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甘さと人類(雑記3 農耕開始-古代文明)

約1万年前に農耕が始まり、ここから食生活や社会の形態が大きく変革されて甘さを享受できる人々、甘さの意味も少し変わっていたように思う。

 最終氷期が終わり温暖な気候を人類が迎えた時に農耕が始まったと言われている。厳密にミクロ的に記録に残らない当時の人の行動を知ることは難しいが文献でみる限りで農耕が始まった時期はこの時期のようだ。農耕はレバント(中東)地域が発祥の地とされている文献があるが、他にもメソアメリカ(メキシコ周辺)地域や中国でも起こっているため何処が初めかなのかわからない。そもそも遠くそれぞれ離れた土地に住む人類同士が交流を行って伝来するかなんてわからないし、始めようと思うかどうかという気持ちの問題とその地域固有の環境による影響も大きいのだろう。
 地理的な影響だと、メソポタミアが当時は氷期を終えて今ほど砂漠化する前の時代で今より水が豊かだった時代であったこと。リスクを考慮すると作ったものがすぐ取れる品種が良くて、成長が見込めるような温暖な地域であること。温暖なだけでなく乾燥していて作物が病害の影響を受けにくいこと。などの理由はあるだろう。

 農耕は女性が始めたとされている。何故が女性が?というと当時男女が行動を共にしている場合の役割はある程度はっきりとしていたそうだ。男性が狩猟を行い、女性が採集をしていた。役割上は自然な気がするが理由は恐らくそれだけではない。母権論など文化人類学の走りとなる文献や他の書物などによると、女性(母)の象徴する意味とは、月や大地や自然や物質的で、身体的でアニミズム優先だったようだ。一方の男性(父)の象徴する意味とは、太陽や加工や精神的や非物質的で知的原理優先だったようだ。女性の方が勤勉で真面目で、現実的であることはある程度理解が得られると思うが(他にも環境お影響次第で変わるのでミクロ的にはそうでは無い人もいると思う)ある程度納得はできると思う。
 農耕の開始に伴い、人為的に作物の量を増やすことが可能となるため人口が増えていった。鶏と卵の論理になってしまうが、農耕をする上で労働力が必要なので子孫を多く残す必要があった。農耕により定住するようになり、人口密度も増えてその結果疫病も広がりやすくなり、子供の死まで見越して多く子供を産む必要が生じた。恐らく現在でもアフリカな子供の頃から労働力として仕事を子供を沢山産む理由の1つと一致している。
 労働力が必要となると管理する人が必要となる。農耕を行う上で水や収穫された作物が皆に分配されるように管理する必要があったりその地域をまとめる首長なるものが必要となりヒエラルキーが形成されるようになった。そうなると他人を搾取するようになったり、ヒエラルキーのトップや管理者に労働者は搾取されるようになった。(と言っても当時の人が搾取されているかはわからない。エジプトなどはご褒美としてビールを貰えていたりしたので認識は人それぞれで地域によっても違ったのだろう)
 砂糖は当時サトウキビから採取するものであり、サトウキビの生産には膨大な労力が必要であり、かつ土地の栄養を吸収して土地を不毛なものへと変えてしまうため生産量はなかなか伸びなかった。
 マケドニアのアレクサンドロス大王の遠征により兵士が欧州へ持ち帰り、イスラム圏で発達したサトウキビは欧州へ広がっていった。
 こうなると甘さはヒエラルキーの上層にいる人々のものとなっていった。収奪できるとはいえ当時機械がなく今と比べれば圧倒的に農業技術が劣り、貯蔵技術も発達していない時代なので一般の労働者にとっては貴重なもので疎遠なものだった。
そんなヒエラルキーのトップ(貴族や富裕層など)にとって甘さとは薬的な意味を持っており万能薬であったり儀礼用に振る舞ったりするための権力の象徴であったりした。
 当時甘いものを摂取すると体力が素早く回復し即効力があるため薬的な扱いがされていたのだろう。
 社会の変化と共に集団の構造が変化し、「甘い」という事の意味は変化していった。 
甘さとその効用が科学的に解明された現代では甘さは機能的な役割が強くなってきたように思うが、現代とは異なる解釈がされていた。

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