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俳句を読む

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2023年9月の記事一覧

俳句を読む 14 吉田鴻司 地の温み空のぬくみの落葉かな

地の温み空のぬくみの落葉かな   吉田鴻司

この欄を担当することになってから三ヶ月が経ちました。同じ日本語でありながら、俳句がこれほど詩とは違った姿を見せてくれるものとは、思いませんでした。言わずに我慢することの深さを、さらに覗き込んでゆこうと思います。さて、いよいよ冬の句です。掲句、目に付いたのは「ぬくみ」という語でした。「ぬくみ」ということばは、「てのひら」や「ふところ」という、人の肌を介し

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俳句を読む 13 黛 執  軒下といふ冬を待つところかな

 軒下といふ冬を待つところかな   黛 執

多年草、あるいは一年草という名前を見るたびに、日本語というのはなんときれいな言葉かと思います。ひとつひとつの草花を、これは「一年」あれは「多年」と、遠い昔に誰がえり分けたのでしょうか。一年草はその長い一年を、充分輝いた後に、自身を静かに閉じてゆきます。片や多年草は、厳しい冬を前にして、命をながらえる準備を始めます。必要のない箇所を枯らせ、命の核だけを残

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俳句を読む 12 櫂未知子 冷やかに海を薄めるまで降るか

 冷やかに海を薄めるまで降るか  櫂未知子

季語は「冷やか」。秋です。秋も終わりのほうの、冬へ、その傾斜を深めてゆく頃と考えてよいでしょう。春から夏へ向かう緩やかな階段を上るような動きとは違って、秋は滝のように、その身を次の季節へ落とし込んでゆきます。「冷やか」とは、じつに的確にその傾斜の鋭さを表した、清冽な季語です。夏の盛りの驟雨、暑さを閉じる雷雨、さらには秋口の暴風雨と、この時期の季節の移ろ

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俳句を読む 11 高山きく代 秋の夜ことりと置きしルームキー

 秋の夜ことりと置きしルームキー   高山きく代

ルームキーという言葉は、自宅よりもホテルを思い起こさせます。生活スタイルにもよるでしょうが、わたしの場合、自宅の鍵をわざわざルームキーなどと英語で言うことはありません。しかし、この句はどうも、ホテルの部屋という印象がもてません。ホテルの、透明で大きな棒のついている鍵では、置いたときの音は、「ことり」ではすむはずもありません。この鍵はやはり、自宅用

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俳句を読む 10 山上樹実雄 はなれゆく人をつつめり秋の暮

 はなれゆく人をつつめり秋の暮  山上樹実雄

17文字という小さな世界ですから、一文字が変わるだけで、まるで違った姿を見せます。はじめ私はこの句を、「はなれゆく人をみつめり秋の暮」と、読み違えました。もしそのような句ならば、自分から去ってゆく人を、未練にも目で追ってゆくせつない恋の句になります。しかし、一文字を差し替えただけで、句は、その様を一変します。掲句、人をつつんでゆくのは秋の暮です。徐々

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俳句を読む 9 恩田秀子 稲妻や童のごとき母の貌

 稲妻や童のごとき母の貌    恩田秀子

季語は「稲妻」、遠方で音もなく光ります。窓脇にベッドが置いてあります。病院の一室かもしれません。窓の外ではすでに、暗闇が深まりつつあります。ベッドに横たわる母親の顔に一瞬、窓の外から光が入り込んできます。その光に照らし出された老いた母親の顔が、子どものように見えた、とそのような句です。時の流れと、空間の広がりを、同時に感じさせる静けさに満ちた句です。母子

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俳句を読む 8 内山 生  露の身の手足に同じ指の数

 露の身の手足に同じ指の数   内山 生

わたしたちは、自分の姿かたちというものを、日々気にしているわけではありません。大切なのは、手が、必要とするものを掴んだり運んだりすることができるかどうかなのであって、手に何本の指が生えているかということではありません。そんなことをいちいち考えている暇はないのです。あたえられたものを、あたえられたものとして、この形でやってきたのだから、それを今更どうしよう

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俳句を読む 7 有馬朗人 秋の日が終る抽斗をしめるように

 秋の日が終る抽斗をしめるように  有馬朗人

引き出しがなめらかに入るその感触は、気持のよいものです。扉がぴたりとはまったときや、螺子が寸分の狂いもなく締められたときと同じ感覚です。そのような感触は、あたまの奥の方がすっと感じられ、それはたしかに秋の、乾いた空気の手触りにつながるものがあります。抽斗は「ひきだし」と読みます。「引き出し」と書くと、これは単に動作を表しますが、「抽斗」のほうは、「斗

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俳句を読む 6 小沢信男 毀れやすきものひしめくや月の駅

 毀れやすきものひしめくや月の駅  小沢信男 

英語に「fragile」という単語があります。この語には「壊れやすい、もろい」のほかに、「はかない、危うい」という意味もあります。通常は運搬時、小包の中身が壊れやすいと思われる場合にこの単語が使われるのですが、場合によっては「人」を表現するためにも使います。たしかに人というものは、自分の容器を壊れないように、あるいは中身がこぼれないように、日々注意

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俳句を読む 5 みつはしちかこ 凍蝶に待ち針ほどの顔ありき

凍蝶に待ち針ほどの顔ありき   みつはしちかこ

この人も句を詠むのかという思いを、俳句を読み始めてすでに幾度か持ちました。現代詩にはそのようなことはめったになく、俳句の世界の懐の深さと、間口の広さをあらためて実感させられます。掲句、凍蝶(いてちょう)と読みます。17文字という短い世界のせいなのか、俳句には時折、無理に意味を押し込めた窮屈な単語を見ますが、この言葉はすっきり二文字に収まっています。

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俳句を読む 4 沢木欣一 たはしにて夜学教師の指洗ふ

 たはしにて夜学教師の指洗ふ   沢木欣一

もう50年以上も前になります。私の通っていた都立高校は、夜間もやっていました。同じ教室で、昼間とは違った生徒が同じ机を使用して授業を受けていました。朝、学校へ行って椅子に坐ると、机の上に自分のものとは違う消しゴムのかすが残っていました。数時間前にここにいた少年の存在を、じかに感じたものです。当時は意味も考えずに「定時制」という言葉を使っていました。昼間

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俳句を読む 3 高野ムツオ 永遠の待合室や冬の雨

 永遠の待合室や冬の雨   高野ムツオ

何を待つ「待合室」かによって、この句の解釈は大きく変わります。すぐに思い浮かぶのは駅です。しかし、「永遠」という語の持つ重い響きから考えて、これはどうも駅の待合室ではないようです。もっと命に近い場所、あるいは、命を「永遠」のほうへ置くための場所、つまり斎場のことを言っているのではないかと思われます。この句はわたしに、過去のある日を思い出させます。どのような

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俳句を読む 2 津根元 潮  秋高しなみだ湧くまで叱りおり

 秋高しなみだ湧くまで叱りおり   津根元 潮

感情とは不思議なものです。自分のものでありながら、時として自己の制御の及ばないところへ行ってしまいます。この句を読んで誰しもが思うのが、何があったのだろう、何をいったい叱っているのだろうということです。「秋高し」と、いきなり空の方へ読者の視線を向けさせて、一転、その視線が地上へ降りてきて、人が人を叱っている場面に転換します。高い空をいただいた外での

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俳句を読む 1 寺山修司 胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲

 胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲   寺山修司

校庭の隅で鉄棒を握ったのは、せいぜい中学生くらいまででしょうか。あの冷たい感触は、大人になっても忘れることはありません。胸の高さに水平にさしわたされたものに、腕を伸ばしながら、当時の私は何を考えていたのだろうと、感慨に耽りながら、掲句を読みました。「凭り」は「よれり」と読みます。句に詠われているのも、おそらく中学生でしょう。いちめんの鰯雲の空の下、胸が痛

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