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忘れていくこと

近所に住む高齢男性が最近よく下着姿でウロウロしている。
1軒1軒ご近所のお家の表札をじっと見て指でなぞったり、門扉の把手をガチャつかせたりすることもあるそうだ。

私はそのオジイをよく知っている。
小さい頃から可愛いがってくれていたから。
よく声を掛けてくれていたから。
「かをちゃん、おかえり!」
「かをちゃん、運動会がんばれよ!」
「かをちゃん、ちぃとスカート短かすぎやしねえか」
「かをちゃん、看護師になったのかあ。」

あの優しかった「おじさん」は月日が流れて「オジイ」になった。

そしてオジイは認知症になってしまった。

先日もステテコ姿でゴミ捨て場をフラフラしていた。
オジイは左右バラバラのサンダルを履いていた。
「○○さん、どうしたの?」と声を掛ける。
「俺のこと知ってんの?
家わかんなくなっちゃった。」
「あらまあ。それは困ったねえ。」

オジイの腕に軽く手を添えて促すように私は一緒に歩き出す。
「家が分かんないなんて赤ちゃんだな。
まいっちゃうな。」とバツが悪そうな顔でオジイは言う。
「家から出なきゃ良いんだろうけどな。」とも言った。
「大丈夫だよ。○○さんが分からなくてもこの辺の人達は皆○○さんのこと知ってるから。」と私は答えた。

しばらく歩いて行くと、いつも通りオジイはちゃんと自分の家の中へと入って行った。
「○○さん、またね。気をつけてね。」とオジイの背中に声を掛けたが、振り向いたオジイは不思議そうな表情を浮かべるだけだった。

ご近所さんもオジイのことを古くから知っている人ばかりなので、オジイがフラフラうろうろしていても今のところは騒ぎにはなっていない。
オジイ自身の生活も民生委員さんや社会資源の活用でなんとか維持できている。

しかし、この先もっと症状が進んでしまったら自宅での生活は困難となるかもしれない。
寂しいが仕方のないことなのだろう。

私が勤める精神科でも認知症患者さんと関わる機会は多い。
もう長い長いお付き合いになる患者さんに、数年前から急激に認知症の症状が見られるようになった。

「あなたとお会いしたことがあるのかもしれないけれど覚えてないんです。
もし失礼があったら悪いから先に謝ります、ごめんなさいね。」

その女性患者さんが毎日幾度となく口にする言葉だ。
私はこの言葉を聴くたびに何とも言えない切ない気持ちになる。
この患者さんは数十分前に顔を合わせていても律儀にこの言葉を必ず口にする。

忘れたくないことがどんどん記憶からこぼれ落ちてしまい、思い出せない大切なこともたくさんあって、それでも目の前の「知らない誰か」が不快な気持ちにならないよう心を配っている。
その患者さんの優しさが何だかとても苦しくなるのだ。
患者さんは、いつかこの言葉も忘れるだろうか。


話は変わり。
父方の祖母は103歳まで生きた。
晩年(100歳超えのどこからを晩年と呼ぶのか分からないが)は絶好調にボケていた。
元々とぼけたタヌキババアだったので、いつ認知症を発症したのかは正直わからない。

老人ホームに面会に行くと、息子(私の父)に向かって「あんたハンサムだねえ!なんて名前?ガールフレンドいるの?」と食い気味に毎回おなじボケをかましていた。
ちなみにばあさんと父さんは丸っきり同じ顔をしている。

「目が全然見えなくなっちゃって…」とヨヨヨ…と泣き出したかと思うと、テーブルの隅にとまったハエを素早くブッ叩いたりもしていた。
ハエも薄れゆく意識のなかで「いや、見えてんのかーい」と思ったに違いない。
もうツッコミ出したらキリがなかった。

そんなタヌキババアの遺影を拭きながら母が言う。

「他の全てを忘れても、お母さんはかをちゃんのことは忘れたくないわねえ。
最後の最後までかをちゃんのことだけは覚えていたいわ。」

母に自分のことを忘れられてしまうというのはどういう感じだろう。
想像もつかない。
想像するのが怖い。
まるでこの世に独りぼっちになってしまった、そんな気持ちになるのだろうか。

しかし万が一母が私を忘れる日が来たとしても、私は母のことを覚えている。
私の覚えていること全てを母に伝える存在になれば良いのだろうか。
(2人同時にボケてしまったらどうしようもないが。)

母が私を呼ぶ声や私に向ける笑顔。
母の香りや手の温かさ。
母が作る料理の美味しさ。
一緒にあちこち旅行したこと、KinKi Kidsや関ジャニ∞のコンサートに行きまくったこと、父をイジり倒して皆で笑ったこと。
そして何より母の丁寧で清らかな生き方。

もし母が何もかもを忘れてしまい私のことが分からなくなってしまったとしても、思い出ではち切れそうなこの家で1秒でも長く一緒に暮らしたい。

そしてその時は毎日でも「お母さん初めまして。」と挨拶したって良い。
母の放つボケも可能な限りツッコんで行く所存だ。

「毎日を少しでも楽しく笑って過ごす」
私たち家族が最も大切にしている家訓を、この先どのような状況になっても変わらずに続ければ良いだけのことだ。

(そして私も歳をとって家訓を忘れてしまった時には、これを読んだ親切などなたかが根気強く教えて下さると助かります)


忘れたいこともある。
なかったことにしたい出会いや思い出もある。
でもそんなのはほんの一握りで、あとは全て覚えておきたいことばかりだ。
これまで出会った風景や絵や本、映画や音楽、誰かから生まれた言葉の数々。
そのときそのときの感情や気持ち。
大切な誰か。
どうしたら覚えていられるか分からない。
何をしたら忘れずにいられるのか分からない。
だからせめて今、思いきり「好き」でいたいし思いきり「大切」にしようと思う。
私はどれだけ覚えていられるだろう。



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