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嘘日記006:そっくりな字を書く「誰か」(2,244字)

小説を書くための筋力(概念)をつけるために、
毎日架空の日記を書くことにしています。基本的に架空です。

 今日は久々に、今働いている会社のオフィスに顔を出すことにした。
 今勤めているところには、春先、ちょうど緊急事態宣言が出るか出ないかくらいの時に入社して、それからずっと在宅勤務の状態が続いている。
 社員の中には作業環境、業務内容などいろいろな理由で定期的に出社して仕事をしている人もいるらしいが、わたしの場合はパソコンを受け取ったり、書類の手続きをしたりで二、三度訪れたことがあるだけだ。
 リモートワークを初めてすぐは、ツールに不慣れだったり振る舞いの勝手がわかったりで困惑していたこともあるが、続けていくうちに慣れてきて、そのうちに快適さを感じるまでになった。
 他の社員も同様のようで、通勤時間にかけていた時間を他のことに当てられるようになって充実しているとか、出社の必要がなくなったので郊外への引っ越しを考えていて楽しみとか、割とポジティブな感想を聞く。
 とはいっても、やはり人間同士の生っぽいコミュニケーションが減ってしまって物足りない、という意見があるのも事実だ。もともと社員数40名程度のアットホームな会社なので、余計にさみしさを感じるのかもしれない。
 そこでこの会社では、外出自粛が明けたころから社員同士のコミュニケーションのために、オフィスに一冊、社員が自由に書き込んでいいノートを設置したそうだ。噂によると、出社した社員がおのおの本当に好きなことを書いていて、中には力作のイラストを残している人もいるらしい。
 何を隠そう、今回わたしが出社することにしたのは、このノートを一目見るためなのだ。

 夕方、一通りの仕事を終えて、件のノートが設置されている休憩スペースへ移動する。ちょっと業務時間中に舟を漕ぐこともあったが、他に出社している人も少ないことだし大目に見てほしい。さあ、いよいよお待ちかねの時間だ。
 このオフィスの休憩スペースには、テーブルをはさんで向かい合わせに長椅子が置いてあるところがあって、見た目から名付けられたのか、社員からはファミレス席と呼ばれている。そのファミレス席のテーブルに、例のノートは設置されていた。
 表紙に「交換日報」と大きくマジックペンで書かれているそれは、ところどころよれたりめくれていたりして、何人もの人が手に取ったということが一目でわかった。
 せっかくなので、最初のページからめくってみる。まずは管理部の人が書いてくれたこのノートの使い方、次は取締役が書いたこのノートを設置するに至った理由、それ以降は毎日ではないものの、一日一ページずついろいろな人の手によって書かれた個性的な日報が続いていた。特に名前は書いていないのだけれど、社員それぞれの人柄を知っていると誰が書いたのか何となく予想がつくので面白い。
 にやにやしながらページをめくっていたが、あるところで、自分のものだとしか思えない字で書かれたページを発見して、ぎょっとした。慌てて手を止めて内容を読む。案の定自分では書いた覚えのないものだった。わかってはいたけれど、つい安堵のため息がこぼれてしまう。
 一度安心すると、先ほど抱いた肝の冷える思いなどすぐに忘れて、好奇心がむくむくと膨れ上がる。
 自分そっくりの字を書くこの書き手が、他にも何か残していないだろうか。はやる気持ちを抑えながら、ページを一枚ずつ送っていく。すると先ほどのページ以外にも、何ページかそれらしいものが見つかった。大体月に2度のペースで書いているらしい。自分と違って、結構出社している人なんだなあと感心した。
 リモートワークへの困惑や不安な気持ちの吐露、在宅勤務中の過ごし方、自宅で飼っているらしい猫のこと。
 一ページ一ページ読み進めていく毎に、自分との共通点を見つけて驚きが増す。そういえば、いったいこれは社員の誰が書いたものなんだろう。
 そっくりさんが最後に書き残したページには、昨日の日付が記載されていたて、そこに書かれていたのは―――「最近小説を書きたくて、嘘日記というのをnoteで連載しています。今日はネタがなくてすごく困りました」
 読んだ瞬間、頭の先から足の指の毛の先まで総毛立った。なんだこれは。これは、この内容は、まるでわたしが書いたようじゃないか。でもわたしはこんなこと書いていない。じゃあいったい誰が―――?

 毛穴という毛穴から嫌な汗が出ているのを感じる。背筋は凍り付くように冷たい。
 呆然としていると、休憩をとりに来たらしい女性社員に声をかけられて、とっさにノートを閉じた。
「そのノート好きなんだね。昨日も書いてたってほかの人に聞いたよ。さっき書いてたぶんと合わせて、わたしも後で読ませてもらおうかな」
 そう言って自動販売機で飲み物を選び始めた彼女に返事をしようにも、はあとかまあとか要領を得ない言葉しか出てこない。
 そんなことより、今あの人は何と言った? 殴られてもいないのに視界が揺れる。
 「昨日も書いてた」? 誰が? わたしが? わたしは昨日出社なんてしてないのに?
 それに、「さっき書いてたぶん」ってなんだ? わたしはまだ何も書いていない。いったいあの人は、何を見たんだ?
 もしかして。そんな考えが頭をよぎる。まるで耳元で鳴っているかのように心臓の音が大きく聞こえる。
 もしかして本当に、わたしが書いたのか?
 覚えていないだけで、わたしが。
 震える指先で慎重にノートをめくる。日付を確認しながらゆっくりと今日のページまで紙をめくる。
 そして、
「あ」
 それ以降のことは、記憶にない。

<了>

書き終わるのにかかった時間:120分

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