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【ジャーナリズム】セルフブランディングという罠。(「モテの壁/カレー沢薫」を読んで)

私たちを支配する見えない競争


昨今、資本主義社会がもたらす過度な消費や過度な成長と言った競争からあえて降りることは、自分らしいオルタナティヴな生き方として礼賛される。

だが、それでも競争は現代を生きる私たちを支配しているように思える。

あえて死語に近い言葉を使うと、モテ/非モテ、陽キャ/陰キャという価値観から生まれる競争は最も分かりやすい。本質的な言葉を使うと、充実した人生/空虚な人生という言い方になるだろうか。

つまり、充実した、モテる、陽キャ的人生を獲得するという競争こそが、現代を生きる私たちを支配している見えない競争と言えるかもしれない。


セルフブランディングという名の地獄


言わずもがな、そんな見えない競争を助長しているのはSNSである。アプローチは様々あるにせよ、SNSはもはや「私は充実した人生を送っています」とアピールするためのメディアである。

そう考えるとデジタルネイティブの世代なんていうのは、「モテる」または「陽キャ」であるというセルフブランディングを求められる地獄に追い詰められているように思えてしまう。なんとも恐ろしい。

今回読んだカレー沢薫氏の著書「モテの壁」は、書名の通り「モテ」について考えた本である。「モテに失敗したコラムニスト」と自らを評した著者がモテについて分析する、いわば「陰キャから見た陽キャの実態」を考察した本である。

私自身元々カレー沢氏のファンであるが、私自身「モテに失敗した陰キャの人間」であると自覚している分、共感する部分も多々ある。それに著者特有のニヒリズムにはファンとして毎度のことながら痛快さを感じると同時に、それでも本質を突いた言葉には所々ハッとさせられる。

才能というのはこういうことを言うのであろう。


理想の夫像、理想の父親像


と、「私もモテに失敗した陰キャ」と言ってみたものの、私自身3年前に結婚し、子どもがいる身である。ここに至るまでにはそれなりの屈託はあったものの、心のどこかで「見えない競争から降りることができた」と言う安心感、「陰キャから脱出できた」という達成感があったのは事実である。

しかし、セルフブランディングという罠は家庭の中にも潜んでいた。

それは、理想の夫像、理想の父親像。というセルフブランディングだった。

そもそもそのような物事を求めてくる妻にもかなりの問題はあったと思うが、これについてはいずれ場所を変えて述べるとする。

結局のところ、人間は競争やヒエラルキーから逃れることができないのである。

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