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名禅会の事etc.


両親がまだ出会う前、はる会長の祖父は愛知県警を経てガードリサーチという会社の相談役をしていた。自分が企業から依頼されたことはあっても企業勤めをしたことがないので子どものときから、何をどういう人たちが相談するのかとても不思議だったのを覚えている。

で、その祖父が当時ガードリサーチの人と一緒になぜか名禅会なるものを主宰していて(2000年代に別な方により復活の噂あり)、私費で名禅会だよりという報告やコラムをまとめた冊子を刊行したり、時には繁華街で働く夜のお姉さんまでも連れてきて、朝に坐禅に集っていたという。酔っぱらいの覚めかけでは禅宗の信者かどうかなど一々気にしなかっただろう。祖父は父方とは血は繋がってないしヒッピー界隈が殺到したサンフランシスコ禅の話をしたこともない時期、ましてや世界中でOnlineリトリートやスティーブ・ジョブズMovementが発生する遥か前に、日本の一都市で似たような動きがあったということ。

あるいは血が繋がっていても、人からの話で知るまで普通に看護師や介護士や客室乗務員や銀行員をやっていて、寺に育ったお寺女子やお嫁さんが禅堂で修行したのと同じくらいハードな毎日を送ってらっしゃったというのは、自分を売り込むことが得意で要領の良いタイプな人が売り込んだ一部のマスコミからしか、めったに取材は入らない。被災地支援だとか、被災地出身アーティストの集いなるものはあっても実家や自分が被災している坊守や寺族には、ほとんど光は当たっていない。自分の個人所有とはいえないモノに囲まれて育っているから、女性たちには特に良くも悪くも故郷帰属意識もない。休みもなく、正直それどころではないという方々も多数。母もそうだったし、自分もヤングケアラー寸前という状態であった。いくら毎日曜朝に本堂から入って坐禅会に参加、特別扱いなしといっても、高学年くらいな時には、いよいよ大人たちに利用されてる?と思う日もあった。


話はそれるが、会長はるも 教会ほどではないにせよ寺から寺の異動を経験しており 釈迦牟尼仏以外には観世音菩薩、大日如来、お稲荷さん(商売経済の神様)と縁があった2カ寺だった。しかも、どちらも寺としては禅宗なのに、様々な神様の御真言を書いた厚紙がそこらじゅうに貼ってある庫裏に住んでいた。

隣近所は八幡様や山神社や水神社という環境から、2024現在は、自分やまだいの通院ということもありofficeも管轄も東京ということでふたたび都心にフィールドを移してみて、あれ? 思ったより社寺教会が多いなと感じるわけである。東京も神奈川も埼玉も千葉も、別に神社仏閣観光を標榜などしていない。しいていえば、コロナのときには手水舎の水をとめた社寺教会があった程度で都から営業を止めろと言われなかったぐらいである。いざというときに井戸があったり、学校同様に避難場所に開放するキャパや災害用備蓄(食糧とは限らない)があるからだろう。


しかし当時は無知不勉強だったので、例えば大阪に住んでいたときには、何の先入観か京都奈良と東北以外に寺や神社は無い(あっても歴史に出てくるものと観光専用だろう)と何故か思い込み、阪神淡路大震災で母がSVA経由の炊き出しに出かけていたことを知るまで、神戸には教会しかないと思っていた。頭の柔らかい未成年時に違う宗派や外国人や海外の伝統宗教に出会わないとか、住んでいる場所以外の町の同じ宗派の寺に出かけない、またそれをさせないかのようなテレビメディアやSNSの印象付けというのは実に恐ろしいものだ。

一つ救いだったのは、子ども坐禅会といって寺の子どもたちが市町を越境して教区単位で可睡斎などで一泊研修があり(一人はイヤだ行きたくない!ぐずったりの回もありつつ、勇気を持って参加し、カレーも美味しかったので嫌な思い出になっていない)、自分の住んでいる町でなくても仲間がいる◉⁠‿⁠◉と知っていたこと。知らなくて残念だったのは、他の宗派や教会にも同じような立場の子がいたのを大人なるまで知らなかったこと。

その後、日本経済新聞や神戸経済新聞でも出してくれているが、神戸以外にも世界中で宗教共存の地域ニュースや共同宣言を出していくべきだと思ったし、日本が率先してinterfaith(interreligion)の訓練をしてほしいと行く先々で言われたことを、ハロウィンやクリスマスや歳末助け合いの時期になると思い出すのだ。

cf.欧州で大乗小乗仏教の情報に多数触れた、フィールドワークの記録。2008年。
https://pregando.wordpress.com/


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