日々摘花(ヒビテキカ)
『日々摘花』とは、WEBメディア『Coeurlien(クリアン)』で人気のネットブログのタイトルです。著名な方々がご自身の大切な人との別れの体験を語っていて、その体験から「毎日、花を摘むように大切に生きていく」ことを学ばせていただくコーナーで私も読ませていただいています
大切な人との別れは心に大きな悲しみを生みますが、心の中にいる故人との対話を通して日々を大切に生きていくというテーマのブログです。毎日を大切に生きることを教えてくれる記事ですが、私はこのブログのタイトルの日々摘花という言葉が好きで印象に残っています。一時期、お寺の掲示板にもこの言葉を貼っていました
花を摘む感覚は、私も感覚として覚えています
「花を摘むように毎日を大切にしましょう」
もちろんそれだけ言われても抽象的な表現ではありますので「何をすればいい?」ということなんです。言葉を知る、学ぶことは非常に大切なことですが、その学んだことを人間関係の現場で思い出したい
頭に残っているこの四字熟語が人間関係のその現場で
私たちにも分かる花を摘むという感覚を思い起こす
毎日を「丁寧に生きる」「人に優しく接する」「目の前のことを大切にする」とか「一つ一つの言葉を大切にする」という生き方に繋がっていけばいいなという願望です
大切な人との別れ、また自分もいずれ死んでいくという意識が生まれることは今の生き方に大きな影響を与えていきます
その影響というのは
「自分もいつか死ぬから投げやりになる」
「生きていても仕方がない」
という方向ではないんだと思います
もしかしたら悲しすぎて最初はそう思ってしまうかもしれない
けれども、それでも故人の言葉に出会い直して、微笑みや温もりを思い返していく中で、いつか別れがくるから今を大切にしていきたいという方向に向かわせてくれる
死という苦しみの他に、四苦八苦という言葉がありますが、その中に
四つの苦しみがあると仏教では言います
「生」というのは、「六道輪廻」と言われる六つの世界の生まれ変わりを繰り返す、そのことを仏教では苦しみを捉えている
この六道輪廻を現代の人たちの中でどれくらいの人が信じているのかは分かりません。私も生まれ変わりの感覚が分からないので「生」を苦しみととらえきれてはいませんが、「老」「病」、これは私たちにとって分かりやすい苦しみです。
若くありたい、健康でありたい、誰もがそう思います。しかし思い通りにはいかないから苦しみが生まれます。これまで出来たことが出来なくなっていく、または死が近づいてくる。私たちにとって避けたいことです。
しかし避けられることではない。避けられないことに対して悪い印象をもち、不安を覚えている私たちにお釈迦様の言葉は気づかせようとしているんです。
私たちが老いることや病気になることを最初から良くないものだと決めつけてしまっているからではないかと。
でも
「老」の毎日の中にも花を摘んでいく瞬間
「病」の毎日の中にも花を摘んでいく瞬間
というものがあるんだと思います
「老」や「病」の中にでも、むしろ中にこそ
「丁寧に生きる」、「人に優しく接する」、「目の前のことを大切にする」とか「一つ一つの言葉を大切にする」
そういったことがたくさんある
感謝を伝えよう、笑顔でいよう、優しい言葉を使おうと普段私たちはどれだけ考えているか。老いを認めた、病を認めた方たちは、これらのことを常に考え実践されているような印象を受けます
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に
「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらしてくれる」
充実した一生を過ごしましょうと言われても、雲をつかむような話になってしまいますが、今日充実した一日を過ごすためと言われれば、今やれることもあるのではないでしょうか
この「クリアン」というブログは、最近では俳優の佐野史郎さんのインタビューがのっております。佐野さんのお父さんとの思い出や死生観、また俳優さんの小さい頃の思い出が知れるのも非常に面白いところです。
興味のある方はご一読下さい♪
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