転生物語

 

 

 「あなたを迎えに来ました」

 と言われたとき、私は喜びや感動より、戸惑いの方を強く覚えた。彼女――その女性は首都の教会の神官を務めていると名乗った――が私をどのような理由で、呼びに来たかわからなかったからだ。

 「なんの、為にですか」と、私は尋ねた。

 「それは、おいおい分かってくるはずです」と、彼女は柔らかく笑って、言った。

 「おいおい、ですか」

 「ええ。おいおい」

 神官、と名乗る彼女の背後には、7,8人の部下らしき聖職者たちが並んでいた。そのうちの誰もが、彼女と同様に顔に自信に満ちた笑みを湛え、包み込むような優しい目で、私を眺めていた。
 私は少しだけ、不安になった。私が転生者としてこの世界にやってきたとき、私は生まれたての赤ん坊に過ぎず、私のことを転生者だと気づく者もいなかった。そして、十八歳になる今日まで、そのことは誰にも知られてはいない。私は自分の意識に残っている前世の記憶や、自分が転生者であるという事実は、誰にも打ち明けずに来た。転生者が本来歩むべき道――世界を救うだとか、魔王を倒すだとかの英雄譚――は私の興味の範疇になかった。私はただそっと生を受け、自然の成り行きに従って、そっと死にたかった。私は人生の成功や、華々しい名声などからは、出来るだけ距離を置いていたかった。それだけに、彼女の自信に満ち溢れた表情は、私を脅かした。

 「断ることは、可能ですか」と、私は尋ねた。

 すると、彼女はそっと視線を落とし――それは睫毛の長い美しい瞳だった――黙ったまま首を振った。

 「出来ませんか」

 「あなたが」

 と、彼女はやっと言った。

 「この国の権力者や、政府を敵に回したくないのなら、断ることはやめておいたほうが良いでしょう」

 私は後ろを振り返り、自分の生を受けたエクィア家の小さな家を見つめた。その家屋は手狭で、部屋も全部で三つしかないちっぽけな間取りだった。家の前には杉――に良く似た木――が生えている。その数本の木立の脇には、この世界における私の父と、母と、それから、まだ幼い妹が立っている。彼らは誰もが、その顔に微かな動揺の跡と、とつぜん首都の神官が訪ねて来たことに対する怯えを、宿していた。特に母は、きっとよからぬ事態が起こるに違いないと、不安で胸をいっぱいにし、祈るように、胸の中心で両手を握りしめていた。

 「家族と、少し、話をしてきても良いですか」と、私は神官に尋ねた。

 「良いですよ。時間はありますから。あなたが望むなら、明日の同じ時間に、またここに訪ねて来ても構いません」

 「いえ」と私は言った。「それほど時間は掛かりません。少し、話をするだけですから」

 すると、彼女は静かに頷き、私を促すように、軽く手のひらを翳した。その手は真っ白で、子供の手のように小さく、また炊きたての新米のように、艶めいていた。私は頷いて、家族の立っている高台に向けて歩みを向けた。
 私たちのいるエムァの高原は、軽い西風が吹いていた。断続的に厚みのある弱い風が吹き、そのたびに高原いっぱいに茂った丈の低い草が、滑らかに波打った。あたかも、私の旅立ちを祝うかのような景色だった。草は西日にきらめき、動物たちは陽気な午後を楽しんでいた。すべては未来への希求に満ちていた。

 「ミノル」

 父の前に立つと、彼が言った。

 「いつかこの日が来るような気がしていた」

 私は頷いた。頷くほか、ないような気がした。

 「お前はどこか、ほかの人間とは違っていた。どこがどう違うのか、俺には上手く言えないが」

 父はじっと、私の目を凝視していた。私もやはり、彼の目を見据えていた。

 「人間には、それぞれ避けられない運命、のようなものがある。俺には俺の運命があり、お前にはお前の、運命がある。そうした仕組みから逃げることは出来ないし、また、逃げるべきでもない」

 「彼女についていくことが、僕の運命だということ? 」と、私はそう尋ねた。

 父は静かに首を振った。「それはわからない」と、言った。そのあとで、「しかし、お前がこのちっぽけな家で生涯を済ますことは、俺にはあり得ないことのように感じられてきた。もっと大きな、より壮大な世界こそが、お前の人生には相応しいことのように感じてきた。俺の伝えたいことがわかるか? 」

 「ほのかには」と、私は言った。

 父は黙ったまま頷いた。それで良い、と言いたげに見えた。それから、傾き始めた西日に目を遣り、

 「しかし、いずれにしても、お前はその運命から逃れられはしない」と、言った。

 「逃れられない」と、私は繰り返した。

 「ああ」と言い、父は頷いた。

 父の話はそれで終わったらしく、私は胸の中で父の言った言葉を繰り返した。
 
 
 人にはそれぞれ運命があり、
 人はその運命から逃げることは出来ず、
 また、逃げるべきでもない。
 
 
 「じゃあ、もう行くよ」と、私は言った。

 「ああ」と、父が言った。「行ってらっしゃい」

 家族に向けて手を振ると、父が私に手を振り返し、それに続けて、母と妹が私に手を振った。気のせいかもしれないが、ふたりとも、泣いているように見えた。私は少し不思議な感傷を抱いた。私はこの世界の家族である彼らにも、自分の前世のことに関しては打ち明けていない。そのことで、私は彼らに取り返しのつかない致命的な偽りを働いて来たような気がした。もっとも、運命の歯車は回りはじめ、物事はすでに取り返しのつかないところまで動き始めていたのだが。

 「準備は済んだ? 」

 神官のところまで戻ると、私を慈しむような目を向けて、彼女が言った。

 「うん」と、私は言った。「もう大丈夫」

 「じゃあ、行きましょうか」

 そう言うと、彼女は部下を掻き分けて馬車に乗り込み、硬い木製の椅子に座ると、長年かっている犬を呼び寄せるように、その座席の隣をぽん、ぽん、と叩き、私を呼び寄せた。私はやはり彼女の部下たちを掻き分け、彼女が叩いた硬い木製の座席の上に尻を落ち着けた。椅子は硬く、ひんやりとしていた。それは、どことなく、運命というものの冷ややかさを私に類推させた。特に、どうにもならないという点において、その両者は良く似通っていた。

 馬車が道を下り始め、田舎道を抜けて舗装された都会の道を走り始めたとき、それまで口をつぐんでいた彼女が、独り言のようにこう言った。

 「さあ、ここからすべてが始まるのね」

 それは明るく、柔らかな春の日の出のような声だった。

 「きっと、何もかも上手くいくわ」

 私は馬車の隙間から外の風景を眺め、きっと上手くいくという彼女の言葉を、そうあれば良いなと思いながら、繰り返していた。

 「そうなると良いと、本心から思うよ」と私が言うと、彼女は屈託なく笑い、

 「ええ。必ずそうなるわ」と、強い眼差しで、私の目をじっと見据えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


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