上海駐在員Hさんの真実の愛

日本の某大手企業に勤務しているHさん。Hさんは学生時代は運動部に所属し勉学にも励み一生懸命努力できる人だったので、有名大学を出て望み通りの大手企業に就職しました。少し古い時代の話なので日本の大手企業は男性社員のお嫁さん候補のような人を一般職として抱えており、Hさんもその環境に乗る形で同僚の女性と結婚し、二人の子供に恵まれ、郊外ではあるもののマイホームも持ち本当に日本の伝統的な分かりやすい幸せを手に入れました。何も不満はなくそれが人生のあるべき姿だと思っていました。Hさんが50歳を過ぎた頃、上海支社への辞令が出されました。Hさんは単身赴任となることは初めてだったので少し戸惑いはあったものの会社の人事には背けないし、元々その可能性はあったのだから、自分なりに納得し上海に三年間の予定で単身赴任として行きました。上海は日本と文化や慣習などが違うものの日本企業の輪の中で仕事をすればよいだけであるし、Hさんは元来の人柄の良さや努力家な部分を生かし良い雰囲気で現地でスタートしました。現地駐在員であれば、しょっちゅう会食があり、週末は必ず街中に出かけてのみ歩きました。そんなとき同僚に連れていかれたのが古北小街にある歓楽街の日本人男性が集い、現地中国人女性ホステスとのむことができるクラブでした。Hさんは女性関係はカラキシで学生時代は体育会のマネージャーと付き合いそれらしく過ごした程度、童貞を捨てたのも大学生3年生のときの彼女とであり、その彼女からは「真面目だけどつまらない」と半年でフラれています。企業に入ってからは例により結婚はできたものの妻とは三回目のデートでキス、五回目のデートでお付き合いの告白という感じで恋愛教本で習ったごとくに事を進めて交際2年で結婚した。妻はその企業の総合職男性と結婚して家庭にはいることを元々考えていたような人なのでHさんと結婚するとほどなくして退職し、今は専業主婦。自分のことが好きだったのかどうかはよく分からない。Hさんは真面目なので一応妻の誕生日はリクエストのプレゼントは買うし、仲は良いのだがそれは恋人のそれでないように思う。そもそもHさんは正しい恋愛というものを体験したことがなく恋愛がよく分からないところがある。で、その連れていかれたクラブではじめて担当してくれたのがユキという20代前半の女性。見た目は中国人より日本人にみえる。ユキは家族を養うために16歳から田舎から上海まで来て夜の店で働き、日本人男性からもらうお金を家族に送っているとのこと。その場では2時間ほどグループでのんで歌い、帰った。Hさんはそれきりにしようと思ったが、Hさん自身が慣れない上海で一人で夜の過ごし方がなかったし、何よりユキが美人だったのでまた会いたく、平日も毎週ユキに会いにいくようになった。ユキはHさんが来店すると飛び上がるように喜び、店内を走るように駆け寄ってきて席まで手を引っ張ってくる。まわりのホステスも笑いながら「ユキはHさんが好き」と言いからかう。Hさんは内心本当にウキウキしていつも閉店時間まで滞在し、ユキに色々話し、ユキもHさんに色んな話をした。Hさんは毎日毎日その店に行くことが楽しみで仕方なくなった。寝ても覚めてもユキのことを考える。「あのときユキが言ったコンプレックスの話をうまく聞いてあげられただろうか」「あのときああ言えばもっとユキに好かれたのではないか」と。しかしHさんは元々恋愛に奥手なのでテクニックも経験もなく分からない。Googleで「恋愛 中国人女性」などと検索して勉強したり、ユキのホステスの友人にユキのタイプの男性について聞いてみたりした。それらからはHさんが欲しい完璧な情報は得られなかったが、完全に火がついたHさんはいつももがき一喜一憂していた。ユキに直接「俺のどこが好き?」とか「歳の差があるのに大丈夫?」と聞いたりしたがいつもユキははっきりと「好き」と言ったし、「いつか結婚したい」と言った。Hさんはどこかいつも満たされない感覚はあったが、もう後にはひけないし、離れているときは不安だが、店で会うユキは本当に自分を一番に考えてくれているように見える。Hさんはそんな日々を過ごし、あっという間に上海での駐在員期間が残すところあと3ヶ月となった。普通にいけば日本に帰国しまた従来の日々がもどる。しかしそれで良いのかと考えた。妻は仲はよいが特に必要とされている感じがしない。子供たちももう大学生なので手はかからない。もし自分がいなくても、持ち家を彼らに渡し、ある程度のお金を渡せれば特に自分はもう日本に必要ないのではないか。よく考えてみれば妻との関係も自分が男として人生をやるに必要な家庭持ちというステータスをくれるだけのものであった気がするし、子やマイホームや会社の役職もそれに近いものだった感じがする。当時は自分は恋愛に奥自信がなく、それらがあれば充分だと思っていたが、上海での自分は少し変われた気がする。20代の綺麗な女性が彼女になり、自分のことが好きなのは明白だ。中国は年齢差は関係ない文化らしい。この際、会社に辞表をだし、退職金を妻子への慰謝料として裸一貫、上海でユキとやっていこうかと思えてきた。上海での人脈はできたので少ない元手でも会社を起業してやっていく自信があるし、ユキにはホステスを辞めさせて結婚し、アルバイトでもしてもらえば何とかなるだろう。安めのアパートを借りて、庶民街の安い食事をするだけならいつまでもどうにでもなる。よし、人生は一度きりだし、いざ会社に退職の話をしよう。

と、Hさんはなりました。これは日本人駐在員がよく起こすパターンです。十数人に一人がこうなります。そして破滅します。Hさんはこの後本当に退職して上海に住みましたが、日本企業の看板がなくなったHさんには誰も仕事は頼まないし、アパートの費用も思ったより高く、そして肝心のユキは「店でしかおしゃべりはできないよ」と言われており、いくら電話をかけても出ない。その後、上海で生きられなくなり、日本の両親の家で暮らすようになりました。唯一の楽しみは近所のスナックで月に一度だけ上海での武勇伝を語り散らすこと。笑う。

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