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文字の私と、喋る私。書く私と、声の私。

比較の粒度が違う気がして、「書く私と、声の私」を追加しました。そして粒度を揃えるならば、「文字の私と、声の私」「書く私と、喋る私」なんだろうなあ。でも最初に思いついた言葉を成形したくないときもあってね。いつものことながら、まどろっこしい始まりしてるなあ。

熱海に向かう電車に揺られながら、9月ラスト10記事目のnoteを書いてるよ。なんとか10記事以上は毎月達成してる!プライドと、習慣が失われる怖さで続けられてる。

本題に入る前になんだけど、note運営事務局から届いたメールに(悪い意味で)かなり動揺してちょっとだけ発信が怖くなってる。その詳細を今ここには書けないけど、SHElikesの著作権のコース見ようと思いました、はい。


本題なんだけど、note含めてSNS上の私と、実際に会って(オンライン込み)喋る私と、かなり人格が違う気がする。と言っても、「文字」の世界であるnoteで発信しても、喋る私との比較ができる人は限られてくるんだけど。

明確に意識してる部分もあれば、無意識的な部分もあるけど、たしかに使い分けてると思う。

「文字」と言っても、LINEやDMみたいに特定の相手がいる場合は、「喋る私」モードだと思う。仕事でのメールやSlackもこれに当てはまる。

あくまでSNSである程度不特定多数に向けて書く「文字」のことを指してる。あからさまに誰かを傷つけるような発信はしないようにしてるけど、それでもたまたま目に入ってしまうネットの大海原で100%全員から好評価を得られることなんて、不可能に近い。メンタル状況によっても変わるだろうし、受け手に委ねられた時点で操るのは無理な話よ。

だから、割り切って自分が書きたいことを書く。そのときの記憶を忘れたくないから、感情や感覚や生まれた言葉をなかったことにしたくないから。言葉は「なまもの」だと思ってる。脳内でぐにゃぐにゃしてる状態から、組み立てて下界(?)におろしてやっと目に見える言葉になる。可視化ァ!言語化ァ!(は?)

明確にターゲットやペルソナを設定して書く文章はそれはそれで、もちろん相手を想って書くんだけど、それとも別物な気がする。

私の場合は、文字のほうがすらすら言葉が紡げる。脳内で爆速で流れてるひとりごとを、両の親指でフリック入力して文字起こししてるだけだから。完璧に成形されない「なまの言葉」がぴよぴよと飛んでいく。めっちゃ真顔で澄ました空気をまといながら、脳内のうるさいテンションがこぼれてるから、文字の私のほうが"おしゃべり"だと思う。

でもいざ喋るとなると、一気に言葉が出なくなる。文字のほうが残り続ける残酷さはあるものの、結局のところ記憶に強く残るのは「声に出されて伝えられた言葉」じゃない?私も本やnoteなど「文字」でもらった好きな言葉も大切にしてるから、一概には言い切れないんだけどさ〜。

何が言いたいかというと、それだけ相手の心にストレートパンチをぶつけてしまう可能性のある「喋る言葉」を慎重に選んでしまうのよね。なんにも考えてないわけじゃないし、伝えたいことはあるけど、伝え方に迷って迷って迷って〜ってしてるうちに、タイミングを失って、「アッ…」というコミュ障特有の発声をしてしまう。脳内では、「こんな言い方したらなんて思われるかな?でも別の言い方も浮かばないな。うーん、解釈むずすぎ。相手はどういうつもりでこの質問してきたんだ?どんな答えが求められてる?」とかぐるぐるぐる〜なのよ。INFPみすごくない?

もちろん相手との関係性次第だとは思うけど!!

ずっとSNSで見てただけの方と、ここ最近お話する中で思ったこと!あと、SNSは文字そのものもだけど、アイコンの印象も大きいよね、きっと!オチはないので、これで終わりです!いずれにしても伝える言葉や伝え方は大事にしたいねえ。

もし、文字の私と喋る私の印象について教えてくれる方がいらっしゃったら、コメントお待ちしてます💗

それではまた明日のエッセイでお会いしましょ🌇

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