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小説ー「陰影」

 歩き疲れた私は、陽が沈みかけたグランビルストリート(カナダ バンクーバーの大通り)の端に腰掛けられそうな場所を見つけ、束の間の休息を求めた。目の前は賑やかな往来、人々の顔を眺める気にすらなれないほど、落ち着いていられなかった。すれ違う人々それぞれに人生があり、その中に不幸もあるが、今の自分より打ちのめされていることはないと感じていた。何かをしなければ気が紛れないが、目的は無く、ただこの視界の開けた通りを無心で歩き回るしかなかった。幸福とは目的があることなのではないかという思いが浮かんだ。目的における不満や不遇も、無目的の境遇には霞む。

 安易な自分に打ちのめされた。アメリカでの就労ビザの期限が切れて、アメリカに居られなくなった。学生ビザに切り替えようとしたが、それは認められなかった。異国人である私は、違法にアメリカに住み込む不良外国人の疑いが晴れず、入国ができなかった。学生だといいながら働くつもりであるという疑いをかけられた。アジア人が多い街で、不法就労の者も多く、関門では入国者の審議に目を光らせていた。それならと思い切ってカナダ側から陸路で入国を試みたが、そこでも私の身の上は割られていた。アメリカに入れない人物であることを知っていたのだ。長い尋問を受けた。三時間の後外に出た私は、一気に疲労感を覚えた。ビザが切れているため、職が無い。最高気温が8度の寒いバンクーバーの街を、安物の上着で歩いていた。来た時に使ったバスが眼の前を通り過ぎる。35歳の見ず知らずの私を繋ぎとめるものは何もなかった。

 バンクーバーを初めて訪れたのは10年以上も前だ。また来たいと思っていた。シアトルを気に入っていた私は、帰国する前にカナダにも寄ってみたくなり、思いつきでバンクーバー行きのバスに乗った。北米最大の世界都市だ。アジア系の移民も多い。晴れ晴れとした陽気で、西海岸特有の解放感に私は高揚していた。期待に満ちていた。その頃とは何もかもが違ってしまった。

 雨が落ちてきた。取っている宿までやや距離がある。私は仕方なく薬局で傘を買った。日本の傘に比べたら明らかに粗末な傘だ。しかしこれは自分を繋ぎとめる傘だ。

 降りだす前に屋根のある場所を探した。交差点のカフェに入った。ホットのカフェラテを注文し、カウンターのわずかな隙間に落ち着いた。しばらくすると、入国を拒否された時の事が思い出され、熱を持った粘土が胸元からせり上がってくるように感じた。息苦しさを覚えた。人格を否定されたようなものだ。もう少しだけアメリカに居て土地の雰囲気に触れていたかっただけなのに、異国人というだけで最初から疑いの眼を向けられる。言葉の壁という存在以上に簡単ではない壁を感じた。まるでいますぐ帰れといわんばかりの対応だった。私はその土地で必要とされていない存在だった。

 身を寄せている安宿は1泊3千円の相部屋を6人で使っている。年齢層は20~50まで幅広く、まれに10代もいる。大半が休暇で来ている人で、私のような無職は少数だったが、それでも安宿の気楽さで、疎外されることもなかった。昨日退室した一日限りの同居人は、口髭をたくわえた紳士で、身軽な服装だが、品の良さはすぐに振舞いでわかった。長期出張明けの気分転換に短い休暇を取ってここに来たのだと話していた。彼には待っている家族がいる。苦しいことは誰からも愛されないことではなく、誰からも愛されないことに耐えることである。一人では抱えきれない居所の悪さに、我ながら気味の悪い思いがした。一人になりたいが、一人でいられる場所が無い。雑踏の中に身を紛らわせるしか方法が無かった。誰かに寄り添って欲しい気持ちはあるが、どうせすぐに別の孤独感に苛まれる。なのに救いを求めていることは自覚している。

 レジで注文をした後、なんとなく入り口を見ていると、白人の男が入ってきた。すぐに気づいた、彼もまた宿の同居人の男だ。彼のことは覚えている。彼も職を探していた。彼の様子は、ここで職探しをしに来たようだった。年齢は私より少し上のように見えた。顔色が悪い。白地に緑と灰を混ぜたような血色だった。全くの職歴は無いようには見えないが、風貌に気が回らず、虚ろな様子だった。彼は私が来る前から宿に泊まっていた。
 
 彼も私にすぐ気づいた。当然私の方に近寄ってきた。そしてコーヒーを飲みたいから5ドル貸してくれないかと言った。
 
 彼がそう申し出る前に、私は彼との接点を思い出していた。私が宿に来たときに初めて会った人が彼だった。私は昨晩部屋に入る前、ロビーカウンターで渡された鍵が無いことに気づいた。後ろから声が聞こえ、振り向くと、私の鍵を持った彼がいた。私は彼に借りがあった。
 
 だが、偶然かもしれないが、そのことを思い出していた時に、そこにつけこんでわずかでも見返りを得ようとするような彼の態度に、私は気分が悪くなった。そう思わせるような様子が彼にはあった。馬鹿にされているように感じた。彼にとっては見返りを得ることが当然で、もし見返りが得られないのであれば、私のような人物は、鍵を拾うような少しの親切さえもわざと無視するに値するような人物である、私がそのような人物であるとみなされているように感じた。その時の私にとって、彼のその態度は見過ごすことができなかった。
 
 この街では、アジア人のコミュニティにおいてはまだ私は比較的職は得やすい。私はこの男とは違うと思った。この男の要求を拒むことが彼自身の為であるとさえ思った。ふと何かが私の記憶を掠めた。

 思案する振りをしたが答えは決まっていた。5ドルのコーヒーは私にとっても彼にとっても無駄にできないものに違いはなかった。与えられないわけではなかった。だが、私は手持ちが無いと言って彼の申し出を断った。入国拒否をされた翌日だった。
 
 男は、しつこく食い下がるわけでもなく、そのまま店を出て行った。コーヒーを飲めるだけの手持ちはあったはずだ。やはり私を試したのだ。(E)男が背中を向けた時、何かその場から逃げ出したいような衝動に駆られた。店内は賑やかだった。学生がパソコンを開いて未来について語っているように見えた。店を出る白人の男の背中とそれを見る私を結ぶ直線だけが、冷めているようなかんじがした。

 男が店を出た後、急に自己を客観視するような視点が落ちた。束の間同居した家族が待つ紳士と矮小に感じられる自己を自虐的に対比させてみる。
カフェラテを受け取った店員と目が合った。

 彼女は何かを思い出したかのように目を逸らした。

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