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初めての1人暮らし

この春から新生活を始めた人もたくさんいるだろう。
初めての1人暮らしをスタートさせた人も多いのだろう。

私は高校まで親元でノンキに過ごし、看護学校への進学を機に寮に入った。
六畳一間での先輩との相部屋だったため学生寮では1人暮らしという感覚は全くなかった。

看護学校を卒業した後は付属の病院にそのまま就職した。
信じられないほどの安い家賃&光熱費に釣られ迷いなく職員寮に入寮した。
風呂もトイレも洗濯機も共用であり、ここでも1人暮らし感は得られなかった。

そして20代半ば過ぎにようやく!
やっと!本物の!!

1人暮らしがはっじまっるよー♪

となったわけである。
ああ良かった。
書き始めたものの、もしこのまま1人暮らしが始まらなかったらどうしようかと少し不安になった。

不動産屋というものに初めて足を踏み入れたときは「おおお!おっとなー!」とウキウキしたのを覚えている。

心配性の兄から事前に「1階はやめた方が良い。オートロック付きの方が良い。大きい通りに面した所が良い。隣の建物とあまり近くない所が良い。」などゴチャゴチャ口うるさく言われていた。

にも関わらず。
じゃがりこをガリッガリ食べながら「うんうんうんうんうーんうんうん」と適当に聴いていたため、いざスタッフさんから希望の条件を聞かれた時に何も答えられないという私のポンコツ末っ子気質が炸裂した。

唯一「ユニットバスNG」ということを「トイレとお風呂は1つに繋げないで下さい。」と分かりにくい表現で伝えることには成功した。

スタッフさんが見繕ってくれた物件をすぐに見に行くことになった。
初めこそワクワクルンルンであったが、4つ目の物件を見終わる頃おそれていたことが起こる。

わたし、内見飽きたってよ。


面倒くさくなってきたのである。
もう誰か決めてほしい。私の住む家を。
こうなると私という人は全く機能しなくなる。

早く切り上げたい一心から「1つ目の家にします。」と告げてすぐに契約した。
この時点で1つ目に見た家がどんな感じだったのか実はうろ覚えだった。
大きな出窓があったことだけは覚えていた。

家具や雑貨を選んでいるときが最も楽しい時間であった。
1Kという狭い間取りではあったが、コテコテのギットギトにその空間を自分好みに作り上げようと決めていた。

「自分の好きなものだけに囲まれてオシャレに暮らしたい!
素敵女子に俺はなる!!」

心の中で拳を握りしめて叫んだ。

これまで暮らしてきた寮は古い家具が備え付けとなっていた。
学生寮と職員寮のベッドは古くなった患者さんのベッドのお下がりであり、色んな意味で味わい深かった。

そんな私が初めて1人暮らしをするのだから気合いが入るのも無理はない。

大好きなFrancfrancに足しげく通いつめた。生活雑貨やインテリア雑貨を吟味して、あれこれ少しずつ買い集めていった。
憧れのFrancfranc部屋が完成した。

何から何まで好きなもので埋め尽くされた私の城。
無駄にオシャレなトイレ。
食事をしても、好きな人と語らっても絵になりそうなトイレの爆誕である。

実家や寮では使うことの出来なかったお香や入浴剤も使いたい放題。

ああ1人暮らし最高!!!


出窓からはたっぷりの陽射しが入り植物たちも嬉しそうだ。
キッチンは広くはないがシンクが大きく洗い物がしやすかった。
そしてキッチンにも大きな窓があり、晴れた日にお料理をするのは気分がよかった。
新調したスライド式の本棚には好きな本がズラリと並んだ。

そして初めて1人暮らしをした家で1番気に入っていたものはというと。

ベランダからよく見える1本の大きな桜の木である。

お風呂上がりにベランダでビールを飲みながらお花見するのが楽しみだった。

「私も大人になったな…良い春だなあ。」
満開の桜を眺めながら、しみじみと初めての1人の春を味わった。

終わり。


いや、終わらない。


何もかも快適で何ひとつ問題がないと思われた私の新生活だが、実は恐ろしい問題が潜んでいた。

私の住むマンションは実家から自転車で10分、伯母(母の姉)の家から歩いて5分、父の通勤ルートど真ん中、さらにマンションの真下は「母の友人たちが働くお弁当屋さん」という全方位監視システムが装備されていたのである。
しかもその弁当屋は年中無休、24時間営業という安心の監視サポートぶり。

布団を干しても、真夜中に恋人と帰宅しても、家事をサボってお弁当を買いに行っても、酔っぱらって近所を彷徨っても何をしていても必ず実家に情報が筒抜けであった。
なんと連携の取れた警備システム。

休日の朝、洗濯物を干しながらふと下を見ると出勤途中の父が手を振っていた。
夕方になり洗濯物を取り込んでいると仕事帰りの父がまた手を振っている。

父じゃなかったらストーカーである。
いや、父でもギリでストーカーだ。


伯母と母はしょっちゅう私の家を集合場所にして「女子会」を開催していた。
母は下の弁当屋から友だち割引で弁当を安く仕入れ、伯母は勤め先のパン屋からドーナツ🍩を安く仕入れてきた。
4〜5時間しゃべり倒して嵐のように去っていった。

仕事帰りの父がドアチャイムを連打して乗り込んで来ることもあった。
入り浸りだった恋人の、トーテムポールのようなブーツが玄関にそびえ立っているのを見て「なんだこれ!!男なら下駄を履けぇ!!」
とだけ言って帰っていった。
下駄を履いた男と付き合う娘で本当に良いのか、父よ…。
(トーテムポールのブーツもどうかと思うが)

そんな「した覚えもないけどSECOMしてますね」のマンション暮らしは10年続いた。

都外でマンション暮らしをしていた兄が急逝し、両親がすっかり気落ちしてしまい母の体調が不安定となったため私は実家に戻ることにした。

充分に1人暮らしは満喫した。
1人暮らしと思えないほど常に家族や親戚や近所の人に監視…いや、見守られての生活も楽しかった。

私が初めて1人暮らしをしたマンションは今も変わらずにある。
お弁当屋さんもある。
酔っ払った私が追加の酒をよく買いに行っていたコンビニはなくなってしまった。
1人で通った赤ちょうちんもつぶれてしまった。

そしてベランダから眺めていた桜の木。
先日近くを通ったら今年もキレイに咲いていた。
私が暮らしていた部屋にはキレイな若草色のカーテンがかかっていた。
この春から新生活を始める誰かも、あの頃の私のように晴れやかな気持ちで桜を眺めているだろうか。

頑張れー、と小さく呟く。
そして「お弁当屋さんのオススメは唐揚げだよ。」とも呟いた。


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