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菅 義偉首相(2020年当時)が学術会議新会員6名を拒否した問題(5)

 ※-0 「本稿(5)」までの各稿のリンク先・住所の案内

 以下の各稿はいずれも長文の記述であるので,もしも,こちらもさきに読んでもらえるという場合は,覚悟のうえでクリックするようお願いしたい。


 

 ※-1 本稿の要旨はおおよそこうであった

 菅 義偉による学術会議新会員6名拒否は,さきに安倍晋三がその模範を示してきたとおり,科学も学問も理論も実践もなにも判らぬ政治屋たちが「学術研究の世界をぶち壊しつつ」ある「いまや後進国であり衰退国になった日本」の哀れな姿を,間接的・迂回的にであっても正直に体現した現象でもあった。

 今回の「本稿(5)」は,以前の自民党で官房長官の仕事に就いていた伊東正義に比較する余地など皆無であった「菅 義偉の政治家としての資質」を,あらためて根本より問うものである。

 2016年に首相が安倍晋三であったとき,学術会議「第23期の補充人事」任命の件にさいし,当時の「学術会議が候補として挙げていた複数人」が官邸側から拒否されていた。

 2020年になったさい,その「第25期の新会員6人」が任命されなかったとき,首相は菅 義偉に代わったばかりであった。

 この2人の政治屋は,第2次安倍政権のとき「悪代官と悪庄屋」のゾンビ・コンビであったわけだが,菅 義偉が首相になった段階に至っては,いよいよ「両悪のハデな散華」がはじまることになった。

 学術体制(科学研究)の大切さなど,そもそもろくに理解できなかった,この2代の首相のために,日本の学問展開やその水準はさらに落ちこんでいくほかなくなった。

 2022年,2023年においては日本のノーベル賞受賞者は出ていない。今年も10月になると,ノーベル各賞が発表されるが,日本から受賞者は出るのか?

 ノーベル賞の話題はさておき,「本稿(5)」なりの記述の要点をつぎのようにさきに,示しておく。

  要点・1 本当の事実(真実)を研究してほしくない一国の最高指導者こそが,その国にとってみれば最大の有害人物

  要点・2 戦時中(敗戦前)の旧大日本帝国時代,とくに社会・人文科学の分野に対する弾圧の記録は,なにを意味していたのか

  要点・3 というよりは「いまだけ・自分だけ・カネだけ」だった安倍晋三の第2次政権から菅 義偉の前政権になったところで,日本政治の一大特性である「ウソの,ウソによる,ウソのための政治」に,なんら変化なし。つまり,彼らには国民たちの安寧を願う気持など,頭の片隅にさえない

  要点・4 専制的・独裁主義志向の為政が,民主主義の根本理念を充てて合理的に説明される理屈など,わずかもありえなかった。これは古今東西の普遍的な真理

  要点・5 無教養人が政治を司ると一国の為政がどうなってしまうか,好例・見本的にその無残さをみごとに体現させた当時の首相が菅 義偉。その前の首相安倍晋三も,いまの首相岸田文雄も「基本は同類・同質の3流政治屋」

  要点・6 フジテレビ上級解説委員:平井文夫は菅 義偉政権時,権力側を「ヨイショ」のために生きていたマスコミ・メディアの人間だったが,今回の(ここでは2020年秋の出来事に関した)「デタラメとウソにもとづく番組中の発言の責任」をとるためには,ともかく辞職が必要。この解説委員,ほかにも迷説・珍論になる間違いも打ち上げていた

「本稿(5)」なりの要点6つ


 ※-2「素粒子」『朝日新聞』2020年10月10日夕刊1面

 a) この「素粒子」いわく「政権を援護したかったんだろうが虚報はダメだ。フジテレビ上席解説委員のお粗末」。

 その人物の氏名は平井文夫であったが,2020年10月5日に放送されたフジテレビの情報番組「バイキングMORE」のなかで,学術会議会員になった人たちは6年働いたら,そのあと学士院というところにいって,年間250万円年金がもらえると,完全なるウソ話をでっち上げていた。

 この平井文夫の虚説,当然,どこまでも事実無根であった。マスコミ・メディアのしかも幹部要員がこのように,平然とデタラメとウソをまぜこぜにした,それもかなり扇動的な虚説を自局の放送番組中に公共の電波に乗せて放っていた。

 はたして,このフジテレビの「上級解説委員」だという人物が,放送人としていかほどの言論人的な品質(資質)を維持できているのかはさておき,平井文夫は,きわめて程度の悪い「自身の本性」を,はしなくもみずから世間に露呈させていた。それだけでただちに,辞職すべき理由になっていたはずである。

 自民党の国会議員になかにも似たような言動をしていた者がいた。菅 義偉が,学術会議新会員「候補」のなかからとくに,気に入らない6人の学究を排除して事実に関連しては,

 その「6人の学者のレベルが低い」と発信したある理系の大学教授もいた。これを受けて,10月7日に配信されたネット番組では,ある経済評論家がその6人の実名を挙げて情報を紹介しつつ「酷評した」。

 そのさい情報として利用された数値というものは,「学問分野」によっては,それもとくに「日本の場合では顕著に異なる傾向」を,もともと有している性質のものゆえ,この現状のなかで,その「論文の被引用数が低い」といって非難することは,もとから当たっていなかった

 この事実(間違い:とり違い)を初めてしったその理系の大学教授は直後に,「文系の学者を評価する指標として,ここまで適切だとは思っていなかった。軽率な投稿だったと反省している」と語っていたが,自身の無知ぶり(専門馬鹿ぶり)は初めてしったらしい。うかつにもほどがある。専門バカとはこのような人物のためにあった。

 いずれにせよ彼は,ほかの研究領域,それも「文系の分野」の実情にうといにもかかわらず,ずいぶんと軽率な発言をしていた。「知識は力なり」といったのはフランシス・ベーコンであった。ところが「無知もは力(もしかすると馬鹿力?)なり」と形容したほうがよいとしたら,これは困ったものである。

 註記)以上に関しては,『朝日新聞』2020年10月10日朝刊35面「社会」の記事「〈Media Times〉学術会議の誤情報 ネット拡散」を参照しつつ記述。

 日本において社会科学や人文科学の分野にあっては,学界活動のための言語手段として,日本語がりっぱに運用され,とても大切されてもいる。なんでも英語で論文を書かねば価値がないとはいえない。

 日本人の研究者が日本国内で,日本文学の研究を英語で論文で書かねばならない,といった必然性が絶対にあるとはいえない。それはそれでまた別途,考慮すべきことがらとなりうる。

 日本文学の研究内容については,海外の側で各国の言語ともってそれぞれが必要に応じて,英語とかその国の言語に飜訳すればよいのである。

 日本語という言語が独自に「学問の世界でも大学院の教育教程までも当然に常用されている事実」そのものは,そうではない各国の場合とも比較して慎重に吟味したうえで,その相対的な位置づけ・関連づけを理解しておく余地がある。

 ノーベル賞を取れるような日本人(それも,もっぱら日本語を使用して業績・成果を公表する学究たち)の研究者も多くいる(同時に英語で書くことも当然に含めての話だが)。日本の小学校から大学・大学院までその教育課程のなかではすでに,学習と研究そのものを効率的に進展させうる重要でかつ有意な言語として,日本・日本人の側にあっては日本語という言語が与えられている。

 自国語以外にまずさきに,英語〔など〕で勉強を開始しなければならない国々の生徒・学生・院生が,多くの国々に存在している。それに比較して,日本の教育体制のなかでは,日本語そのものでもって,それも有利な条件(学習・勉強の方法・手段)のもとで,高度な勉強や研究ができる環境が所与である。

 b) 「素粒子」の話題に戻る。もう一句紹介すると,こう指摘していた。「どの人事にも狙いがある。求められれば,任命権者はそれを語る。これ常識でしょ」というそれだが,これは学術会議新会員候補を拒否した首相である菅 義偉に問いかけた疑問であった。

 菅 義偉は,自身が官房長官だった時期,官邸を砲台に使った要領でもって,「国家権力の全面的な行使によるイジメ」を,それも「事実にもとづかない侮辱:完璧なる名誉毀損」をデッチ上げたかたちで,前川喜平(元文科相次官)を標的に,実弾を発射していた。

原口隆則は現在『ゴミ売り新聞』社においては
最高経営陣の1人になっており
ガバナンス問題担当を職務にしているというだから
ブラックユーモア以前の話題として笑える
『ゴミ売り新聞』社にはこんな人もいて
つぎのようなフレームアップ記事を書いていた

はずかしくはなかったのか?

しかも当時の安倍官邸の意向を受けてのこの記事捏造であったゆえ
新聞記者がこのように政権側の走狗になったら

これみごとに「記者業は卒業(中退?)した」ことになる
「不適切な捏造記事」
これを書いた記者は一生「この件」を
「いわれつづける」ことになった

 それに全面的に協力して,その実弾を記事に変えて,報道した大手紙が『読売新聞』(『ゴミウリ新聞』2017年5月22日朝刊「社会」面,社会部長の原口隆則が執筆)であった。

 この前川喜平に関するイエロー・ペーパー以下だった読売新聞社の「確信犯的な誤報記事」の出し方は,まだ完全に批判され,指弾され,清算されたとはいえない。

 その問題性はさておいても,ごくふつうに,かつ自然に,つまり常識的に考えてとなれば,今回における学術会議新会員候補6人をやり玉に上げて,菅 義偉が拒否した1件は,その前川がつぎのように指摘したような手順でとりあつかわれていたと推認されていい。

 c) 当時のツイッター,いまの『X』へ前川喜平が投稿した文章が,これであった。

  ◆「前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)@brahmslover」                     10:01 PM · Oct 9, 2020 いわく ◆

   「おそらくこんな経緯」

 学術会議から推薦者名簿が内閣府に届いた      
   →内閣府が杉田官房副長官に名簿を説明      
   →杉田副長官が全員の身辺調査を内調に指示      
   →身辺調査の結果を携えて杉田副長官が菅首相・加藤官房長官と相談    →菅首相が6人の排除を決定→6人を除いて起案するよう杉田副長官から内閣府に指示

    補注)「内調」とは内閣情報調査室のこと。

前川喜平の発言

 まあ,こうした程度(内容)の出来事(菅 義偉の采配によって生じていた悪業)については,新聞報道がつぎのような見出しで,菅 義偉側の,まったくウソとしか受けとりようがなかった反応の仕方を報じていた。 

 ▼-1「菅政権 理由語らぬまま」だが,それでも「首相,主体的関与を示唆」『朝日新聞』2020年10月6日朝刊2面・1面。  

 ▼-2「〈素粒子〉」『朝日新聞』2020年10月6日夕刊は,その「主体的な関与」について,さらに「菅発言の本年を読む……」として,つぎの諸点を挙げていた。   

  1 政府の金を受けとる者は,すべて官邸の意向に従うべし。   
  2 学者の批判など耳障りだ。   
  3 過去の答弁と違っても「前例踏襲見直し」で済むだろ。   
  4 問答無用の慣例破りが忖度を広げるなら,それでいい。   
  5 これも安倍継承の一部さ。   
  6 内閣支持率は下がらんよ。

 菅 義偉の “首相としての横柄さ・人間としての劣性” は,その傲岸不遜な態度・精神を当初から,丸出しに(つまり大安売り)されていた。そのやり口は,とくに憚ることなどいっさいなく,むろん恥じらいもなしに,ごく自然に押し出されていた。ここで,以下につづく記述の理解を助ける意味で,つぎの関連する略年表などを観ておきたい。

これは安倍晋三の第2次政権時
思想・信条そのものに関する判断の問題であったのに
平然とこのように嘘をいいはる菅 義偉

国会も認定していた「嘘つきは安倍晋三の始まり」であったが
その忠実な継承者が菅 義偉

ウソから出たマコトもありうるが
2010年代からの自民党政権はうそしかいわなかった(いえなかった?)

  

 ※-3「除外前名簿『見ていない』波紋 学術会議問題で菅首相発言 いつ誰が決めた? 野党は批判」『朝日新聞』2020年10月11日朝刊3面

 さて,本日〔ここでは2020年10月11日〕の『朝日新聞』朝刊3面は,以上のごとき菅 義偉の破れかぶれ論法を,真っ向からなぎ倒す指摘(記事)を掲載していた。この記事に添えられていた関連の表をさきに紹介する。

嘘で固めた発言ばかり?

 a) 日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題で,6人を除外する前の推薦者名簿を「見ていない」とした菅 義偉首相の発言が波紋を広げている。首相が見ていないとすれば,いつ,だれが6人を除外したのか,大きな謎が残るためだ。専門家からは手続の「違法性」を指摘する声も出ている。

 菅首相の発言に早速,野党が疑問の声を上げた。立憲民主党の蓮舫代表代行は〔10月〕10日,東京都昭島市の街頭に立ち,「名簿を見ないで『総合的な判断』をしないでください。名簿を見ないで『俯瞰(ふかん)的な判断』をしないでください。矛盾だらけじゃないか」と指摘した。

 菅首相は9日の朝日新聞などのインタビューで,6人を除外した理由について「総合的・俯瞰的な活動,すなわち広い視野に立ってバランスの取れた行動をすること,国民に理解される存在であるべきことなどを念頭に判断している」「推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲していいのか考えてきた」と説明。みずからの判断であることを強調した。

 補注)首相の座に居る人間が,政府のなにごとの仕事についてであっても「総合的・俯瞰的に」「広い視野に立って」「判断している」ことは,いうまでもなく自明のことがらである。

 こうした,まともに応える説明には全然なりえなかった〈つぶやき〉的な発言は,実質的にはまったく内実のない,つまり誠意を全然ともなわない,しかもはぐらかしにもなりえない「責任逃れ」であって,まさしく口頭禅そのものであった。

 野党の批判に対してだけでなく,国民・有権者に対しても,単に小バカにしているなど受けとられる以前に,この存在じたいを完全に頭から無視した発言を放って,しかも憚るところなど寸毫もなかった。

〔記事に戻る→〕 その一方で,除外された6人を含む105人全員分の推薦者名簿は「見ていない」と発言。9月28日に決裁する直前に,6人が除外された後の99人分の名簿を見ただけだと説明した。

 学術会議が提出した105人分の推薦者名簿をチェックしないまま,前例踏襲の是非を考え,新たな委員の任命を判断する。そんな首相の説明は矛盾をはらんでいるようにも聞こえる。

 立憲の小西洋之参院議員は〔10〕9日,自身のツイッターに「では,誰が105名から99名にしたのか?」と投稿した。いつ,誰が,なんの権限で6人の除外を決めたのか。野党は追及を強める構えだ。

 b) 菅首相(当時)のもとに,学術会議が推薦した105人分の名簿は届いていないのかどうかも,政府の説明でははっきりしない。

 補注)「はっきりしない」のではなく,「はっきりさせたくない」菅側の応答の仕方が,以上に前後するような記事を書かせる原因になっていた。

 本稿(5)」以前にすでに紹介してあったたが,元文科相次官前川喜平がツイートのかたちで指摘した「官邸内でのやりとり⇒手順」で,今回における学術会議新会員候補者の拒否がおこなわれたと受けとるほかない。

 そういうわけで,その手順をみずから指示し,その結果を受けて判断した菅 義偉が,首相の立場として「その6人の氏名を見ていない」(ただし「しらない(?)」とまではいっていない)というのは,どこまでも奇怪な答え方(ド・ヘリクツ)であって,いわば正真正銘の嘘八百。

 たとえ自身が見ていなくとも,首相自身の指示があっての判断であったからには当然,総括的・俯瞰的には「見ていた」ことになる。それが最高責任者としての責任として “認めるべき立場” である。この点は,行政学や経営学が説いているイロハに属する基礎的な知識でいっても,当たりまえの当然に属することがらであった。

 おおよそ常識になどいう以前に,理解も共感さえもまったくえられなかった,すなわち詭弁にも駄弁にもなりえなかった,幼児並みのド・ヘリクツも同然の「デタラメとウソ」ばかりだと解釈(!?)されるほかないやりとりが,一国の最高指導者の発言としてゆきかっている光景は,恥さらしそのものであった。

 要は,国民・市民・庶民を小馬鹿どころか完全に大ばか者あつかいしていた菅 義偉の「主張としてのやり口」は,まさに独裁者風の強権政治そのものであった。

 c) まだ日本はいちおう民主政の国柄だから,このように批判できるが,このような難詰を口にしただけで,その当人がいつの間にか殺されるのが,たとえばロシアであった。たとえば,2024年中にその種の殺人に相当する不審な事件は,すでに何件も発生している。

 「嘘で固めた誰かの発言ばかり?」『YAMDAS 現更新履歴』2024年3月25日,https://yamdas.hatenablog.com/entry/20240325/wikipedia-russian-deaths と題した記述は,こう話していた。

 あのページどうなっているのかなと思い久しぶりにアクセスしたら,当然ながら2022年の後もロシア人実業家で不審死を遂げた人は出ており,それを踏まえたページ名になっていた。これも一種のウィキペディアの「珍項目」といえるだろうか。

 で,数えてみたら,全部で50人を超えていた。マジかよ……。

 ここで挙げられている人のなかで,最近の大物となるとエフゲニー・プリゴジンになるんでしょうね。アレクセイ・ナワリヌイはリストに入っていないが,「実業家」ではないという判断か。

この記述のなかに紹介されていたアマゾン通販の本( ↓ )がこれ

 
 日本でもロシアほどは露骨にひどくはないものの,政治の舞台に関連していえば,不審死をとげた人びとのなかには,実質「暗殺された人物」が少なからずいることは,これもまた政治の世界の内幕をしる人びとにとってみれば,気安く口には出さないものの,ごく常識に属する知識である。

 以上のごとくに「切った張ったが堂々と通用している裏・闇世界」の話題とは打って変わってとなるが,表舞台であからさまに堂々と,平気で嘘ばかり展示してきた安倍晋三の第2次政権以来の,

 自民党政権(のコバンザメ政党であり,かつその〈下駄の▼ソ〉でもある創価学会公明党との野合政権だが)が,本当のことをいうのはごくまれであって,たまにそれに反した彼らの言動を聞かされると,かえってビックリさせられるのだから,感激する前にさらに用心する姿勢を要求される。

 要は,執権党の者たちは,国民たち・有権者たちを小バカにするのは,もういい加減,止めにしたほうがよろしい。だが,菅 義偉君は平常心においてからして,まっとうな意識状態を保持する必要のなかった首相であったがために,どこまでもわれわれ(国民・市民・庶民たち)を愚弄・嘲笑するような政治手法(?!)を,それも官房長官時代から「旧き・善き(?)それ」に固執していた。

 それとも菅は,いわゆる「盲判(めくらばん)」〔ここでは意識してこの表現を使用するが〕を,今回の問題については行使したということか? そのような関与の仕方はどう観てもありえず,むしろ,彼自身が一番深く関心をもち,こだわっていたところの問題が,ここまでにおいてあれこれ論じている日本学術会議関連の話題であった。
 
 d) 菅 義偉の論法は単純明快であった。オレとこの俺様のやることをいちいち異議を呈する,いいかえると,政権を小うるさく批判する奴は,誰であっても許さない潰してやる,追放する,という対応にもっぱらなっていた。

「正論」をいう学者ほど政権側からは疎まれるという事実は
すでに歴史がなんども実証してきた

 本当は,その気に入らない連中は,できればすぐにでも「◉してやりたい」が,さすがにそればかりは,そう簡単には実行できない。今回の学術会議の件では,ともかく新会員に推薦された奴らのなかでも,とくにうざい奴から追放することにした。結局,それだけのことであった。

〔記事に戻る→〕 〔2020年10月〕6日におこなわれた野党ヒアリングで,政府は会員任命に関する文書を公開した。

 9月24日に内閣府が起案し,28日に菅首相が決裁した会員99人の名簿だ。菅首相の印鑑が押された表紙と,99人の名前が記された名簿3枚からなる。

 さらに,学術会議が首相宛てに提出した候補者105人が記された「日本学術会議会員候補者推薦書」。今回除外された6人の名前は,野党には黒塗りで示された。

 まず,文書が公開される前の10月2日に開かれた野党ヒアリングでは,菅首相が105人の推薦者名簿を見た可能性を問われた内閣府の参事官が,決裁文書として,99人と105人の両方の名簿を首相に渡したことを認めている。

 文書を公開した6日の野党ヒアリングでは,野党議員が,黒塗りのある105人の推薦者名簿について「首相に出したものか」と確認すると,参事官は,黒塗りにした理由を述べただけで,首相に提出したかどうかは明確に回答しなかった。官邸関係者は「全部が全部,首相がやるわけじゃない。事務方に前さばきを任せることもある」と話す。

 補注)この「事務方に前さばきを任せることもある」と話した説明法も問題。「黒塗りした書面」を,首相に決済させる正式なものとして提出するわけなど,絶対にあるまい。

 黒塗りの件はどう考えても,野党に請求されてからの工作(対応)であった,と観るほかない。菅 義偉側のいいぶんは,どこまでも姑息であった。というか,それ以上には,まともに合理的に自分の行為・言動・意思決定のありようを説明できていなかった。

 「デタラメとウソ」的な首相としての采配だけは明快に説明できる。その点に関しては,ミエミエの経緯が伝わってきた。(補注・終わり)

   ◆ 専門家「見ずに任命なら違法」◆

 首相発言の矛盾や政府説明の変遷には,専門家からも批判の声が上がる。

 任命されなかった6人のうちの1人で早稲田大の岡田正則教授(行政法学)は朝日新聞の取材に,「首相が推薦段階の名簿を見ていないとすれば,学術会議の推薦にもとづかずに任命したことになり,日本学術会議法の規定に反する行為だ」と違法性を指摘。

 また,「首相に推薦リストが到達する前に何者かがリスト上の名前を99人に削除したということであれば,首相の任命権や日本学術会議の選考権に対する重大な侵害だ」などとコメントした。(引用終わり)

 e) 菅 義偉のいいぶんは,このようにいつものことながら,諸処でつじつまが合っていなかった。この「合っていないもの」を,事後になってから,四の五のといっていいわけしつつ,ともかくゴマかそうとしてきた。それだけのことであった。

こういう態度が問題であったのだが
当人がこのようにいいはるとは
片腹痛いことこのうえなかった

 菅 義偉は必らず,ふたことめには,あの「問題ない,問題ない,問題ない……」の連発となっていた。

 だから,『日本経済新聞』2020年10月9日朝刊17面「マーケット総合2」に掲載されたコラム「大機小機」も,「任命拒否,行革機運に冷や水」との題名を伏した文章のなかで,つぎのような疑念を投げかけていた。すでに引用したことがある記事なので,最期の段落のみ再度,紹介しておく。

 菅 義偉「首相は就任会見で『安倍政権での国民や国会への説明不足という負の側面を継承するか』と問われ,『ご指摘のような問題が二度と起こらぬよう取り組む』と答えている。

 『国民のために働く内閣』なのかどうか。ぜひとも首相みずから,6人の任命を拒否したことが国民のために働いた結果であると説得力ある説明をする必要がある。

コラム「大機小機」

 以上のように記述してきた「菅 義偉の〈首相である立場〉」からの言動全般に関して問題点は,つぎの※-4に紹介・引用する『朝日新聞』2020年10月9日の社説が,的確かつ適切に批判していた。


 ※-4「〈社説〉学術会議問題 論点すり替え 目に余る」『朝日新聞』2020年10月9日朝刊

 自分たちのおこないについて説得力のある説明ができないことの表われだ。政府・自民党が論点のすり替えに躍起になっている。日本学術会議の会員候補者6人の任命が菅首相に拒否された問題である。

 記者に理由を問われた首相はそれには答えず,省庁再編時に同会議の「必要性」が議論されたことをもち出した。これに呼応するかたちで自民党の下村博文政調会長も,組織の形態や役割を検討するプロジェクトチームを設ける方針を示した。

 政府は,「学術会議から推薦された者は拒否しない」という過去の国会答弁に明らかに反することをしながら,理由を説明せず,答弁と齟齬はないといいはってきた。だがそれでは分が悪いとみて,学術会議の側に非があるという「印象操作」に走っているようにみえる。

 しかも菅首相らの発言内容には誇張や歪曲が多い。

 たとえば首相は「会員が自分の後任を指名することも可能な仕組だ」と,仲間内でポストを回しあっているようにいう。だが実際は,新会員を推薦する際には性別や年齢,地域性などに配慮するようにしており,政府の有識者会議も5年前の報告書で「構成に大幅な改善が見られた」と評価している。

 下村氏は「会議は2007年以降,答申を出していない」と批判する。これも,政府が諮問していないのだから,答申が出ないのは当たりまえだ。

 一方で会議は,広く社会に向けた発信を活発におこなってきた。今〔2020〕年だけでも教育のデジタル化や移植・再生医療,プラごみ対策など83本の提言や報告をまとめ,公表している。運営経費を除く年間5億円の予算は,こうした見解をまとめる会議に出席するさいの日当や国内外の旅費などに使われている。

 むろん現在の組織運営や活動にあらためるべき点がないわけではない。絶えざる検証と運用見直しは必要だが,それと今回の任命拒否とはまったく別の話だ。

 学問の自由をめぐるミスリードも人びとを惑わせる。

 加藤官房長官らは,学術会議の会員でなくても自由に研究はできるとして「今回の対応は学問の自由の侵害に当たらない」と繰り返す。だが研究を踏まえて発表した内容や発言が政権の意に沿わず,不利な人事につながったのは疑いようがない。これでは学者は萎縮し,学問の発展は期待できなくなる。

 科学と社会・政治の関係はどうあるべきか。この重要で今日的な議論を深めることに異論はない。そのために,まず任命拒否という誤った措置を撤回し,議論できる環境を整える。首相はただちに実行に移すべきだ。(引用終わり)

 以上,『朝日新聞』社説の意見を,内容面をもって,さらに補強することになる『東京新聞』の記事も紹介しておく

 

 ※-5「学術会議の実態は? 固定給,年金なし…自腹出張も」『東京新聞』2020年10月10日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/60927

 「自分の後任を指名できる」「ずっと答申を出していない」。日本学術会議について,組織の硬直化や存在意義を問う声や,年間10億円の国庫負担から監督権の正当性を訴えるなど,菅 義偉首相の任命拒否問題から論点をそらす動きが出ている。会員の選び方や,活動実態はどうなっているのか。

 ◆-1 会員は後任指名できず

 「現在の会員が自分の後任を指名することも可能。推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた」。菅首相は〔10月〕5日,こう述べて会員候補6人の任命拒否の正当性を主張した。

 だが日本学術会議の事務局によれば,現会員が自身の後任を指名することはできない。選考では,現会員らの推薦を基に選考委員会で議論。幹事会や総会の承認を経て,会長が首相に推薦したうえで任命される。

 このため「後任にしたい人を推薦し,選考対象に入れることはできても,後任指名は不可能」と事務局担当者は説明する。全国の学者から選挙で選ぶ公選制や,学会からの推薦制がとられた時期もある。だが選挙運動の過熱や,推薦母体とのしがらみが表面化し,いまの制度に落ち着いた。

 ◆-2 「提言」は先月だけで25件

 〔2020年10月〕8日の参院内閣委員会では,日本維新の会の高木佳保里氏が「政府への答申や勧告が過去10年以上,出されていない」と指摘。会議のあり方を見直すべきだと主張した。確かに,政府に答申した最新の事例は2007年の「地球規模の自然災害の増大に対する安全・安心社会の構築」。また,科学的な分野で政府に実現を求める「勧告」は2010年8月以降,途絶えている。

 しかし,同会議で専門分野ごとの分科会などが公表する「提言」は,「社会と学術における男女共同参画の実現を目指して」など,先月だけで25件をウェブサイトで公表している。

 国民民主党の矢田稚子氏は同委員会で,こうした提言や,STAP細胞の不正問題後に再発防止策をまとめたことなどを挙げ,「独立した専門機関として活動する意義は大きい」と主張。また同会議の広渡清吾・元会長は9日の野党ヒアリングで「答申がないのは,政府が諮問しないから。諮問があればたくさん提言できる」といい切った。

 ◆-3 ぎりぎりの予算で運営

 会議の予算は政府からの約10億円で賄う。本年度予算では職員約50人の人件費や事務費などに約5億5000万円,国際的な学術会議の分担金に約1億円を計上した。事務局職員は各省庁から派遣される国家公務員で,数年ごとに異動する。

 会員210人に固定給はなく,元会員への年金制度もない。総会や分科会に出ると支給される手当は,会長は日額2万8800円,会員は同1万9600円。手当の合計額は本年度予算で,会員は約7200万円,運営に協力する約2000人の「連携会員」は約1億300万円。交通・宿泊費は別に実費精算される。

 会議元幹部は「議論の活発な分科会は会議も多い。年度末には,手当や旅費支払いの一時凍結や受領辞退のお願いを会員に送っていた。節約のためネット会議も多用するほか,自腹で出張する会員も多い」と話す。ぎりぎりの低予算で運営されているのが現状だ。(引用終わり)

 自民党の野外応援団政党である「日本維新の会」の国会議員は,いったいどこのなにをみて,学術会議の問題に対して発言していたのか? ネトウヨ的な不勉強の水準でモノをいっているのか。その種の疑問を感じさせる。

 2023年7月であったが,「日本維新の会」代表馬場伸幸は,わが党は第2自民党だというような発言を明確におこなっていた。

【参考記事】-『東京新聞』2023年7月25日から-


 ※-6 安倍晋三の悪政から菅 義偉の劣政へ-日本国の沈没度ときたらひどいもの,ウソはドロボウの始まりといわれるが,いまの政治と来たらすでに,そのたとえも終盤に至っており,このどろぼうが居直り強盗化しつつあるなかで,2024年に問題として浮上したパー券裏金問題はその事実を端的に物語る

 以下の論説は,『朝日新聞』編集委員・駒野 剛の「ならぬことはならぬものです」ことに関した主張である。

  ★〈多事奏論〉2人の官房長官 表紙は変わった,中身はどうか ★
    =『朝日新聞』2020年10月7日朝刊13面「オピニオン」=

 a) 福島県会津若松市。鶴ケ城近くに銅像が立っている。こぢんまりとした大きさで,周囲を威圧する気配はない。右手をかかげ人さし指を立てている。なにかを教え,説いているようだ。盟友,大平正芳氏の政権で内閣官房長官を務めた伊東正義の像である。

かつて自民党で首相になるよう推されたとき
表紙を変えただけではこの政党の改革などできない
という趣旨を強調した伊東正義

 虚名を自戒したのか,生前,伊東は銅像建立の申し出を一喝していた。しかし伊東の七回忌に彼を慕う人たちが一般からの寄付を集めての建立を思い立ち,実現した。

 伊東は会津藩士の家に生まれた。藩は会津松平家の祖・保科正之以来,藩士教育を重んじ,幼少時代から自分を厳しく律するよう育てた。子どもは10人ほどの集まり「什(じゅう)」を作り遊んだが,その前に「什の掟(おきて)」という決まり事を年長者が読み上げた。

  虚言を言うことはなりませぬ。
  卑怯(ひきょう)な振る舞いをしてはなりませぬ。
  弱い者をいじめてはなりませぬ……。

  そして最後に,

 「ならぬことはならぬものです」と結んだ。

 伊東の生涯,とりわけ官房長官就任以降の生きざまは,まさに「ならぬことはならぬものです」を貫いたように思える。

 伊東は2度,首相になるチャンスがあった。最初は官房長官当時,大平首相が急逝し,首相臨時代理になったとき。もう1回は竹下登首相がリクルート事件の渦中にあって辞任したさい,自民党内から「竹下の後継になって,党の危機を救ってほしい」との大合唱が起きたときだ。

 首相臨時代理として,1カ月余り内閣を率いたが,新たな政策は施さず,首相執務室に納まらず,閣議も官房長官のイスに座りつづけた。ただし大平が提唱しながら未完だった「文化の時代」や「田園都市国家構想」は諮問機関に完成を急がせた。大平への献身と友情に生きるがごとく,彼の遺産を仕上げて首相官邸を去った。

 政治家なら誰が望んでもおかしくない首相の座。あえて遠ざけた伊東に,大平を支えるのが己の「分」と徹した潔さをみる。

【参考画像】-伊東正義,1989年5月-

会津人の根性は明治維新時の怨念にも深く関連している

 竹下後継のおりは,閣僚や党幹部らだけでなく,伊東の周辺も説得したが,「本の表紙だけが変わっても,中身が変わらないのではダメだ」と最後まで固辞した。

 伊東は問題の本質は金権体質だと考えた。だからリクルートからカネや株を渡された政治家がけじめをつけること,つまり議員辞職を求めた。それが本の中身の意味だ。金権体質のまま首相になっても,結局は傀儡(かいらい)政権にしかならないと考えたのだ。

 ならぬことはならぬものです。(引用終わり) 

 安倍晋三から菅 義偉へ,そして岸田文雄へと自民党総裁=総理大臣がつづいてきたが,菅の粗暴さはさておき,「世襲3代目の政治屋」であったアベとキシダの出来の悪さのみは,甲乙つけがたかった。

 b) ここではさらに,「保守層もソッポ? 岸田政権,不人気の正体 『リベラルと戦わない』『足りぬ伝える力』」『毎日新聞』2024年7月25日夕刊から,岸田文雄について内が田 樹述べての意見を紹介しておきたい。

 リベラル層に人気の高い思想家,内田 樹さんの見方も聞いておこう。

 「安倍さんは妄想的ではあるのですが,憲法を改正し,日本を周辺国に侮られない強国にしたい,という国家観がありました。『第2次大日本帝国』的なアイデアです。米国にだっていつかは勝ちたい。これが『失われた30年』のなかで,なにか支えを欲した人たちにインパクトを与えたと思います」

 補注)もっとも最近の日本は,その「失われた30年」の第4周期目となる「失われた10年」を,確実に歩みつつあるとみなすほかないのだから,その「アメリカにだっていつかは勝ちたい」という内田 樹の指摘は,あまりにも焦点を外していた。

 現在の日本は米国にほぼ完全に服従しており,実質「属国状態」にある事実を,まさか内田はしらぬわけであるまい。が,インタビュー記事における受け答えとしてそのように語ったのかもしれないにせよ,ずいぶん安倍晋三を買いかぶるかのように発言した。

〔記事に戻る→〕 対して岸田氏は,首相就任後,なにをしたいかを問われ,「人事」と答えた話は有名だ。

 「岸田氏にとっては,首相の座がすごろくの『上がり』ではないでしょうか。首相であり続けることが目標になっているとすら思う。政治的立場に関係なく,不人気なのは当然です」

 とはいえ,安倍氏の政治手法がもたらした「分断」がないだけまだマシか,と思いきや,内田さんは「いや,そこが怖いところです」と首を振る。

 「逆にいえば,権力維持のためには手段を選ばない。岸田氏は『右』ではありませんが,必要なら,安倍さんもできなかった9条改憲の発議にあっさり踏み切ると思います。いまがかなり危険な状態だと見ています」

内田 樹の解説

 岸田文雄は「世襲3代目の政治屋」として,いったい「自分が何者であったのか」という点についてすら,本当はよく分かっていない人間像として,われわれの目線には映っていない。

 いわば,世襲政治屋風の「異次元の鈍感力」ならば,よく備えていたかつ表出できていた政治屋ではあっても,自分が首相になってなにをやっていくつもりだったのか,いまだに意味不明,言語も意味不可解のままに,すでに総理大臣を2021年10月4日以来ずっと「コナシテキタ」ものの

 そのやることなすことのすべてにおいて,彼なりの政治哲学とか価値理念とか自分の信念や世界観などといった実体そのものが,あるのか・ないのかからして,皆目伝わってこなかったのが,まらにこの人であった。

 政治屋(ふつうでいう政治家)であれば,しかもここまで長いあいだ世襲議員であっても,政治の世界で生きてたずさわってきた人間ならば,自分なりになにかの政治的な信条なり独自の価値観があってよさそうだと思われるのだが,この肝心な点がさっぱり不明・不在であったのが,この岸田文雄君であった。(以上,本ブログ筆者の補注的な記述)

【『朝日新聞』2020年10月7日朝刊13面「オピニオン」( ↓ )に戻る】

 c) 安倍晋三前首相が持病の再発で退き,官房長官として支えた菅 義偉氏が後任になった。「安倍政権が進めてきた取り組みをしっかり継承して,そして前に進めていく,そのことが私に課された使命」という。

 いったいなにを継承するのだろう。森友・加計問題,桜を見る会で政治の私物化が露呈し,国有財産売却をめぐって,公文書改ざんという信じがたい腐敗が表面化した。

 補注)皮肉ではなく菅 義偉は,現に,安倍晋三の遺憾さを「しっかりとテイネイに継承して」「前へ進めてい」たのだから,この首相に「課された使命という」実体とは,間違いなく,今回における学術会議新会員候補「拒否」の問題にも,そっくりそのままといっていい具合に,意識して引き寄せられ再現されていたことになる。

 アベノミクスは,なるほど株価は上がったが,国中に成長の果実をばらまくというトリクルダウンは絵に描いた餅に終わった。半面,国の借金は膨張し,超低金利で,地方金融機関は経営に苦しんでいる。

 補注)今日の『日本経済新聞』朝刊からつぎの報道を紹介したい。

【参考記事】-『日本経済新聞』2024年7月26日朝刊2面の株価記事から-

先日まで日経平均が4万円を数千円上まわったとしてたいそう喜んでいたが
いまどき世界経済情勢・国際経営体制のなかで
そう単純に喜べる日本経済の実情(アホノミクスの必然的な結果)ではなかった

 前政権の負の遺産にならぬことはならぬと勇気をもって切りこむか。老いてゆくこの国の未来を描くだけの「分」があるか。

 伊東官房長官当時の秘書の1人は「大平・伊東の関係と安倍・菅は表面的に似ていますが実は違う。伊東は日本を立て直すために大平を支えたが菅さんには己の計算がうかがえる」

 「官僚との関係も,大平・伊東は信頼を基礎に置いて,権力の怖さもしって謙虚に行使しました。いまは人事権を使った恐怖が根にあるのではないか」と話す。

 日本学術会議への振る舞いに継承の実態を垣間みた気がするが,表紙だけ変わった政権で終わるか,中身も変わるのか。会津から銅像が見ている。(引用終わり)

 d) 菅 義偉よ,伊東正義の爪の垢でも〔ただしこれはえられないので,銅像の緑青でも少しこそぎ落として〕入手し,これを煎じて飲んでおけといいたいところだが,いずれにせよ「もったいないので,君に限っては止めにしておいてくれ」,と誰しもが考えると思う。

 以上のたとえ話,いったんは口に出してしまったけれども,伊東正義自身に対しては,たいそう失礼な発想だったと思いなおし,こうした「菅 義偉関連」で湧き出てきた当方の発想じたいが,いささか恥ずかしく感じたしだい……。

 もとより,伊東正義自身を菅 義偉に比較するためにもちだしたところじたいからして,もったいなくも,たいそう失礼に当たっていた。要するに,この2人を無理やりに並べて比較しようとすることじたいが,非常に縁起が悪いというか,ともかく気色が悪いという印象を強く抱かされた。その点はまず反省したしだい……。

 つまり,伊東正義と菅 義偉とは天と地ほどに異なっていた政治家と政治屋であった。換言すると,その差といったら実際,月とスッポンであった。さらにいえば,どうくらべてみても雲泥の差。

 この2人の政治家と政治屋の間においては,決定的に異なる品位・品格面での非常に大きな格差が鮮明に観取できた。

 以上,伊東正義が生きて活躍していた時代に関して,まだ記憶のある世代からの感想であった。

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 ◉「本稿(5)」の続編となる「本稿(6)」のリンク先・住所は以下である。
  ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n85a709f469d9

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