父のお土産
「お土産」が好きだ。
旅のお土産はもちろん、たとえばコンビニで買ってくれたちょこっとした何かでもとても嬉しい。
母方の祖父はお土産をしょっちゅう買ってくる人だったそうだ。
夜中に酔っ払って帰ってきては、ぐっすり眠っている幼い頃の母たち(6人姉弟)を片っ端から叩き起こしていたという。
「キャラメルやチョコレートなんてなかなか買えなかったから嬉しかったよ。」
「アイスキャンディーなんか取り合いして食べたっけね。」
祖父の夜中のお土産は母たち姉弟にとって、とても嬉しかったようである。
そういった環境で育ったからか、母はやはりよくお土産を買ってくる。
何でもない日に何てことのないお店で、それでいて気の利いたお土産を買ってきてくれる。
一方の父だ。
いっさい買ってこない。
何ひとつ買ってこない。
「お土産というものは買ってはならぬ」という教育でも受けたのだろうかと本気で疑うほど土産を買わない。
1番あちこち出かける人なのに。
自由奔放に一人旅に突然フラリと出かける人なのに。
あちこちの道の駅に行くのが好きなのに。
道の駅でお土産を買う以外に何をしてるのだろうか。
お土産どしたん?
父いわく「何を買えば良いか分からない」と。
「何でも良いのよ。
どんなものでも良いの。
金額も関係ないの。
家族を喜ばせるためにお父さんが選んでくれた、その気持ちが嬉しいのだから。」と母は父にやわらかな笑顔で言った。
きっと母は幼い兄と私のために「お土産の素晴らしさ」を父に説いてくれたのだろう。
その言葉に感銘を受け一念発起した父は「お土産を買う」というチャレンジを始めた。
(チャレンジするようなことなのだろうか。)
私が覚えている父の最古のお土産はおそらくコンビニの「肉まん」だ。
湯気でシワシワになった白い紙袋を開けるとホカホカの肉まんが入っていた。
8個も入っていた。
8個すべて肉まん。
カレーまんやピザまんが2〜3個入っていても良さそうなものだが、どこを探しても肉まん以外見当たらなかった。
私はピザまんが好きだった。
しかし兄と私は空気の読めるお利口さんであったため「わあ肉まんだ〜!(8個も…)」「美味しそう!早く食べたいなあ!(1個だけ…)」と喜んで見せた。
喜ぶ我が子を見て「そうかそうか!」と父も満足げであった。
父が風呂に入ったのを見届けた母は言った。
「アイツなんなんだよ!下手くそかよ!!」
「何でも良いの。どんなものでも良いの。」と菩薩のように父を説いた母がめちゃめちゃキレている。
しかしここで少しでも不満な様子を表わせば、父は二度とお土産を買ってこなくなる可能性がある。
そのため母はこのまま父を泳がせつつ、父のことを立派な「お土産マスター」へと育成する道を選んだのであった。
しかしその後も父は、
ショートケーキだけを10個。
モンブランだけを10個。
チョコレートケーキだけを8個。
みたらし団子だけを12本。
草大福だけを12個。
3色パンだけを10個。
明太フランスだけを8本。
といった謎の「1種類だけの偶数買い」というルールのもとにお土産を買ってきた。
私の家は4人家族である。
個数も狂っている。
私たち家族が「父の気狂い土産」に慣れてしまい、もはや「父のお土産には期待しない。」という暗黙の了解が生まれ始めていたころ父は山形へと一人旅に出かけた。
意気揚々と出発する父を見送った私たちは
「山形だからねえ。」
「今回は何か1つくらい当たりがあるかも。」
「お菓子とか漬物とかね。」
とうっかり期待してしまった。
この期待がいけない。
1週間後「楽しかった〜!!」と父が帰宅し、いかに美味しいものを食べたかを話しながら荷ほどきを始めた。
そして「ジャ~~ン!!」という古い効果音と共にテーブルの上に白い大きなレジ袋が置かれた。
置かれた瞬間に袋がブルンっと揺れた気がした。
母が緊張した面持ちで袋を開けると予想外のものがブルルルルルンっと姿を現した。
玉こんにゃく大袋。4袋。
1人に1袋の玉こんにゃく。
玉こんにゃくが美味しいのは分かる。
私も玉こんにゃくは好きだ。
でもこんなにたくさんは要らない。
空気を読めるお利口さんだった兄と私も大人になり、時には空気なんて読んではいけないということをとっくに学んでいた。
「いや、多すぎるだろ!!」
「まんじゅうないんか!!」
父は驚いた顔をした。
そして私たちも驚くことになる。
父は大袋の玉こんにゃくの他に、串に刺さった玉こんにゃくを5本買ってきていたのだ。
(初めての奇数!と驚いたが、なんのことはない。4本買って1本はサービスだった。)
「ばーーーーか!!」
穏やかな兄が極めてシンプルな暴言を吐いたため、思わず家族全員で爆笑してしまった。
父が母の狙い通りにお土産マスターになれたかどうかは微妙であるが、父が何か買ってくると必ず笑いが生じる。
ケンタッキーに行ってチキンは買わず「チキンポットパイ」だけを人数分買ってきたこともある。
ケンタッキーのことを「ニワトリ屋」だの「とりにく屋」と呼んでいるくせに何故チキンを買わないのか。
「なんでこれ買うかね…」
「なんで1種類だけにこだわるかね…」
「他になかったかね…」
皆で笑いながら食べるお土産は楽しかった。
父も「そうかー。俺はダメだなあ!」と言いながら嬉しそうにしていた。
父は「お土産マスター」にはなれなかったが、父のお土産のおかげで私たち家族には楽しい時間がたくさん生まれた。
ちなみに、あの年の「玉こんにゃく消費量日本一」は間違いなく私たち一家であったと私は密かに思っている。