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結婚と井戸

母は15歳の時に福島から上京し、下町のとある会社に住み込みのお手伝いさんとして就職した。
その会社には父も勤めていた。
父は母より一回り以上も歳上であった。

母は当時の父の印象を次のように語る。
「しょっちゅうズボンや上着を逆さに振って銭湯に行く小銭を探していた。」
「しょっちゅう二日酔いで仕事を休み、せっかく作った食事を無駄にしていた。」
「しょっちゅう社員寮を抜け出して飲み屋の女のところに入り浸っていた。」
「しょっちゅう会社をクビになりかけていた。」

とんだしょっちゅう野郎である。

数年が経ち、母は交番のお巡りさんや社長の知り合いの息子と交際し爽やかな青春を送っていた。
一方の父は相変わらずただれた生活を送り、酔っ払いとケンカになりドブ川に落ちた拍子に割れたビール瓶が尻に刺さり死にかけたりしていた。

相変わらずお金もなく、社長のカメラを勝手に質屋に入れたりもしていたという。
(すぐに取り戻しに行ったと言うが、ろくでなしに変わりはない)

何故そんなろくでなしと結婚したのか私には全く理解できない。
母はこう答えた。

「底が見えているから安心だもの。」


念のために言うがこれは井戸の話ではない。
結婚相手の話である。

「人として既に最低の生活を送っているので、これ以上ひどくなりようがない。」

そう思ったのだと言う。

そしてあるとき突然、スナックで働く女性のヒモとなっていた父に母は結婚を申し込んだ。
ヒモにとっては青天の霹靂であったろう。
ただれたヒモは「ちょっとだけ時間をくれ。少し待ってくれ。」と答えたそうだ。
ヒモのくせにずいぶん偉そうな返事である。

結局のところ、数ヶ月後(ヒモの身辺整理に要した期間)に二人は結婚することになった。
二人の結婚は周囲から心配され、はっきりと反対する人も多かった。
仲人をつとめた社長においては「今ならまだやめられる。」と式のギリギリまで母を説得していたという。

しかし母の意志が変わることはなかった。
井戸の底が見えた女は強い。

二人が結婚して50年近く経つが、周りの心配をよそにゲラゲラ笑いながら共に日々を過ごしている。
苦労やつらいことの方が多かったと思うが、二人は何だかとても楽しそうである。

母の見る目はある意味正しかったと言える。
(私には井戸の底をのぞく勇気がないため未だに独身なのかもしれない。)

15歳の少女だった母も70歳となり、ヒモだった父は80歳を越えた。
そして今年の初めに父に進行性の胃がんが見つかった。
1回目の手術は無事に終わり、あと1ヶ月もしたら2回目の手術が待っている。

母はこれまでもそうであったように、自由気ままな父を世話している。
あまり調子に乗りすぎると父は母からピシャン!と言われ、数日間だけは父もションボリする。
そしてまた調子にのりピシャン!の繰り返しである。学ばない、それが父だ。

手術が成功し、この先も二人が1日でも1時間でも長く共に過ごせるよう心から願っている。



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