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学びに向かう原動力とは?

こんにちは。「英語学習・指導の軌跡」です。多くの方にお読み頂けることが毎日の活力になっています。ありがとうございます。

前回のnoteでは英検1級のwriting対策について書きましたが、そもそも受験しようと思った理由について触れていなかったと思い、今回は「なぜ挑戦しようと思ったのか」、つまり「学びに向かう原動力」について書いていきたいと思います。

英語の先生として働き始めてしばらくの間、私は英語でお金をもらうことに、とてもプレッシャーを感じていました。
それもそのはず、私の就職先には海外の大学院を卒業していたり、英検1級やTOEIC満点のスコアを持っている方が多くいたからです。一方、私は大卒で留学経験も1カ月、検定に関しても準1級までしか持っていませんでした。経験も知識も足りていなかったのです。

最初の頃は、授業準備に時間がかかる上に、内容も意外性がなくイマイチ…、という感じでした。生徒からの質問にその場で答えられないことも多く、持ち帰っては調べて、次の日に共有するという感じでした。その時は、生徒にも本当に申し訳ない気持ちで、自分にはもっと英語を使わない別の仕事の方がいいかもしれないと思い、休みの時には求人を見ることもありました。

ターニングポイント! ー初めての分掌発表

そんな時、社会人1年目の秋、次年度の分掌が発表されました。
私は高校生の担任を持つことになったのです。
最初は不安な気持ちに襲われました。こんなに自信を失っている状態で40名近い生徒の前に立てるのかと。しかし、少し時間が経つと、より覚悟をもって仕事に向き合ってみたいと思うようになりました。がっかりされる大人にだけはなりたくないと思ったのです。

毎朝早めに職場に行き、仕事が終わった後も自己研鑽に励みました。
そこからTOEICを受けてスコアを上げていくうちに、学びの原動力は「がっかりされたくない」から「プロフェッショナルでありたい」に少しずつ変化していきました。
それは、ちょうど担任を持った学年が高校3年生になった時でした。

今でも大事にしている仕事観

振り返ってみると、この時に感じた「プロフェッショナルでありたい」という気持ちは、自分の仕事観に大きな影響を与えたと思います。色々な仕事がある中で、当然やりたくない仕事もあるかと思いますが、とりあえずは自分が納得できるまでその職種にどっぷり浸かってみるのも素敵なことだなと最近は思っています。
まだまだ、私は納得がいく領域には行けてはいませんが、見える世界が少しずつ変わってきていることも実感しますし、何より以前よりも今の自分が好きです。

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