「平等」よりも重要である「不平等と差異」

現代社会の先進国において平等な社会であるべきだ というのは多くの人が同意する事でしょう。
でも今回書きたいことは、歴史的な視点をもって考えた時に「平等さ」は毒にもなる事、意外と不平等も重要だという事です。

不平等で不公平だからこそお互いを比較する必要もなく違いが生まれ、
お互いが違うが故に比較する尺度を持たず、お互いの個性や違いが明確になり、凸凹のパズルが綺麗にハマり相補関係になり支え合うような良い感じの関係になる という事を言いたいのです。

歴史についてです。
人類の生誕の99.9%は原始の時代、残りの0.1%は人類が農耕を開始して文明的発展を遂げました。

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その99.9%の期間で人類が身に付けていた思考とは、
不平等こそが、社会にとって一つの財産と考えていました。
不平等だからこそ人間の価値を同一尺度で測れないため、比較する事が出来なかった。
そのため、各個々の希少性が確保されており、誰かが誰かの奴隷になるような事もなかった。
人の価値が最上位にあったので人を労働力や何かの物としての価値に置き換える事ができませんでした。

そして、不平等による人間同士の不均衡は、受け取った人は贈与する相手を寛大な心の持ち主だと褒め称えることで、贈与者ものは名誉を受け取ることにより解消していたのです。

それが農業が開始されてると、土地を持たない者は作物等で支払うようになりました。農業は気候に左右され、また土地の栄養状態も悪化し、持たざるものは支払う事ができず負債を追うようになりました。

債権者は債務者に対して、取り立てをしたくなります。
そこで互酬性(受け取ったら返す関係)が誕生します。
互酬性は平等に基づきます。人間として平等なのだから借りたものはちゃんと返しましょうということになります。
物で返せないならどうするか、貴方の労力を奴隷として提供しなさい ということになったわけです。
↓人間同士の関係は以下のように変化していくわけです。

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農業前の社会では、社会的不平等が経済的平等を形成していたのですが、
農業開始後の社会では、社会的平等が経済的不平等を形成していきました。

不平等の重要性は、現代においても社会心理学の観点から認められているようです。
アイデンティティ(自己同一性)は他者との差異化に支えられているため、差異感覚の確保心理的安定をもたらし、異文化や違う物を受容することになります。
一方、平等なイデオロギーに支配されている社会の場合、人は他人との差異化をするために同類の間では比較をし、格差が生まれます。同じはずなのに違うということから劣等感を感じる人間は、自らの劣等生を否認する為に不平等を糾弾しようとする動きをとります。そして平等は負のサイクルを引きおこします。

今まで平等の弊害について記載してきました。
ただし不平等にも弊害はあり、21世紀の資本(著 ピケティ)でも記載されているように分配が必要となります。

タイトルと最後の意見が多少ずれましたが、
コロナが明らかにしたのは、世の中に影響を与えることのない不要な人は存在しないと言うこと。そして自身ではメディアアーティストと名乗り広範囲に活動されている落合陽一さんが言うように、誰一人取りこぼさない社会が必要であること。
人口オーナス期に入る世界ではGDPの伸びはなくて、ゼロサムゲームだと言われております。ヤフーCSOの安宅さんはこれからは差異の時代だと言われております。

最後に書きながら到達した意見は、
これからの社会は平等と不平等の中間の概念が必要なのかなと感じております。平等でも不平等でも満足できない私たちはその中間のと言うか中庸な概念が必要なのではないか? です。

以上 最後までお付き合い頂き感謝します。ありがとうございました。

<参考文献>
 負債論、石器時代の経済学、社会心理学講義、21世紀の資本、シン・ニホン、2030年の世界地図



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