見出し画像

菅 義偉首相(2020年当時)が学術会議新会員6名を拒否した問題(4)

 ※-1 菅 義偉が首相であった約1年間(2020年9月16日~2021年10月4日)は強権横暴なる「独りよがり為政」に終始した


【断わり】-「本稿(4)」はつぎの3稿を受けている。


 a)
 菅 義偉は首相として,21世紀におけるこの国の政治過程史のなかで,まともに評価できるなにも達成できないまま,その短い任期を過ごす結末を迎えていた。

 とりわけ国家指導に関しては,凡庸以下の運営能力の持主だったゆえ,ただし国家破壊ならばもっとも得意としたせいもあってか,きわめて政治理念的にも貧相であった「自民党政治屋の1人」として,自国の学術(科学技術)体制をあたかも蔑視したごとき「基本姿勢」を露骨にみせつつ,非常に軽視した対応をおこなっていた。

 要するにこの菅 義偉という首相は,この国の今後に向かう歩調を撹乱させ遅滞させる役割しか果たしえなかった。とはいえ,国民たちにとって唯一幸いだった点は,彼のその任期が1年ほどで終了した事実である。この事実は,彼の悪政が栄えたその期間になってはいたものの,国民たちの立場・利害にとってみれば,せめてもの救いになっていた。

 b)「本稿(4)」は2020年10月には日本社会のなかで大きな話題になっていた「菅 義偉による学術会議新会員6名拒否」という妨害行為は,さきに安倍晋三がその模範を示してきたところとはいえ,

 科学も学問も理論も実践もなにも判らぬ政治屋たちが「学術研究の世界をぶち壊す」だけでなく,「いまや後進国日本」で「衰退途上国」になりつつあって,今後においては「ノーベル賞受賞者の輩出が困難となりつつある〈諸学界・研究状況の哀れな姿〉をさらに貶める為政」を実行中である。

 この石頭の硬度だけは誇れる自民党政権の中枢部に盤踞する頑迷固陋の面々たちは,以上のごとき日本の学問の状況や研究の水準にひたひたと押し寄せている危機感を,まったく理解できていない。

 それでもさすがに,首相になった菅 義偉は,国内外からの批判が自分たちに向けて集中した事実に怖じ気づき,こんどはわれわれは関与していないかのように,つまり総合的・俯瞰的に無関係であったかのようにトボケだしていた。
 
 当時首相であった菅 義偉のその種の反応ぶりは,みぐるしかったどころか,この国の学術・研究の絶対的な水準を引き下げる存在にしかなりえない4流政治屋である事実をさらけ出していた。本日の「本稿(4)」は,以上のごとき問題意識を抱いて,さらに議論することになる。

 以上をより適当な表現でそれも一言でいえば,菅 義偉は21世紀の「第3・十年期」が始まったその時期において,日本の政治経済全体に対してみずから,それも自覚症状もなしに「死垂」の役目をしきりに演じていたことになる。

 c) また,菅 義偉は首相になる前,安倍晋三の第2次政権において官房長官を長期間務めていたが,その間に確立したスガ話法は,人間並み以下だったというか,あるいはAI頭脳も手こずらせるくらいに,始めからまったくお呼びでない,ひどく乱雑でかつ粗暴な論理構造の持主であった事実を明快に展示していた。

問題ありありだったこの人
この人は自分自身がたどってきた人生体験の関係があってなのか
学問とか研究とかいった分野を尊重するという精神を
まったくもちあわせていなかったことを自白していた
安倍晋三=首相 菅 義偉=官房長官のとき
安倍晋三の無能がゆえに日本の政治と経済は
アホノミクスとアベノポリティクスの悪貨・悪質ぶりによって
いっそう腐敗・堕落させられた

菅 義偉の専断ゆえに
この国の民主主義の基本理念はさらに破砕された
 
 いまの岸田文雄の政権になってみれば
彼ら2人が残した拙政を
ただダラしなく継承するだけの為政になっていた

 菅 義偉は官房長官の立場に就いていたときからよくみせた応答の仕方は,記者の発言(質問)に対して,「そのような指摘は当たらない」「問題ない」「承知していない」「記憶にありません」などと,不躾かつ無礼もきわまった態度で相手の意見を否定するだけであった。

 そのやりとりのさい,その理由を説明しないどころか,あまつさえ,都合の悪いことにはまともに答えず,そのすべてを峻拒するといった具合に,非常にタチの悪い態度が特徴的に目立っていた。

 d) それらの菅 義偉のしぐさは「自前のプログラムにしたがって学習した設定だ」と揶揄されたごとく,およそ個人・個性の次元の問題であったと指摘される以上に,ひたすら傲岸不遜・夜郎自大・無礼千万だらけだったという強引話法しか示しえない御仁であった。

 菅 義偉の政権時,そうした事実だけが,われわれに対して強い印象を残した。

 菅 義偉は質問された場合,「仮定の質問にはお答えできない」「お答えを差し控える」などと,木で鼻をくくったごとき,無礼そのものであった応答をいつもおこない,その品位・品格の欠落ぶりと同時に,政治屋としての人間の品質に大いに問題ありであった事実も,みずから進んで展示する始末になっていた。

 補注)以上の解説には一部,アンサイクロペディアの「菅 義偉」解説を参照してみた。また,以下に挙げる『AERA dot.』の記事には,菅 義偉に噛みついて離さなかった『東京新聞』記者,望月衣塑子の記述もある。

 e) なお,菅 義偉は「仮定の質問」には答える必要がないなどと応えてもいたが,その種の質問を拒否する日本政治家は,対話力・弁論力・説明力に欠陥がある以上に,自分が政治家として経つ足場じたいを,いったいどのように他者(有権者など)に伝達させればよいのか,その心構えすら不在であった事実まで示唆した。

【参考記事】-『AERA dot.』から-

 
 2016年に首相が安倍晋三〔の絶世期?〕であったとき,学術会議「第23期の補充人事」任命の件にさいし,当時の「学術会議が候補として挙げていた複数人」が官邸側から拒否されていた。

 2020年にその「第25期の新会員6人」が任命されなかったとき,首相は菅 義偉に代わったばかりであった。

 f) この2人の政治屋は,第2次安倍政権のとき「悪代官と悪庄屋」のゾンビ・コンビであった。菅 義偉が首相になった当時,いよいよ「両悪の相乗効果的な散華」がはじまりつつあった

 学術(科学研究)の大切さなどろくに理解できていない,この2代の首相のために,日本の学問展開はさらに落ちこんでいくことになった。

 今年もいま前後して,ノーベル各賞が発表されている時期だが,日本から受賞者は出るのか?(これは2014年になっての話題であったが,この年は前年につづきノーベル賞受賞者は出なかった)

 以上のごときに「本稿(4)」の能書きを述べておき,本稿全体の執筆意図はどのようなところにあったか,つぎの4つの要点に整理しておきたい。

  要点・1 本当の事実(真実)を研究してほしくない一国の最高指導者こそが,その国の研究体制にとってみれば最大の有害「人物」

  要点・2 戦時中(敗戦前)の旧大日本帝国時代,とくに社会・人文科学の分野に対する弾圧の記録は,なにを意味していたのか

  要点・3 というよりは「いまだけ・自分だけ・カネだけ」だった安倍晋三の前政権から菅 義偉の現政権になったところで,日本政治の一大特性である「ウソの,ウソによる,ウソのための政治」に,なんら変化なし。つまり,彼らには国民たちの安寧を願う気持など,頭の片隅にさえない

  要点・4 専制的・独裁主義志向の為政を,民主主義の根本理念を充てて合理的に説明できる理屈などありえない。これは古今東西の普遍的な真理

  要点・5 無教養人が政治を司ると一国の為政がどうなってしまうか,好例・見本的にその無残さをみごとに体現させつつある現首相が菅 義偉であった

本稿における5つの要点

 g) 以上に足して「本稿(4)」における「若干の前言」も,重ねて反復的に記述しておきたい。

 結局,無教養人の政治屋が政治を司るとどうなってしまうか,その好例・見本の無残さをみごとに体現させた現首相:菅 義偉は,海外からもきびしい批判が自分の頭上に交叉しだした状況に怖じ気づいたか,自身が一番深く介入してきた研究体制にかかわる問題,それも最高責任の立場・当事者から口出しした問題であったものを,その後においては逃げの一手になっていた。

 菅 義偉は,官僚たちに責任を丸投げした気か? 一国の最高指導者の言動としては,ずいぶんセコイ態度を披露した。

 一国の最高指導者であれば,仮に自分で直接関与していない任務や課題であっても,統括責任者としての最終の責任はあるはずだから,本当のところは,裏舞台においてもっと濃厚に関与していたこの首相(以前ならばこの官房長官)が,オレはハンコ(いわゆる▼判)を押しただけといって逃げ腰になっていた。

 この政治屋も,なにかと,安倍晋三以上に逃亡癖(責任回避症)を人格的な特性(性癖)として具備していたらしい。学術会議新会員候補任用の問題については総合的に俯瞰しているはずだった首相にしては,ずいぶん奇妙奇天烈な発言を放っていた。

 ※-2「〈大機小機〉任命拒否,行革機運に冷や水」『日本経済新聞』2020年10月9日朝刊17面「マーケット・総合2」

 日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命が菅 義偉首相によって拒否され,日本学術会議は,その理由の説明と6人の速やかな任命を求める要望書を提出した。

 こうした動きに対して首相は「(会議の)総合的,俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点から今回の任命について判断した」と述べ,なぜ特定の6人の任命を拒否したのかについて「人事に関すること」と基準すら説明しなかった。

 世論調査では任命拒否を不適切とするものが過半数を占め,野党は国会審議を求めている。

 日本学術会議法第7条2項には「会員は,第17条の規定による推薦に基づいて,内閣総理大臣が任命する」とある。第17条は「日本学術会議は……優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し……内閣総理大臣に推薦するものとする」と規定している。つまり,法は,日本学術会議が優れた研究又は業績がある科学者を推薦し,それに基づき首相が会員を任命すると定めている。

 そこには「総合的,俯瞰的活動を確保する観点から判断」という言葉はない。現に法の専門家集団である法学委員会は「日本学術会議法上,首相には会員を選考,罷免する権限はない」との考えで一致したとされる。

 この論争は今後も続くだろう。場合によっては,任命拒否を「行政行為」とみなし,司法の判断を得るべく,行政訴訟を提起する動きも考えられる。

 補注)菅 義偉の頭のなかでは,総合的かつ俯瞰的な観点,つまり「国家の最頂点から」任命拒否を展望できるのが,自分:首相の権限であるといった理解しかなかった。ところが,その後における学問の世界の側から巻き起こってきた批判・反論が,まさかここまで強く,しかも広範囲に発生してくるとは予想だにしていなかった。

 また,国内だけでなく海外からも自分への批判,換言すれば「無教養な日本の新首相が早速,無粋にも学問の世界にまでちょっかいを出した」ことに対する,その批判の程度が非常に厳しいことに接した菅 義偉は,内外から多く湧いてきた批判を,無視することができないと判断するところまで追いこまれていた。

 というわけで菅 義偉はともかく,その後の「いいわけ」を開始することになっていた。しかし,関連する論点を「総合的に俯瞰できているはずの首相の立場」にしては,かなり珍妙でひどく奇怪なリクツを展示していた。

 さて,2020年10月10日の『朝日新聞』朝刊1面,左上に配置された記事は,「6人除外前の名簿『見ていない』 菅首相,除外の具体的理由語らず 学術会議」という見出しを付けていた。

 内閣官房長時代における菅 義偉の采配ぶりに照らしてみれば,この発言を信じる者など,1人もいない。もっとも,この問題の対処にさいしてその前面に立って,学術会議新会員候補の特定者6人を排除する手順に主にかかわってきたのは,安倍晋三前首相の意図がもともと含まれていたとしても,実際には菅 義偉が主導していた。 

   ◆「前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)@brahmslover」             10:01 PM · Oct 9, 2020 いわく

「おそらくこんな経緯」
  学術会議から推薦者名簿が内閣府に届いた
   →内閣府が杉田官房副長官に名簿を説明
   →杉田副長官が全員の身辺調査を内調に指示
   →身辺調査の結果を携えて杉田副長官が菅首相・加藤官房長官と相談
   →菅首相が6人の排除を決定
   →6人を除いて起案するよう杉田副長官から内閣府に指示         補注)「内調」とは内閣情報調査室のこと。

内閣情報調査室の担当者は前掲の新聞記事の図解に出ていた

 たくさんのウソをいうにしても,いいかげん,たいがいにしなければいけない。ところが,この安倍晋三と菅 義偉のゾンビコンビが政治の舞台に舞い降りた段になるや,「ウソとうそと嘘の混合物」が「混沌的に噴出させられながらの迷走状態」でしか,モノが語られなくなっていた。

 森友学園問題で自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫の件でも,赤木が作成した公文書改ざんの詳細な「記録文書」を入手していた安倍晋三や麻生太郎,菅 義偉は,その詳細に改ざんされた過程を,さらに記録として残し保管していた「赤木の文書」を奪取できていたがために,実は,それを隠蔽することを完全犯罪的に実現させえていた。

〔記事に戻る→〕 衆院議員の任期満了まであと1年,選挙による国民審判を受けていない菅内閣がなぜこのような政治体力をそぐ判断をしたのか不可解である。菅内閣は行政改革やデジタル庁創設などの力仕事を選択し,支持率74%と国民の高い期待を受けた。

 たとえば,デジタル庁は屋上屋を架すような組織でなく,総務省・経済産業省・内閣府など関係省庁から新生デジタル庁所管分野を分離統合するのでなければ機能しないだろう。政治体力はそちらに向けるべきである。

 首相は就任会見で「安倍政権での国民や国会への説明不足という負の側面を継承するか」と問われ,「ご指摘のような問題が二度と起こらぬよう取り組む」と答えている。「国民のために働く内閣」なのかどうか。ぜひとも首相みずから,6人の任命を拒否したことが国民のために働いた結果であると説得力ある説明をする必要がある。(引用終わり)

 菅 義偉は,首相となった立場になったとき,この日経コラム記事の「大機小機」が要求したごとき問題諸点を,実際にはまったく理解できていなっかった。というよりは,それ以前において理解する気すら皆目もっていなかった。

 その種になる基本的な政治姿勢は,実は,菅 義偉という政治屋においては致命的な弱点を意味していた。日本の政治にとって “有害な後果” を発揮するほかない危険な要因を,菅 義偉自身,みずから抱えこんでいたという自己認識じたいが,そもそも彼の理解力にあっては備わっていなかった。

 以上のように指摘されてよかった,いわば菅 義偉「的」な「政治家として完全に失格だった」の問題は,同時に「独裁者してならば余裕をもって合格点をもらえる」ような問題も,示唆していた。

 今回における学術会議新会員候補6人の任命を拒否した行為に向けては,日本国内だけでなく海外からも批判・非難が登場してきた。菅はそれに戸惑いながらもこんどは,早速「自分は関与していない」などといいわけにもなりえない遁辞を口にしだした。そうなっていたにせよ,この政治屋,自民党内はたくさん生息している「世襲3代目の政治屋」とはまたその性格を異ならせていながらも,結局は「同じ穴の狢」であった。


 ※-3『東京新聞』の記事が判りやすく問題の核心を解説-菅 義偉が総合的だとか,俯瞰的だとか意味不明の言辞を弄する裏事情

 1)「理由示さず任命拒否『憂慮』 数学,物理などの自然科学系93学会が緊急声明」『東京新聞』2020年10月10日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/60944?rct=national

 ◆-1 早期解決を期待

 日本学術会議の新会員候補6人を菅 義偉首相が任命を拒否した問題で,日本数学会や日本物理学会など自然科学系の93学会が〔10月〕9日,「政府により理由を付さずに任命がおこなわれなかったことに関して憂慮している」との緊急声明を発表した。「従来の運営をベースとした対話による早期の解決」を望んでいる。

 今回の問題で,自然科学系の学会が共同で緊急声明を出したのは初めて。日本数学会,日本地球惑星科学連合,日本物理学会の3学会と,自然史学会連合または生物科学学会連合に加盟する90学会が声明を出した。

 ◆-2「国民のためにも学術会議は重要」

 この日夜,学会と学会連合の代表5人がオンライン会見に登壇。永江知文・日本物理学会会長は「理由を示されないことが一番大きな問題。忖度しないといけないのは科学者からみたら非常に変だ」と指摘した。

 寺杣友秀(てらそま・ともひで)・日本数学会理事長は「数学者は公平性や厳密性を重んじる傾向にあるが,いろんな考え方があるからこそ有用な議論ができる。『この種の人はいらない』という考え方にはとても敏感だ」と語った。

 小林武彦・生物科学学会連合代表は「研究成果を国民に還元するためのハブ(中継地)として,学術会議は非常に重要」と強調した。(引用終わり)

 菅 義偉は首相の立場として,学術会議新会員の任用拒否をすると,このような反応=批判の動きが出てくることを,おそらく当初は予想しておらず感知もできていなかった。

 というのも菅は,関連させて配慮しておくべき予備知識をまったくもたなかったからだ,と推測される。前段に紹介したように,海外からも学術関連の一流雑誌から菅への批判が飛んできた。

 菅 義偉は内心では,これはトンデモナイことになったと心配になっているはずである。国家官僚や自民党内の陣笠議員たちを相手にするときとはまったく別種の学術集団や組織などを相手にしたとき,今回のように問答無用に,それもいつもように好き勝手にいじくったとなれば,どのような反発が起こるのかを全然予見しえていなかった。

 それゆえ,本日『朝日新聞』朝刊1面に「6人除外前の名簿『見ていない』 菅首相,除外の具体的理由語らず 学術会議」と報道されたごとくに,例によって,オトボケの逃げ口上をとなえたものと推理される。

 学問の世界がどのような性質を有し,どのような過去から現在までの歴史を,それも世界史的な広がりをもっていかに重ねてきたか,あるいは,今回のごとき反応(反発)がどうして自分に返ってきたかについて,菅 義偉は事前にまともに認識することができなかった。

 ウカツだといえばそうであったが,自分には「まったく理解できない,もとより関係もなかった学術の領域」が,まだこの世の中にはあるという基本的な理解を,スガは完全に欠いていた。つぎの 2)に引用する記事は,菅 義偉の吐いた “本当の嘘” に言及している。官房長官のとき関与してきた問題について,である。

 2)「『1番ではなく2番がいい』 官邸が学術会議の人事に難色,大西元会長が詳細に説明」『東京新聞』2020年10月9日 22時02分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/60926

 菅 義偉首相が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題で,野党は〔10月〕9日,国会内で合同ヒアリングを開き,同会議の大西 隆元会長は「選考基準と違う基準を適用し,任命拒否したとなれば日本学術会議法違反になる」と首相を批判。広渡清吾元会長も「拒否した理由を説明しなければ首相の責任は果たせない」と強調した。

 大西氏が会長だった2016年10月,官邸は初めて会員補充の選考過程をみせるよう要求。1ポストに2人の候補を優先順位付きで挙げたリストを示すと,3つのポストのうち2つについて「(優先順位が)1番ではなく2番の方がいいのではないか」と入れ替えを求められたという。

 大西氏は「『どうしてですか』と尋ねたが,理由は明かされなかった。選考委員会を開き議論したがまとめられず,案を断念した」と証言した。

 2017年10月の会員改選では,大西氏は前年末に官邸幹部と会い,途中経過をみせることを約束。「(以前の)総会で決まったものをもって,任命をお願いしたら『途中でも説明して』といわれた」と話したが,官邸に任命権を与えたわけではないとも強調した。

 大西氏は「選考は専門分野の業績で判断した。法律の基準と違う基準が適用され,(〔当時の安倍晋三〕首相が)拒否した。学問の自由を制約している」と話した。広渡氏は「政府の態度で重要なのは,科学が自由に真理を追究できるようにすること。政治は科学とどう向きあうのか,根本に触れる問題だ」と批判した。(引用終わり)

 この記事での当時の首相とはまだ安倍晋三のことであった。だが,官房長官だった菅 義偉も,ほぼ同じ位置・場所に立って関与していた,としかみるほかなかった。このことは,断わる必要もあるまい。

 ところがそれでいて,菅は「6人除外前の名簿『見ていない』」し,自分が「除外の具体的理由語ら」ないと応えている。だが,これは “ただの嘘” でしかありえなかった発言であり,回答の拒否であった。

 この10月の初旬,学術会議新会員候補の任命を安倍晋三・菅 義偉たちが拒否した問題については,保守・反動・極右の各種人士が,完全といいくらいデタラメと虚偽の,つまりフェイク的にこの学術会議新会員拒否問題に向ける「非難」を盛んに飛ばしていた。

 だが,それらの口調に共通するそもそもの問題点は,事実にもとづいた議論が不在であったことである。つまり,お話にもなりえない非難・攻撃をもって,菅 義偉を応援しているつもりかしらぬが,それもいいたい放題でありながら,客観的にはなんの証拠もなしに,おまけに枝葉末節的ないいがかり的な発言ばかりであって,さらには罵詈雑言を浴びせるかたちでもなされていた。

 3)「『総理は多様性を認め,政策に生かして』 日本学術会議・大西 隆元会長が本紙に寄稿」『東京新聞』2020年10月8日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/60373

 菅 義偉首相が新会員候補6人の任命を拒否した問題をめぐり,日本学術会議の大西 隆元会長が本紙に寄稿した。「学術会議は会員がそれぞれの専門を生かしながら議論する場で,政治的な主張を戦わすわけではない」と主張し,任命拒否を「残念な事態」として,政府に理由の説明を求めた。

 ◆-1 レジ袋有料化も学術会議の提唱がきっかけ

 日本学術会議の会員選考で,菅 義偉首相が学術会議の新会員候補者のうち6名を任命しなかったことが批判を招いている。筆者は,2011年から2017年まで同会議の会長を務めた。学術会議の活動を紹介しつつ,この問題を考えてみる。

 微細なプラスチック片が分解されずに海に滞留し,摂取した魚,さらに人に害を及ぼすから,プラスチックの利用を大幅に削減しようというキャンペーンが,レジバッグ有料化やマイバッグ携帯につながった。このきっかけの1つは学術会議が海外の学術会議と手をたずさえておこなった提唱であった。

 学術会議は,大学や企業の研究者等の代表が学術の観点から社会や政府へ提言,国際協力を行う組織で,発足して72年になる。210人の会員と約2000人の連携会員が,専門分野や分野横断的なテーマについて審議する多数の検討委員会を組織している。身分は非常勤国家公務員で,会議出席のさいに旅費や手当は支給されるが,会長を含めて給料や年金とは無縁である。

 ◆-2 会員選考基準は「優れた研究又は業績がある科学者」

 審議組織という性格上,重要なのは人,つまり会員である。6年の任期制が敷かれ,3年ごとに半数が改選される。会員の選考は大きなテーマで,発足以来,全国の研究者による選挙制度,学会などからの推薦制度を経て,現会員が新会員を選ぶ現制度に至った。過去の制度には選挙運動のゆき過ぎや,重点を置くべき研究分野の議論等で推薦母体の利害に敏感になるなどの批判があったのである。

 会員の選考基準は法律で「優れた研究又は業績がある科学者」と明記されている。その上で,同じ大学の勤務者等の身近で実績の分かる人を選びがちなため,女性研究者の登用,東京圏への集中緩和,企業や国の研究機関の研究者の登用に意識的に努めてきた。

 ◆-3 残念な事態 任命拒否の理由提示を

 その会員選考で,手続にもとづいて学術会議から推薦された候補者のうち6名の任命を任命者である首相が理由を示すことなく拒否したのが今回の残念な事態である。

 2016年にも,定年退職の会員補充人事で選考経過の説明の段階で,学術会議の案に対して官邸側が難色を示し,結局,選考手続が時間切れとなり,推薦を見送ったことがあった。私は,選考過程をより丁寧に説明して任命者に理解していただく必要を感じ,2017年10月の会員任命は推薦通りにおこなわれた。

 学術会議は多様な専門をもつ会員がそれぞれの専門を生かしながら議論する場で,会員は政治的な主張を戦わすわけではない。ここが,学者の国会といわれながら本家の国会と大きく異なるところである。

 総理にはこのことを理解して,多様性を認め,国内の最先端の学者の議論の成果を種々の政策に生かしてほしいと思う。

 実は学術会議のような組織は先進国,途上国を問わず世界のほとんどの国にある。設置形態はさまざまだが,共通しているのは国からの資金で活動し,成果が公にされ,国民の共有財産となっていることである。

 もし今回の任命拒否が,先述の選考基準と別の観点でおこなわれたとしたら法に反したものとなる。その意味でも拒否の理由を示すことが求められている。(引用終わり)

 大西 隆はごく控えめに「今回の任命拒否が,先述の選考基準と別の観点でおこなわれたとしたら法に反したものとなる」と指摘していたが,まさしくこのとおりに安倍晋三政権も,その半ばに差しかかる時期から,政権の政策に批判する意見が学術会議会員候補者になった学究のなかから出ていた事実をとらえて,安倍晋三や菅 義偉たちが該当する学究を学術会議から閉め出す工作をしてきた。

 だが「拒否の理由を示すことが求められている」にもかかわらず,いまどき菅のように「総合的,俯瞰的な活動」に即して判断したものだと,完全に寝ぼけマナコをよそおい,返事をしていた。

 ある意味でもあるいはあらゆる意味でも,そうした安倍晋三や菅 義偉が,中国味やロシア風ではないが,学問の世界に向けておこなった干渉事は,決定的な間違いを犯していた。

 もしもでも,そうではないと断言できるならば,総合的・俯瞰的〔活動をみての判断だ〕と苦しまぎれであっても弁解していたそのリクツ(論理)を,より具体的に説明しなければならない。

 これまで官房長官の時期であれば,強引にただ「問題ない,問題ない,問題ない,……,……」とはねのけておけば済んでいたごとき「件」ではありえない。

 菅 義偉自身は初めは高をくくっていたものの,事後になってからは徐々に,いままでのように自分の思いどおりにはいかない点を感じていた。すなわち,菅はいまでは完全に “逃げの姿勢” を採っている。

 なんども触れることになるが,「6人除外前の名簿『見ていない』 菅首相,除外の具体的理由語らず」と,新聞記事の見出しに書かれていた点は,今回の問題ではスガが窮地に追いこまれた事実を示唆する。

 さて,今回の出来事は,国外・海外においてどのように観られていたか。

 

 ※-4「政治家が『学問の自由』を諭すドイツ-ドイツに住んでわかった西欧と日本の価値観の根本的な違い」『論座』2020年10月07日https://webronza.asahi.com/science/articles/2020100600002.html

 この寄稿主は,林 正彦(天文学者,日本学術振興会ボン研究連絡センター長)である。

 ドイツに住んで2年になる。日本学術会議会員の任命拒否というニュースが飛びこんできたとき,「ドイツでは起こりえないな」というのが私の第一印象だった。

 菅首相の今回の拒否で「学問の自由」が侵害されたととらえる人も多い。実は私は,ドイツにきて「学問の自由」についてこの地の政治家たちから学ぶことになった。その経験をこの機会に紹介したい。

 1) 政治家が学者に向けて「学問の自由」を演説

 ドイツの政治家は「学問の自由」をよく口にする。日本では,この言葉は研究に対してなんらかの圧力を受けたと思ったときに学者がいう例がほとんどで,政治家から聞いた経験が私にはない。ところがこの国のリーダーたちは,「学問の自由」の重要性について,頻繁に学者に向けて演説しているのである。

 最初にそれを聞いたのは2年前,ボン大学の創立200年記念式典でのことだ。主賓のシュタインマイヤー連邦大統領は,式辞のなかで,ボン大学がこれまで果たしてきた役割の重要性を述べたが,一方で全体主義を避けることができなかったドイツの現代史に関して,「大学」はその重要な役割を果たせなかったという反省も語った。

 補注)安倍晋三や菅 義偉の為政は「国家全体主義」を志向している。この点は説明する余地もないくらい,現在では鮮明になってきた。日本の場合しかも,この国内的な政治事情に対しては「対米服属路線が死垂の意味」を果たしている。

 この日本国のファシズム志向そのものは,アメリカへの主従関係のもとで,それも「先方にとってばかり都合のよい目標」をめざしている。こうした米日間の国際政治的な事情・背景から強いられる影響が,今回における学術会議新会員6人の任命拒否の問題に関して発生していた。

 菅 義偉が首相となってからも,米日安保関連法に反対の意思を表明してきた学者(いまところは社会・人文科学者たち)を,学術会議の新会員に任命することは妨害されてきた。その理由・事情がいったい奈辺にあったかは,あえていわずともよく理解できる点であった。

〔記事に戻る→〕 では大統領が「大学」に求める重要な役割とはなんだろうか。大統領の話をたどると,大学は民主主義の場であれということだった。そのために,大学は自由の場でなければならない。

 しかし自由といっても,人権が保護されなければ民主主義は機能しない。民主主義や自由がどうあるべきかは,このようにつねに議論のあるところだ。

 たとえば言論の自由を例にとれば,なにをいうことが許され,なにをいうことが許されないかは,つねに議論がある。これを議論し,民主主義や自由のなんたるかを探求して規準を示すのは大学の役割だ。そこには学問の自由が必要となる。

 それによって研究者は自由に真理を探究でき,人は民主主義がなんであるかを学ぶことができる。そして同時に,大学には責任も生じる。それは民主主義の将来に対して負う責任だ。つまり,大学は民主主義を守る責任を負っている。大統領の演説の趣旨は,このような内容だった。

 補注)日本では安倍晋三や菅 義偉が,以上のドイツの国家指導者とはまったく真逆である為政を,本気になってやりぬこうとしてきた。

 この民主主義の根本理念に真っ向から挑戦したこの2人の首相は,この日本という国家をより不幸にかつダメにしてきた実績ならばあるものの,民主主義の基本精神をより向上させ堅固なものたらしめることに貢献したそれはなにひとつなかった。

 なぜか? 答えは簡単である。彼らはひたすらその破壊をもくろんでいたからである。

〔記事に戻る→〕 感動的な演説だった。これは研究者という専門家に対して,その能力を存分に発揮して民主主義のあり方を研究し,それを人びとに広めなさいといっているのだ。

 もちろん研究者間で意見の一致しないことは起こるが,だからこそ研究者はいっさいの干渉を排除して真実を追求する必要があり,また議論を通して合理的に結論を導く必要もある。その研究にお金が必要なら政府は一定の資金を援助するが,だからといって干渉はしないということである。

 補注)第2次世界大戦では同じに敗北したドイツと日本であるが,21世紀にいまとなってその国家指導者たちにあいだでは,これほどまでに決定的に異なった政治思想が,それもまともで正当なそれは,ドイツのほうからだけ語られていた。

 日本のほうはみれば,まことにみっともなく映る国家指導者の姿ばかりが浮上した。これが仕方のないことだなどとは,いってられないはずである。

〔記事に戻る→〕 シュタインマイヤー大統領の演説から半年後に,今度はベルリンでライプニッツ賞の授賞式に出席した。そこでは,カリチェック連邦教育研究大臣がまたしても「学問の自由」の話をした。

 しかも,「学問の自由はわれわれの民主主義の根幹だ」といきなり断言している。ドイツの政治家は,なぜこれほどまでに学問の自由の重要性を主張するのだろうか。

 2) 民主主義から全体主義に陥らないための「学問の自由」

 そこには前提として,ドイツでは現在の繁栄が高く評価されており,それは第2次大戦後の民主主義によって作られたものだという認識がある。

 一方で,昨今の世界情勢にもみられるように,現在の民主主義は脆いもので,いずれまた全体主義に陥るのではないかという漠然とした不安がある。そのためリーダーたちはあらゆる機会を使って,民主主義が崩壊へと向かうのを避けようとしているようにみえる。

 ドイツの政治家にとって,学問の自由は民主主義の崩壊を防ぐために絶対に譲れない要素なのである。

 どんな政体でもそうだが,民主主義でも必らずしも正しいことがおこなわれるとは限らない。扇動されれば,往々にして人々は不幸になる方向に動いていく。

 だからこそ,時の為政者からまったく独立して真実を追求することが必要であり,民主主義の担い手(国民)は,その真実に依拠して自分たちの行く手を決める必要がある。とくに,その真実が多数の人びとにとって心地よくない場合にこそ,真実を追究する学問の自由の重要性は増す。

 かつて、民主体制下で全体主義へと進んで第2次大戦を始めるに至ってしまったドイツでは,リーダーたる政治家が民主主義の危うさをもっともよく認識し,警戒しているのだ。

 3)「学問の自由」を保証するシステムと法律

 ドイツには学問の自由を明示的に保証するシステムがある。たとえば日本学術振興会(日本学術会議とは違う,文部科学省所管の独立行政法人。主に大学への研究予算配分を担う)に対応するドイツ研究振興協会(年間予算は日本学術振興会のほぼ2倍)などでは,会員はすべて大学や研究関係機関で構成されており,その会員が総会で会長などの要職を選出する。ここには,お金を出す側の声を反映するチャネルがそもそも存在しない。

 もちろん,お金を出している連邦や州は総務委員会などに委員を出しており,そこでは科学者と対等な立場で意見を述べあう。しかし,それはたがいの主張を述べ議論するための透明な場であり,しかも科学者側が多数になるように構成されているのだ。

 あるいは科学自由法(通称)。この法律は,4大研究協会(マックス・プランク,フラウンホーファー,ヘルムホルツ,ライプニッツ)やドイツ研究振興協会,フンボルト財団などに対して適用され,予算の年度制限の撤廃,費目間流用の自由化,第三者経費による職員給与の自由化などを保証している。

 補注)上記4大研究協会の名称に関連する簡単な補足説明。  

 ★-1「マックス・プランク」(フルネーム ⇒ マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク,Max Karl Ernst Ludwig Planck, 1858-1947年)は,ドイツの物理学者で,量子論の創始者の1人であり,「量子論の父」とも呼ばれている。科学の方法論に関して,エルンスト・マッハらの実証主義に対し,実在論的立場から激しい論争を繰り広げた。1918年にノーベル物理学賞を受賞。  

 ★-2「フラウンホーファー」とは,フラウンホーファー研究機構のことで,ドイツ各地に74の研究所・研究施設を構え,約2万8000人のスタッフを擁する欧州最大の応用研究機関。ドイツ国外の研究センターや代表部は,現在・将来の科学の進歩および経済成長に重要な意味をもつ地域との橋渡しをおこなっている。
 
 ★-3「ヘルムホルツ」(フルネーム ⇒ ヘルマン・ルートビッヒ・フェルナンド・ヘルムホルツ,Hermann Ludwig Ferdinand Helmholtz,1821-1894年)は,ドイツの生理学者,物理学者であり,研究領域の多彩さと個々の研究業績の質の高さの両面で,19世紀最大の科学者の1人とみなされている。とくに,エネルギー保存の法則の体系化,神経の刺激伝導速度の測定,検眼鏡の発明,聴覚の共鳴説や色覚の三色説の提唱のほか,広い分野に功績を残した。
 
 ★-4「ライプニッツ」(フルネーム ⇒ ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ,Gottfried Wilhelm Leibniz,1646-1716年)は,ドイツの哲学者,数学者であり,ルネ・デカルトやバールーフ・デ・スピノザなどとともに近世の大陸合理主義を代表する哲学者である。主著は,『モナドロジー』,『形而上学叙説』,『人間知性新論』,『神義論』など。

補足説明

〔記事に戻る→〕 『ドイツに学ぶ科学技術政策』(永野 博著)によれば,ドイツには「研究に対するマイクロマネジメントは,自由なアイデアによる研究活動を阻害するだけ」という考えがあるとのことで,この法律の精神となっている。ただし,州政府の管轄下にある大学には残念ながらこの法律は適用されない。

 このようにみてくると,ドイツにおける「学問の自由」というのは,あえて誤解をおそれずにいえば,「金は出しても口は出さない」という精神だといってもよい。これに気づいたときには驚いた。日本だと,「お金を出してもらっているのだから,いうことを聞かなければ…」とつい忖度してしまう。

 ドイツだと,「お金を出してもらっているのだから,忖度なく真実を探求し,それを公表しなければならない。それは人びとにとって,自分たちの将来を左右する重要な判断材料となるのだから」という精神がみられる。

 4) 欧州の伝統文化の一つとして根付く「学問の自由」

 自然系,人文・社会系を問わず,近代科学というものはヨーロッパで興り,発展した。民主主義,人権,自由,平等などの考え方は,歴史的に多数の自他国民を不幸に陥れた経験から,そのような不幸を避けるための基本原理としてヨーロッパで発展したものだ。民主主義も学問も,いわばヨーロッパの伝統文化として,人びとの心に根づいている。

 もちろん学問の自由も,ヨーロッパでは伝統文化のひとつとして人びとの心に根づいている。これを否定することは,自分たちの歴史と現在を否定することにつながる。だから,民主主義が機能しているかぎり,ヨーロッパの国でそんな自己否定が起こるはずはないのである。

 日本では「西欧諸国は日本と価値観を共有している国だ」とよくいわれる。しかし実際にヨーロッパに住んでみると,日本が思っているほどには,西欧諸国は日本と価値観を共有しているとは思っていないことが分かる。合理的な説明がなく,ただ上意下達で会員の任命が拒否されるのを聞くにつけても,「やはり価値観が違うなぁ」と思うのである。(引用終わり)

 明治「維新」以後の日本は,幕末の思想家佐久間象山が唱えた観念であった「東洋道徳・西洋芸術」を充てて,道徳や社会政治体制の面では伝統を固持しつつ,科学技術の面では西洋のものを積極的に摂取しようとする思想を,便宜的に打ち出していた。

 つまり,この対・概念的な理解であった「東洋道徳・西洋芸術」を仕立てて利用しつつ,日本の近代史を大いに前進させえてきたつもりであった。

 しかし,「西洋の芸術(=学問や技術)」のほうにも,実は不可離に密着していた「西洋側の道徳(のその精神や伝統)」は,みてみぬ振りをし,邪魔ものあつかいもして,排除することを心がけてきた。

 明治初期から「お雇い外国人」と呼んだ西洋の芸術を学びとるための人材は,高給をはませて大勢採用していたが,彼らに対しても「東洋〔とはいっても日本だけの意味だが〕側の道徳:価値感」は,絶対に譲らないという抵抗心を抱いていた。

 ひとまず,それはそれでよかったのかもしれないが,ドイツのように敗戦後における「学問の世界」の価値感を大事する,それも実は国家の発展・充実のために役立つのだという「西洋芸術」観の神髄に関した認識は,完全に欠落させてきた。

 以上のごとき議論は,安倍晋三や菅 義偉には「馬の耳に念仏」で終始するほかない。学術会議側の責任当事者:幹部たちが苦心して,安倍や菅のような分からず屋たちを相手に必死になって「学問の自由」「思想の自由」を説いたところで,まさしく「豚に真珠」であった。

----------------------------------

【未 完】 「本稿(4)」以降の記述はまだ続く。続編はできしだい,ここにリンク先住所を指示する。

---------【参考文献の紹介:アマゾン通販】---------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?