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フェミニズムの目的は男性文化を破壊するこ


 この資本主義というシステムの支配者たちは、ファシズムが怖くて怖くてたまらない。ゆえに、何としても伝統文化を破壊しなければならないと決意している。その伝統という名の男性文化を破壊するために、フェミニズムがある。フェミニズムの根底には、男性蔑視があるからだ。


 
 「女の究極の目標は、男を束縛して支配すること」    ~釈迦~


 
 釈迦も、すでに紀元前にこう言っている。つまり、この女たちにとっての究極の目標を達成するために、フェミニズムがあるわけだ。フェミニズムとは、女たちにとっては支配と優越のための思想であり、男たちにとっては、おのれを隷属にみちびく悪魔の思想である。フェミニズムとは女という属性そのものを優位にたたせるという点で、じつは、すべての女たちの密やかな支持を得ている思想でもある。この思想でやればやるほど、女たちは自由に、わがままに、そして支配的に生きることができる。フェミニズムとはいわば、女という属性にとっての極右思想なのだ。


 
 逆に親フェミニズムの男たちが、あまり男っぽさの感じられない、覇気のない男ばかりなのもここに理由がある。彼らはすでに去勢されているからこそ、親フェミニズムたりうるわけだ。


 ゆえに、フェミニズムが栄えれば栄えるほど、男たちはダメになる。


 だからこそ、資本主義とフェミニズムは相性がいい。男たちを去勢し弱体化させるという点で、利害が一致しているからだ。「フェミニズムはネオリベの侍女である」と、言われるゆえんである。


 西側の資本主義国ではどこもフェミニズムが猛威を振るっているのに対し、まだ資本主義がさほど導入されていない貧困国では、強固な男性文化が存在している。そして中国のようなファシズム国家ではフェミニズムが抑制され、男らしさの文化が称えられている。これは、資本主義とフェミニズムがセットになっているからなのだ。さすがは3000年間戦争をし続けてきたファシズム国家である、中国の支配層の人々は、フェミニズムが民族を滅ぼす劇薬であることをしっかりと認識しているわけだ。


 そもそも中国には、自国の国民を思考操作するためのプロパガンダ機関がある。こういったプロパガンダ機関の研究者からすれば、フェミニズムが民族を滅ぼす毒であることなど、一発で見破れるのだろう。彼らからすれば、「西側資本主義国はみえみえのことをやってるぜ」、くらいのものではないのだろうか。


 こうして資本主義とフェミニズムという観点から考えると、世界の国々のあり方が、一つの論点で整理される。資本主義がフェミニズムを使って、民族文化をほろぼす地ならしをしている。そして、すべてが資本家たちに優位になるシステムづくりをしている。つまりはそういうことだ。


 民族文化の破壊を企む大資本家たちからすれば、自分たちは前に出なくていい、フェミニストにやらせればいい。ここが、フェミニズム批判をするときの肝である。


            。。。。。。


 「女たちの究極の目標は、男を束縛し支配することである」

 このために、フェミニズムがある。


 少なくとも80年代までは、男性文化の栄えた時代だった。大人の男たちは絶対の尊敬を受け、若者たちは理不尽なことには男らしく堂々と立ちむかい、男の子たちは元気いっぱいで跳ねまわっていた。そして長幼の序の文化がまだ生きていたから、男たちは各世代で仲が良く、団結していた。このくらいの時代までは、男同士でつるむのが本当に楽しかったのだ。男性文化は男をたちを強くさせ、団結させる。この文化は、ゼロ年代前半くらいまではかろうじて続いた。


 ひるがえって現代では、圧倒的に女性優位の時代である。一例をあげれば、女性集団の職場でのイジメなどは、本当に悪質化した。まわりの人々を敵と味方に分け、敵と見なした人間を集団でいびり、排除してしまう。そして男たちもこの女のわがまま放題に、なすすべもない。女の陰険さという悪徳の前に、すべての男たちが意気地なく跪いている。いまではどこも、こんな感じだ。もちろん、筆者だってそうだ。


 しかしかつては違った。お局様がくだらないイジメなどしていると、職場の管理職の男が一喝すれば、それでたいていは収まったのだ。当時はまだ、その場のいちばん強い男を敬い、男たちが団結するという家父長文化が生きていたからだ。


 
 「2人の女を和合させるより、むしろ全ヨーロッパを和合させる方が容易であろう」                 ~ルイ14世~


 
 女が10人集まれば必ず2つのグループに分かれ、対立する。何故だかはわからないが、とにかくそうなのだ。つまり女たちは、最初から「分断して統治せよ」の状態にある。ということは、男たちを敵に回した女のグループは、もうその時点で負け、ヘタをすればその組織から排除されてしまう、ということになる。これが、プライドの高い女たちには耐えられない。


 
 だから本来なら、じつは女たちはどうあっても男集団には逆らえない。いや、場合によっては媚びる必要すらでてくる。じつは男たちは最初から女たちに対し、圧倒的に支配権を握っている。しかし、これは男たちが団結していれば、という条件付きである。


 
 男たちがこの自然からあたえられた支配権を維持していれば、論理と責任というものを骨格とした、男性文化で社会を運営することができる。定められた基準を守り、責任さえ果たせば誰にも指をさされないという、秩序立った社会を作ることができるわけだ。こういう筋の通った社会なら、務めさえ果たせば、万人が安心して生きることができる。まちがいなく昭和は、こういう時代だった。そしてこういった社会を、文明社会というのだ。


 
 ひるがえって現代の日本とは、ひとたび女集団の嫌いに分類されれば、不当な侮辱と排除に甘んじなければならない、基準無き社会である。女たちの感情が基準である女社会では、人は恒常的な不安と恐怖にさいなまれることになる。そしてその不安は、人間精神をおかしくさせてしまう。女社会とは、その場のごくごく一握りの男女だけがいい思いをする、寡占的な社会である。この点でも、女社会は資本主義と相性がいい。


 そしてここに、フェミニストたちが家父長文化を目の敵にする理由があるわけだ。なぜなら彼女たちは家父長文化に、さんざん煮え湯を飲まされてきたからだ。家父長文化は、女たちの狡猾なふるまいなど認めない。狡猾な女とは、家父長文化ではただの蔑まれる対象でしかなかった。強い男のもとにその場のすべての男たちが団結する家父長文化があるかぎり、狡猾な女たちは、ほとんど何もできないのだ。


 こうなると男たちのつくった論理と責任の文化に、好き嫌いで生きている女たちも、嫌々ながら組みこまれるしかない。だからこそフェミニストたちは恨み骨髄で、家父長文化とその主宰者である大人の男たちに、あらんかぎりの悪罵を投げつけているわけだ。  

 
 「家父長文化は人々の自由を抑圧し、男たちは救いようの無い傲慢さに憑りつかれていた」


 
 フェミニストのいう、大ウソのプロパガンダである。家父長文化が抑圧していたのは性悪女の狡猾さと、ゴロツキ男の暴力性である。権威ある家父的な男が、責任をもって女と男に備わったあらゆる悪徳を抑圧していただけだ。最強の男が、責任をもってその場を統制していただけなのだ。誰かが責任をもってその共同体に巣くう悪を押さえつけねばならぬ、ただ、それだけのことだ。


 しかしフェミニストからすれば、家父長文化を破壊しなければ自分たちの出番がこない。この文化を滅ぼさねば、女の狡猾さでこの社会を支配することができないのだ。これは、男と女という属性間の権力闘争である、男性文化と女性文化の激突である。女たちが男たちを支配するために、やっきになって男性文化を滅ぼそうとしている。そのために男性文化を、軽蔑という毒でもって溶解させようとしている、つまりはそういうことだ。


 
 男たちが団結していれば、男が女に対し圧倒的に優位に立つ。しかし分断してしまえば、逆に女たちが完全に優位に立つ。そして男たちを分断するために、フェミニズムがある。


 
 男たちをバラバラにさえしてしまえば、性悪女の独壇場である。あとはその場の2割くらいの強者男に取り入ってコントロールしてしまえば、容易にその組織を支配することができる。こうして、すべての男たちが女の狡猾さに跪く女社会が成立するわけだ。まさに、現代の日本である。


 
 「女の究極の目標は、男たちを束縛し支配すること」


 釈迦が紀元前に看破した女たちの密やかな欲望は、この21世紀の日本で、実現しかかっているのである。


            。。。。。


 フェミニズムのやっている男性支配の手管は、いたってシンプルである。まず、ジェンダーフリー思想で男らしさの文化を破壊し、男たちを去勢する。そして、家父長文化を悪の抑圧社会であるとの大ウソのプロパガンダをでっち上げ、男たちをバラバラに分断する。さらに中高年世代の男に対するうす汚いヘイトをまき散らし、若者世代と中高年世代のあいだに対立をつくりだす。


 どうだろう?かつて支配民族が被支配民族にやった、「伝統文化の破壊」「分断して統治せよ」、つまり、愚民化政策そのものであることがわかる。フェミニストはかつての帝国主義者たちがやった、「支配のやり方」そのものを男という属性に適用している。何もかもがかつての帝国主義者、差別主義者たちとやっていることが同じ、それが、フェミニストである。デタラメすぎて笑ってしまうが、これがわが国のフェミニストの真実の姿である。


 
 そしてこの男性支配に、フェミニストの犬である若手リベラル文化人が協力している。家父長文化に悪罵をなげつけ、おっさん世代に対するヘイトをまき散らすことにより、フェミニストたちによる男性文化の破壊工作に協力している。彼らは男という属性の、いわば売国奴である。国家が滅びるときに、必ず暗躍する卑しい連中である。


 母親に支配されて育ったマザコン男は、無意識のうちに女に利用されるようになる。彼らは父なる男性文化を憎み、破壊することによって女たちの手先になり下がる。そして、かつて少年時代に母親に支配されていた家庭と同じ状況を、この社会に再現しようとする。性悪女とマザコン男が手をとりあって男性文化を滅ぼし、女たちの狡猾さが支配する女社会を作ろうとしているわけだ。


 これに対し、大人の男たちはもう、為す術もない。そして1年ごとに社会のタガが外れ、この国がおかしくなっていく。社会の骨格を担う男性文化が溶解していっているのだから、当然こうなるしかないわけだ。このままいけば、この社会はじきに臨界点に達してしまうだろう。


 
 すでにわが国の男性文化は破壊され、男たちは女たちの狡猾さに、女文化に屈服しているように思える。そして、女集団にいいように支配されてしまっている弱い男たちは、来たるべく1%の大富豪連が支配する超格差社会において、従順な良きドレイになるしかないというわけだ。

 

 


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