読書録「どれくらいの愛情」2011/2023
白石一文「どれくらいの愛情」
表題作を含む4編からなる小説集。
物語の舞台はいずれも著者の出身地である福岡だった。登場人物たちの博多弁や街の描写が自然に感じられたのは僕自身、以前旅行で博多を訪れたからだろう。
著者が「あとがき」にも触れていたようにこれらの作品群には「目には見えないものの大切さ」に重点を置いている。
では「目に見えないもの」とは一体何なのか。
印象に残った台詞等から考えてみよう。
「人はどんなに辛いときでも夢だけは見ることができるのではないか。そしてその夢だけが、苦しい時期の人の心を支えてくれるのではないだろうか」
(「ダーウィンの法則」p236)
「たとえいかに見果てぬ夢であったとしても、人はそのたった一人の存在を見つけるために一回きりの人生を渡っていく。一人一人の人間にとって大切なのはむろん『種の保存や進化』などではまったくない。一度だけのかけがえのない自らの人生をいかに心豊かに、愛情深く生きるかということのみが重要なのだ」
(「ダーウィンの法則」p268)
「自分のことを心配してくれる存在も大事だが、それと同等かそれ以上に、こうして自分に心配をかけてくれる存在が大切なのだ。(中略)お互いを思いやるとは、要するに互いに心配をかけ合うということでもある。そして、人は心配されるよりも相手を心配しているときの方がきっと心は満たされるのだろう。まぁ、それは当然の話で、誰かを気遣うとは、自らの心が豊かなときに初めて可能なことであり、逆に言えば、人間というのは、誰かを気遣うことで初めて自らの心の豊かさを実感できるのである」
(「どれくらいの愛情」p355)
「だけど背が高くて外見のかっこいい人や顔のきれいな人というのは、子供の頃からいつも自分の外見で得ばかりするから、その分、負けん気や集中力、努力する心が育ちにくい傾向があるんじゃないかな。それに、正平君は背が低くて、そりゃあ背の高い人より不利な面もあるかもしれないけど、その分、背の高い人が持っていない別の才能を必ず持っているんだ。そしてね、ここが肝心な所なんだけど、その自分だけの才能を見つけ出すためには、まずそうやって自分にはないものを持っている人のことを羨まないこと、真似しないことが大事なんだ。周囲の人のことばかり見回して、自分もああなりたいとかああしたいとか思ったり、逆に自分にはとてもあんなことはできないと自信を失ったりするような馬鹿なことはすぐに止めて、まず自分にいったい何ができるか自分自身に真剣に問いかけることだ。そうすれば自分の中に隠された素晴らしい能力に必ず気づくことができる」
(「どれくらいの愛情」p387~388)
夢、愛情、気遣い、アイデンティティ、希望、祈り・・・。
これらは目には見えないけれど、信じる者には確かに存在する。
東日本大震災の影響で最近よく見かけるCMに「思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」と謳ったものがある。
あのCMは道徳的だと思われる利他的な行為を推奨し、「他者へ配慮」することを訴えているようだが、「目に見えない利他性」とは本来意識しなくとも自ずと発生するものではないのだろうか。
すなわち、誰かに「思いやり」だの「愛情」だの推奨されて行動に移すのは押しつけがましいと僕は思うのだ。
非論理的な、感情的なものから生じる情愛や共感能力を人間は本来、備えている。たとえ、言葉で説明できなくても、むしろ言葉で説明できないものの中にこそ真善美は宿る。
他者の幸福を願う気持ちは因果関係や利害関係以前に自然に沸き起こるものだと思う。理性は二の次で自らの感情が揺れ動くものを僕たちは気づかない(フリをする)けど、確実にもっている。
そのことに名前を付けたり、意味を探す必要なんてない。
人間は、いつからか自分が納得できるような説明がなければ気が済まない生き物になってしまったのだろうか。
自分が知っていること以上に知らないことの方が多いことを自覚しなければならない。「無知の知」を自覚せよというよりかは、一義的な世界観からの脱却を試みよと僕は考える。
今日も皆様にとってよい一日でありますように。