人柄と相性-誰も悪くないけど悩む人間関係
徒然なるままに。
今週は何も書かずに終わってしまう、、、、と思っていたけれど、さくっと1本。
簡単だけど思いついたことを。
上司や年長者が優秀というまぼろし
書いていて過激なテーマだなーと思いつつ。
大学生のアルバイトの頃。私は二部学生だったこともあり、ランチ帯のファミレスで働いていた。仕事に慣れてくると、あとから入ってくる年上の主婦の方々に仕事を教えなければならないという状態が常態化していった。
当然飲み込みが早く、スイスイ仕事を覚える方もいれば、出来る様になるのに時間がかかるどころか一向にできるようにならない人もいた。
そういう人たちをみていて、年上だからと言ってなんでも出来る訳ではないことを知った。一方、ファミレスという場所だから、高校生のアルバイトの子たちもいた。その中には大人顔負けな気働きと仕事ぶりの子たちがいることも知る。
自分自身はというと出来る様になるには時間がかかった方だったけれど、その頃はそんなことはキレイに忘れて、出来ない大人の文句をどれだけ言ったかわからない。
はたまた売り上げを上げたり、現場を回すのがうまくても、感情のままに怒鳴り散らす店長や上司もいたから、年齢の上を見ても下を見ても仕事の出来不出来は年齢にあらず、人それぞれというコトを自然と吸収していった。
一緒に働きたい人
幾つもの職場を転々としてきた結果。
仕事ができないのは確かに困るし、同じ給料の人が仕事ができないのは腹立たしかったりするけれど、人柄の良さ、相性の良さほど代えがたいものはないことに気付く。
仕事ができないのは、もちろん向き不向きもあるので、その仕事があってないだけっていうのもあったりする。また、その中でも探し出せば一つか二つか三つか何かしらできるコトが見つかったりするから(とっても時間がかかって見つける前に双方が諦めるパターンもあるけど)、時間をかけて諦めなければ何かしら見つかる可能性が高い。
一方、人柄や相性の良さ。これらは本当に代えがたい。仕事の仕方やミスの改善方法は一緒に考えたり、試したりしながら試行錯誤ができるけど、思考のクセや性格の合う合わないは、そもそも他人がどうこう言うべきではない場合が多い。
受け入れられない性格や考え方の人と一緒になった場合、どちらかが辞めるかの争いになる場合がほとんどである。
誰も悪くない
人間関係の問題になった時に、人は自分の正当性を主張する。
しかし、出来事は物語る人によって見え方が全く異なるという性質を持っていることを忘れてはいけない。
問題が発生した時、それは悲しいボタンの掛け違いやちょっとした油断が原因であることがほとんどだ。それでも誰かが悪いと思いたくなってしまうのは、日ごろの人間関係や抱えているストレスのせいであったりする。
本当は誰も悪くない。人ではなく問題に目を向ける。
書いていながら難しい問題だと言わざるを得ない、自分の課題のために書いたnoteかもしれない。
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