注)その「微妙」な大学の典型例となる大学が,キリスト教プロテスタントの牧師養成のためにある東京神学大学である。偏差値は40台前半で,神学部の全学年・収容定員は2021年で136名,2022年で134名,2023年で132名ということだから,経営採算とは別の宗教人の育成に当たる大学である。それゆえ,通常の偏差値ウンヌンなどでは,議論をとりちがえる可能性が大きいので注意したい。

 つぎの,2024年度における東京神学大学入学数を参照しておきたい。

この大学の入学者統計はみてとおりに特殊な事情をもつ

 また「良い大学」だけはさておき,「普通の大学」は「良い大学」めざして競わせる必要がある。法人としての大学の経営・運営努力,教員の研究と教育に対する努力,そして学生も熱心に一生懸命,勉学に励み「母校の格上げ」に努力しないといけない。

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 3) 国立大改革方針,回答に影響も

 学部も大学院も,私大よりも国立大に,減員を検討している大学が目立つ。国立大の回答に影響を与えたと考えられるのが,今回の調査を始めた昨〔2019〕年6月に文科省が公表した「国立大学改革方針」だ。教育や研究などの将来構想に応じて,各大学が学生定員などについて考えるよう求めている。

 2018年11月の中央教育審議会の答申は,2040年の大学のあるべき姿を示し,国立大の定員などの規模を検討するよう文科省に提言した。同省は一時,各大学に一律に定員減を求めることも検討。だが,最終的に改革方針では,各大学に考えさせた将来構想に応じて定員を考えるよう求めた。

 これを受け同省は昨〔2019〕年末,

  イノベーション創出の基盤となる基礎研究の強化,
  女性や外国人研究者らを積極的に登用するための環境整備,
  教育研究力の強化・向上につながる再編・統合のあり方の検討

などについて,具体的な構想や取り組みを示した資料を各大学に提出させた。

 〔2018年〕今〔2〕月17日から資料をもとに,同省が教育・研究の改革や定員などの方針について各大学と議論する「徹底対話」を開始。3月まで同省の担当者と全86大学の学長らが,各大学の課題や国立大全体としての対応,国として取り組むべき制度改革などについて意見交換するという。

 4) 徹底対話で議論されている主な内容

  ○ 将来構想や改革ビジョン
  ○ イノベーション創出の基盤となる基礎研究の強化

  ○ 女性・外国人研究者などの多様な人材の積極的な登用とそのため
    の環境整備
  ○ 世界と伍(ご)する教育・研究環境の構築に向けた,組織全体を
    貫徹した大学の国際化の加速

  ○ 地方創生の中心を担い,地域経済の活性化を担う核への転換
  ○ 教育研究力の強化,向上につながる再編・統合のあり方の検討

  ○ 求められる役割を果たすために相応な大学の学生や教員の規模の     あり方

   ※〔それぞれの〕構想や取り組みごとにエビデンス(証拠)を明示 

 

 ※-2「【特集】大学入試 今年の傾向は?」『朝日新聞 EduA』第18号〔1月26日号〕,2020年1月27日,https://edua.asahi.com/article/13042939


   ◆「大学入試 今年の傾向は? 大学入試,私立は               今年も『安全志向』 地方の国公立大目指す動きも」◆

 本番を迎えている大学の一般入試。全体の受験倍率は年々,下がっているものの,来〔2021〕年度の大学入試改革を前に浪人を避けたい心理や,国の政策により大規模私立大の門戸が狭まっている影響で,受験生の「安全志向」が予想されます。志望校選びのポイントは?

 1) 私立大 「安全志向」が続く

 「私立大の定員厳格化は今〔2020〕年の入試でも大きく影響しており,2020年度から始まる大学入学共通テストを避けたい受験生は『安全志向』。受験生のボリュームゾーンは昨年よりさらに難易度の低い大学へと向かう傾向です」。教育情報会社「大学通信」の安田賢治常務はそう語る。

 「定員厳格化」とは,定員に対して一定基準以上の学生を入学させると大学が国からもらえる私学助成金がゼロになる仕組だ。大都市圏の大学に学生が集中する状況を変えるため,文部科学省が2016年度から段階的に進めてきた。定員8千人以上の大学はもっとも厳しく,4千~8千人の大学はそれに次ぐ厳しさとなっている。

1.0だとこの水準を切る大学がたくさん出たということ

 補注)関連する記事としてつぎを参照しておきたい。


〔記事に戻る→〕 この政策に対応しようと,大規模大が合格者数を絞った結果,難易度が上昇。確実に合格したい受験生は,より難易度の低い大学を受験するようになった。『大学通信』のデータをみると,早大や慶大,関西学院大,同志社大などの難関大は,2015年から2018年にかけては実質倍率が上がり,厳しい入試になったことが分かる。ただ,2019年をみると落ち着きつつある。一方,受験生が倍率の上がった難関大を敬遠し,より難易度の低い大学へと流れてその群の大学の倍率が上がった。

 補注)この段落についてはその前段に挙げた記事が関連する説明をしていたが,以上のような事情の変化によって,このところ定員割れを来たしていた非一流大学のなかでも,とくに都心部周辺の小規模大学では,一息ついて定員を充足できる状態に戻れた大学も登場している。

 だが,これもしょせんは当面だけの安心である。いずれ18歳人口の絶対的な減少傾向がまたもろに襲ってくる。問題が単に一時的に先延ばしにされただけである。

〔記事に戻る→〕 こうした大学への進学者が多い高校では進路指導がむずかしくなっている。4割強の生徒が大学や短大に進学するという埼玉県立草加東高校もその一つ。進路指導主事の篠原秀雄教諭は「一昨年ごろから,模試でA判定の生徒が首都圏の私立大を不合格になることが増えた。偏差値や過去の実績をもとに戦略を立てるこれまでの進路指導が通用しなくなっている」と語る。

 一般入試の厳しさと受験生の「安全志向」は,推薦やAO入試の応募増加にもつながった。篠原教諭は大学の入試担当者から「以前よりも学力の高い層の生徒が推薦やAO入試で入ってくる」といわれたという。

 推薦やAO入試の合格者が増えれば,一般入試の合格枠が狭くなり,一般入試はいっそうきびしくなる。

 では,受験生は何をポイントに大学を選べばいいのか。安田常務は「確実に受かりそうな大学を確保したうえで,必要以上に怖がらず,本当にいきたい大学に挑戦を」と助言する。

 「昨〔2019〕年の入試結果を分析すると,多くの難関大は前〔2018〕年より志願者が減り,実は狙い目だった。受験人口は1992年をピークに減り,親世代と比べれば大学に入りやすいことは間違いない」

 また,ここ数年は3月下旬まで補欠合格を出す大学も多い。「年度末になっても,大学からの電話やメールは確実にチェックを」と,安田常務は呼びかける。

 2) 国公立大 地方をめざす動きも

 英語民間試験の活用や記述式問題の導入の見送り,読解力を問われる問題の増加。--センター試験にかわり2020年度に始まる大学入学共通テストは混迷しており,国公立大の受験生も浪人を避ける「安全志向」の傾向は変わらないようだ。

 旺文社の教育情報センターによると,2019年の入試では,東大や京大など難関国立大の多くにおいて,志願者数を合格者数で割った倍率が下がった。今〔2020〕年も難関大を敬遠する傾向は続きそうだという。一般入試の実施結果調査では,2019年は2018年に比べ,国立大が「志願者前年並み,合格者1%減」で,倍率は2018,2019年ともに4.2倍だった。

 一方,公立大は「志願者3%増,合格者2%増」で,倍率は2018年の4.7倍から,2019年は4.8倍に増えた。国立大と併願可能な大学もあるうえ,私立大の難化を警戒した志願者が少数科目で受けられる公立大を受験した影響もあったとみられる。

 補注)以上,国公立大学の入試倍率に関する理解は,残念ながら,ほとんど有意性があったとはみなしにくい「分析・解釈」であった。入試競争率が0.1倍の増減を示したからといって,これになにか特別の意味がみいだせるのか,という疑問である。

 たとえば,4.7倍が3.2倍に減ったという場合であれば,これにはなんらかの意味があると汲みとれるかもしれない。それが順当な観察たりうる。だが,0.1倍の数値変化を以上のように読みとろうとするのは,だいぶ苦しいというか無理やりの解釈であった。

〔記事に戻る→〕 月刊誌『蛍雪時代』大学入試分析チーフの小林弘明さんは「昨〔2019〕年は『都内の中堅私立大に落ちたけど,より難易度の高い地方国公立大に合格した』という受験生もいました。都市部の私立大が厳しいなら,視点を変えて地方の国公立大も考えてみては」と話す。「3教科で受けられる国公立大もあり,近年,都市部の高校から地方の国公立大へという流れは広がりつつあります」

 補注)なかでもとくに,公立大学設立の動向に注意してみる余地がある。地方に進出していった私立大学〔の分校に相当する大学・学部〕やもともと地方に設立されていた私大が,過疎化:少子高齢社会の進展とともに「学生確保の問題」と「大学経営そのものの問題」という2つの困難の要因発生を,公立化という手段を採って回避(解決?)する方途が,地元自治体の意向と合致・融合するかたちでもって,それもとくに大都市圏から離れた地方においてはめだって起きていた。

 それら公立大学の設立の年次や事情については,ほかのいろいろな設立をめぐる動機があった公立大学の事例も含んでいるが,ここでは文部科学省のつぎの資料が参考になる。21世紀に入ると,この公立大学「化」の兆候は非常に明確な傾向になってもいた。

 註記)最新の『年表・公立大学の設置動向』がこれ。
  ⇒ https://www.kodaikyo.org/wordpress/wp-content/uploads/2024/04/5_1.pdf

〔記事に戻る→〕 鳥取大学は高校生をもつ保護者向けに,「地方の国立大の魅力」などと題したパンフレットを発行している。

 東京都昭島市の都立昭和高校は,地方国公立大の担当者を招いた説明会を開くなど地方への進学も視野に入れる。国公立大合格者は2012年度の1人から増えつづけ,昨〔2019〕年度は55人に。進路指導担当の西村和美先生は地方国公立大の魅力を「そこでしか学べない研究分野があったり,少人数の教育環境が充実していたりする点」と話す。

 卒業生は岩手大で獣医師をめざしたり,鳥取大で生命科学の研究に励んだりと,充実した学生生活を送っているという。「生徒がなにを学びたいかを軸に全国を見渡せば,いろんな選択肢がある。私立大の定員厳格化は,生徒や保護者に,地方の国公立大を含めて進路を柔軟に考えてもらうきっかけにもなった」と語る。

 西村先生はセンター試験を終えたこの時期,私立大志望の生徒にも,地方国公立大の情報を提供してきた。センター試験の成績のみ,または少ない科目で出願できる大学や首都圏に試験会場を置く大学などを一覧にしてしらせる。

 「これからの時期は精神面のコントロールが大切。国公立大で1校,合格を確保し,私立大に臨む作戦もあります。最後まで希望の進路を諦めず,努力の成果を生かす方法を考えて」と話す。(引用終わり)

 以上,高校の進路指導側や保護者の立場から,受験生をとりかこむ入試の環境に関する問題が議論されていた。しかしながら,気になる1点に触れておきたい。

 それは,日本の大学に進学するさいにかかる授業料などの経費が「ふつうの平均的な年収である家庭・所帯」にとってみれば,非常に大きな負担になっている点である。なかでも奨学金制度の不備が依然,未解決のままである事実はみのがせない。しかも以前からの大問題であった。

 ここではつぎの記事に紹介された意見を参照したい。

 これは,いままで国立大学の学生に対してのみ「教育無償化が適用されてきた制度」(とはいっても低所得層に限定し適用されてきたその措置)が,こんどは,私立大学の学生にまでその対象を拡大させて変更するがために,かえって新たな矛盾を発生させている事実を紹介している。

 アベ政権が創ったこの高等教育無償化の新しい政策は,小手先の工夫ばかりが前面に出ていて,その効果には疑問が抱かれている。いわゆるシンゾウ流の印象操作的な制度変更に終始している。

 日本学生支援機構はあいもかわらず,貸与型奨学金制度をもって業務を展開しているが,その運用資金を金融機関から調達してもいて,こちらに金儲けをさせる手伝いをしている,いわば「エセ育英機関」である。こうした現状にはなにも変化がもたらせられないなかで,すでにつぎのような疑問が提起されている。

       ◆ 高等教育無償化「真に支援する政策を」
            「後輩が対象外に」医学部生ら訴え ◆

     =『朝日新聞』2020年1月21日朝刊19面「教育」=  

 大学などにかかる経済的負担を減らすため,新年度から始まる低所得世帯向けの「高等教育無償化」をめぐり,医学部生らで作る全日本医学生自治会連合(医学連)が昨年末,会見を開いた。従来なら支援を受けられたのに対象外となる新入生が出ることに触れ,「真に学生を支援できる政策を作って」と訴えた。  

 新制度では,一定の収入以下の世帯に授業料の減免措置などを講じる。文科省によると,従来の仕組なら支援の対象だったのに外れる新入生は,国立大だけで約5千人。  

 補注)なお,今回における高等教育無償化の措置は,私立大学も対象に入れる制度に変更したために,このような矛盾(摩擦)を生じさせている。国立大学生のうち5千名は,従来の制度であれば授業料が減免されていた。ところが,新制度になると外れるという問題は,あまり話題になっていない。この点を報じる記事もあったが,その内容は理解しにくかった。

 医学連は昨〔2019〕年11月,緊急声明を出した。主に中所得世帯で授業料減免が受けられなくなる学生が増える点や,「高校等を卒業後2年以内」との支援要件が,多浪生や学士入学生の「排除につながる」と問題視。12月に会見した信州大2年の田村大地さんは「学費の値上げも相次いでいる。現行の減免措置を維持してほしい」と訴えた。

 会見に同席した滋賀医科大3年の浅野秋生さん(26歳)は,2018年秋に学士入学した。福岡県で働いていた2017年,九州北部豪雨に遭遇。現地で災害派遣医療チーム(DMAT)の仕事を目の当たりにし,医師への道を志した。

 授業料は年約54万円で,これまで全額免除だった。それが昨秋,大学側が開いた無償化の説明会で「学士入学生は(支援の)対象外となる」と聞き,途方に暮れた。その後,在学生は従来の授業料減免が受けられることになったが,「新入生はいまは学生ではないから声を上げられず,組織もない。後輩たちのためにできることはやりたい」と話す。(引用終わり)

 ともかく,低所所得層に限定して大学における高等教育無償化の措置を適用するという,ある意味では「方針があるようで実はない」点だけは明快となっていた「今回制度への変更」は,大学生向けの給付型奨学金制度が主流になっていない「日本における育英推進問題」の実態,換言すると制度的な基本欠陥を,あらためて確認させるだけとなってしまい,結局は,まさしく教育後進国である現況を教示していた。

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