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82番 思ひわびさても命は               道因法師

今橋愛記

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり                    道因法師どういんほうし 〔所載歌集『千載集』恋三(818)〕

歌意 つれない人ゆえに思い悩んで、それでも命はこうしてあるものなのに、そのつらさに堪えないでこぼれ落ちるのは涙だったよ。       

『原色小倉百人一首』(文英堂)

82番は歌よりも作者のほうにぎょっとするのだった。
「法師」なので出家をしているが、出家時は80歳を超えていたそうだ。

出家以前には、神社に毎月「いい歌を詠みたい」とお祈りに行っていたのだともいう。この人がいい人だったら、このエピソードだけが残っただろうに。
歌合わせで負けた時には、判者のところに行って涙を流して申し立てた。更にけちんぼでもあったようで、部下に与えるものも与えないのでいよいよ部下たちの怒りを買って市中の人が見ている中、着ていたもの全てを剥ぎとられてしまったそうだ。余程のことだ。

『花咲かじいさん』で、土のしたから大判小判のかわりに せとものの欠けたのが出てきた、あのおじいさんが思い浮かぶのだった。

思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり

こうなってくると、そこまで執着したわりにそんなに歌、良くないやん。という風にしかもはや見えないのだった。

この人は90歳頃まで生きた。
40歳を初老とした当時からすると90は、かなりの長寿と言えるから長く生きた者にしか解らない憂いもあったのかもしれない。
それでも出家って80になってするものなのかな。ここに何かが表出している気がする。

恋の部立てには入っているものの題しらずで置かれている。
自らの境涯詠であるのかもしれない。

翻案は元歌の「さても命はあるものを」部を生かすよう心がけた。

そうはいうてもいきていかなあかんから        
あのときは 
どうもできひんかった。         今橋 愛
 


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