見出し画像

幸福論の探し方

noteで有料記事を書いてからいきなり読まれなくなって、非情でウケた。まあ書いていることは全てハッタリなので、全ては等価値である。そう言ってしまうと、世界中の全部が自分からしたらハッタリなので、何にもかんにもが等価値である、とか言っちゃおうかな。

そもそも人間の価値感覚というものは『自分』という不安定な土台の上でサボテン(体育祭)しているだけのものなので、そう大事にするでない。価値感覚との向き合い方は文字通りに、野良猫を見つめるときの眼差しと距離感でいいんだと思う。

最近はめっきり本屋に行かなくなってしまった。家の中の本が多くなってしまいすぎたからだ。三百捨ててもまだ四百ある。正直もういらない。去年の後半は押し付けるようにいろんな人の家に本を置いてきた。

本をあげるという行為について最近までよく考えた。この本をあげたい人に、自分のこの部分を共有したいなあ、という気持ち。非常にコミュニケーションに能動的で、少しエッチだ。なぜなら自分の言葉として語り合えない部分を、いわば秘部であるが、それを共有したいというものだから。

最近は音楽や映画やなんかを共有したがる。僕は積極的に共有したがる。なぜなら露出狂だからである。自分がどういう姿カタチをしているのか、知って欲しいのだ。SNSは露出狂の吐きだめだ。欲望が、願望が充満している、いわばクソでか歌舞伎町みたいなものだ。

話がだいぶ逸れたけど、久しぶりに本屋に行ったのだ。大学の授業の講評で、「日本語をもっと勉強しなさい!」と先生にお叱りを受けた。自分の作品の不甲斐なさに取り憑かれて、割と本を読んできた人生を忘れて近所の本屋に行ってみた。

引っ越してから本を買っていない。近所の本屋の位置を確認したきり。さあ入ってみると、高校の時の気持ちが蘇ってくる。ここしか、この本のノリの匂いの充満した空間しか僕の居場所はないと思っていたあの気持ちがじわじわと・・・。そんな感傷を深く味わう間もなく、とあるコーナーに目が止まった。

_人人人人人人人人人人人_
> 自己啓発本コーナー <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

自己啓発本のコーナーを作るなよ。現代人どれだけ悩んでんだよ。

今まで行ってた本屋にはこんなに大々的に一つの棚を占領するほどの自己啓発、幸福論系はなかったと思う。気づかないうちに、人生の露頭に迷った人たちが急増しているのだろう。そんなに幸福論が多くて大丈夫か?全然大丈夫じゃない。

前置きが応仁の乱並に長くなってしまったが、今回は遊郭式幸福論の探し方をお教えしよう。

幸福論なんか読むべきじゃない、と僕は考えるものだが、どうしても必要な人がいるのだからあんなにデカデカとコーナーができてしまうのだ。必要ならば教えよう。

幸福論は、まず一人の人間を見つけることから始める。本屋でおいこれと適当に選ぶのは良くない。僕からしたら、その行為は道ですれ違った知らない人にいきなり性行為を求めるくらい非常識でディスコミュニケーションである。

小説家なりエッセイストなりイラストレーターなり芸人なり、今はいろんな人が自分の思考を垂れ流して金にしている。僕だってそうしようとしている。自分と思考がとても似ている人を探すのだ。途方もなし、と思っては、幸福になる気がないんだなという判定が落ちるわよ。あの服を買うためにバイトを一ヶ月頑張る、あの人と仲良くなって幸せになりたいからもっと話しかける。そういう積み重ねで幸せは獲得していくものだということは当たり前のことだろうが。

さて、その人!決めたらまずその人の本だけを読むのだ。とにかく何度も読んで会得する。自分の思考に順応して、新たに体の一部となる。仕草に出る。世界がどんどんと開ていく。あれ不思議。幸せ人間の完成である。

とまあうまく行かないから、そこから本のドツボに入っちゃうってわけよ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?