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独断と偏見によるウズベキスタン代表選手紹介(2024年5月8日更新)

 本稿では、今回はウズベキスタン代表チームの主力選手を、長らくこの国のサッカーをフォローしてきた筆者の独断と偏見を交えて紹介する。
 半可通が書いたものとはいえ、「誰だこれ?」「どんな選手なんだ?」という疑問を解消する助けになれば幸いだ。選手の入れ替わりに応じて、適宜追記、修正していく。なお惜しくも代表から漏れてしまった選手は、別の記事で紹介する。

 2024年4月29日、U-23アジア杯準決勝でウズベキスタンはインドネシアに勝利し、独立後初となるパリ五輪サッカー競技への出場を決めた。歴史的偉業を達成した選手たちの多くが、すでにフル代表でのキャリアを積んでいる。名前の後に「☆」がついた選手は、今夏フランスのピッチで見られる可能性が高い選手である。予習にどうぞ。



◆ゴールキーパー

ウトクル・ユスポフ(O'tkir Davlatbekovich Yusupov)

1991年1月4日生、カザフ・ソヴィエト社会主義共和国サイラム出身
ポジション:ゴールキーパー
所属チーム:ナフバホル
 ウズベキスタン代表の正GK。長らく無名だったためか国内では「消去法正GK」などと言われるが、総合力の高さは侮れない。安心感のあるプレーでゴールを守る遅咲きの苦労人。低い弾道のロングフィードが特徴的。
 パフタコルの育成組織育ちだが出場機会がなく、2012年にマシュアルでプロデビュー。2014年にナサフに加入するものの、元代表のスユノフがレギュラーを務めており、ここでも主力としてプレーすることはできなかった。2016年にネフチに移籍するとようやく正GKを務めることとなり、弱小チームながら1部リーグでの経験を積み始める。翌年ネフチの降格に伴いコーカンドに移籍し、そこでも主力の座を手に入れる。ゆっくりだが実力をつけていき、中堅チームの有力選手として名が知られ始める。この年には、27歳にしてウズベキスタン代表に初選出された。
 2019年にナフバホルに加入し主力としてプレー。これが転機となった。2022年にチームを保有するナマンガン州の強力なサポートの下ナフバホルは超大型補強を行い、巨大戦力を要する優勝候補に変貌。メンバーが様変わりする中、彼は引き続きゴールを守り続けた。30歳を過ぎていたがハイレベルな環境で大きく成長を遂げ、国内最高のGKとなった。2021年からリーグ3期連続で全試合フル出場、代表でも2022年からスタメンを務める。
 現在のカザフスタンで生まれたため、2017年までウズベキスタンの市民権を持っていなかった。5歳でタシケントに移り住みサッカーを始めたが、親戚のワンルームに家族全員で暮らし、家計は貧しく、子供の頃から家計を支えるためにバザールで働いたという。11歳で通い始めたサッカースクールでは、友人からもらった塗装業者の作業用手袋を身に着けてプレーしたとも言われる。厳しい境遇から身を起こし、長い雌伏を経て開花した苦労人。
 民族ウイグル人という情報もあるが、真偽は不明。


アブドゥヴォヒド・ネーマトフ(Adbuvohid Furqat o'g'li Ne'matov)☆

2001年5月20日生、ジザフ州ジザフ地区出身
ポジション:ゴールキーパー
所属チーム:ナサフ
 ウズベキスタンの次世代を担う若手GK。182cmとGKとしては大柄でないが、俊敏なセービングと果敢な飛び出しでダイナミックにゴールを守る。至近距離のシュートにめっぽう強く「当たる」と止まらない姿はかつてのネステロフを彷彿とさせる。
 地元ジザフのスクールを経て15歳でナサフの下部組織に加入。2019年、負傷したエルガシェフの代役に抜擢されるとそのままレギュラーに定着。エルガシェフの復帰後も定位置を渡さず、あっという間に国内トップレベルのGKに成長した。2020年1月のAFC U-23選手権でも18歳にして全試合でゴールを守り、4位入賞に貢献。2020年シーズンもライバルを押しのけスタメンでゴールを守り続け、ウズベキスタン年間最優秀若手選手賞に輝き、満を持して代表初選出。なお、この年はキャリアを通しPKを失敗したことがなかったホルムハメドフのシュートを止めたことで称賛された。
 翌2021年からはエルガシェフ守護神を激しく争う。2021年はエルガシェフにレギュラーを明け渡すも、2022年は彼がポジションを奪取。エルガシェフも1999年生まれと若く、2人で切磋琢磨している。6月のU-23アジア杯でもウズベキスタンの準優勝に貢献した。以前はハイボールに弱く、試合中に冷静さを失うきらいがあったが、2023年頃からプレーに落ち着きが見られ、着実なレベルアップが感じられる。3度目の出場となる24年のU-23アジア杯でも事実上の正GKとして五輪出場に大きく貢献した。
 驚くべきことに、ナサフのU-21チームではフィールドプレーヤーとしても活動していた。GKとDFを兼務しており、さらにFWでもプレー可能だったらしい。ボール扱いが妙にうまいのはこの辺りが関係しているかも。


◆ディフェンダー

ルスタム・アシュルマトフ(Rustam Elyorovich Ashurmatov)

1996年7月7日生、フェルガナ州コーカンド出身
ポジション:センターバック
所属チーム:ルビン(ロシア)
 センターバックに必要な能力をバランスよく備えた実力者。力勝負に強く冷静さも兼ね備えるウズベキスタンの守りの要。
 育成の名門ブニョドコルがかなり早くに送り出した選手。本人はトップチームがこの国のサッカー界を席巻する前、まだチーム名が「クルフチ」だった頃に地元サッカースクールから加入した。シュクロフやハムダモフらを擁する96年生まれ世代の中心選手として各年代別の世界大会を経験し順調に成長、2015年にトップデビューしたブニョドコルでも早くから頭角を現すと、金満補強の黄金時代から若手起用の過渡期にあったチームでディフェンスリーダーを務めた。これらの活躍が認められ、パフタコルからの誘いもあった中2019年に韓国2部の光州に移籍。ここでもポジションを確保し、年間ベストイレブンにも選ばれる活躍で光州の1部昇格に貢献。力勝負を好む韓国リーグで揉まれさらに成長。若干ひ弱な印象だったが、強さに大きく磨きがかかりたくましいDFに。
 光州でのプレーぶりが評価され、2019年頃からウズベキスタン代表に招集されるようになった。2020年頃から完全に定着し、コビロフと共に次世代を担う存在と目された。2022年2月に大型補強を行ったナフバホルに加入し国内復帰。守備の要を任され期待通りの大活躍。それまでの欠点だった対応の甘さが改善し、最終盤まで優勝を争ったチームの2位フィニッシュの原動力となるなど実りの多いシーズンを送った。
 この活躍が認められ、シーズンオフにブニョドコルのラフモナリエフとともにロシア2部のルビンに移籍した。ルビンではそのまま1部昇格に貢献。2023-24シーズンは大舞台で自らの力を試す。叔父のバフティヨル・アシュルマトフ氏も元サッカー選手で自身と同じセンターバック。2000年代の代表守備陣を支えた名選手である。兄のノディル氏も有望なGKだったが、腕に重傷を負い若くしてキャリアを終えた。


フスヌッディン・アルクロフ(Husniddin Ro'zi o'g'li Aliqulov)

1999年4月4日生、カシュカダリヨ州キトブ地区出身
ポジション:センターバック、サイドバック
所属チーム:チャイクル・リゼスポル(トルコ)
 ウズベキスタンの若きDFリーダー。後述のフサノフ同様強さとスピードを兼ね備え、守備対応も冷静。攻撃志向の強いナサフでSBも務めた経験から技術も高く、得点能力も高い。穴らしい穴のない選手だが、細かい負傷が多いのが欠点。
 出身は歴史都市シャフリサブズの隣町キトブ。地元のマシュアルの育成組織育ち。同じ代表のシュクロフやショムロドフは先輩に当たる。2018年にトップデビューするが、翌年にナサフに移籍。マシュアルは慢性的な経営難が続いており、そのシーズンも16チーム中7位ながらクラブライセンスを取得できず2部降格している。なお、かつてはパフタコルをも凌ぐ選手育成力で知られていたアカデミーも2019年に閉鎖した。
 当時のナサフは名将ベルディエフ監督の下、魅力的な攻撃サッカーでウズベキスタンサッカー界を席巻し始めていた。2020年にナサフでも出場機会を得ると、シーズン後半からガイブッラエフからCBのポジションを奪取。以降は若手軍団ナサフの主力DFとして成長、評価を上げていく。
 2020年のU-23アジア選手権にも出場し、CBとSB両方でプレーしウズベキスタンの3位入りに大きく貢献。2021年にウズベキスタン代表にも初選出。2022年には更に成長を遂げ、チームの絶対的な柱に。代表でもレギュラーの座を掴み、アシュルマトフやエシュムロドフとCBコンビを組むように。国内リーグを代表する選手と目されるようになった。
 2023年シーズンはどういうわけか得点能力が開花。CBながらセットプレーから次々とゴールを挙げるように。すると8月にトルコ1部リーグのリゼスポルに移籍し欧州挑戦を果たした。リゼスポルでもレギュラーを掴みかけており、24年1月のアジア杯でもDFリーダーを期待されメンバーにも選出されていたが、大会直前の練習で重症を負い、欠場が決まってしまった。
 今季までメタルルグでプレーし、来季から韓国2部の釜山Iパークに移籍するDFムハンマダリ・アルクロフは実兄。


ウマル・エシュムロドフ(Umar Yusuf o'g'li Eshmurodov)

1992年11月30日生、カシュカダリヨ州コソン地区出身
ポジション:センターバック
所属チーム:スランゴル(マレーシア)
 国内リーグを代表するベテランセンターバック。判断力と予測力を活かした冷静な対応と抜群のカバーリング力が最大の特徴。フィジカルよりも豊富な経験とクレバーなディフェンスで勝負するタイプ。
 出身地に近いカルシのスポーツ学校でサッカーを学び、後に州内のシュルタン(グゾル)の育成組織に移る。2012年にトップデビューしてキャリアをはじめると、チームが2部リーグに降格した2014年に主力の座を掴み1年での昇格に貢献。その後も4シーズンにわたりシュルタンでプレーした。
 2017年シーズン途中にナサフに移籍すると、ここでもすぐに中心選手になり活躍。美しい堅守速攻を標榜するベルディエフ監督のスタイルを守りから支えた。この頃のナサフは有望な若手選手を軸にチーム作りをしており、ポテンシャルが評価され国外挑戦したりパフタコルに引き抜かれたりする選手も多いなか、地元出身のリーダー格として長年チームを牽引し続けた。所属チームでは毎年のように優勝を争う強豪チームで揉まれ、さらに後述の通り代表に定着し経験を積んだことで、30歳を目前にして本格的にブレーク。衰えるどころかプレーぶりには磨きをかけ、国内屈指のセンターバックに成長した。2019年からは5年間ゲームキャプテンも務め、リーグ戦通算200試合以上に出場するなど文字通りナサフの象徴的存在。
 代表歴は浅く、アブラモフ政権の2020年に27歳で初招集。デビューは遅かったが、人材難も相まって2021年に後任のカタネツ監督に見いだされると代表に定着、以降はほぼすべての国際試合に出場。この1~2年でアルクロフやフサノフら優秀な選手が台頭して絶対的立場ではなくなったが、彼の力が必要な時はまだまだありそうだ。
 2023年シーズンをもって7年間在籍したナサフを退団。マレーシア1部のスランゴルへの移籍が決まっている。なお、2020年にシーズン前に2年契約でパフタコルに移籍しているが試合出場はなく、開幕直前にナサフに期限付き移籍で復帰。2021年も同様の形でナサフに加入、契約満了後に再びナサフに復帰している。これがどういう意図で行われたのかは不明。


ホジアクバル・アリジョノフ(Xojiakbar Ulug'bek o'g'li Alijonov)


1997年4月19日生、タシケント市出身
ポジション:サイドバック
所属チーム:パフタコル
 超攻撃的右サイドバック。スピードに乗ったオーバーラップやDFラインの隙間を突くインナーラップ、縦横無尽のドリブル、高速クロス、正確で強烈なロングシュートなど、ディフェンスラインにいながらFWのような派手なプレーを見せる。その反面守備力は低く、対応の甘さやカバー能力など課題は多い。劣勢時や乱戦に冷静さを失ったり、軽いプレーから不用意にボールを失うといった致命的な欠点も目につく。彼が空けたスペースを突かれたり、あっさりかわされて大惨事という場面も。
 20歳でデビューして以降、ピーキーで穴は多いが圧倒的な攻撃力でパフタコルのレギュラーを守ってきた。年齢別代表の経験も豊富で、U-23アジア杯には2018年と2020年の2度出場している。転機は2022年。シーズン途中に加入したウクライナ人のナソノフと激しいポジション争いを繰り広げた。シャツキフ監督は攻守に安定感のあるナソノフを好む傾向にあり、彼の加入以降チーム状態は上向き、劇的な逆転優勝を果たした。
 シャツキフ監督の嗜好とナソノフの存在に危機感を覚えたのか、2023年はプレーの安定感が格段にアップし、再びポジションを奪取。攻撃能力はそのままに守りで大きく成長を遂げた。さらに代表のカタネツ監督が展開する3-4-3システムのウイングバックという天職を発見。これまでの「好選手」から、ウズベキスタンを代表する一流のサイドバックに成長を遂げ、かつての脆い姿は過去のものになりつつある。近年は国家レベルで右サイドバックの層が非常に薄いため、代表チームに欠かせない存在。
 2024年のアジアカップでもレギュラーを務めていたが、GL緒戦のシリアとの試合で負傷。そのままチームを離脱してしまった。
 余談だが弟のジャヴォヒルもトゥロン所属のサッカー選手。また、どういうわけか、2019年に制作された「パフタコル1979」についての短編映画"Фильм о звёздах, которые навсегда останутся в небе"の終盤にカメオ出演している。


ファッルフ・サイフィエフ(Farrux Karimovich Sayfiev)

1991年1月17日生、サマルカンド州サマルカンド出身
ポジション:サイドバック
所属チーム:ナフバホル
 長年ウズベキスタンの左サイドバックのレギュラーを務めてきたいぶし銀の名手。派手なプレーはないものの、スピードに乗ったオーバーラップや鋭く正確なクロスといった攻撃力、間合いの取り方や詰めるタイミング、カバーリングなどの守備力双方に優れたバランスのいい選手。右サイドもこなすユーティリティ性も大きな武器で、近年の左過多によりその持ち味が活きる機会が増えている。本人は攻撃志向なのか、何の前触れもなくゴール前に出現する意外性もある。
 偉大な前任者ヴィターリー・デニーソフの後釜にあっさり収まったことからも能力の高さが覗えるが、いかんせん地味。何でもこなせる落ち着き払った働き者タイプで、伝統的にいい加減で守備難のウズベキスタンのサイドバックには珍しい、堅実なプレーが光る好選手。なお、パフタコルで長くチームメイトだったマシャリポフとは抜群の連携を見せる。
 2021シーズンは攻撃面で才能が開花。最多アシストを記録した。2022年も予想外の攻撃力を見せつけ、30歳を過ぎてから攻撃もハイレベルの超万能サイドバックの新境地を開拓しつつある。代表でも長く左サイドバックの1番手を務める。ライバルのユルドシェフやナスルッラエフらライバルも控える上にベテランの域に差し掛かり安定感に陰りも見えてきたが、そうやすやすと後進にポジションは明け渡さない。
 パフタコルでの背番号は主力選手にしては大きめの34だが、ナサフでトップデビューした2013年から継続して着用し続けている。愛着があるのだろう。
 2024年の年明け早々、ネフチへの移籍が報じられた。昨季大活躍した上に、これほどの実力者が契約期間を1年残して格下のチームに完全移籍することに驚きを感じていたが、その後アジア杯期間中にナフバホルへの加入が正式に発表された。一体ネフチはなんだったのか。いずれにせよ、移籍の背景にはパフタコルの若返り計画があると噂される。


イブロヒムハリル・ユルドシェフ(Ibrohimhalil Habibulla o'g'li Yo'ldoshev)☆

2001年2月14日生、シルダリヨ州ヤンギイェル出身
ポジション:サイドバック
所属チーム:カイラト(カザフスタン)
 売り出し中の若手左サイドバック。最大の武器は攻撃力で、高精度のクロス、スピードに乗ったドリブル突破、器用なボールさばきで左サイドを走り回る。守備能力にはまだまだ改善の余地あり。ウズベキスタン人男性はスポーツ刈りのようなダサい髪型が多く服装も地味だが、プレー中は右の薬指にテーピングを巻いていたり、落ち武者風のロン毛だったりと、少し珍しいセンスの持ち主。
 パフタコルのユース育ちで、期限付き移籍で加入したブニョドコルで2020年にプロデビュー。代表監督も兼任するアブラモフ氏(当時)の下でレギュラーを掴むと、そのまま2020年10月の親善試合で代表でもデビュー。格上イラン相手にもひるまず90分間戦い抜くタフなところを見せるなど、全く無名の存在(年代別代表では主力だったが)から一気に評価を上げた。デビューシーズンに早くもロシア1部のヒムキ移籍が決まりかけていたが、色々あって流れた模様。2021年からはパフタコルに復帰。勢いそのままにレギュラーとしてプレーした。
 そして2021年9月、ロシア1部のニージニー・ノヴゴロドに移籍。ジェノアからの引き合いもあったそうだが、ショムロドフの助言によりステップアップの足がかりの地としてロシア行きを選んだ。攻守に激しくスピード感あるプレーはロシア1部でも通用し、加入直後から左ウイングバックの主力を譲らずシーズンを乗り切った。2022年シーズンも開幕からレギュラーを務めており、印象的なアシストやゴールも記録。ロシア国内の評価もうなぎ登りである。
 しかしながら2023-24シーズンは一転、新たに就任したユラーン監督の構想から外れ、より堅実な選手を好むためほとんど出場機会が貰えず。厳しい立場に置かれ、ウズベキスタン代表からも遠ざかった。結局2024年の冬に退団し、カザフスタン1部の古豪カイラトに移籍した。新天地ではレギュラーとしてプレーしており、少しずつパフォーマンスを戻しているようだ。
 余談だが幼少期にテコンドーを習っており、サッカーを本格的に始めたのは11歳と後のプロ選手としては遅め。小柄な体に隠し持つ体幹の強さは格闘技で培ったものだという。


シェルゾド・ナスルッラエフ(Sherzod Innatillo o'g'li Nasrullaev)

1998年7月23日生、カシュカダリヨ州コソン地区出身
ポジション:サイドバック
所属チーム:ナサフ
 2〜3年で急速に台頭した攻撃的左サイドバック。ダイナミックなオーバーラップから高精度の高速クロスを放つ。フィジカルにも優れ、タイプの似たユルドシェフに比べてパワフルなプレーが持ち味。
 サッカーどころとして知られるカシュカダリヨ州出身で、ナサフの育成組織出身で、地元のアランガというチーム(ナサフのアフィリエイトチーム?)を経て2015年にナサフのセカンドチームに加入し、2018年にトップデビュー。同年代にB.アブドゥホリコフ、ボゾロフ、ガニエフ、モズゴヴォーイ、アルクロフ、サイドフ、少し年下にネーマトフ、ダヴロノフ、ノルチャエフと逸材がずらりと揃う中なかなか出場機会に恵まれず。チームメイトが大勢参加した2020年のU-23アジア杯にも参加していない。
 主力に定着したのは2020年だが、筆者が存在を認識し始めたのは翌2021年。やや荒削りながら攻撃性能には目を見張るものがあり、緻密なパスワークとフリーランが特徴のナサフの攻撃サッカーにマッチした選手という印象を持った。翌2022年はシーズン序盤で重症を負い出遅れる。その間に若手のダヴロノフの突き上げに遭い危機感を持ったのか、復帰後は攻守に凄みが増し、単なる若手選手から大きく飛躍を遂げ、代表にも選ばれるなど一躍注目選手に。2023年は従来のSBのみならずWBやウイングでも出場しプレーの幅を更に広げた。早熟なチームメイトたちにはやや遅れたが、国内屈指のサイドバックの評価を確たるものにした。ロシアに挑戦したユルドシェフが壁にぶつかる中、代表レギュラーのサイフィエフの後継者と目されるほどになった。
 2024年のアジア杯メンバーにも選出。GL2戦目のインド戦で嬉しい代表初ゴールを記録した。


ザファルムロド・アブドゥラフマトフ(Zafarmurod Bahrom o'g'li Abdirahmatov)☆

2003年4月28日生、カシュカダリヨ州カマシ地区出身
ポジション:サイドバック
所属チーム:ナサフ
 伸び盛りの若き右サイドバック。俊足と豊富な運動量で激しく上下動を繰り返す。パワーに欠け守備面にも課題は多いが、小さな身体をいっぱいに使った粘り強く思い切りのいいプレーで代表入りを果たした。
 キャリアが浅く知名度も低いため、パーソナリティについてアクセス可能なまだ情報は少ない。おそらくはナサフの育成組織出身と思われる。2022年シーズンにトップデビュー。最終盤に負傷離脱したナスルッラエフの代役として数試合プレーした。翌2023年シーズン前半に開かれた国際大会が大きなターニングポイントとなる。3月には自国開催のU-20アジア杯に参加し、SBとWBで全試合に出場。ファイズッラエフやフサノフを擁するウズベキスタンの初優勝に貢献。準決勝のオーストラリア戦では起死回生の同点ゴールも決めた。5月にはU-20W杯にも参加、ウズベキスタンはGL敗退に終わったがここでも全試合にスタメン出場し、貴重な経験を積んだ。ナサフ復帰後はパフタコルに移籍したサイトフの後釜をムハンマディエフらと争い、終盤にレギュラーに定着。見違えるほどたくましさと自信を身に付け、1年の間で急成長を遂げた。
 それまでフル代表の経験はなかったが、2024年のアジア杯メンバーに選出され、GL1戦目のシリア戦でデビュー。ナサフでもU-20代表でも「3バック時のウイングバック」と「4バック時のサイドバック」でプレーした経験があり、同じ布陣を採用するカタネツ監督のお眼鏡に叶った格好だ。サブ要員と目されていたが同ポジションに負傷者が相次いで出たことで、存外出番が多かった。右サイドバックはアリジョノフ意外にめぼしい人材がいないため、今後のさらなる成長が期待される。


アブドゥコディル・フサノフ(Abduqodir Hikmat o'g'li Xusanov)☆

2004年2月29日生、タシケント市出身
ポジション:センターバック
所属チーム:ランス(フランス)
 フィジカル、スピード、技術、守備能力すべてにハイレベルな19歳。表情にはあどけなさが残るが、すでにウズベキスタン最高のセンターバック。ファイズッラエフと並び、ウズベキスタンが世界に誇るスター候補生。
 かなり早い段階からブニョドコルの育成組織におり、図抜けた実力を持っていた。筆者が調べた限りでは、2018年の17歳以下の大会に14歳で出場しているのがネットで辿ることができる最古の記述。2019年にも、2003年生まれの選手に混じって1人だけ国際大会のメンバーに選ばれているのが確認できる。年齢別代表にも当然のごとく選出されてきた。
 2022年、ブニョドコルの一員として参加した国際大会での活躍が目に止まり、トップデビュー前ながらベラルーシ1部のエネルヘティクBGUに移籍。プレシーズンから首脳陣の高評価を勝ち取り、開幕戦からフル出場しあっという間にレギュラー奪取。30試合中27試合に出場しチームの堅守を支え、リーグ得点王の同胞B.アブドゥホリコフと共に2位大躍進の立役者となった。守備だけでなく3得点4アシストが示す通り、技術力や得点力でも非凡なところを見せた。それまで母国ですら知られていない謎の存在だったが、プロ1年目で大きく台頭し急成長を遂げ、早くもベラルーシで敵なしとなった。
 翌2023年はさらに進化。まずは開幕直前にU-20アジアカップに出場し優勝に貢献、そして5月のU-20W杯でも1歳上の選手に混じってウズベキスタンのCBレギュラーを務め、格の違いを見せる。これら国際大会でのプレーが関係者の目に留まり、8月にフランス1部の強豪RCランスに驚きの移籍。フランスのチームでプレーする初のウズベキスタン人選手になった。
 代表ではランス加入直後の2023年9月にU-23アジア杯予選に出場、フル代表も6月のCAFAカップメンバーとして初招集、親善試合で数度の「試運転」を行い、2023年後半からいよいよ本格的にCBのレギュラーとしてプレーする。
 各国の代表選手がしのぎを削るランスでは流石に常時スタメンは叶わないが、リーグ戦やUEFAチャンピオンズリーグで散発的に出場機会があり、貴重な経験を積む。若干対応に荒っぽいところがあり、特にタッチライン際で無理やり相手を弾き出すような無謀なタックルは悪癖。終盤に集中が切れプレーが雑になりがちな点は気になるが、すでに抜きん出た実力の持ち主である上に伸び代も十分。長きにわたりウズベキスタンの守備を支えていくだろう。
 なお、元ウズベキスタン代表で2007年のアジアカップに出場経験のあるMFヒクマト・ホシモフ氏を実父に持つ(ウズベキスタンでは、親子で名字が異なるのは普通のことである)。

◆ミッドフィルダー

オタベク・シュクロフ(Otabek G'ayrat o'g'li Shukurov)

1996年6月22日生、カシュカダリヨ州チロクチ地区出身
ポジション:センターハーフ
所属チーム:カイセリスポル(トルコ)
 ウズベキスタン代表の攻撃の核で、かつてのレジェンド、アフメドフの後継者。彼ほどのダイナミズムや爆発的パワーはないが、インテリジェントなプレーと広い視野から繰り出す精度の高い長短のパスで攻撃を組み立てる。パスの強弱で攻撃のリズムを変えられる点は、かつての名選手ハイダロフをも彷彿とさせる。ウズベキスタン人MFの「標準装備」であるミドルシュートも武器で、パンチ力より精度で勝負するタイプ。蛇足だが、守備時の対応がやや雑なところもアフメドフに似ている。
 10代から将来を期待され、世代を引っ張ってきたエリート。2013年のU-17W杯で主将を務め、2015年のU-20W杯(大会後にホッフェンハイムへの移籍が決まりかけたが破談になった)でも中心選手。マシュアルの育成組織出身で、18歳だった2014年にデビューし翌年ブニョドコルに引き抜かれる。出場機会を求め期限付き加入したブハラで頭角を表し、復帰した次の年から2017年まで「まだ」強豪だったブニョドコルのコントロールタワーを務めた。その後多士済々のUAEのシャールジャに移籍。強豪チームにおいても中盤の主力としてプレー。着実に実力を伸ばしていき、2016年から選ばれている代表でもリーダー格に成長した。2022年8月にトルコ1部のファティフ・カラギュムリュクに移籍。アンドレア・ピルロ氏が監督を務めるチームでもレギュラーを獲得。続く2023-24シーズンも順調に出場を重ねていたが、24年1月に突如退団。チームの深刻な財政難が背景にあるという。
 2024年のアジア杯では、途中風邪を引いて欠場しながらも、ハムロベコフと共に中盤の屋台骨を支えた。大会後に同じトルコのカイセリスポルとの契約が発表。新天地でもバリバリやってくれそうだ。
 なお、マシュアルのアカデミー在籍時代に1歳年上でまだ無名のショムロドフと同僚で、ふたりとも2014年のU-21リーグ優勝に貢献している。彼とは共通点が多く、その後ブニョドコルに移籍した点、国外に挑戦した点、国家を代表する選手に育った点が同じ。代表合宿で楽しそうに話し込む姿を見たことがあり、仲は良さそうだ。
 幼少期は豊かではなく、サッカー用品を買うべく洗車や製靴のバイトをして小遣いを稼いだという。2020年には出身地のチロクチ地区で新型コロナウイルスの隔離期間中に失職し困窮する世帯に、計1億スム分の日用品を差し入れた。ピッチ内外の模範的な姿が称賛され、翌年に国から「勇敢な若者(Mard o'g'lon)」勲章を授与された。カラギュムリュク在籍時代には、チロクチ地区の太陽光パネル接地事業に協力し、トルコから投資を誘致できないか考えるなど慈善精神に篤い人格者。


アズィズ・ガニエフ(Aziz Alijon o'g'li G'aniev)

1998年2月22日生、ジザフ州ジザフ地区出身
ポジション:センターハーフ
所属チーム:シャバーブ・アル・アハリ(UAE)
 アフメドフの後継者候補その2。彼と同じく攻撃力が持ち味のエネルギッシュなセンターハーフ。正確なパスもさることながら、非常に強力かつ正確なミドルシュートが武器で、シュクロフともども30mを超えるロングレンジから決められる。育成に定評のあるナサフの最高傑作として10代から将来を嘱望され、あっという間に主力に定着。2016年にはロシア1部の強豪ゼニト(サンクトペテルブルク)移籍の噂も立った。2018年と2020年の2度AFC U-23アジア選手権に主力として出場しており、それぞれ優勝と4位入りに貢献した。
 怪我がちな点がたまにキズで、2018年に十字靭帯断裂の大怪我を負いリハビリに1年近く費やすも見事にカムバック。その後2019年にUAEの強豪に移籍。順調に成長し代表にも定着、今後のさらなる飛躍が期待される。
 2021年2月、またしても十字靭帯を損傷し、長期の戦線離脱となってしまった。若くして苦難のキャリアを歩んでいるが、9月に復帰。以降は負傷の再発もなくUAEで着実に経験を積んでいる。主力と目された2024年のアジアカップはまさかのメンバー落選。カタネツ監督への猛烈な批判が巻き起こったが、それは彼の能力の高さを雄弁に物語っている。
 ゴールセレブレーションでバック宙を披露することがある。


オディル・ハムロベコフ(Odil Sohibjon o'g'li Hamrobekov)

1996年2月13日生、ナマンガン州ナマンガン地区シュルクルゴン出身
ポジション:センターハーフ
所属チーム:ナフバホル
 フィジカルに優れた守備的MF。地味な存在だが、最大の特徴は豊富な運動量。90分落ちないペースで相手のボールを刈り取るだけでなく、粘り強いプレーで中盤を引き締めるファイター。後方からシンプルなパスで攻撃にも貢献するが得点力は低く、キャリア通算300試合以上に出場も得点数は5という専守防衛型。
 2013年のU-17W杯ベスト16、2015年のU-20W杯ベスト8、2018年のAFC U-23選手権優勝のいわゆる「黄金世代」の一員で、10代の頃はセンターバックを務めていた。MFとしてナサフでデビューし、2019年からパフタコルに移籍。ハイレベルな環境に揉まれ国内屈指の守備的MFに成長。
 2021年3月、UAEのシャバーブ・アル・アハリへの移籍が決定。おそらくは大怪我を負ったガニエフの代役となるのだが、このチームにはマシャリポフも在籍しており、どういうわけかウズベキスタン人選手を頻繁にリクルートしている。加入後は準レギュラーといった立ち位置だったが、オリンピック期間中の8月にパフタコルに復帰。どういう契約内容だったのかは謎だが、やや弱体化した王者の中盤に再び君臨した。代表でもこの頃から絶対的な存在になり、以降同い年のシュクロフと中盤でコンビを組み続ける。
 2024年、パフタコルと双璧をなす強豪で、地元のチームでもあるナフバホルに移籍。優勝候補と目されながら、ここ2シーズン2位、3位とあと一歩タイトルに届かないチームに、常勝軍団のエッセンスを加えられるか。
 守備的な選手だが、何故かクラブチームでも代表チームでも背番号9を着用する。プレーは地味だが気持ちはアグレッシブに、ということだろうか……。


ジャムシド・ボルタボエフ(Jamshid Hasan o'g'li Boltaboev)

1996年10月3日生、タシケント市出身
ポジション:センターハーフ
所属チーム:ナフバホル
 洗練されたボールタッチと正確なパスが武器の攻撃性能が高いセンターハーフ。自ら持ち上がったり、エリア内に侵入したりといった、自らもボールも動かすダイナミックなプレーが特徴。将来を嘱望されながらも一度は表舞台から完全に姿を消した。しかしカムバックを果たし、さらに国内有数のMFに成長し代表入りまで成し遂げた、逆転人生を地で行く男。中盤のポジションをすべてこなす万能性も大きな武器。
 1996年生まれの「黄金世代」の一員で、2013年のU-17W杯ベスト16入りにトップ下として貢献。同い年にアシュルマトフ、シュクロフ、ハムロベコフがいる。彼らの中でも白眉と名高く、2013年にはウズベキスタン年間最優秀若手選手賞に輝いた。所属するパフタコルでも2016年にレギュラーになり、将来を嘱望された。
 しかし2017年に負った負傷がキャリアを暗転させる。2017年と2018年の2年間も実戦から遠ざかるほどの重傷で、2018年をもって契約満了でパフタコルから退団。22歳にして「消えた天才」扱いされてしまった。
 怪我が癒えた2019年に中堅のソグディアナに拾われて復帰すると、同じ年に就任したウルグベク・バコエフ監督の元で見事に復活。規律・守備・シンプルな速攻を標榜する同氏のサッカーにおける攻撃の舵取り役を担い、前年11位のチームの4位躍進に貢献。その後2シーズンかけて着実に実力をつけ「中堅チームの実力者」となる。ソグディアナのリーグ2位を置き土産に2022年にナフバホルに移籍。ユスポフの項でも触れたが大補強を行い国内の有力選手がズラリと並び、文字通り別のチームに変貌したナフバホルでも主力を張り、今度はサイドプレーヤーとして覚醒。9アシストを記録した。2023年は一転センターハーフでハイパフォーマンスを披露。この年、ナフバホルでのプレーが認められ、2016年以来7年ぶりに代表に招集され、嬉しい初キャップも記録した。
 アジアカップでもMFとして招集。かつての戦友シュクロフ、ハムロベコフと10年ぶりに同じ代表チームでプレーする。光を一身に浴びた10年前とは異なり、今度は彼が大黒柱の2人にポジション争いを挑む。


オストン・ウルノフ(Oston Rustam o'g'li Urunov)

2000年12月19日生、ナヴォイ州ナヴォイ出身
ポジション:ミッドフィルダー、ウイング
所属チーム:ペルセポリス(イラン)
 繋がった眉毛が印象的な、ウズベキスタンの将来を担うニュースター。フットサル選手のようなトリッキーで繊細なボール扱いと俊足で敵陣を切り裂くドリブラー。190cmの長身も隠れた武器。独りよがりなプレー、少ない運動量、ムラっ気なところが欠点。
 地元ナヴォイのキジルクムのアカデミーでサッカーを学び、後にパフタコルに引き抜かれる。17歳でウズベキスタン1部デビューするとまずはサイドハーフとして注目を集め、その後ユース時代から馴染みがあり、本人が本職と語るセンターハーフにコンバートされるとスケールの大きなプレーでさらに評価を高めた。
 2020年初めにウファに移籍しロシア1部に挑戦。19歳にしてリーグ途中の加入ながら主力に収まり、夏の移籍で名門スパルタークに加入。代表デビューも果たし、トントン拍子に飛躍する一年となった。しかしスパルタークでは出場機会に恵まれず、2021年冬の移籍で古巣ウファに再びローン移籍。ウファに彼を買い取る資金的余裕がないため夏に再度スパルタークに戻ったが、負傷もあって相変わらず構想外で、再度ウファに。
 チームをたらい回しにされていたが、ついに2022年夏にスパルタークと契約解除しウファに完全移籍。しばらく遠ざかっていた代表にも呼ばれるようになり、捲土重来を期す……と言いたいところだったが、加入早々監督と対立し、あっという間に契約解除の憂き目にあった。ちなみにロシアサッカーのファン界隈ではちょっとした「ネタ選手」扱いだったらしい。
 契約解除後は強豪ナフバホルに加入。サイドプレーヤーとして徐々に試合勘を取り戻し、2023年は開幕から絶好調。ロシア挑戦以前のワクワクするようなダイナミックなプレーが帰ってきた。才能は素晴らしいが、キャリアは波乱続き。回り道を繰り返したが、ようやく復活。シーズン11ゴールと得点力もついてきた。シーズンオフに契約満了で退団。就活の場と位置づけた24年1月のアジアカップでは3トップの一角として奮闘。大会後にイラン1部の強豪ペルセポリスに移籍が決まった。


ジャムシド・イスカンダロフ(Jamshid Mahmud o'g'li Iskandarov)

1993年10月16日生、ホラズム州ウルゲンチ出身
ポジション:ミッドフィルダー
所属チーム:ナフバホル
 広い視野からの正確なパスで味方を操る左利きの司令塔。自らも機を見て前線に飛び出し得点も狙える。正確なミドルシュートは一級品。
 パフタコルの育成育ちで早くから将来を期待され、20歳にしてフル代表に定着しかけた。2014年のウズベキスタン年間最優秀選手賞にも輝き、かつてのレジェンドで同じ左利きのトップ下だったジェパロフに「最も将来がある、来たるアジア杯で能力を証明する」と絶賛された。しかしその後は負傷もあって伸び悩み、皮肉にも2015年のアジア杯以降代表での出番から遠ざかった。メインストリームから脱落し国内ファンからも存在を忘れられかけていた中、ロコモティフを経て2019年から韓国の城南FCに加入する主力となり、長らく止まっていた時計が動き出す。
 そして2022年に大型補強の一環でナフバホルに加入し久々の母国復帰。国外経験を経てレベルアップしており、ウズベキスタン国内では圧倒的な存在に。獅子奮迅の大活躍でチームの2位フィニッシュに大きく貢献。見事な復活を果たし、同年のウズベキスタン年間最優秀選手を受賞。2023年シーズンも引き続き攻撃の核として活躍。ここ数年で運動量と献身性がアップし、かつてのような「使いにくい、時代遅れの」選手から脱却。ベテランに差し掛かり、プレーに円熟味を増しつつある印象だ。
 2019年から再び呼ばれるようになった代表でもトップ下の貴重なオプションとして存在感を発揮、派手でピーキーな選手を嫌うカタネツ監督も彼には一目置いているようで、コンスタントに招集される。国内サッカーファンの間で非常に高い人気を誇り、代表での待望論が絶えない選手。


ジャロリッディン・マシャリポフ(Jaloliddin Qadomboy o'g'li Masharipov)

1993年9月1日生、ホラズム州ウルゲンチ出身
ポジション:ウイング
所属チーム:エステグラール(イラン)
 ウズベキスタン不動の左ウイング。両足を器用に使いこなし、踊るようなステップで敵陣奥深くまで切り込み、必殺のアシストパスを繰り出すトリッキーなドリブラー。無駄なプレーが多い(クーペル前代表監督が特に問題視し、対立が報じられた)点、すぐに倒れる点、冷静さを失い試合中に無用のトラブルを起こす点は国内でもしばしば批判の対象になっているようだが、サイドプレーヤーとしての能力は国内では右に出るものはいない。彼の突破力とクロスは代表チームの攻撃の生命線であることに間違いない。ネイマールをサントス時代から敬愛しており、プレーの手本にしているという。先述のイスカンダロフは同い年で同郷、パフタコルや年代別代表でも共に戦ってきた親友。クロスはふんわり、ミドルシュートは弾道の低いボールを蹴る傾向がある。
 長らくウズベキスタンではやることがなくなっていたが、2021年冬の移籍でサウジアラビアのアン・ナスルに移籍。移籍後すぐにUAEのシャバーブ・アル・アハリに期限付きで加入した。アン・ナスルがFIFAより新規選手登録禁止処分を受けていることが背景にあるようだ。UAEでも変わらぬスキルフルなプレーで活躍し、翌シーズンはアン・ナスルの本隊に復帰し主力として活躍。2023年はクリスティアーノ・ロナウドと同僚になるなど話題はあったがあまり活躍できず、8月に契約満了で退団。1ヶ月以上無所属だったが9月にギリシャ1部のパンセライコスに加入。ここでも主力の座を掴み、急速に状態を上げ24年の1月のアジアカップに間に合わせた。本大会ではゲームキャプテンを務める。エースのショムロドフを怪我で欠く攻撃陣をファイズッラエフやウルノフらと引っ張ったが、ベスト8のカタール戦ではPK戦では自身のシュートが止められ、最後のキッカーとなってしまった。
 実はアジアカップ前にパンセライコスとの契約を解除しており、敗退後にイラン1部の強豪エステグラールへの加入が決まった。


アズィズ・トゥルグンボエフ(Aziz Murodulla o'g'li Turg'unboev)

1994年10月1日生、ナマンガン州ポプ地区トゥダ出身
ポジション:ミッドフィルダー
所属チーム:スィヴァススポル(トルコ)
 俊足と正確なクロスが武器の左ウイング。派手なプレーはできないが確かな技術を持ち、球離れが早くシンプルなプレーが身上。気まぐれな選手が多いウズベキスタンでは珍しくプレーは落ち着いており、守備もサボらない堅実かつ献身的なタイプ。小柄な身体からは想像できない跳躍力を隠し持ち、空中戦にめっぽう強い。
 地元に近いナマンガンのスポーツ学校で学んだ後、ナフバホルの育成組織に加わる。2014年にトップチームに昇格し、翌2015年にリーグ初出場。やや遅めのデビューだが、翌年にはレギュラーとなり、ひっそりと実力をつけていく。このときのポジションはセンターハーフで、今のようなプレースタイルではなかったらしい。
 2018年にブレイク。この頃からトップ下やウイングで起用されることが増えていく。めでたくフル代表にも初選出され、実りの多い1年を送った。契約が切れるシーズンオフには国内強豪チームが食指を伸ばす中、ナフバホルも地元出身の若き主力選手を手放すまいと抵抗。ナフバホルとパフタコルが彼を「奪い合う」形となり、結果的に二重契約状態になってしまう。保有権を主張する両チームの紛争は長く続き、最終的にウズベキスタンサッカー連盟の裁定でパフタコルとの契約は無効のうえ、彼自身や契約に関わった関係者に6ヶ月間の活動停止処分が下された。
 順風満帆だったキャリアに大きく水を差す結果となったが、復帰後もブランクを感じさせない活躍を続け、ポジションも完全にウイングに固定。中堅チーム所属ながら国内屈指のサイドアタッカーに成長した。2021年に「正式な」方法でパフタコルに移籍。絶対王者でも変わらず、決して派手さはなく地味な存在ながら、手堅いプレーで左サイドを走り回る。
 2024年のアジア杯ではウイングの控えとして招集。ターンオーバー要員としてスタメン出場したGL第3戦のオーストラリア戦で見事なヘディングシュートを決め(ウズベキスタン史上初めてオーストラリア相手に奪ったゴールとなった)引き分けに持ち込み、ラウンド16のタイ戦でも本職ではない右ウイングバックでの先発出場も、難しい体勢からボレーシュートを決め先制点をマーク。負傷者続出で危機的状態のウズベキスタンにおいて、ラッキーボーイ的な活躍。大会後にトルコ1部へのステップアップを勝ち取った。


ショフボズ・ウマロフ(Shohboz Husniddin o'g'li Umarov)

1999年3月9日生、タシケント州ブカ地区出身
ポジション:ミッドフィルダー
所属チーム:オルダバス(カザフスタン)
 右利きながら逆足の左サイドを主戦場とするウインガー。フィジカル面に目を見張る特徴はないが、ロングキックに絶対の自信を持つ。高精度のクロスはもちろん直接フリーキックの名手でもあり、信じられないようなスーパーゴールをいとも簡単に決めてみせる。当然ミドルシュートも得意技で、重い球質の正確無比な一撃は必見。
 2018年にOKMK(当時は「AGMK」)でデビューするがほぼ無名の存在だった。しかし2020年にベラルーシ1部のエネルヘティクBGUに移籍すると才能が開花。CF、トップ下、ウイングと様々なポジションでプレーした。同じ年に加入したヤフシボエフ共々活躍したことに味を占めたのか、以降チームはウズベキスタン人選手を積極的にリクルートするようになる。エネルヘティクにウズベキスタンルートを開設させた功労者。
 シーズンオフにBATEに移籍。対戦時に見事な直接フリーキック(動画冒頭のゴール)を決められたことがきっかけだったという。強豪チームでもレギュラーを掴み、2021年は6得点8アシストと大活躍。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、翌2022年は突如メインチームに招集すらされない飼い殺し状態に。結局シーズン途中にカザフスタンのオルダバスに移籍し試合勘を取り戻すと2023年は同胞のB.アブドゥホリコフと共にチームを引っ張り、リーグ初優勝に貢献。前年の鬱憤を晴らすかのようなシーズンを過ごした。
 ウズベキスタン代表にはBATE時代に初招集も、その後不振に陥ったことで出場機会は多くはない。オルダバスに移ってから再び呼ばれるようになり、24年のアジア杯でも滑り込みでメンバー入りした。繊細な性格なようで、AGMKから移籍したのもBATEで干されたのも、監督と衝突したことが理由だという。


ホジマト・エルキノフ(Xojimat Botir o'g'li Erkinov)☆

2001年5月29日生、タシケント市出身
ポジション:ウイング、フォワード
所属チーム:アル・ワフダ(UAE)
 若きスピードスター。今どきの選手としては珍しく、ひたすら縦方向に突破を繰り返す古典的な俊足ウイング。重心の低い高速ドリブル、球足の速いクロスは代表チームでも貴重な武器。攻守にアグレッシブなプレーが持ち味で、両足を使いこなす器用な面も。
 パフタコルの育成組織育ちで、U-17代表ではジャロリッディノフ、ユルドシェフ、ネーマトフらと同僚。早くから才能を期待されており、2020年にAGMKに期限付き移籍すると大活躍。夏にパフタコルに復帰するが、厚い選手層(代表でもチームでもマシャリポフとポジションを争う)に阻まれ出場機会は少なかった。しかし実力は高く10月にフル代表に初招集。親善試合とはいえ当時のアブラモフ監督の信頼を勝ち取った。
 2021年は転機の年となり、レギュラーのマシャリポフが抜けレギュラーを獲得……と思いきや1つ下のホルマトフが左ウイングの主力を務め、この年も出番は散発的。もどかしいシーズンが続いていたが、2022年はヴォイネスキ監督に重用され、ついにレギュラー定着。中心選手として臨んだ6月のU-23アジアカップのプレーが評価され、夏にロシア1部のトルペド(モスクワ)にステップアップを果たした。年代別代表やパフタコルで超攻撃的左サイドコンビを組んできた相棒イブロヒムハリル・ユルドシェフと同じタイミングでロシア1部リーグへ漕ぎ出した。
 ユルドシェフともどもトルペドでも出場機会を得るが、最下位で降格したチームにおいてインパクトは見せられず。結局ロシアのシーズン終了後にパフタコルに期限付き加入し国内復帰。ここでも状態が上がらず当初は苦労したが、最終盤に左ウイングのポジションに収まった。ポテンシャルは高いがどういうわけかクラブレベルではデビュー以来もどかしいシーズンが続く。それでもここ1〜2年、少しのきっかけで大化けしそうな予感が漂う。
 2024年のアジア杯では、主に途中交代で緊急事態のFWを支えた。大会後にUAE1部アル・ワフダへ完全移籍で加入。ついに主力としてバリバリ活躍できる環境を手に入れ、勢いそのままに望んだU-23アジア杯では出色のプレーで準優勝に大きく貢献した。


ディヨル・ホルマトフ(Diyor Akmalovich Xolmatov)☆

2002年7月22日生、フェルガナ州フェルガナ出身
ポジション:ミッドフィルダー、ウイング
所属チーム:パフタコル
 軽快な身のこなしと正確なパスが武器の若きゲームメーカー。代表経験は浅いが、強豪パフタコルの中盤を担う将来豊かな若手ミッドフィルダー。
 実父は元タジキスタン代表MFのアクマル・ホルマトフ氏。父がプレーするネフチの本拠地フェルガナで生まれたため、本人はウズベキスタンの市民権を持つ。パフタコルのアカデミーで学び、2020年にトップデビュー。デビュー戦のファーストタッチで、ヒールキックで得点を挙げるという離れ業を演じた。翌年にはハイストラ監督の信頼を得て19歳で左ウイングの主力に定着。将来豊かな若手として注目を集める。
 しかし翌2022年は一転、新監督のヴォイネスキ氏がエルキノフを好んだため出場機会が激減。20歳で参加したU-23アジア杯では中心選手として準優勝に貢献したが、リーグ戦では精細を欠いた。2023年も開幕直後は出番もまばらで、ウイングでのプレーに限界も見え始めていた。しかしシーズン途中でシャツキフ監督がトップ下やセンターハーフで起用すると、視野の広さと多彩なキックを活かし復活。ロシアに去ったファイズッラエフの穴を埋める活躍でリーグ優勝に貢献。再び主力に収まっただけでなく大きく成長する1年となった。オフには代表初招集。12月25日の親善試合でデビューし、直後のアジア杯本登録メンバー入りも果たした。ラウンド16のタイ戦で体調不良のシュクロフに代わって急遽フル出場。ほぼ「慣らし運転」なしでいきなりプレッシャーのかかる試合を任されたが、攻守に奮闘し果敢なプレーを見せ、トゥルグンボエフの先制点もアシスト。
 確かに技術は高く、相手の隙間をスルスルと抜けていくドリブルと素早く正確なパスは魅力だが、まだプレーには「怖さ」を欠く。自ら得点を狙うプレーを身に着け、攻守両面での強度を上げられたら面白い存在になりそう。


アッボス・ファイズッラエフ(Abbos Saidjon o'g'li Fayzullaev)☆

2003年10月3日生、シルダリヨ州サイフノボド地区ソヒル?出身
ポジション:ミッドフィルダー、ウイング
所属チーム:CSKA(モスクワ、ロシア)
 ウズベキスタンで最も将来を期待される逸材。「上手い、速い、賢い」が武器の痛快なミッドフィルダー。繊細なタッチのドリブル、必殺のスルーパス、正確なセットプレー、敵陣をすり抜けるアジリティとクイックネス、スペースを作るフリーラン、クレバーかつ遊び心のあるボールタッチ。90分走り回る運動量も持ち、得点力・アシスト力ともに高く、ゴール前で決定的な仕事を簡単にやってのける。小柄でひ弱な点以外は文句なし。元からそういう顔つきなだけかもしれないが、常に微笑みを浮かべつつ楽しそうにプレーする姿が印象的。
 9歳からパフタコルの育成組織で育ち、2021年に17歳でトップデビュー。彼に目をかけていた当時の会長の鶴の一声で昇格が決まったという逸話がある。翌2022年の序盤までは限定的な出場機会だったが、6月に飛び級で選出されたU-23アジア杯が転機となる。チーム最年少の19歳ながら年長の相手に物怖じせず、むしろ違いを作るプレーを連発。厳しい大会を経て短い期間で見違えるほど強くたくましくなると、夏場以降は右ウイングやトップ下で出番を増やした。各大会での活躍が評価され、その時のウズベキスタン年間最優秀若手選手に選ばれた。
 2023年に遂にブレイク。上手さに怖さがプラスされ、国内リーグでは無敵の存在に。3月に開かれた自国開催のU-20アジア杯ではチームの攻撃の核として優勝に貢献し、MVPに選出。直後のU-20W杯でも存在感を見せた。以前からロシア1部のCSKA(モスクワ)が目をつけていた、一連の国際大会でのプレーが決め手となり2023年8月に移籍。
 加入時ロシア国内では全くの無名。同ポジションに各国の代表選手が揃い、出場機会も確保されないチームへの移籍に対し、ウズベキスタン国内でも懐疑的な声が多かった。しかし大方の予想に反し、調子が上がらないチームにおいてフェドートフ監督が抜擢すると、結果で応える。開幕から印象的なプレーを連発しCSKAを救う大活躍。これにはロシアの有識者も舌を巻き、「2023-24シーズン前半戦最大の発見」とまで評された。目下ロシアとウズベキスタン両国でフィーバーを巻き起こしており、年末には当然のごとくウズベキスタン年間最優秀選手を受賞。デビュー以来ものすごい速度で進化を続ける末恐ろしい逸材。年明けにはバイエルン移籍の飛ばし記事が出るなど、ウズベキスタンでは若干報道が過熱気味。その名が欧州に知れ渡り、日本のファンの目に触れる日も近い。24年4月のU-23アジア杯では、ウズベキスタンサッカー連盟のギリギリの交渉が実り、国際Aマッチデー開催ではないにも関わらず決勝トーナメントのみ参加。準々決勝と準決勝の2試合のみの出場だったが、初の五輪出場に貢献してモスクワへと去っていった。
 なお、ジュニアチーム時代の恩師はあのミハイル・アンの息子ドミートリー氏。今なお負けず嫌いを自認する性格で、子供ながらアン氏の指導に腹を立て練習中に帰ってしまうこともよくあったとか。右手は耳元にシャカ・サイン(親指と小指を立て、残りの指を握るジェスチャー)を作り、左手でカメラを指さすゴールセレブレーションを見せることが多く、トレードマークになりつつある。

◆フォワード

エルドル・ショムロドフ(Eldor Azamat o'g'li Shomurodov)

1995年6月29日生、スルホンダリヨ州ジャルクルゴン地区出身
ポジション:フォワード
所属チーム:カリアリ(イタリア)
 説明不要、ウズベキスタン史上最強のストライカー。爆発的なスピードと強靭な肉体で相手守備陣を突破する暴れ馬。190cmの長身を活かした空中戦の強さも大きな武器である。元々はウィングだったが、2017年から在籍したロストフでCFの適正を見いだされ、2019年のアジアカップで秘められた才能が突如開花。その後ロシア1部でも大爆発、リーグ屈指のFWとの評価を得る(同年のウズベキスタン年間最優秀選手賞受賞)と、2020年夏にイタリア・セリエAのジェノアに移籍。クラスニツキー、アブドゥライモフ、シュクヴィーリン、シャツキフら過去の名選手に並ぶ、否もはや彼らを超えた感すらあるスーパースター。
 ジェノアでも持ち前のパワフルなエンジンをフル稼働。決して強くないチームにおいて8ゴール1アシストの活躍で、デストロやスカマッカとともに攻撃陣を牽引、1年目からセリエAで確かな足跡を残す。攻撃面のみならず、1試合あたりのリーグ最多のFWボール奪取回数を記録した献身的な守備も評価され、シーズンオフに名門ローマへの移籍が決定。かつて「憧れのチームはチェルシー」と語った青年が、ジョゼ・モウリーニョの下でプレーする夢を叶えた。加入当初は準レギュラーとして出番も多かったが、そのモウリーニョの信頼を得られず構想外に。2022年夏の移籍市場ではボローニャへの期限付き移籍寸前まで行ったものの破談し残留。結局2023年冬に期限付き移籍でスペツィアに加入し、オフに昇格組のカリアリに移籍した。2024年1月のアジアカップ直前に足を骨折し長期離脱。無念の欠場となってしまった。
 ジェノアを去ってからはかつての大暴れは影を潜めているが、ウズベキスタンサッカーに携わるすべての人に醒めない夢を見せ続ける生ける伝説であることに変わりはない。彼の大冒険はまだまだ続く。
 なお、サッカー一家に生まれ育ち、父のアザマト氏、おじのサンジャル氏とオタベク氏はサッカー選手、さらに兄のイルホム氏もナサフやマシュアルで活躍した元ウズベキスタン代表選手。地元スルホンダリヨ州では少し有名な家系だったりする。


イーゴリ・セルゲーエフ(Igor Vladimirovich Sergeev)

1993年4月30日生、タシケント市出身
ポジション:フォワード
所属チーム:パトゥム・ユナイテッド(タイ)
 民族ロシア人のストライカー。フィジカル、技術、スピードは平凡で運動量も少ないが、抜け目ないポジショニング、裏抜けの技術、正確な左足シュートが武器。独力で局面打開できない分、消える時間も多いタイプ。
 10代の頃は輝かしい実績を残し、2012年のAFC U-19選手権では5試合7得点で大会得点王。翌年のU-20W杯でも2得点、その勢いで代表でもレギュラーを確保。シャツキフの後継者として期待を集めた。しかし2015年頃から伸び悩み、国外挑戦するも中国やUAEのリーグで活躍できず。パッとしないまま代表からも遠ざかり、20代で半ば「過去の人」扱いされた。2019年からパフタコルに復帰するとコンディションを取り戻し、再び代表にも呼ばれるように。
 2021年2月、カザフスタンのアクトベに移籍。これが転機となり復活。新天地でもすぐにエースの座を手中に収め、夏に強豪トボルに移籍。エースとしてリーグ優勝に大きく貢献し、かつてカザフスタンで大活躍したウルグベク・バコエフのように同地に居場所を築いたかと思われた。しかしその矢先2023年にまさかのタイ1部リーグに移籍。ややメインストリームからは脱落しつつあるが、新チームでも変わらぬ得点力を見せつけている。2024年のアジアカップでは負傷で欠場のショムロドフに代わり、エースとして攻撃陣を引っ張るという重大な役目を担う……はずだったが、GL3戦目のオーストラリアとの試合で右膝前十字靭帯損失の大怪我を負い、チームを離脱してしまった。
 隠れたメモリアル男で、パフタコルのリーグ通算1,700ゴール目と1,900ゴール目を決めている。


ボブル・アブドゥホリコフ(Bobir Alisher o'g'li Abdixoliqov)

1997年4月23日生、カシュカダリヨ州コソン地区カマンディ出身
ポジション:フォワード
所属チーム:ナサフ
 褐色の肌が印象的なストライカー。175cmと小柄で強さはないが、高い得点感覚と正確なシュートでゴールを奪う点取り屋。両足も頭も器用に使えて、ゴールパターンも豊富。ボール扱いが比較的うまくスピードもあるため、チーム事情によってはサイドや一列後ろでもプレー可能。
 U-23代表では不動のエースだったが、ナサフでは両ウイングや中盤で起用され本来の実力を発揮できていなかった。2020シーズンにセンターフォワードに固定されると得点能力が開花、17得点を挙げブレイク。
 オフには多数の国外チームから誘いがあったが、最終的にウクライナの新興勢力ルーフに移籍。念願の欧州上陸を果たした。かつてシャツキフが王朝を築いた国でさらなるステップアップを目指したがメインチームに割って入ることはできず、2021年夏にベラルーシに戦いの場を移すとエースに君臨。2022年シーズンは猛烈な勢いで得点を重ね、リーグ30試合で26ゴールの大爆発。得点王に輝き、ウズベキスタン人軍団を擁するエネルへティク躍進の原動力となった。
 再度ステップアップのチャンスが開けたかと思いきや、2023年の移籍期間で選んだ新天地はカザフスタンのオルダバス。同胞のウマロフと共にチームを引っ張り、オルダバスのリーグ初制覇に大きく貢献した。2024年のアジア杯後に古巣ナサフへの復帰が発表された。
 セルゲーエフと同じく局面打開力は低く「消える」ことも多いので、チームメイトとの連携を高められるかが飛躍の鍵。なお、ユース時代は外見とプレースタイルから「ペレ」と呼ばれていた。


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