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【教員2週間目】"教育におけるバツ印:伝統的アプローチの再評価"

こんにちは!
今日も元気にやっていきましょう!!

教員生活2週間目が終わりました。
いやぁーーー、やることがいっぱいで面白いですね😂
3年生の子どもたちも登校し始め、6時間授業も始まり、本格的に仕事って感じになりました。

そして、、毎日どこかで事件が起こるんです😂
おかげで濃密な1週間でした!

教員は仕事が大量と聞いてはいましたが、本当に多いですね!
私もやることリストを作って放課後にそれを消化しようとしていたのですが、消化を始めて1時間経つと、なんとリストの数が増えているんです!!!
これは教員のあるあるなのではないかと思っております笑
自分で見つけようと思えば無限に仕事は見つけられます。
子どもたちのためにはあれもこれも、、としていると気付けば20時😂
完璧主義の人はしんどくなるかも(どの仕事でもそうなのかも笑)

私はちょっとテキトーなところがあるので逆に向いているかもです笑
残業も楽しいから今は許す!って感じです。
趣味に近い感覚になってきた気がします。



さて、子どもたちとの関わりで書きたいことはたくさんありますが、今回は丸つけについて気になったことがあります。
私は3年生を担任しているので、2年生の復習として算数では九九のプリントを宿題に出すことがあります。
意外と覚えていない子が多いです笑

そのプリントの丸つけを私がするのですが、間違った箇所はバツをつけていました。❌
しかし、他のクラスの先生はバツを使わずに三角や星で代用していました⭐️
どちらもやり直しはさせます。
これってどちらが良いのでしょう??
みなさんはどちらを採用していますか?


私はバツ印で良いだろうと思っていたので、初めて三角や星を見たときには驚きました。
改めてバツ印のメリットとデメリットを考えてみます。

メリット
明確性: 間違いがはっきりと示され、子どもたちが自分の間違えた箇所を容易に理解できる。
一般性: 学校だけでなく、様々な試験やテストで広く使用されているため、子どもたちが社会に出たときの準備になる。

デメリット
否定的な感情: バツ印は否定的な印象を与えがちで、子どもたちの自尊心や学習意欲を傷つける可能性がある。
恐怖感の植え付け: 間違いを恐れるようになり、新しいことに挑戦する勇気が失われるかもしれない。

こんな感じでしょうか?
AIと相談しながら考えてみました。

間違った箇所に三角や星を使用する方法ではこの逆で、明確性が曖昧さになり、否定的な感情がポジティブなフィードバックになると考えられます。

ふむふむ、と。
どちらも分かるぞー。
改めてメリットとデメリットを考えた上で、、、
それでも間違いは間違いだし、そこで三角や星をつけるのは優しさではないだろう、と体育会系の「ミニ私」が囁きます。
「ミニ私」ってこんなことを言ってくるんですよー😭

別にバツでいいじゃん。政治や人の感情など、複雑で曖昧なものを丸かバツかで判断することは難しいですが、算数や一問一答の問題などは明確に答えが設定されているものです。
丸かバツの2択しかないはずです。
そこで子どもたちがやる気をなくすかもーとか考えて三角をつけるのはどうなんだろうと思います。

一方で、情けない話ですが、新しい教育方法に対して十分な理解や自信がないため、それを採用することに抵抗を感じている可能性もあります。
特に、その方法が効果的であるという確固たる証拠がないと感じて、不安を覚えているだけかもしれません。

私の学生時代は、丸かバツかしかありませんでした。
自分自身がこの方法で学んできて、そしてそれによって成長できたという経験が、この方法に固執させているだけかもしれません。
でもそれは仕方がない話だろう、という気持ちも出てきます。

いつも以上にまとまらない内容で申し訳ないです。
三角や星を使う方法のメリットも分かるのに、なぜかそれには抵抗があり、それをうまく言語化できずに苦しんでいます笑

もちろん、バツや三角をつけた後の、子どもたち個人へのフィードバックの方が大切だと思っています。
そこでポジティブなマインドセットを持たせることはできると考えています。
しかし、その個別のフィードバックをどちらにもするのであれば、バツをつけるか三角をつけるかどちらの方が子どもたちのためになるのだろう、ということを悩んでいます。

いろいろ考えてみましたが、結論は出ていません。
現状の仮説です。

丸やバツ、三角や星は記号に過ぎず、それらをつける行為は手段に過ぎない。
では目的はなんなのか?
その目的の設定によって、どの記号を選ぶべきかが変わってくる。

例えば子どもたちに間違いを恐れてほしくない、間違いから学ぶプロセスを少しでもポジティブにしたいと考えるのなら、三角や星の方が手段としてふさわしいのかもしれません。
一方で、間違いは間違いであると明確に突きつけ、間違いを正しく恐れてほしいと考えるのならバツがいいのかもしれません。

あくまで仮説です笑


私が生徒なら、、、
私には体育会系のミニ私が住んでいるので、間違っていたのに三角をつけられていたら腹が立つと思います。
対戦して負けた相手に、惜しかったねと言われているようなものです。
惜しくねーよ!ふざけんな!!って思います。
負けは負けだろ、煽っているのか!?ってね。
我ながらめんどくさいですね笑

これを聞いて、確かに!!ってなる人もいれば、本当に理解ができない人もいると思います。
人それぞれ自分の持つ哲学が違うからです。
違う哲学を持つ子どもたち、いや、哲学を作っている段階の子どもたちに対して自分の哲学を押し付けて良いのか、正しい哲学を教えるべきじゃないのか。
そもそも正しい哲学ってなんだ!?

と、どんどん深みにハマっています。

何も解決していませんが、文字にすることで少し軽くなりました。
丸つけの記号一つでここまで考えられるとは、教育とは奥の深いものですね!

本当にまだまだ考えがまとまっていないので、ご意見や哲学があれば教えてください😆
ここまで読んでくれてありがとうございました♪

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