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独断と偏見による元ウズベキスタン代表選手紹介

 生きるということは出会いと別れの連続である。
 ……大きく出てしまったが、来る人があれば去る人もある。2020年から書き続ける「独断と偏見によるウズベキスタン代表選手紹介」においても、残念ながらウズベキスタン代表に呼ばれなくなってしまった選手が現れ始めた。項目ごと消してしまうのももったいないので、別に記事を立てて紹介することで、彼らの足跡を記録する。


◆ゴールキーパー

エルドル・スユノフ(Eldor Olimovich Suyunov)


1991年4月12日生、カシュカダリヨ州カルシ出身
ポジション:ゴールキーパー
所属チーム:無所属
 最強チーム・パフタコルの守護神を務める長身ゴールキーパー。動きはやや重いがハイボールに強く、どっしり構えて冷静にゴールを守る印象を受ける。足元の技術やフィードパスの能力も国内ではトップレベル。派手さはないが穴もない総合力のあるまとまった選手で、乱戦やオープンな展開では非常に頼りになるタイプ。イグナチー・ネステロフ引退後の代表ゴールキーパー不在期に台頭し、守護神の座を手に入れた。しかし今年になって10歳年下の逸材ネーマトフが出現。今回の代表招集は驚きの選外、彼の立場も以前ほど絶対的なものではなくなってきたのか。スローイングがハーフウェー付近まで飛ぶ強肩の持ち主。
 2021シーズンはオフから状態が上がらず、控えのサンジャル・クッヴァトフの好調もありレギュラーの座を失った。復帰後はクッヴァトフと熾烈なポジション争いを繰り広げ、結果両者揃って代表チームに呼ばれるようになるなど、決着はつかなかったもののチームにプラスをもたらした。
 しかしながら2022年シーズンから負傷と極度の不振でマトモに出場機会を得られず。クッヴァトフに大きく水を開けられてしまった。さらに2023年は新加入のパウリュチェンカが守護神に収まり、すっかり過去の人に。シーズンオフに契約満了でクッヴァトフ共々退団してしまった。

◆ディフェンダー

イェゴール・クリメーツ(Yegor Vladimirovich Krimets)


1992年1月27日生、タシケント出身
ポジション:センターバック
所属チーム:スルホン
 ウクライナにルーツを持つ代表キャプテン。190cmを超える長身と当たりの強さを活かした密着マークで相手を封じるストロングマン。強さと高さはセットプレーでの強力な武器にもなる。長く中国超級の北京国安でプレーしていたが2018年から古巣に復帰、国内トップクラスのセンターバックに成長。近年はフィジカルに頼ったプレーにやや改善が見られ、落ち着きも増してきた。鈍重だが鋼のように強靭な肉体と不屈のスピリットで守り抜く、古き良きCIS諸国のディフェンダーといった趣の選手。ポジションの点でもプレースタイルの点でも、長年ディフェンス陣を支えた熱血野郎アンズル・イスモイロフの後継者(パフタコルではCBコンビを組む)。パワフルで頼れる、ウズベキスタンの守りの要。
 スユノフ同様、2021シーズンは開幕から不調で、ACLでは致命的なミスも犯している。このためレギュラーから陥落し、それに伴い代表チームからも離れている。さらに6月に負った負傷が感染症を併発し、結局シーズンほぼ全休となった。復活を目指していた2022年のシーズン前に、ナフバホルに電撃移籍。しかし状態は深刻なようで、大補強の末スター軍団と化し最終節まで優勝を争ったチームにおいて1試合も出場機会はなかった。
 2023年はついに無所属になり浪人生活。ようやく2024年にスルホンへの加入が決まった。


イスロム・トゥフタフジャエフ(Islom Saidkamalovich To'xtaxo'jaev)


1989年10月30日生、フェルガナ州クヴァ出身
ポジション:センターバック
所属チーム:OKMK
 代表のディフェンスリーダーを務める古参のセンターバック。デビュー当時は右サイドバックが本職で、センターバックもできる便利な選手だったが、年を経るごとに専守防衛タイプにスタイルチェンジ。180cmに届くかどうかという上背で空中戦に弱く、フィジカルで後手を踏む場面が見られるが、センターバックにしてはスピードがあり、駆け引き、ポジショニング、カバーリング力で勝負する。連戦でも消耗しない体力と攻撃の起点になる正確なフィード技術も大きな武器である。2020年よりプレーの舞台を中国2部リーグに移しているが、新型コロナウイルスの影響もありアフメドフ同様なかなか代表に合流できないでいる。
 2021年3月、所属していた遼寧瀋陽の財政問題によりチームを退団し、キジルクムに加入。現役の代表選手が決して強くないチームに移籍したことで話題を呼んだ。開幕間際の出来事だったため、古巣のロコモティフを含め、シーズン前準備を終えたチームからはお呼びがかからなかったそうである。本人の調整期間も満足ではない中開幕から安定したプレーを見せ、GKネステロフと共に堅守を形成したが、2022年夏にカタールのチームに移籍した。
 2023年の夏の移籍でOKMKに加入。再びウズベキスタンに戻ってきた。


イスロムジョン・コビロフ(Islomjon Ilhom o'g'li Qobilov)


1997年4月1日生、フェルガナ州フェルガナ出身
ポジション:センターバック
所属チーム:ソグディアナ
 センターバックとしては痩躯で競り合いにやや弱いが、深い読みと俊足を活かした冷静な守備が持ち味の、ウズベキスタンには少し珍しいタイプのセンターバック。高い足元の技術を持ち、きれいな球足のパスやフィードで攻撃の組み立てにも貢献する。
 所属チームのブニョドコルでは控えの時期が長かったが、2019年に上述のアシュルマトフが移籍しポジションを確保。U-23代表では立ち上げ時から中心選手で、2020年のAFC U-23ではキャプテンを務め、惜しくもオリンピック出場はならなかったが4位入賞に貢献した。大会後に実質的な代表デビューを果たし、ブニョドコルでも守りの中心に成長、着実に経験を積んでいる。PKキッカーを務めることもある。父もキルギス代表経験がある元選手で、1996年に同国の最優秀選手に選ばれたイルホム・ザイロビッディノフ氏(現トゥロンのコーチ)。
 2021シーズン前に、同僚3人と共にロコモティフに移籍。引き続き守備の要として活躍プレーしていたが、2022年は思わぬ苦戦。自らも信じられないほど低調なプレーに終始し、チームは最終節で辛うじて自動降格を免れたが入れ替え戦の末に2部降格。残念なシーズンとなってしまった。
 2023年はロコの優勝に貢献。そのまま1部復帰かと思いきや、ソグディアナへ加入した。


ムロド・ホルムハメドフ(Murod Nodirovich Xolmuhammedov)


1990年12月23日生、タシケント出身
ポジション:サイドバック
所属チーム:コーカンド1912
 フィジカル面ではあまり特徴のない選手だが、最大の武器は恐るべき精度のプレースキック。味方に合わせるのも直接狙うのも可能で、直球系、ドロップ系、激しくスワーブのかかったボールと数球種を自在に蹴り分ける。PKのうまさに関しては2020年10月まで一度も失敗したことがなかったほど。パフタコル出身だが出番は少なく、ソグディアナを経て27歳で加入した中堅チーム・コーカンドで一気に才能が開花。ベテランに差し掛かる年齢となったがその右足にはさらに磨きがかかっている。大きな回り道をしたが2020年に代表に定着、そのキックは代表でも大きな武器になる。ロングスローも隠し持つ。

◆ミッドフィルダー

オディル・アフメドフ(Odil Olimjonovich Ahmedov)


1987年11月25日生、ナマンガン州トゥラクルゴン出身
ポジション:センターハーフ
所属チーム:引退
 長年ウズベキスタン代表を支えてきた第一人者で、108キャップは歴代4位、21得点は歴代6位。ウズベキスタン年間最優秀選手賞6度の大スター。2011年からロシアや中国のチームでプレーしており、国際的知名度のある数少ないウズベキスタン人選手でもある。90分間を走り抜く体力、正確なパス能力、激しいタックル、強烈なミドルシュートが特徴で、攻守にパワフルなプレーでチームにエネルギーを注入する闘将。32歳となった今もその能力に衰えは見られず、数々の修羅場をくぐり抜けた経験も大きな財産である。守備面は対応が軽く、やや雑なところがある。あまり知られていないが、実弟のアズィムもサッカー選手で、地元ナフバホルのキャプテンを務めている。
 昨季は上海海港(2020年まで「上海上港」)から天津津門虎(2020年まで「天津泰達」)に期限付きでプレーも契約満了により退団。新天地は滄州雄獅(2020年まで「石家荘永昌」)に決まった。
 2021年、カタールW杯2次予選敗退時に代表引退を発表。同年12月18日に現役からも引退した。21世紀初頭のウズベキスタンを支え続けた、文字通りのレジェンド。引退後はサッカー連盟に身を置きつつ、子どもたちの育成に情熱を捧げる。


ジャスル・ジャロリッディノフ(Jasur Jamshid o'g'li Jaloliddinov)

2002年5月15日生、ナヴォイ州ナヴォイ出身
ポジション:ミッドフィルダー、ウイング
所属チーム:ネフチ
 ウズベキスタン1部リーグ最年少出場記録、最年少得点記録、ウズベキスタン代表最年少出場記録保持者の超逸材。左利きの司令塔タイプで、ドリブル、パス、シュート、プレースキック全てがハイレベル。身体165cmと小柄で力勝負には弱いが、ボールキープ力は抜群。少年時代から関係者の間では有名な存在だったが、16歳でデビューするとすぐに圧倒的な実力を見せつけ国内を騒然とさせる。その後すったもんだを経て今夏にブニョドコルからロシアの名門ロコモチフに移籍。現在は期限付き移籍でタンボフに所属しているが、出場機会に恵まれずほぼ構想外に。今冬にはロコモティフを退団し、次の移籍先を模索中。苦境を乗り越えられるか。
 2019年には英紙ガーディアンが選ぶ「ベストヤングタレント60人」にも選出されている。まさに天才と呼ぶにふさわしい、アジアを飛び越えワールドクラスに育つ可能性を秘めた国の宝。
 2021年3月、アンディジャンに電撃加入。なぜ弱小アンディジャンを選んだのかは現時点では不明だが、とにかく試合勘を取り戻して、さっさとウズベキスタンを飛び出し広い世界へ再び挑戦を続けてほしいものである。同年夏にすったもんだの末ロコモティフに加入。プレーにキレが戻ってきて、ようやく「本番」開始といきたいところだったが、シーズン通して状態は上がらず、よもやの残留争いに巻き込まれてしまった。まだまだ若いが、ワールドクラスを夢見るファンには物足りなさすぎるキャリアとなってしまっている。
 結局ロコモティフは降格。周囲の「大きな力」もあり、2023年はオリンピクに派遣されることになった。オリンピクでは実力の違いを見せつけ、同世代揃いの仲間を自在に操る王様のプレーを披露している。オリンピック代表でも主将としてチームを引っ張ってはいるものの、やはりティーンエイジャーに見せたまばゆい輝きを目撃した者にとって、ウズベキスタン国内リーグレベルに甘んじる現状は寂しい。このまま消えてしまうのか……?


イクロム・アリボエフ(Ikrom Isroil o'g'li Aliboev)


1994年1月9日生、タシケント出身
ポジション:センターハーフ
所属チーム:江原FC(韓国)
 高いパス精度と強力なミドルシュートが持ち味の攻撃的ミッドフィルダー。豊富な運動量と激しいプレーもいとわない、ウズベキスタンでは珍しいいわゆるBox-to-boxのタイプ。力仕事は苦手で、得点能力もあまり高くはない。
 ロコモティフの育成組織出身で、全盛期のチームの若き中心選手として評価を高め、2015年頃から代表にも選ばれるようになった。2018年のアジア大会で韓国と対戦した際、試合を見ていたFCソウルの崔龍洙監督の目に止まり韓国に挑戦。本格的にセンターハーフに固定されるといきなり開幕戦からアシストを記録するなど活躍。2年間レギュラーとしてプレーしたが2020シーズンははヘルニアに泣かされ、シーズン終了後に契約を解除。2部リーグの大田ハナシチズンに移籍。ここでも主力として活躍したのち、2022年に母国復帰。王者パフタコルに加入するも印象的なプレーはできず。2023年に再び韓国に渡った。
 ウズベキスタン代表には韓国移籍後の2018年頃から頻繁に招集されるようになり、以降定着。当初はロコモティフ時代の名残か監督の好みかサイドで起用され窮屈そうにプレーしていたが、後に4-5-1のトップ下のポジションに移ると本来のプレーを見せ、ライバルの多いポジションながら代表チームでも主力の座を手に入れた。
 余談だが、渡韓時に「韓国人女性と結婚するな」と両親から厳命されていたという。のちに家族が紹介した女性と結婚した。ウズベキスタンにありがちな話である。


サンジャル・コディルクロフ(Sanjar Baxtiyor o'g'li Qodirqulov)


1997年5月27日生、タシケント出身
ポジション:ミッドフィルダー
所属チーム:ネフチ
 ピッチを所狭しと走り回り、あらゆる場面に顔を出す小柄なコンダクター。技術力も高く、懐の深いドリブルはなかなか奪われない。人もボールも動かす中盤の潤滑油。向こう気が強く、最後まで諦めず相手に食らいついていく姿勢も魅力。元々ウイングだったが、サイドプレーヤーとして飛び抜けた武器がなかったのと複数ポジション可能な器用さが災いし、所属チームでも各年代別代表でも起用法が一定せず、DFを含む様々なポジションをたらい回しにされ続けていた。今年に入りインサイドハーフという新境地を開拓、一気に才能を開花させつつある。代表でも相変わらずDF登録で招集されることがある。
 シディコフとは体型も容姿も非常に似ており、さらに技術力の高い俊敏なMFという点も同じで、筆者はしょっちゅう見間違える。そしてあろうことか2021年、両者は同時期にロコモティフに加入。髪色がやや茶色っぽく、シディコフより短く刈り上げているのがコディルクロフだが、遠目では本当にどっちがどっちかわからない。


ジャヴォヒル・シディコフ(Javohir Alisher o'g'li Sidiqov)


1996年12月8日生、タシケント出身
ポジション:ミッドフィルダー
所属チーム:ナサフ
 164cmの小兵で当たりには非常に弱いが、俊敏な動きで敵陣をすり抜け正確な両足から鋭いラストパスを繰り出すプレーメーカー。コディルクロフに似ているが、バイタルエリアを主戦場とし、巧みな攻め上がりから自らも得点を狙う点で異なる。「黄金世代」の一員で、ローン移籍先のコーカンドで成長し、2018年のAFC U-23選手権優勝に貢献、そのままジェパロフ引退後の代表の攻撃的MFの座を確保。2019年のアジアカップも主力で戦い、将来の代表を引っ張る存在と目された。しかし大会直後の5月に大怪我を負い、1年以上戦線から離れる不運に見舞われる。今年ようやく復帰したが、以前のパフォーマンスには戻っていない。代表での序列も変わり、再び定位置争いに挑むためにまず往時のフィットネスを取り戻したい。蛇足だが筆者お気に入りの選手で、4-2-3-1のトップ下は彼が適任だと思っている。
 コディルクロフにはプレースタイルだけでなく体格と風貌も似ている。そして何の因果か2021年に両者が同時にロコモティフに加入。中盤を所狭しと動き回るそっくりさんコンビが実現したが、2022年にコーカンドに加入しコンビ解消。コーカンドの降格に伴い2023年はナサフでプレー。組織だったパスサッカーにうってつけの人材として、華麗なコンビネーションアタックに欠かせない選手になった。


ドストン・ハムダモフ(Doston Xurshid o'g'li Hamdamov)


1996年7月24日生、タシケント州ベコボド出身
ポジション:ウイング、フォワード
所属チーム:パフタコル
 高い得点能力と正確かつパンチ力のある左足が武器のマルチな右ウィング。純然たるサイドプレーヤーではなく、エリアの角付近を持ち場とし、中央にゴリゴリ切り込んでいくことが多い。代表でも所属チームでもマシャリポフと「逆足サイドの両翼」コンビを組む。早くから将来を嘱望され、「黄金世代」のエースとして2015年のU-20W杯ではチーム最多の3得点を挙げ、ウズベキスタン人選手では初のアジア年間最優秀若手選手賞を受賞。2018年にはロシア1部(当時)のアンジに移籍。
 チームが財政難から瓦解する不運もあり、やや伸び悩み国内に復帰するも、無事に国家を代表する名手に成長した。そして活躍が評価され、2021年に戦いの舞台をUAEに移した。復活した逸材は更なるステップアップを目指したが、またしても志半ばで2021年夏にパフタコル復帰。
 2022年1月、3度目の国外挑戦が決まった。今度の舞台はカタールだ。……と書いたが、あっさり夏にパフタコルに出戻り。エルキノフがロシアに抜けた夏以降は右サイドのレギュラーに収まり、逆転でのリーグ優勝に貢献した。


オイベク・ボゾロフ(Oybek Olim o'g'li Bozorov)


1997年8月7日生、カシュカダリヨ州コソン出身
ポジション:ウイング、フォワード
所属チーム:ナサフ
 繊細なタッチと軽快なステップで狭い局面を打開するドリブル突破と鋭いカットインが持ち味のウイング。シュートやクロス、セットプレーの能力も高く、トップ下でも可能。華奢で当たりに弱くスプリントも遅く、守備力は皆無に等しい選手だが、それを補って余りある国内屈指の圧倒的なスキルは見るものをワクワクさせる。
 攻撃能力は一級品も、弱点がはっきりしすぎていたせいかなかなか所属チームのナサフで出場機会に恵まれずしばらくは無名の選手だったが、2020年1月のAFC U-23選手権が大きな転機となる。中盤のレギュラーを任されると筆者も驚きのスーパープレーを連発、ド派手な活躍で4位入賞最大の立役者となり、一気に国内で大注目を浴びた。活躍が認められてか2020シーズンからナサフでもレギュラーを確保し、2月に代表初招集。ここ数年で一気に能力を開花させており、代表チームでも存在感を増している。

◆フォワード

ジャスル・ヤフシボエフ(Jasur Jumaboy o'g'li Yaxshiboev)


1997年6月24日生、タシケント州チノズ出身
ポジション:フォワード、ウイング
所属チーム:オルダバス(カザフスタン)
 得意の高速ドリブルで豪快に突き進む左利きのアタッカー。パフタコルでは出場機会がなく、2020年にベラルーシ1部のエネルヘティクBGUに移籍。FWで起用されると得点を量産。シーズン途中に強豪シャフツョールに移籍、代表に呼ばれるようになった。高い能力を持っているが、ドリブルに固執するあまり球離れが非常に悪い点が玉に瑕。かつて期待されながら失敗したサルドル・ラシドフとほとんど同じタイプ。所属チームではFW、代表では右ウイングで起用されており、メインポジションを一本化し、より賢く効果的なプレーができるようになれば大化けする可能性も。
 2021年冬、ポーランドの強豪レギアに移籍。順調にステップアップを続けていたがレギアでは構想に入らず、2021年夏にモルドバの強豪シェリフに期限付き移籍。ここでUEFAチャンピオンズリーグ本戦出場を果たすだけでなく、かのレアル・マドリード相手にゴールも決めて国内にちょっとしたフィーバーを巻き起こした。
 結局その後はシェリフでも怪我に悩まされ定位置はつかめず。2022年夏にナフバホルに加入。国内復帰したがここでもあまり出場機会に恵まれず。今やウズベキスタンおなじみとなった「ベラルーシ組」のパイオニア的存在だが、シャフツョール以降は苦しい戦いが続く。


シャフゾド・ウバイドゥッラエフ(Shahzod Umid o'g'li Ubaydullaev)


1998年1月1日生、ナマンガン州コソンソイ出身
ポジション:フォワード
所属チーム:メタルルグ
 2019シーズンに突如出現したストライカー。国内でも完全に無名選手だったが、弱小アンディジャンのワントップに抜擢されると実質プロデビューのシーズンで9得点。シュートの精度も技術も非常に高く、クロスからのヘディングやボレーでのシュート、スルーパスから裏に抜けゴールに流し込むプレーが持ち味のワンタッチゴーラー。「美しいゴールが好き」と語るように、アクロバティックな得点も多い。今季から中堅チームのメタルルグに引き抜かれると、引き続きCFのレギュラーでプレー。得点シーン以外のプレーでの引き出しを増やし、よりマルチな選手になりつつある。2020年9月には国内組のみではあるが代表にも呼ばれ、デビュー戦で初得点を記録。飛ぶ鳥を落とす勢いを見せ、2021年にはベラルーシの強豪シャフツョールに移籍が決定。ここでは主力に割って入れず夏にエネルへティクBGUにローン移籍。ウズベキスタン人選手が多数在籍するチームで本領発揮なるか……というところだったが苦戦。2022年2月にネフチに期限付き移籍。母国で再起なるか。
 2023年はメタルルグでプレー。動きにキレが戻りつつあり、Z.ウリンボエフとの強力2トップはリーグでも指折りの得点力。
 19歳で入団したマシュアルでは主力になれず、一旦2部リーグ所属のコソンソイへ。マシュアルに復帰後、セカンドチームに所属していた2017年に2部リーグ得点王(32得点)になっている。


フサイン・ノルチャエフ(Husain To'raqul o'g'ri Norchaev)


2002年2月6日生、カシュカダリヨ州ヤッカボグ出身
ポジション:フォワード
所属チーム:ナサフ
 ウズベキスタンの将来を背負って立つ若手ストライカー。左足での正確かつ強力なシュート、非凡なポジショニング、多彩なゴールパターンとFWに必要な能力をハイレベルで備える、若手軍団ナサフの絶対的エース。
 9歳で地元のナサフの育成組織に入団すると、憧れて育った少年は早熟な才能を見せる。2019年には17歳にしてU-21チームのエースに君臨すると、2020年に18歳でトップデビューを果たす。当時ワントップにB.アブドゥホリコフがいたため出場機会は限られ、そこそこスピードがあり小器用な面が災いして慣れないウイングを務めたりして、トップチームでの居場所探しに苦労する。しかし2021年にアブドゥホリコフが抜け地滑り的にワントップの座を掴むと、秘められた才能が突然開花。ベルディエフ監督が築き上げた華麗な攻撃サッカーで知られるナサフ。ゴールチャンスを次々とモノにして13ゴール。19歳にしてリーグ得点王に輝き、年間最優秀若手選手賞を受賞。また準優勝したAFCカップでは7戦7発の大暴れでこちらも得点王。飛躍のシーズンとなった。また10月にはフル代表にも初招集、デビュー戦でいきなり得点を挙げた。
 オフシーズンには国外からの誘いを受けたというが、「国内でさらに成長してから移籍する」という、ナサフの熱狂的なファンでもある父(お気に入りの選手はザファル・ホルムロドフ)のアドバイスに従い残留。2022年シーズンも充実のプレー。6月にはU-23アジアカップに出場。満足行く活躍はできなかったが3位入りに貢献。今季はこれまで弱点とされてきたフィジカルの強さに磨きをかけており、更にマルチなFWへ変貌を遂げた。ナサフのリーグ制覇はならなかったが、オフについに国外挑戦。新天地はロシア2部のアラニヤ(ヴラジカフカース)に決まった。
 2023シーズンはなかなか主力定着とはならず厳しい立場に置かれているが腐ってはいないようで、U-23代表ではナサフ時代とは見違えるようなたくましさあふれるプレーを連発。ロシアのレベルとプレースピードに順応すればすぐにでも結果を残せるのではないか……と期待が膨らむ活躍だった。
 出身地のヤッカボグ地区の近くには、かつてフジャ・イルゴルと呼ばれた村があった。日本人にはほぼ知名度がないが、14世紀にユーラシア大陸に大帝国を築いたティムールの出身地とされ、現地ではそこそこ知られた地名である。ノルチャエフのファーストネームは、そのティムールの子孫であるフサイン・バーイカラーにちなんでつけられた……わけではなく偶然である。

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