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父と七夕

父の胃がんの手術から10日が経つ。

当日はとにかく長かった。
9時間もの長い時間を、母と私は院内の一角にあるラウンジで過ごした。

ラウンジの近くには売店(ローソン)があった。
患者さんやその家族、ときには職員さん達が買い物をするためにひっきりなしに売店にやって来た。
そしてそこで買ったものをラウンジで飲み食いしていた。

母と私も特に飲みたいわけでもないが何となくコーヒーを買ってテーブル席へとついた。
「もう始まったかな」
「麻酔でぐっすりかな」

手術室の前でハイタッチをして別れた父の後ろ姿を思い出していた。
真っ白な弾性ストッキングをはき、丈の短い術衣を着用した父はハイソックス&ワンピース姿のようでちょっと面白かった。

味のしないコーヒーを時々口にしながら、手術室のナースから渡されたPHS携帯ばかり眺めていた。

「必ずどなたかは院内にいてください。」

そう念押しされて持たされたPHSだ。
手術が終わる時までどうか鳴りませんように、と願う。

ピー!ピー!ピー!!

突然の音にビックリして母も私も飛び上がる。
手術が終わったにしては早すぎる。
まさかワンピース姿のオジイに何か異変が起きたのでは…とPHSを慌てて手に取るが鳴っていない。

なんのことはない。
売店横の電子レンジのピーピー音であった。

その後も電子レンジの温め終わりを告げるピーピー音に何度か驚かされた。
病院の売店で何をそんなに温めるものがあるのかと、軽く苛立つ私であった。
完全な八つ当たりである。

1時間が過ぎ、2時間が過ぎる。
3時間…4時間と過ぎる。
時計を見ると13時を回っていた。

…腹が減った。


こんな時になんだが私は腹が減っていた。

しかし目の前の母は虚ろな顔でこの世ではないどこか遠くを見つめている。
母のこの表情は今までにも何度か見たことがある。
たしか兄が亡くなったときと、私が新品の靴で1日に2回も猫の糞をガッツリ踏んだときである。

そんな母に「ねえ、お昼どうする?」といったポップな質問はなかなかしづらいものがある。
しかしこの空腹のまま何時間も父の無事を祈るのもしんどい。
こちらの無事も危ういところである。

私は「お母さん、サンドイッチかなんか食べる?何かしら食べないともたないよ?」と声をかけた。
「これはあくまでも母を気づかっての声掛けであり、決して私の腹が減っているからではない。」
そこが重要なアピールポイントである。

母は「あまり食べる気しないけど…でも食べないとね。」と力なく答えた。
ラウンジの隣のローソンで母と私はそれぞれ食べものを買った。

母の買ったものは塩むすび1個であった。
兵士か!!と思ったがさすがに黙っていた。
真っ白な塩むすびをモソモソと食べる母の向かいで私もおにぎり🍙を取り出す。

私のは「具!おにぎり(ポーク&玉子)」という、パンパンに膨れた二つ折りの財布のようなルックスのおにぎりであった。
ちなみにベーグルサンド(チーズ&玉子)も控えている。

兵士の前で「具!!」と派手に書かれたクソデカおにぎり🍙を貪り食べるのは気が引けたが仕方ない。
私はこの期に及んでチマチマと食欲がなさそうな小芝居をしながら食べた。

むちゃくちゃ美味しかった。

食べ終わった途端、今度は眠気がきた。
「全く私ってやつはよう…」とさすがに自分でも自分に呆れ始めたが眠いものは眠い。
(だって昨夜ぜんぜん眠れなかったし…
それに父だって眠っているではないか。)と誰にともなく言い訳をしてみる。

長椅子に横たわりたい衝動と闘っていると、あることに気づいた。

皆からあげクン食べてるな…


私はからあげクンを食べたことがない。
そのことに特に理由はなく、たまたま食べずに今日まで生きてきただけだ。

今日このラウンジに来てから見かけた人たちのことを思い返してみる。
ほとんどの人があの可愛いらしいニワトリ🐔の(と思われる)イラストが描かれたパッケージを手にしていた気がする。

点滴スタンドを押しながら買い物していた患者さんはソファの隅っこで菓子パンを食べた後に、からあげクンを食べていた。
面会証を付けた子連れのママもからあげクンを食べていた。
私達と同じように手術の付き添いで来ていた年配のご婦人もからあげクンを食べていた。
昼休憩の事務さん2人も、小さなお弁当の他にからあげクンを食べていた。

ふと見ると清掃スタッフのオジサンもからあげクンを食べているではないか。

からあげクン…めっちゃ美味しいのでは…

そう言えば良い匂いがしている。
爪楊枝でちみちみ食べるのも楽しそうだ。

目が冴えてきた私はからあげクンを食べる人数のカウントと観察を始めることにした。
幸い時間はたっぷりある。

爪楊枝でさして二口くらいに分けて食べる人。
あえて爪楊枝を使わず手でつまみ丸ごと1つを口に放り込む人。

やがて私は1つの結論に辿り着いた。

8割方の人がからあげクン食べてる。

なんだろう。
ちょうど良いのだろうか。
病院で食べるちょっとしたものに最適なのがからあげクンなのだろうか。
シェアする人はおらず1人1からあげクンである。

勉強になった。
からあげクンに爪楊枝が付いていることも初めて知った。
おかげで初めて買う時に「お箸ください」などとKYなことを言ってしまい、店員さんに「何この客。爪楊枝ついてるのにわざわざ割り箸で食べようとしてる〜。気取ってらぁ。手軽に食べられるのが魅力なんだけど〜」と思われずに済む。

からあげクン観測も飽きてきた。
そもそもそんなに長く続く興味でもないことに気づく。
お腹減っちゃうし。

時計を見る。
15時…15時30分…15時45分…16時……16時……
時が全く進まない。
何なら1、2回ほど時が戻った気さえする。

忘れもしない、16:45頃のことだ。
母が1度発狂した。
「おかしいよ!!遅くない!?」
7時間程度と聞かされていた手術の予定時間がオーバーしたため我慢の限界が来たのだろう。

私は荒ぶる母に「まあ時間が延びることはよくあるから大丈夫だよ。」と告げた。
少し静かになった母が17:30ころ再び発作を起こして荒ぶった。

「トラブルならPHS鳴るから大丈、、」と言いかけた瞬間、まさにPHSがけたたましい音を鳴らしながらブルブルと荒ぶって震えた。
驚きすぎた母はあろうことか院内でのNGワードナンバー1を叫んだ。

「死んだ!?」


なんでだwww
普通は「終わった!?」ではないのか。
幸い「死んだ」コールではなく手術が終わった連絡であった。

予定時間を大幅にオーバーしたのは小腸に癒着があり術式が変更となったこともあるようだ。

手術室の前で担当医から説明を受ける。
「念のため今日はこのままICUに送ります」と告げられた。
この後どこに運ばれようと無事に手術が終わったのならそれで良い。
どうせ長時間の手術で麻酔からの覚醒もハッキリしないであろう。

そんなことを疲れた頭で考えていると「覚醒良好でベラっベラ喋ってるので一瞬だけ会います?」と執刀医が言った。

ICUに向かう途中の廊下で一瞬だけ会わせてもらうことになった。
「本当に一瞬なので必ずここにお二人そろって立って待っていて下さい。」と言われた。

扉前の素晴らしいポジションを確保した。
F1並みの速度で通り過ぎない限り間違いなく父の姿が拝めるはずだ。

(どんな様子だろう…)
ドキドキしながら待っていると、オペ室のナースが「間もなくお見えになります」と声を掛けてくれた。

ピッピッピッピッピッピッピッピッピ…
いやに速い心拍数のモニター音が近づいてきた。
「通りまーーーす」

保育器の赤ちゃんが目の前を通り過ぎた。


「お父さん!!」

一応声掛けしてみたところに先ほどのナースが「ごめんごめん次〜!」と走ってきた。

たくさんの医療スタッフに囲まれて父さんが華々しく登場した。
母の「お父さん!」と呼ぶ声に、父は頭を起こそうとしてベラっベラ喋りはじめた。

「やったなあ!」とハッキリ言った。
(やったのは先生達だ)

「なんか…すごくイイ感じ♡」

とも言った。
この一言には執刀医も「まだイイ感じかは…ちょっと分からないけど(笑)」と笑っていた。

翌日も恐ろしいほど元気であり、早期退院が叶いそうだと担当医も話していたが思わぬところで躓いた。

術後4日目頃にドレーンから膿が出始め、炎症反応の数値も高値を示していた。
声に力がなくなり珍しく「ちょっとしんどいねえ。」と漏らした。
面会に行っても疲れてしまうらしく「もう帰って良いよ」と早々に横になってしまう状態となってしまった。

すぐに精査が行われ、今は感染に対する治療が行われている。

今日、父の面会に行った。
病棟の入口に七夕の笹が飾ってあり、色とりどりの短冊がぶら下がっていた。
入院中の患者さんのみでなく、医師や看護師さんが書いた短冊もあった。

たくさんの大切な願い事の中に見慣れた文字の短冊を見つけた。

したいよう(笑)😂

あれほど食べることが好きな父が、今はお水しか口に出来ないことはどれだけつらいだろう。
早く食事が摂れるようになってほしい。
からあげクンを一緒に食べてみても良い。

どうか今年の七夕🎋が晴れますように、と私も短冊に願いをこめた。

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