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【脳死は人の死ではない#10】脳死・臓器移植の真相(2)

脳死・臓器移植の現場を見ていく前回の続きです。脳死・臓器移植の実態を、小松美彦教授の『脳死・臓器移植の本当の話』から引用していきます(引用部分の太字はこちらで付けました)。

4.14年以上生きている脳死患者

 さらにシューモンは、前記175人のうち、医学的な情報が十二分に記されていた56人を厳選して綿密な集積分析(メタアナリシス)を行ったところ、そのうちの半数(56人中28人)が1ヶ月以上、3分の1近く(同17人)が2ヶ月以上、7人(13%)が6ヶ月以上、4人(7%)が1年以上、それぞれ心臓が動きつづけていることがわかった。右にも挙げた14.5年も心臓が動きつづけた者は、4歳のときに脳死状態に陥った男子であり、論文が執筆された時点(1998年)でも、自宅で人工呼吸器を付けて生きつづけている。さらに、本書の終章で詳しく見るように、この“少年”は少なくとも2003年春の時点でも存命中で、脳死判定から19.5年が経過し、23歳になっている。死んだはずの脳死の子どもが成長し、性的にも成熟し、青年の年齢にまで達しているのだ。(P.110)

……スティーブの脳はすでにドロドロに溶けた状態だとされ、それゆえ母親は定期的に検査に連れて行く病院の医師から「いつまでこんなバカげたことを続けるつもりなんだ」と言われてきたという。だが、脳がドロドロに溶けていても、スティーブは生きつづけていること、そして幾度もの感染症を克服して4歳のときから成長を重ねてきたことは紛れもない事実である。つまり、スティーブの身体の有機的統合性なるものは保たれており、そうであるからには、やはり脳は有機的統合性の唯一の中枢器官ではないことになる。また、そもそも思考や感情の中枢を唯一脳へと還元すること自体も、根本的な誤りなのかもしれない。(P.399)

5.脳死が人の死である基準が否定された!

 これまで脳死が人の死(の基準)とされてきたのは、次のような論理によっていた。まず、全身の有機的統合性の喪失を人の死と定義し、ついで、有機的統合性を司る中枢を脳全体と捉えた上で、脳全体が機能停止すれば有機的統合性は喪失するので脳死は人の死(の基準)である、という論理である。しかしながら、シューモンは、実例の紹介を交えて次の4点を提唱し、この論理を否定した。①身体の有機的統合性の中には脳が介在しないものが数多あること、②脳が介在する場合でも、脳は有機的統合性を生み出すのではなく調整・活性化するだけであり、脳がなければ有機的統合性が消失するわけではないこと、したがって、③脳は有機的統合性の統御器官ではなく調節器官に他ならないこと、さらには、④諸部分の相互関係によって生じる有機的統合性を特定の一つの器官(脳)に還元することは有機的統合性の定義とそもそも矛盾すること、である。(P.349)

……“全体としての有機的統合性が失われた状態が人の死であり、その統合性を司っているのが脳である以上、脳が死ねば統合性は失われ、多くの場合数日のうちに心停止に至る。だから、脳死(脳幹を含む全脳の不可逆的機能停止)は人の死である”。だが、しかし、シューモンの論文は、脳死状態になれば「人工呼吸器を付けていても多くの場合数日のうちに心停止に至る」という認識を、まず統計調査をもって否定した。しかも、それだけではなく、脳死を人の死とする大前提、すなわち、「脳幹を含む全脳の不可逆的機能停止」は「身体各部を統合する機能が不可逆的に失われたことを意味」する、という大前提をも覆したことになる。それゆえ、シューモンの主張に従うなら、日本においても脳死は人の死とはいえないことになるのだ。(P.115)

もはや、脳死を死の基準とすることが医学的に無理なことが明らかになっています。しかし、臓器移植を推進する人たちは、移植臓器を増やすために、新たな論理を導き出しているのです。

オーストラリアの生命倫理学者ピーター・シンガーは、人命に価値の序列をつけることを主張し、脳死者、遷延性植物状態の患者、無脳症児、皮質死状態の新生児を、「意識を回復する見込みがまったくない」として切り捨てようとします

そして、ハーバード大学麻酔学教授ロバート・トゥルオグはもっと先鋭的で、脳死者などが生きていることを認めた上で、臓器摘出を「正当化された殺人justified killing)」とするのです。トゥルオグは「移植臓器の獲得のためには時には殺人も正当だと認められる必要がある」と主張しますが、なんと恐ろしい言葉ではありませんか……。

かつて国会で審議された臓器移植法改正案。特に、与党が推進する「町野案」は、脳死を死の基準とすることが無理であるという医学的な見解を無視して、また論理的にも矛盾を抱えながら、臓器提供を増やそうとするものでした。脳死・臓器移植の実態を無視して、改悪的に臓器移植法改正を推進する、与党「町野案」は断じて認められるべきではないのですが……。

※臓器移植法改正案の「町野案」とは、「死の基準を脳死のみとする」という脳死一元論を提唱する。さらに、脳死判定・臓器提供の実施については、「本人が拒否していない限り、家族の同意で可能」とし、年齢制限も「制限なし」とする。

見出し画像は、メリカナデシコさんの画像をお借りしました。ありがとうございます。

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