ほきくんのリハビリ記録➂ ~スーパーティーチャー~

「違和感」が続き、地元の病院での問診・検査。
院長から転院を勧められました。
【東京都立多摩総合医療センター】
への紹介状を書いてもらいました。
 
このセンターには【脊髄小脳変性症】を専門にされている超一流のお医者様が揃っています。
このセンターは都内最大で、他の総合病院の3倍くらいの敷地があります。
使っている機材はもちろん最新鋭です。
通称“多摩総”で有名です。
 
多摩総でもあらためて検査をしてもらいました。
「やっぱり【脊髄小脳変性症】だね。」
という診断を受けました。
 
この難病を自分が発症したことがはっきりとしたので、
「どうして自分が!?。」
「もう自分には明るい未来はない・・・。」
と目の前が真っ暗になりました・・・・・・。
 
 
今日段階でこの病気を治せる薬はありません。
 
できるのは、理学療法士さんや言語聴覚士さんなどプロの指導の下で行う<リハビリ>だけです。
<リハビリ>をきちんとやれば、病気の進行を遅らせることができるそうです。
 
プロの指導を受け、ひとりで<リハビリ>を始めました。
 
はじめは熱心にやっていましたが、それもたった1か月。
 
飽きっぽい私は、
超大切なリハビリをさぼり始めます。
 
すると進行の進みがはやくなり、
ほとんど動けなくなりました。
 
 
私は大学卒業後すぐ【小学校の先生】になれました。
【小学校の先生】は小さい時からの夢でした。
夢が叶ったのです!
最高にうれしかったです。
「なんでもできて子どもたちが憧れるスーパーな先生になりたいな。」
 
先生の仕事にはいろいろあります。
その中の一つが
<子どもたちと思いっきり遊ぶ>です。
若い時は毎日放課後、子供たちと思いっきり遊びました。
 
でも今は、病気の進行が進んだので身体が動かせません。
<子どもたちと遊ぶ>なんて不可能です。
 
1年生を担任しているとき、休み時間にクラスの子どもと“鬼ごっこ”をしました。
じゃんけんの結果、鬼は、足がそんなに速くないT朗くん。
私はT朗くんから逃げます。
「先生を捕まえることなんてできるわけないよ!」
 
すぐ捕まってしまいました・・・
本気で走ったつもりだったのに、捕まっちゃいました・・・
 
「先生はいつも本気を出してくれない。つまらない。」
 
クラスの子どもたちは、
<足が速くて鬼ごっこがプロ級にうまい!>、
他のクラスに自慢できるスーパーティーチャーを望んでいたのです。
 
でも、その時の私はスーパーティーチャーにはなれなかった。
病気の進行がかなり進んでいたんですね。
 
先生としての存在意義がほとんどなくなりました。
 
ほかの先生の仕事、というか、一番大切な仕事
それは、もちろん、<授業>です。
 
進行が進むと、呂律のまわりも悪くなります。
しゃべっても相手にうまく伝わりません。
 
「先生は一生懸命教えてくれるんだけど、少しわかりづらい。」
完全に、先生としての存在意義がゼロになりました。
学校のお荷物です。
 
2022年3月、夢だった先生という仕事を・・・辞めました・・・
 

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