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手術日も父は父だった

父の1回目の胃がんの手術が無事に終わった。

今回の手術は胃の下の方にある平べったいがんを内視鏡で切除するものであった。
上部の大きながんの手術(開腹術)はこの後に控えている。

父の「出来れば全摘ではなく1センチでも良いから胃を残したい。」という希望は、今回の手術が成功しない限り叶うことはない。

そのため今回の手術はとても大事なものであった。

見出しに使用した写真のバラは、去年の母の日に父が母に贈ったものだ。
父が入院する数日前に突然1輪だけキレイに咲いたので驚いた。
(正直いうと少し胸騒ぎがした。
だってこれ、小説や映画なら○○フラグ🚩になる気がする。)


手術当日の朝早くに父から電話があった。
「何事だろうか」とドキドキしながら電話に出ると「おい!赤赤赤!いや、青青青青!青で行け!!」と大きな声が聴こえてきた。

なんのことはない。
毎朝みている情報番組内のクイズの答えを騒いでいるのであった。
ポイントを貯めて懸賞に申し込むアレである。(永遠に当たらないやつ)

早く麻酔しちゃってください。
心の中でそう願う私であった。

指定された時間に母と2人で病院へ向かい、待機場所で父が現れるのを待っていた。
「車椅子かしら。ストレッチャーてことはないよね。」
「うーん、歩いて来ると思うよ。」
そんな会話を母と交わしていると、聞きなれた大きな笑い声が遠くから聞こえてきた。

そう。父のおでましだ。

遠目だと、術衣姿が薄水色の膝丈ワンピースを着たオジイに見える。
滑稽で少し可愛い。
点滴スタンドをガラガラ押して大股でのしのし歩き、私達に気づくと手をふってニコニコしている。

第一声は「昨日の八宝菜うまかったぞ~。」であった。
期待を裏切らない父である。

その後も「この病院は米が旨い。」「焼酎があれば完璧だった。」「夕飯のそぼろご飯も旨かった。」と、ひたすら病院食の話が続いた。
オペ出しの男性看護師さんも笑っていた。
(あきれていた。)

「ここでご家族とはお別れです。」

看護師さんが告げた。
母が不安げな顔で何か言いかけると父は「おい、永遠の別れ!縁起でもねえや!」とフザけていた。

「じゃあちょっとガン取ってきま〜す。」

と私たちに言い残し、ヘラヘラしたまま父はガニ股でさっさと行ってしまった。

「お父さん頑張ってね。」とか言って握手とかしちゃうんだろうか…
もし泣いちゃったら恥ずかしいな…
前日の夜にそんなことを考えていた自分がそれこそ恥ずかしくなった。

父はどこまでも父だった。

母と私は顔を見合わせて力なく笑い、控え室の椅子に腰を下ろした。
テレビでは山里亮太さんが何やら喋っていたが内容は全く頭に入って来なかった。

手術は2時間の予定と聞いていた。
時間が経つのがやけに遅く感じる。
何度となく時計に目をやるが、針はなかなか進んでくれない。

そして2時間を過ぎても何も声がかからない。
さすがに不安になる。

事前に外科の医師からは「ガンの範囲が広く胃壁も癌化しやすい状態にあるため、本当なら全摘が望ましい。上手く取り切れるかどうかも厳しいところ。」という話を聞かされていた。

もしかして取れないのだろうか。
取れないだけならまだしも、まさかトラブルでも起きているのだろうか。
まさかとは思うが最悪のことが起きてしまうのだろうか。
だってバラも咲いちゃってたし!!

ちょっとここで父の最後の言葉を思い出してみよう。

「じゃあちょっとガン取ってきま〜す。」

まずい。
このままお別れになってしまったら、最後の言葉としてはあまりにも軽快すぎる。

そんなことを考えながら隣の母に目をやると半分気絶していた。
何の説得力もないが、私は母に「大丈夫だよ。」と伝えた。

3時間を超えた頃ようやく担当医が走って私達のところへやってきた。

良かった!笑顔だ!!!

「遅くなってゴメンなさいね。けっこう手強くてね。」
医師は両手に採りたてホヤホヤの父の胃がんを乗せていた。

私はそのガンをじっくり睨みつけた。
「憎らしいやつめ。床に叩きつけて踏みつぶしてやろうか!!」とも思ったが病理検査に出すためそうはいかない。
仕方なく心の中で思いつく限りの罵詈雑言を浴びせるだけで我慢した。

それから15分くらいするとストレッチャーに乗った父が現れた。
母と私を見つけるなり上体を起こそうとして慌てて止められている。

看護師さんは「麻酔の効きが悪くて倍量つかったんですけど、もう開眼してますね。喋れるしスゴい。」と真顔で首を傾げていた。
しかし私が「この量でこの覚醒状態、ちょっと引きますよね。」と言うと、看護師さんは遠慮なくゲラゲラ笑い出した。

ストレッチャーからベッドへの移乗もボードを使わず自力で行えていた。
看護師さんが去った途端、開口一番「貴重品の鍵とってくれ。」と父は言った。
「どこにあんの?」
「ロッカーのカチャカチャ袋(レジ袋)の中。」
「(変なとこに入れてんな)………うわ!!」

洗濯する下着と一緒に鍵が入れられていた。

汚ったねえ!
何でこんなところに鍵入れとくかな!と小言を言おうとすると、今度は鍵を開けろと言うため仕方なく引き出しを開ける。

目を疑った。


貴重品を入れる引き出しに箱ティッシュが財布や腕時計と一緒に入れられている。
何が貴重かは人それぞれであるが不便だろうに。
箱ティッシュもあんな所に入れられたのは初めての経験であろう。
どことなく居心地わるそうにしていた。

私は父に分からないように箱ティッシュを明るい場所へと解放してやった。

その後も父は術後とは思えない様子で次々と私に命令し、挙句の果てに「俺いつメシ食えるかな。」という心配をしていた。


とにかく手術が成功して良かった。
元気で良かった。


父が入院し、3人の生活から2人になっただけなのに家はとても静かだ。
ふだん父1人で50人分くらいの存在感があるからだろう。
帰ってきたら帰ってきたで「ああもう。うるさいなあ。」「もう少し入院してても良かったね。」と母と2人がかりで口やかましく言ってしまうに決まっているが、やはり早く帰ってきて欲しいと思う。

父から語られる入院中の馬鹿馬鹿しい話が今から楽しみだ。