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アベノミクスの思い出,悲劇にも喜劇にもなりえなかった「暗愚三昧のアホノミクス」が日本をダメノミクス状態にさせた経緯(1)

 ※-1 黒田東彦前日銀総裁が2010年代から記録してきた大胆な厚顔無恥は超特級品,その狭隘・小心たる問題意識は日本経済認識としては極悪品,そして,この日本を安倍晋三とともにつぶした張本人が,2023年11月1日から『日本経済新聞』朝刊「私の履歴書」を書きはじめたのには,びっくり仰天


 今日〔2023年11月6日〕の4日前の11月2日の記事であったが,『日刊ゲンダイ』が「あり得ないようなタイミングと無神経 『私の履歴書』に登場した黒田東彦に言葉を失う」を読み,ああやはり,本ブログ筆者の感想は見当違いではなかったと思わされた。

 註記)この記事の住所(アドレス)は, https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/331475 で,公開日は 2023/11/02 17:00,
更新日:2023/11/02 17:02 。

 『日刊ゲンダイ』のこの記事を引照する前に,『日本経済新聞』2023年11月3日朝刊が1面のなかであったが,まさに凡才未満の日本国首相であった岸田文雄の国家運営ぶり無知と無策ぶりを批評する論説的な一文(下掲の画像資料のこと)を,つぎのような内容をもって公表していた。

 ともかく安倍晋三もひどかったが,岸田文雄もその亜種としてそのひどさをりっぱに誇れるこの日本国総理大臣であった。国家最高指導者たちの資質が,最初から「落第点しか取れない」この国であったからには,国家体制そのものが地盤沈下をきたすのは当然である。

 2010年代以降,日本の経済は急速にその地盤沈下を加速しだし,まるで森嶋道夫『なぜ日本は没落するか』岩波書店,1999年の予告をなるべく早く実証するがごとき政治・経済の過程をたどってきた。

 現在,開催中の国会で岸田文雄が所信を表明した中身については,これを「絵に描いた餅ですらない」と,非常にきびししい批判まで飛んでいる。それだけでなく,すでに「増税▼ソめがね」とヤユされた上に,そのメガネにはウロコまで付いているとまで,かわれる始末である。

 岸田文雄の国家運営に向けては「錐(キリ)の先端のように鋭い多くの目線」が,この「世襲3代目の政治屋」の「やること・なすこと」をめぐる「そのボンボン的な甘さ」に集中している。

「世襲3代目の政治屋」は国家壊乱罪を犯している

 この『日本経済新聞』の指摘を裏づける材料となる『時事通信』の報道を,その冒頭だけだが紹介しておきたい。

「検証なき」とはつまりただの「無責任」という意味

それこそ空前のデタラメ経済運営が安倍晋三と黒田東彦の
ゾンビコンビにより進行した2010年代

リフレ政策が失敗する経済過程だけが無為に進行した
その2010年代

2020年代になると実質賃下げ状態がつづく
労働経済状況に追いこまれた

インフレ昂進ばかりが確実に持続可能になった

生活実感としては3割から5割くらいは簡単に
消費財の「値段が上げられた」という印象

安倍晋三第2次政権風の「破天荒の約8年間」が経過したのち
日本経済はとうとう壊された

この日本経済に「いま」もてあそばれているのが現首相の岸田文雄

 ここから以下に,その『日刊ゲンダイ』2023年11月2日記事を引用する。

 いやはや,驚いた。日本経済新聞が朝刊最終面で掲載している「私の履歴書」。政治や経済,文化,スポーツなどの領域で大きな業績を残した人物が月替わりでみずからの半生を語る。1956年から続く日経の名物コラムに〔11月〕1日からナント,日銀の黒田東彦前総裁がなに食わぬ顔で登場しているのだ。

 時あたかも後任の植田和男総裁が異次元緩和の後始末に右往左往。終わりのみえない円安と物価高という黒田の「負の遺産」に庶民がのたうち回る中,いけしゃあしゃあと顔を出せるものだ。ありえないようなタイミングと無神経で,厚顔無恥にもほどがある

 連載開始の前日,植田日銀は金融政策決定会合で金融緩和策の再修正に追い込まれた。

 前任者が繰り出した禁じ手のひとつ,長短金利を低く抑え込む「イールドカーブ・コントロール(YCC)」の上限を柔軟化。長期金利の厳格な「防衛ライン」を大きく後退させ,これまで死守してきた1%を超える金利上昇を容認する姿勢に転じた。

 7月の会合で防衛ラインの上限を1%に引き上げてから,たった3カ月。もはや決壊寸前まで追いやられたのは,植田日銀が市場の圧力にあらがいきれなかったためだ。この間,米国の長期金利の上昇ペースはすさまじく5%程度まで跳ね上がった。つられて日本の長期金利も上昇し,日銀の政策修正観測が強まった10月31日には 0.955%をつけ,約10年ぶりの水準に到達。もう逃れられないと観念したのだ。

 市場の上昇圧力に屈した背景にも,黒田の負の遺産が横たわる。

 ♠ 物価高を加速させる歴史的な円安水準 ♠

 金利の上昇圧力を抑えこむには,日銀が大量の国債を購入せざるをえない。しかし,その封じ手が許されないほど,日銀のバランスシートを肥大化させたのもまた,前任者の黒田である。

 黒田が総裁時代の10年間で日銀が買い上げた国債は約500兆円。発行残高の実に5割超を抱える。1%の防衛ラインにこだわり,これ以上,国債を買い占めれば,ただでさえ債券市場を歪めている「副作用」がますます大きくなってしまう。

 そこで植田日銀はYCCの再修正を余儀なくされたのだが,この程度の修正では日米の金利差は大きく縮まらない。もうひとつの懸念材料である円安圧力は払拭できないまま,庶民を苦しめる物価高も当面,加速していく。

 おまけに,財務省が直近1カ月で政府・日銀による為替介入実績がゼロだったと発表。10月に2度,1ドル=150円を超えた直後に円高が進んだ局面でも,政府・日銀が円安阻止に動いていなかったことが判明し,円売り・ドル買いを後押し。海外市場ではアッという間に,一時 151円74銭まで下落し,1990年以来33年ぶりの152円台という歴史的な円安水準に陥るのも,時間の問題である。

 財務省の神田真人財務官が〔11月〕1日朝,介入を含めて「スタンバイだ」と発言すると,あらためて介入が意識され,円相場は乱高下。先月は緩和策の「出口」が意識され,大幅下落が相次いだ株式市場も,1日は小幅修正を好感し,日経平均の終値は前日比 742円高の大幅続伸と荒っぽい展開だ。

 それでも,植田は賃金と物価がともに上がる「経済の好循環」には至っていないと分析し,「粘り強く緩和を継続する」と強調。異次元緩和から抜け出せないのは,それだけ黒田の負の遺産が大きすぎる証しだ。

 ★ 負の遺産に日本経済はがんじがらめ ★

 マイナス金利の導入ややっYCC,ETFを通じた約35兆円分もの株の買い上げ……。黒田がひねり出した奇策の数々は,他国の中央銀行がためらうようなハイリスクな禁じ手のオンパレード。下手に植田日銀が「手じまい」に動こうとすれば,その見方が広がるだけでマーケットの格好の餌食となる。出口戦略を見越して金利が急上昇し,株価が急落しかねない。

 誰が引きついでも,手を焼くことは予想されたとはいえ,植田日銀はあまりにも巨大な負の遺産に,がんじがらめ。たまりにたまった異次元緩和の「うみ」を出そうにも,黒田の尻拭いに四苦八苦。混乱,迷走を重ねているのが実態である。

 ところが,黒田は「私の履歴書」の1回目から〈大幅な金融緩和で「デフレではない」経済は実現した。企業収益は倍増し,4百万人を超える新規雇用が創出された〉と自画自賛。異次元緩和への歴史的評価が定まる前から自慢話に花を咲かせているのだから,何サマのつもりなのか。

 「歴史の評価はすでに定まっていますよ。異次元緩和は完全な失敗です」と言うのは,経済評論家の斎藤満氏だ。こうつづけた。

 「黒田前総裁は10年前,就任早々『2年間で2%の物価目標を達成する』と公約したのに,一度も達成できず,2年の短期戦をずるずる延ばし,いつしか10年の長期戦に。その間,円安誘導策で輸出企業を潤したのは単なる為替差損のマジックです」

 「産業界は楽して儲かることにあぐらをかき,技術開発や新たなビジネスモデル構築の努力を怠ってしまった。麻薬漬けのような政策が企業から活力を奪い,国際競争力を失わせ,この10年,日本経済の相対的な地位はどんどん低下していきました」

 「とうとう,日本の名目GDPは今年(2023年),ドルベースでドイツに抜かれ,世界3位から4位に転落。それも歴史的な円安進行により,ドル換算すると目減りしてしまうからです。ここにも黒田前総裁の負の遺産が悪影響を及ぼしています」

 ◆ ハナから羞恥心を求めるだけムダ ◆

 いたるところで黒田が築き上げた「壁」にぶち当たり,身動きの取れない日本経済。日銀が国債を大量に買い上げ,財政資金を賄う事実上の「財政ファイナンス」のせいで,財政規律も緩みっぱなしだ。

 「岸田政権の『税収増還元』と称する定額減税,財源後回しのバラまき策こそが動かぬ証拠です」(斎藤満氏=前出)

 これだけ,日本経済をズタズタにし,庶民を苦しめた張本人がなにを語るつもりなのか。名物コラムに黒田を出す日経新聞の見識も疑う。このタイミングで黒田を登場させることについて日経に見解を求めたが,「編集過程についてはお答えできません」(広報室)と答えるのみだ。

 評論家の佐高信氏は,こういう。

 「『私の履歴書』に胸を張って登場する黒田氏も黒田氏だし,堂々と登場させる日経もおかしい。日銀総裁としての10年間,黒田氏は安倍元首相の家来に成り下がり,さもアベノミクスが成功しているかのように糊塗しつづけ,円の価値を下げただけ。中央銀行の『独立性』を帳消しにした真っ黒な人物です」

 「かつてドイツがナチスに染まった時代,ヒトラー政権が軍備拡張のため,無限に軍需手形を発行。中央銀行のライヒス・バンクに放漫財政の尻拭いをさせたのに対し,当時のシャハト総裁は弾圧を恐れず抵抗し,反逆者としてヒトラー政権に死刑を宣告されてまであらがいました。命を賭してでも中央銀行の独立性を死守したともいえますが,黒田氏にそんな気概はさらさらナシ」

 「1984年まで日銀総裁を務めた前川春雄氏は『人間に等級をつける勲章は好まない』として勲一等を辞退し,死後叙勲への辞退の遺志まで家族に伝えていた。そんな矜持も黒田氏にあるはずもなく,多分,喜んで勲章をもらうでしょう。そもそも彼に理性や常識があれば恥ずかしくて,日経の名物コラムに登場しません。ハナから黒田氏に羞恥心を求めるだけムダです」

 「黒田は〈半世紀以上も政策の現場にいた体験を,次世代をになう人びとのために記そうと考えた〉と出演の動機を明かし,コラムの初回を締めたが,マトモな識者は腰を抜かすほど驚いている。異次元緩和の負の遺産はますます泥沼化。その反省の色はみじんも感じられない」(引用終わり)

【参考記事】ーこの植草一秀のブログ記事はやや長文であるが,勉強になるので紹介しておく。

 
 その『日本経済新聞』の論説委員長藤井彰夫が書いた記事,「〈核心〉日銀『寄せ木細工』の30年」『日本経済新聞』2023年2月6日8面「オピニオン」,https://www.nikkei.com/article/DGKKZO68164930T00C23A2TCS000/
は,過去30年間,つまりバブル崩壊後における日銀の金融政策を,つぎの図表に整理していた。 

『日本経済新聞』2023年2月6日朝刊


 ※-2 アベノミクスという玩具に対する識者たちのきびしい批判

 a) 『日本経済新聞』の上級論説委員菅野幹夫は,2023年2月8日朝刊6面「〈オピニオン〉中外時評」で,「苦闘の黒田氏,未完の『決意』」と題した論説を書き,黒田東彦を擁護するような口ぶりで語っていたけれども,さすがに,

 「黒田緩和に『功』はない」(東京大学名誉教授吉川 洋)だとか,「全体で黒田氏の10年は日本の成長を阻害した」(加藤 出・東短リサーチ社長)だとかと指摘した意見を紹介せざるをえなかった。

一部の大企業限定記事

 『日本経済新聞』は財界新聞であるから,政界にも思いやりのある基調で記事を書くことは百も承知であったとはいえ,たとえば,本日(2023年11月6日)の朝刊1面・冒頭記事( ↑ )は,それでも大企業体制次元でみれば業績がたいそうよろしいことを,手放しで歓迎したかのように報道したように,

 現況における日本の政治・経済・社会は,昔のごときに二重構造化していたというよりは,こんどは格差社会を内的に固着させたがごとき「格差的階層構造としての日本経済」を現象させている。これを憂うべき実態として観てとり,しかも率先して議論すべき立場にあるはずの日本経済新聞社が,財界・政界応援団の立場からする新聞発行の偏重してきた事実が,いまさらのように正直に告白されいる。

 b) 『毎日新聞』2023年9月24日朝刊2面「総合」欄の「時代の嵐」に,日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介が「行き過ぎた円安 政治家主導のツケ」と題した一文で,このうちの後部「4分の1ほどの段落」を充てて,こう批評していた。

  「無謀な政策遂行の責任は,それを強く主導する首相を支持した有権者にあるのだから,そのツケを国民各自が払うのも仕方がない」と。だが,安倍氏こそ真の指導者だと浮かれた者たちが,「自分たち安倍氏の岩盤支持層こそが,日本経済を壊した張本人である」と自覚することは,はたしてこの先あるのだろうか。

 対して現政権〔岸田文雄〕の政策は,伝統的な官僚主導だ。「任期を超えて,長期的に実現をめざす」というような工夫や練りは感じられない。どうやって国民があきらめるまで目くらましをし,目先の課題をしのいでいくか,ということにエネルギーが注がれている。

 改造内閣の副大臣や政務官につぎの大臣候補たる女性の登用がないという一例を取っても,未来の日本をどうしたいのかという長期ビジョンはみえない。

 見識なく無謀に走るリーダーか,調整はすれどビジョンはないリーダーか。いずれかしか選べないというのが,本当に日本の実力なのだろうか。そんなはずはないと思うのは,筆者だけなのだろうか。

藻谷浩介の批判

 以上の安倍晋三ならびに岸田文雄の自民党政権の経済運営に対しては,識者の繰り出している痛烈な「経済音痴・批判」があるが,いちいち紹介するのも嫌になるほどに,その程度の悪さ,政治的品質の極悪性には呆れはてるほかない。

 以下は2点の材料を簡単に紹介するかたちを採ってみたが,いずれにせよ,今年中に日本はGDPでドイツに抜かれているはずであり,国家全体としての体たらくぶりばかりがめだってしかたない現状は,もっと深刻に受けとめておくべき自国の内情であった。

 c) エコノミスト河野龍太郎は,『毎日新聞』2023年10月5日夕刊に掲載されたインタビュー記事,「この国はどこへ これだけは言いたい」の見出しを「失われた40年でいいのか」と問うていた。

 バブル経済が破綻したのち「失われた10年」を3回も重層させてきたこの日本国であったが,さらにこの2020年代を,その4階層目まで重ねつつあるのではないか,これでいいのか,という河野龍太郎の批判であった。

 河野の批判からは全文は紹介しないで,つぎの段落を任意に拾って紹介する。

  イ)「経済のグローバル化が進んだ結果,先進国の製造現場で働いていたような中間層の労働者の仕事は失われていった」。そして「中間層の業務がなくなった」

  ロ)「グローバル化による世界的競争を強いられた日本の企業経営者は,低賃金の仕事の非正規雇用化を進め,コストカットによる短期的な利益確保に走った」

 「世界的なIT革命のなかで,日本で新たに誕生し,成長をつづけたのは,安い賃金の非正規雇用を活用するビジネスばかりで」あった。

「1990年代後半以降,中間層が衰退していった日本社会において,政治がさらに負のスパイラルを加速させた」 「その要因を作ったのが,小泉政権における社会保障制度改革だという」

ハ)「グローバル化の進展で価格競争にさらされた日本企業は,正社員が退職すると,社会保険の加入条件から外れた非正規社員に置きかえることで人件費を抑えた」

「統計によると,非正規雇用の人の方が正規雇用よりも給与水準は低く,未婚率は高いとされる。少子化対策の財源として社会保険料を引き上げれば,逆に少子化は進みかねない」

ニ)「非正規雇用の人たちは,不況が訪れると自分たちが調整弁にされて仕事を失うことを懸念し,消費に積極的になれない。たとえ給与が増えたとしても貯金し,もしもの時に備える。これが日本経済停滞の最大の原因だと思います」

「この先も家計を犠牲にした政策をつづけるならば,個人消費の低迷は続く」 つまり「このままでは2020年代も長期低迷は続き,『失われた40年』になりかねません」

 d) 「経済学者 金子 勝さんが分析 深刻 マイナ敗戦 本質はヒューマンエラーでなく,国内産業の衰退 無責任国家のなれの果て」からは,マイナ保険証問題に関して結論的に,こう批判していた。

 「マイナ問題は,この国の無責任体質のなれの果てです。図らずも,それが浮き彫りになったということです」

 金子 勝の『平成経済 衰退の本質』岩波書店は2019年4月に公刊されていたが,伊東光晴の『アベノミクス批判』岩波書店は,2014年7月に出版されていた。伊東はこの本の発売にさいし,アベノミクスの問題性をこう断罪(!)していた。本のカバー・帯に載せられた文句であった。

安倍晋三にその現状認識があったのかどうかすら
実は「?」であったが……
表紙カバー画像から


 ※-3「2014年2月24日」時点で記述した「アベノミクス&アベノポリティックスの〈逆立ち歩き〉はいつまで続く?」という文章

 「当時から庶民の生活にはマイナスばかりの《アホノミクス》であって,また,日本の経済が元気をとりもどせるのか」という問題意識をかかげて,以下の文章は書かれていた。

 1) アベノミクスのアホノミクス性の本領が発揮されるころ

 『朝日新聞』2014年2月18日朝刊に,同紙経済部の小此木潔が「〈記者有論〉アベノミクス やがて失望に変わるだろう」を書いていた。この文章(2段あとに引用する)を読んだ一般の生活人はおそらく,この経済部の記者の指摘に同意せざるをえないと思う。

 つまり,一流会社のそのなかでも,いま儲かっているらしい一部の企業に勤務するエリートに分類できる人たちなどではない,大部分の,ごく平凡な庶民の生活実態に照らしてみれば,

 このところ実際において,大いにその影響が出てきている「アベノミクスの逆機能」(「本来の機能」?)が惹起させている「ものミナ上がる趨勢-(もちろん値段・価格のこと)経済情勢の変化」は,それはもうとても痛くじかに肌で感じている。

      ☆ アベノミクス やがて失望に変わるだろう ☆
        -2014年2月18日朝刊
           朝日新聞経済部:小此木潔-

 デフレ脱却をかかげた安倍政権の経済政策「アベノミクス」に期待を寄せている人びとは,やがて失望を味わうことになるだろう。これまでは金融と財政によるお金のばらまきで国内総生産(GDP)をかさ上げできたが,こういうやり方は長続きするものではないからだ。

 脱デフレには物価上昇が必要で,その点は,日本銀行による空前の金融緩和と円安が効いて,輸出産業の収益好転や株高を演出してきた。だが物価を単に上げればいいというものではない。

 雇用や社会保障の不安が和らげば,消費や設備投資が回復して総需要が盛り上がる。本来はそうして物価が回復していくべきなのだが,実質賃金の目減りが示すように,そうなっていないのが問題だ。

 〔2014年〕1月末に世界経済見通しを発表した国際通貨基金(IMF)のオリビエ・ブランシャール調査局長は会見で「日本は主に財政刺激策と輸出で成長しているが,消費と設備投資が引っぱるかたちにする必要がある」と指摘。「日本は回復を減速させずに財政を再建せねばならないが,それは長期にわたるむずかしい課題だ」と,成長鈍化に懸念を示した。

 実際,IMFは今年の日本の経済成長率を実質 1.7%と予測するが,来年は 1.0%に減速するとの見通しを示している。つまり,今〔2014〕年4月の消費増税に伴う景気の落ちこみは,5.5兆円規模の補正予算による対策で乗り切れても,その後は成長が鈍る,との予測だ。

 すでにアベノミクス支持者のあいだでも「大規模な公共事業や規制緩和で刺激策を追加しないと,景気がもたない」という声が聞かれる。安倍晋三首相が来年秋,消費税率を10%まで上げようとするなら,再び公共事業などの大型景気対策を求める意見が与党や経済界から噴き出すのは目にみえている。

 補注)消費税が10%に引き上げられたのは,2019年10月1日であった。それまでは8%。

 しかし,雇用・福祉の強化や,脱原発・エネルギー政策の転換という抜本策を脇に置いて,日銀マネーや財政のばらまきに頼っていては,経済再生はできない。たとえ規制緩和策を追加しても,小泉政権下の「実感なき景気回復」の焼きなおしの域を出ないのではないか。

 外交面でも中国や韓国との関係悪化は,日本経済の先行きに暗い影を落としつつある。靖国神社参拝の時のように,米国から失望を買う姿勢が続けられるならば,政治が経済の足を引っぱり,国民を不幸にしてしまうだろう。

 2)「成長持続へ危機感共有 G20閉幕,2%の実現不透明」『日本経済新聞』2014年2月24日朝刊

 この記事の内容は,各紙が同じに,今日の朝刊で大きくとりあげていたものである。日本経済新聞からさわりの部分の段落だけ紹介する。

 20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議は〔2014年〕2月23日,世界経済の成長率を2%以上押し上げる異例の数値目標で合意した。持続的な景気回復に向け各国の危機感を共有する狙いで,政策協調は一歩前進といえる。ただ,達成に向けた具体策は各国の裁量に委ねられる格好で,11月のG20首脳会議(サミット)に向けどこまで中身を伴う計画をまとめられるか正念場だ。

 要は,日本経済の成長率については,半年前ほどの日本経済新聞(2013/9/20)の報道は, 2013年度実質 2.9%成長,2014年度 0.1%」と予測していた。

 もっとも,つぎに紹介する著作,森永卓郎監修・武田知弘『「新富裕層」が日本を滅ぼす-金持ちが普通に納税すれば,消費税はいらない!-』(中央公論新社,2014年2月)は,いま安倍晋三が経済政策でやっていることは,ほとんど不可能である見通しを指摘している。
 
 この本は,森永ではなく武田が実質書いているが,森永は先週のNHKラジオ第1の「ビジネス展望」のなかで,今年のインフレ率はアベノミクスのお蔭で4%にもなると予測していた。これは,いままでの日本経済の流れのなかでは,30数年ぶりの〔非常に!〕高いインフレ率である。そうなったら,庶民の生活はひどいことになる。

 というのは,給料はわずかしか上がらず(儲かっている会社の正社員でも平均的にはそうである),物価だけがじわじわとすでに順調に上昇してきており,アベノミクスは,浜 矩子(同志社大学)が指摘した「一部分しか温まらないホット・プレート」のような経済政策であった事実が,いよいよはっきり現象したことになる。

 補注)浜 矩子がアベノミクスが登場すると即座に,それは「アホノミクス」だと罵倒していたが,まったきにそのとおりであった。

 3)  経済がそうなら「政治」はこうである

  a)「個人と人の違い-舛添要一の批判点-」

 本日〔2014年2月24日〕の朝日新聞朝刊「天声人語」は「『個人』か,『人』か」を題名のかかげて,こう論じていた。 

 ロンドンぐらしの失意のなかで,夏目漱石は「自己本位」という言葉にゆきあたった。それまで苛(さいな)まれていた不安が消え,自分の進むべき道をみいだしたという。「私の個人主義」と題する講演で語っている。

 ▼ わがまま勝手にふるまうのではない。自分を尊重する以上,他人も尊重しなければならないというのが漱石の考えだった。

 個人主義を退治しなければ国家が滅びるなどと唱える者があるが,そんな馬鹿なことはあるはずがない,と。このくだりに,いまの改憲論議が重なる。

 ▼ 憲法の核心とされる13条は「すべて国民は,個人として尊重される」とうたう。自民党の改憲草案はこれを「人として」に変える。「個」をなぜ削るのか。

 草案づくりに携わった礒崎陽輔(いそざき・ようすけ)・首相補佐官のホームページには,当該条文が「個人主義を助長してきた嫌いがあるので」改めたとある。

 ▼ おそらく自民党内に昔からある声を踏まえたのだろう。いまの憲法こそ日本社会に利己主義をはびこらせ,「家」を壊してきた元凶,という議論だ。とするなら,たった一文字の削除が意味するところは重大である。

 ▼ 東京都の舛添要一知事は新著でこれを暴論と断じた。個人の対極には国家権力があるが,「人」の対極にあるのは動物であり,憲法論議とはほど遠い言葉だ。

 ▼ 漱石の講演から1世紀。草案前文が尊ぶ「和」に個人が埋もれてしまう事態を危ぶむ。

天声人語

 舛添要一にいわれるまでもなく,個人主義(人間1人ひとりのための「生活と権利」)を弾圧し,締め出してきたのが,明治以来における大日本帝国憲法下,この国の封建遺制的な国家全体主義体制の特質であった。

 ところが,「個人主義」の「個人」から「個」の字をとりたい・消したいという。これは,「全体主義」の「全体」から「全」をのぞけば「体」しか残らないのと同じであって,

 前段の天声人語も指摘するように,それでは「人〈対〉動物」の〈対照関係〉しか残らなくなる。しかし,1945年8月以前における日本の政治実体なるものは,「国家の全体主義」が圧倒的に猛威を振るっていた。

 補註)つぎに,舛添要一がくわえた「自民党憲法草案批判」に関する論及を,以下に紹介しておく。

 舛添が記者会見でしゃべった内容は,『東京都のサイト』で確認できるが,舛添自身はもちろん改憲論者であって,小泉政権時代(2005年)の自民党の第1次憲法草案は,舛添自身が「一言一句全部私が書いた」という。

 しかし,2009年の政権交代以降,極右化の度合いを強めた自民党は,その舛添ですら容認できない「トンデモ」な第2次憲法草案を作ったのである。

 舛添の批判は,自民党の第2次草案が,天賦人権論を否定していること,天皇を元首と規定していること,9条改正で「国防軍」を明記していることなどだが,このうち9条については,舛添が書いた第1次草案では「自衛軍」となっているから,五十歩百歩ではないかと思う。

 しかし,舛添の元妻・片山さつきが声高に唱えていることでもしられる天賦人権論否定論への批判や,以下に紹介する憲法24条及び13条の改正案への批判はまっとうそのものである。

 註記)以上は,『きまぐれの日々』,http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1335.html から引用。

 --舛添はさらに,下記のように語っている。

 註記)そして,以下は『東京都のサイト』「知事の部屋」, http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2014/140214.htm 註記)から引用。

(前略)それから,24条の家族のことも両性の合意だけでいいじゃないですか。そんな家族,どういう家族であろうと,そんなこと国が文句いうべきじゃない。すべての,だから1ついうと,その,家族のところはですよ,なにが書いてあるか,両性の合意のみでいいと。

 しかし,家族を書いている諸外国の憲法も,国家は家族を守りなさいって書いてるんですよ。家族同士で相互支援しなさいなんて憲法がいうことではありません。私は最初の会見のときにいったように,介護をめぐって家族が崩壊したりするわけですから,そこだって私は1つも触れさせなかったですよ。

 それから,人として尊厳に値するって書いちゃだめなんです。絶対個人自体守られている。個人の対抗概念が国家なんですよ。国家権力に対して個人を守らないといけないから憲法があるんであって,憲法っていうのは国家権力が強硬に私たちの言論の自由,いま,こうして発言しているとこを,特高入ってきてつぶしたらどうするんですか。憲法があるじゃないかってやるためにあるんです。

 国家の対抗概念は個人であって,人としてなんで書きかえたんですかと,人の対抗概念は犬や猫ですよ。基本的に立憲主義が分かってない。

 しかし,民主主義の次元における個人主義はなくしても,独裁運営を可能とするための国家「全体主義は残したい」のが,いまの安倍晋三政権の面々たちである。

 自民党の議員たちが全員そうだとは思いたくないけれども,民主主義における個人の尊重を民主的に考えるという政治感覚とは無縁の思考方式しか頭中にない〈連中〉が,21世紀のいまごろにもなって,19世紀的な旧代の観念に呪縛されながら,政権を握り運営をしているつもりである。

  b) 民主主義と天皇・天皇制

 そうした自民党の旧態依然たる封建意識,これにどっぷり漬かった「遺物(異物?)的な非民主主義思考の隙間:欠陥」を埋めるための充填物として使用される〔使用されてきた!〕のが,実は,天皇・天皇制であった。この歴史の事実に注意が必要である。

 個人という概念をとことん突きつめて考えぬけば,民主主義とは別の特別枠に囲われていきている皇族集団に疑問が湧いてきて当然である。男系天皇(?)は,男女差別のそのもっとも典型的な代表例。

 そもそもにおいてそうであるならば,女性の個人としての権利・人格は,もとよりまともには認められない。こういう女性がいれば,これに引きずられるようにして,男性のなかからも差別を受けて当然とみなされる一群が登場させられるのも必然。

 かといって女系天皇制が登場したとしても,天皇・天皇制じたいが「民主主義」といかに折り合えるかなどと考えだしたら,これにはよほどの屁理屈を付けないと論旨の展開は不可能。

 イギリスには好例があるなどというなかれ,比較の対象にとりあげうる相手だとしても,それでは王制が民主主義と完全に両立する絶対の保証があるかといえば,とうてい無理難題。誰にもまともに説明できない。好き嫌いはいえるが。

 大日本帝国は明治以来,選挙権をもつのは高い税金を国家に支払う(納付)する,それも男性に限られていた。普通選挙制が開始されても,参政権を認められたのは男性だけであった。

 1925〔大正14〕の普通選挙法では,満25歳以上の男子だけに衆議院議員選挙権,満30歳以上の男子だけに被選挙権が与えられていた。まだ女性は当然のように差別されていた。いうなれば,個人としての女性ではなく,単に「人」としてしか認めない「〈女性〉という範疇」が存在していた。

 安倍晋三は「戦後レジーム(敗戦後体制)」を認めたくない政治家である。だが,その代わりになるはずの,たぶん想像しているらしい日本の社会のイメージは,単に戦前・戦中のもの〔そもそも,このようなものが「いまに」あって実際に想像できるものかすら,かなりあやしいのだが〕に回帰させたいのかもしれない。

 だが,この無理は結局,現状における日本国憲法の闇雲な否定でしかなく,新しい明確な展望はなにも示しえていない。『美しい国』を唱えたいのであれば,まず福島を「3・11」以前に完全に「美しいふるさと」に復帰させえてからの話である。口先で「美しい国」だの「たくましい ○ ○ だの」いっている分には,オウムやカラスにでも「なんとでも」いえる。

 安倍政権は近いうちに日本の産業経済・企業経営を,さらにガタガタにしてしまい,われわれを経済・社会的に困窮させていくものと思われる。当然,庶民の生活はひどい生活状況に追いこまれる可能性も大きい。

 日銀総裁の黒田なる人物,世界経済には翻弄されながらも,自分では日本経済を弄ぶような迷采配。そうでなければすでに,アベノミクス効果(?)が庶民の全般にまで現われそうだといえる〈兆し〉くらい,感じられてもいいころである。

 しかし,この〈安倍のミクス〉のダメノミクス性ばかりが,いま確実に現象している。これが,現在の日本において進行中の経済・社会にうかがえる実相である。

 4) 以上,2014年2月24日時点における記述であったが,今日の2023年11月6日になっても,それほど古さを感じさせない中身であった。それはそうであって,その後9年以上が経った現在になっても,

 エコノミストの河野龍太郎が2023年10月5日に提示していた疑問点,日本は現状のようにいまだに「失われた40年でいいのか」という指摘は,いまもまだ進行中である。

 岸田文雄は日本国の首相としては無力であったし,その無力そのものである事実以上に有害な「世襲3代目の政治屋」であった。この現首相,自分になにができて,またできないのかについてさえ,まったく自身の判断すらできないままに,すでに2年と1か月の時間が過ぎ去った。

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