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100記事目 『INFJ 働きたくない』についての結論 自己理解と自己受容 INFJのダークサイドと光

『働きたくない』から、noteを始めました。この記事で100記事目。

働きたくないの記事はGoogle検索で見にきてくれる、たぶんINFJさんが多いみたいで、今でもビュー数は多いまま。

私はなぜ働きたくないと強く思っているのかを、言語化できるようになってきました。ここから、とてもドロドロして私のまったく聖人君子でない冷たく暗く深い醜悪な考えをさらけ出してますので、イヤな人は回れ右でお願いしたいです。罵詈雑言の嵐。5000文字の長文。INFJのダークサイドですよ。




それは、

搾取されたくない

なんだと思います。

子どものために、以前していた仕事を辞めました。この仕事のときは、働きたくないとは思っていなかった。仕事量も多いし、時間に融通がきかないから、子育てと両立できずに辞めたのだけど、職場の人間関係は良かったと思う。助け合う土壌があった。上司がそういう風に持っていってくれてた。助けてもらうばかりの立場になって申し訳なさが強くて辞めた面もあるくらい。

ひるがえって今。
辞めたあと時間に余裕が少しあるので、以前から親戚の会社を手伝ってあげて欲しいと夫に言われていたのを、手伝おうかと申し出てしまったのがよくなかった。


この記事で書いたように、親戚はエナジーバンパイア。GIVE & TAKEの本でいうとテイカー。

前社長が認知症になって引き継ぐ者がいない中、彼らは右往左往しながら会社をなんとか継続させていた。(ずいぶん無駄はあったようだ)  会社と言っても資産を管理するための会社だ。たいした仕事はない。決算時期なんて毎日夜まで頑張ったと忙しかった自慢はされたが、そりゃ、伝票にひとつひとつハンコ押してたら時間ばかりかかるだろう。やった感はあったかもしれないが。

コピーを繰り返して黒ずんだ証憑用紙にも、ひとつひとつハンコを押して領収書をホッチキスで止める。二つ穴パンチで穴を開け厚紙で表紙を作りマジックペンで○月切りと書き黒い綴じ紐で綴じる。床に書類がぎっしり入った紙袋が積まれてる。湿っていそうな黒ずんだ分厚い絨毯。擦り切れたソファの座布団。バブルデザインのテーブル。時の止まった記念品の置き時計。ゴキブリホイホイとバルサンの缶が転がってる。なぜ火災報知器もないのにバルサンについてるカバーを残しておくのか。過去の栄光の賞状。どこからか昭和の香りがしてきそうだ。どうせ会計ソフトに入力するんだから手書き伝票なんかいらない。片っ端から片付けた。もっと効率化はできそうだが、やってもらう仕事がなくなってしまうのでもうこれでいい。もうやりたくない。今や毎日夜までだったという経理の仕事は、自宅で毎月5時間もかからずサクッと終わりだ。

会社が管理している資産は彼らのものであって私は直接には関係ない。(夫経由で間接的にはあるのがややこしい) 私が手伝いに行ったときから段々と、これ幸いと責任のある仕事、決断が必要な仕事、やりたくない仕事も全て上手いこと言って押し付けてきた。私はモヤモヤしながらも、それをこなしてきたが、経営の根幹に関わる判断や責任まで私一人に丸投げされるに至ってようやく、は?いや、それはさすがに自分たちでやるべきことだよねと、何故モヤモヤしたのか、私の最低限の境界線を越えられて初めてこれは搾取ではないかと自覚できるようになったのだ。

彼らは、責任は負いたくないけれど、今の楽でそこそこ収入のある立場は手放したくないのだ。私を前社長の代わりに据えつけて以前と同じ日常を送りたいのだ。権利はない私にすべての責任を押しつけて何食わぬ顔で、前社長はこうしてたああしてたと賢しらにアドバイスだけはして自分では動かない。てこでも動かない。逃げの言葉だけは一級品だ。家族経営だからしょうがないのか前社長も甘やかしすぎだよなって思う。まあ教育しがいがないから諦めたんだろう。そこかしこに前社長が多くをやってあげてたんだろうなって証拠が残っている。彼は利益がガクッと落ちたときたったひとり無給料でやっていたし、毎朝早くに出社していた。効率良くはないけど愚直にやっていたんだろう。

こちとら、子どもと自分のために時間を作りたくてやりがいのある仕事を辞めたんだぞ。なぜこんなしょうもない仕事に言われるがまま滅私奉公してもらえると思うのか。理解に苦しむ。恐れ多くもこのような素晴らしい会社に雇っていただきありがとうございます、身命を賭して働かせてもらいますとでも言うと思うのか。そんなはずないだろ。そんなに働けるなら前の仕事辞めないだろ。誰が前社長の代わりなんてやるものか。私はただの手伝いだぞ。

彼らに悪気はまったくない。無意識に甘えたこと考えているけど自覚していない。指摘したって右耳から入って左耳へと抜けていくだろう。脳には届かない。この年になって自分のできなさ具合に直面する精神力はない。なんなら自分はちゃんとやっていると思っている。そして人をこき使える立場にあると思っている。この会社は素晴らしいのだとずっと自慢されたけど、私には遠からず破綻する未来しか見えない。高度成長期の遺産を細々と食い潰していってるだけの会社だ。こんなの砂上の楼閣だ。よくそんなに呑気にしていられる。むしろ悪気がある方がまだ良かった。悪い人じゃないからこそ始末にこまる。何も考えていないだけだ。彼らの奥底の甘えを見通してしまう自分の観察眼がイヤになってしまう。自分は冷たい人間だなってつくづく思う。前社長が元気なころに会社にいて、砂糖菓子のように甘くお姫様のようにふわふわと彼らの欺瞞にも気づかず同じように右往左往する人間でありたかった。

例えば、何か修理が必要そうなものが出てきたとき、「〇〇が壊れています。早急に修理してもらえたら、と思います」と丸投げLINEを送ってきたりする。思いますってなんやねん。私は修理屋じゃないんですけど。一から十まで指示をもらおうとしているのか、それとも私にやって欲しいと頼むなら頼むなりの書き方があるよね?と感じる。今はまだ修理は必要ないと思いますがって送り返しても、すぐじゃないと不安だからと返ってくる。

自分でやる方が手っ取り早いし一から十まで指示するのは面倒だ。だから以前ならモヤモヤしながらも全部手配してたが、最近わたしはこんなのに人生を費やすのがアホらしくなって強くなったのと、早急に修理が必要なものでもないので、これに対して、「では、□□さん担当をお願いします。どこで修理してもらうかなどはお任せしますので、見積もりを出してもらったら一度それでいいか私にも確認お願いしますね」などと返してみた。あと、私自身は修理は今はまだ必要ないと思うこととその根拠、でも□□さんが不安だから必要とおっしゃるなら高額でなければ全然してもらって構わないと書いて送った。不安だからすぐがいいと、やいのやいの修理しろと言うわりに、自分でやれと言われてようやくその手順を想像して面倒だと思ったのだろう、「様子見ます」と返事が来た。

一番の友だちに話をしたら、それって寄生虫やな!って明るく言ってもらえて笑った。

前社長が亡くなったので、やっと動き出せる。私は、この会社をたたむことが天命なのかなと思っている。言い方は悪いが食い散らかした残飯処理みたいな仕事だと思う。ご馳走さま残りはあなた食べていいわよ、でもあとは片付けてね、と残飯を押し付けられた気分だ。食い散らかした者が片付けるべきなんちゃうんか。にこにこしながら心の中では、この寄生虫が!とか考えてしまう自分が恐ろしい。面と向かってはこんな考えは絶対言えない。このまま働いていると私はダークサイドへどんどん落ちてしまう。行き着く先はヒトラーか。怖い。光に向かっていかねば。

私はここで働きたくない。彼らは会社を引き継ぐ気はない。その両方を満たすのは、関係者に迷惑をかけない形で幕引きすることだろう。彼らの楽な立場を維持するために私が我慢する必要はない。会社をたたまれるのがイヤだったら、彼らが自分で引き継いでくれれば良いのだ。何度も意思を確認した。

たぶん、これは私のただの直感だけれども、寄生して吸い付く先の会社がなくなる方が彼らにとっても、自分の責任のもと生きる活力が湧いてくるように予感している。自分の資産は自分で管理すべきだ。安易に誰かに任せて上手くいかなかったら人のせいにしてぐちぐち言うより、自分で失敗の責任を負う方が、ちょっとは頭を使うようになるだろう。お金は使ったらなくなるんだぞ。考えなしに散財するな。貯金もないのに無添加のお高い食品を買って賞味期限を切らすな。不安を訴えて頼ろうとしてくる前にまず貯金しろ。まあどんな金の使い方しようが人の自由だが、巻き込まれて寄生されるのだけはまっぴらゴメンだ。都合よく甘えさせてくれた前社長はもういないんだよ。もうじゅうぶん充電はできただろう。青い鳥が家にいたように、充分恵まれた環境に、手元にあるものに気づいて欲しい。甘える先があるから甘えるのだ。私は甘やかす立場ではないから早い方がいい。ある意味、彼らは甘い汁と引き換えにせっかくある頭を使わずにただ漫然とこの会社に縛り付けられてきたのだ。この会社がなかったら、自分の力でやっていく達成感、自己効力感を得たかもしれないのに。そして、2代目だった前社長もおそらく。まるで祝福の形をした呪いだ。

しかし、会社をたたむって一体何したらいいの?などと思うが、しょうがない、勉強したり知識のある人に聞きながら着々とやっていこう。いや、たたむというより、中身は全部整理、分配して、全員解雇して私一人のマイクロ法人にしてしまおうか。前社長のために歴史だけは死守してあげよう。行き着いたその先には達成感と、いい経験だったなという気持ちがきっと残るだろう。

もういっそ、ぜんぶ投げ出して知らぬふりを決め込みたいくらいに思っていたけど、noteのおかげかイヤなこともネタに変換できるようになってきたし、noteで見つかったやりたいこと欲しいことの欲のおかげで収入のありがたみを以前より感じられているから、もうちょっと頑張ろうと思う。

noteで書いてきて、自分を深く理解できるようになった。こんなこと思ってたんだなって改めて感じる。わかってる。私には独りよがりで被害妄想的な面があると気づいたし、当たり前だけど私は全然聖人君子ではなかった。うまく立ち回れたら良かったんだけど。何でもかんでも、いいですよ〜ニコニコというわけにはいかない。ムリムリ。彼らを上手く使ってその代わりに生活を世話するほどの心の余裕もない。でもそんな自分でもいいのだ、これでいいのだって自己受容ができるようになった。良かったなと思う。

この経験によって、私はひとつ成長する。今までも繰り返し現れてきていた私の人生の課題が立ち塞がっているんだとも感じる。服従しないこと、赦し、そして失敗を糧に成長すること。彼らと私の皆が幸せな結末となるよう頑張ろう。

とりあえず、働きたくないで検索してこの記事読んでくれているそこのINFJさん、noteに書いてたら欲が出てきてまあ働いてもいいかなってなるかもよ、っていうお誘いをしたいのと、具体的にはなんにもないけど文章力が上がれば将来的に収入につながるかも、ものを書く仕事はいずれしそうだなという予感だけはありますよって結論です。あと、自己犠牲だけはやめよう。それと、うすうすわかってたけどnoteでAmazonアソシエイトはあまり期待できない結果です。頑張って長く続ければ少しお小遣いにはなるかもぐらい。手っ取り早くなくて申し訳ない。


一つの決意の話でした。

めっちゃくちゃ鬱憤たまってた! いや、自分でもびっくり。吐き出せたおかげで、生まれ変わるくらいのスッキリした気持ちです。ごめんなさいね、こんなの読ませてしまって。ここにしか吐き出せないから許してください。

あまり読まれたくない気持ちもあって改行少なく読みにくかったのに(しかも月曜日の朝)、最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も良い一日をお過ごしください。



前社長にこっそりこの本をおすすめしてみたかったな。彼は小説を書いていたらしい。読みたかった。


もうすでに20記事目で、会社を廃業することを書いていたのに気づいた。

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