見出し画像

94番 み吉野の山の秋風②          参議雅経

み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり           

                      参議雅経



今年の夏もとても暑くて ほんとうに暑かった。
その頃から わたしは94番の中に入りこんだ。というか
み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり           この歌をたたき台にして
源氏物語 夕顔の巻に行き、
そこのあれこれに魅了され いろいろなことを思って、
だけどそういわれてみれば。と
夕顔の巻をもうずいぶん前にも読んで 
そのときにも立ちどまってあれこれ考えたなあと思いだして 
また立ちどまっているのだった。
そしてもうすっかり秋も秋、
10月も終わろうかとしている今になっても夕顔からまだ出てこられない。

夕顔の前の巻、帚木(ははきぎ)の
あまりにも有名な「雨夜の品定め」に出てくる夕顔の歌を見つめると、
歌の中で訴えているのに、
その切実さが相手の頭の中将には少しも伝わらず彼の返答は相当軽い。

けどだからといって
地の文での夕顔の描写が
頭の中将の知る夕顔のすべてであるならば
夕顔のほんとうの気持ちは永遠に伝わることはない。
それくらい、地の文の夕顔と、歌の中の夕顔はちがうのだった。
もしかしたら歌の中では感情を表現することができたのかもしれない。

困っている女の人。それを品定めしている男の人。
切実さが全然ちがうなあと思うのだった。

少し飛ぶが
男女の切実さが全然ちがうという点で
ぱっと思いうかぶのは菊竹胡乃美さんの短歌で 
今年『心は胸のふくらみの中』という歌集が出ています。

菊竹作品については
もう少し考えたりしたいと思っているけれど 以下の一首のような日々。
(よびすてにしてごめんなさい。)

まってろよ きくたけとおもうも
やくばにいきスーパーにいき
きくたけ文よめず 

もういっかい源氏にもどると、
夕顔の魅力は らうたし なのだと思う。この語があほほど出てくる。
かわいい という意味。

たしかに夕顔はかわいい。
源氏もこの辺り、
貴婦人や正妻や暗い中つかまえたり 
これはこれはの関係、物語もありながらの夕顔であるから相当忙しい。
それでも夕顔のところに出向いていくのだから、めちゃくちゃ らうたしだったのだろう。
そして、そのらうたしは容姿ではない。そのことにもびっくりする。
「そこと取り立ててすぐれたこともなけれど」。

だから、逆に見ためでは はかることのできない、
この人の気配というか、雰囲気のようなものを読者は
ぼんやりと想像しつづけることになるだろう。

夕顔は源氏と出会って まあまあすぐに亡くなってしまうので 
元々の気配に加えて、
死期の近い人がまとっているのかもしれない儚い気配も あったのかもしれない。

ほんとうにいろんなことを思う夕顔であるけれど、
2023年に生存しているわたしの目にうつる夕顔は、
HSP傾向があって、何らかの支援が必要な人のようにも感じられる。
いくつもの場面からそれを感じ続ける。それが打ちつけてくる。

田辺聖子さんが子どもを引きとって育てた紫の上に こころ寄せがあるように、瀬戸内寂聴さまが出家というキーワードを抜きにすることはできないように そのひとそのひとの視点からの源氏物語が、読者の数だけあるのだと思う。

17歳の〝光る〟源氏と19歳くらいの夕顔がちょこんとならんで、おもてを眺めている。そこのところ辺りに、砧の音の描写が出てくる。
わかいふたりの様子は かわいい。
仲よくなった次の日の朝、ほっと気持ちがゆるんだとき。
気どらない ふたりがいる。
現在だと高校生くらいのこの2人を、ただただかわいいなと思う。





この記事が参加している募集

今日の短歌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?