2022/2/6 カラオケにならないこと

今日は、何だかすごく良い一日だった。

まず、自分が信じた子どもたちが、やっぱり素晴らしかったこと。学校として、教育的に行う文化祭の意義をしっかりと理解をしようとして、自分たちのわがままはなかなか通用しないということを理解した上で考えてくれていた。すごく大人だなと思うし、こういう子達が自分たちの考えを発信して、世の中を良くする考え方に共感をして、良い社会を作ってくれるのではないかとすごく期待をすることができた。
正直、今の高校生が気にしていることなんて、昔の高校生とそんなに変わらない。髪型、服装の自由が欲しいということ、自分たちのやりたいように文化祭を楽しむこと。これだけのような気もする。気持ちがわからない訳でもないし、別に自由にやればと思ってしまう自分もいるが、今までの教育では簡単には許されなかったところ。これが、良いことなのか悪いことなのかは、きっとすぐには答えは出ず、2,30年経たないとわからないんだと思う。だからこそ、ある意味「宗教的な」教えから脱却できないし、変えることにはすごく腰が重いんだと思う。
だからこそ、「なぜ変えたいのか?」「なぜ見た目までいじって自分を表現したいのか?」「見た目で表現する個性は果たしてその人の個性なのか?」といった、答えのない問題に対して考えていくことが大切だと思う。めんどくさいけど。
もしかしたらこんなこと、考えるだけ「コスパ」が悪いのかもしれないけれど、人間が人間としていかに豊かに生きていくのか?という「生きる力」に近い問題な気もする。
自分は、ただ高校生のわがままを聞きたいわけではないし、それを叶えるためだけに自分のリソースを割きたくない。結局わがままな大人を生み出すだけだと思うから。
そんな高校生に次のような話をした。
「カラオケって楽しいでしょ?でも、カラオケっていつでも行こうと思えば割といつでも行けるし、好きな人達と一緒に行くことができる。一般的な高校生の文化祭って、カラオケをしているだけのようなものの気がする。なんとなく、文化祭っぽいことをして、写真をとって、インスタにアップして楽しんでいるだけだと思う。それって別に今じゃなくてもできるし、1年に1回しかない、貴重な文化祭でやらなくても良いのではないかと思う。
自分は、カラオケみたいな文化祭にはしたくない。だったら自分たちで学校の外で楽しんだら?と思う。
でも、カラオケではなくて、「歌」になるとメッセージがあって、価値が増すと思う。同じような企画をするとしても、そこでスローガンを表現できているのか、つまり文化祭の2日間で自分たちの感じている違和感から生まれたスローガンをメッセージとして乗せることができれば、それはとても価値のあることだと思う。学校に関わる全員のために、全員がこのスローガンに対して考え、感じて、学ぶ文化祭になったらとっても素敵だと思う。」
きっとあの子達ならやってくれる。
そして、自分自身にもしっかりと言い聞かせたい。「カラオケみたいにしない。」すごくしっくり来る表現だなあ。
カラオケではなく、しっかりと心を動かす歌を歌うように仕事を楽しんでいきたい。

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