あの人が山に登る理由。

そこに山があるから。
そんなよくある理由を答えたくなるのでは?

でも、あの人は違った。

まず、私は山登りが好きだ。

と言っても雪山など過酷なモノではない。

ハイキングに近い方の山登り。

「何で好きなの?」と言われることが多い。

「何で聞くの?」と同時に思う。

何も考えずひたすら登ることができる。

無心になることができる。

疲れても自分との闘いと感じられる。

もちろん景色も好き。

そんな簡単な理由しかない。

「誰でもそうじゃないの?」なんて思っていた。

ある日私はある人に同じ質問をした。

「何で山に登るの?」


その人は雪山や過酷な方に登るひと。

私とは一味も二味も違う山の顔を見ているひと。

危ないし、ハイキング以上の体力が必要。

すると、その人から予想外な答えが返ってきた。



「平等だからかなぁ。」

おぉ。どうゆうこと?

「山って吹雪いたり、暑かったりするよね。当たり前だけど、自分へも前後歩く人にでも同じく過酷な状況を与えるんだ。」

それはたしかに。

「人は人によってはあたりが強くなったりするけど、山は誰にでも平等なんだよね。」

山と人と比べたことなかった。

「だから、山が好き。」

私はその考えが理解ができなかった...。

山の穏やかな面しか見てこなかった。

嵐の日に富士山に行き発熱して1人車内で待ってたのが1番の過酷な経験だったくらい。
いや、山に登ってないし...。

だから「山の過酷さが平等だから好き」は、理解ができないのだ。

自分とは違う感性。

でも、同じ山登りが好きって少し不思議で面白い。

私の山が好きな理由は、ブレずにこれからも変わらないだろう。

ただ、あの人の答えによって私の「好き」に対する感性が広がった。

「好き」に理由なんて人の数ほどあるんだと。

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