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命に嫌われている

若い患者さんが聴いていた曲のタイトルである。
いつもこの曲を聴いているようだ。
「インパクトのあるタイトルだなあ。」
私はそう思った。

私は患者さんが読んでいる本や聴いている曲に興味がある。

どういう本を読み、どういう曲を聴いているのか。
それが好きなのか。
どのようなところが好きなのか。
なぜ好きなのか。
知りたくて仕方ない。

「命に嫌われている」を聴いていた彼にも「この曲好きなの?」と尋ねるたが「…べつに。」という答えしか返ってこなかった。

思春期(とくに男子)の患者さんの予診やカウンセリングでは往々にして「べつに」という返答が連発される。
無理もない。

自分でも自分のことなどよく分からないのに、どこの馬の骨か分からないオバサン看護師を相手に自分の大事な胸の内などペラペラ話せるはずがない。
当然かつ健全な反応だ。

私はこれを「思春期における一時的な沢尻エリ化」と呼び、あまり深追いせずに様子をみることにしている。

話したいときに話したいことを話してくれれば良い。

「医療における信頼関係」というものは「医療従事者が患者さんから信頼されること」と「医療従事者が患者さんを信頼すること」の2つから成り立っている。
私は患者さんを信用している。
患者さんが自ら語るときが必ずくる。

「命に嫌われている」。
私は家に帰ってからこの曲を聴いた。
立て続けに何度も聴き、歌詞もしっかり読んだ。

ほう……すごい……。

と思った。

あの患者さんに何か問い詰められているような、何かを突きつけられたような気持ちにもなった。

私は命に好かれているだろうか。
それともやっぱり命に嫌われているのだろうか。
そもそも私は命のことを好きだろうか。
いろいろ考えさせられた。

そして私はこの曲をとても好きだと思った。
この曲は最後は「生きて生きて生きろ」と力強く歌う。

話は少し変わるが森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」という曲が、ある理由から問題視されたことがあった。
自ら命を終わらせることを助長するような歌だ、と問題になったと記憶している。

しかし私は全くそうは思わなかった。
コンサートでこの曲を歌う直太朗さんは、それこそ必死で「生きていくこと」を歌っていた。

「命に嫌われている」も「生きてることが辛いなら」も、むしろ「懸命に生きる」ことを支える曲であると感じる。

そもそも。
突然であるが。

生きるのってつらいこと多くなーい!?
思ってたより大変じゃなーい!?

私はそう思っている。
年齢も性別も(家柄も〜国籍も〜♪と歌いたくなる)環境もさほど関係なく、おそらく生きていくことは誰にとっても大変だ。

そのような中で少しでも「苦しくなく」「楽しく」「軽やかに」1日1日を過ごせるように人は工夫や努力をして生きているように思う。

「僕らは命に嫌われている 
さよならばかりが好きすぎて
本当の別れなど知らない
僕らは命に嫌われている」

あの患者さんがどういう気持ちでこの曲を繰り返し聴いていたのか今はまだ分からない。
いつかこの曲について語り合えるだろうか。

私は命が好きだ。(と思っている)
好きだから出来るだけ大事にしたい。
たとえ命に嫌われていたとしても「本当の別れ」を知ることになるその時まで、何度も何度も転んだり迷ったりイヤになったり自棄になったりしながらも懸命に生きようと思っている。

そして出来れば患者さん達にも命を好きでいてほしいと思っている。たまに嫌いになることがあっても命とケンカをしながらでも、最後には一緒にいてほしいと思うのだ。

日々かさねていく患者さんとの対話のなかで、そういうことを伝えて行けたら良いなと思っている。