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まったく「ドーナツ」ってやつは

家から電車で30分の場所にミスドができたのは、高校2年のときだった。

その地域の第1号店。初日に友達とはしゃぎながら行ったのを覚えている。お小遣いでドーナツを買い、オープン記念品のパパリンコグラスと一緒に家にもちかえった。

「ドーナツ屋さんがオープンしたから買ってきたよ。お母さん、一緒に食べよう」

チョコレートコーティングのドーナツやクリーム入りドーナツを見た母は、目をパチクリさせた。

「こんなお洒落なドーナツがあるのね・・・」

わたしが子どもだったころ、ドーナツといえば母の手作り。ドーナツどころか、ほとんどのおやつは母の手作りだった。

手作りおやつなんて愛情たっぷりね、と思うかもしれないが、そうではない。ウチには、スーパーの甘いパンやお菓子を買うお金がなかった。だから母は自分で作るしかなかったんだと思う。

チョコ、ビスケット、スナック菓子は我が家では高級品の類で、家で見かけたことはほとんどない。枕元に置かれたクリスマスプレゼントが、桃色の紙で包まれたアポロチョコレートだったくらいだから。

わたしと弟が小中学生だったころ。育ち盛りの子どものお腹を満たそうと、母は腹持ちのいい小麦粉を使い、頻繁におやつを作ってくれた。

グルテンフリーどころか、フルグルテンである。

家には、常に小麦粉が大量にストックされていた。スーパーの特売品が小麦粉の日には、わたしも一緒に行くのが定番。小麦粉は、お1人様1個限りの目玉商品だったからだ。

ただの真っ白な粉が変幻自在に姿を変える。そのシンプルな事実に驚いた。

母はそれほど料理好きではなかったけれど、おやつを作るときは楽しそうだった。わたしが一緒に作るときは、たくさん味見させてくれた。それが、ちょっとした贅沢。

小麦粉と片栗粉をまぜてお団子を作った。サツマイモ入りの蒸しパンを作った。寒い冬には小麦粉を練って「すいとん」にし、前日残った味噌汁に入れた。今思えば、おかずみたいなおやつだ。

いろんな小麦粉のおやつがあったけど、そのなかでもわたしが断然好きだったのは、ドーナツ。

母が小麦粉とふくらし粉を混ぜて、そのなかに油(バターは高くて買えなかった)と砂糖と卵を入れる。ふっわふわの粉にポトリと落ちた卵は、つやつやの宝物のように見えた。

手で生地をこね、母がめん棒でのばす。そこからはわたしの出番だ。生地をドーナツ型に抜いていく。家にはドーナツ型がなかったので、湯呑みで代用した。

まず、湯呑みの飲み口で、大きな丸の形を作るように生地を抜く。大きな丸をたくさんくり抜いた後は、アジシオの蓋の登場。あの水色のアジシオの蓋で、大きな丸の中心に小さな丸をくり抜く。

これでドーナツの形が完成!

湯呑みもアジシオの蓋も市販のドーナツ型より厚みがあり、型抜きしづらかった。最初のうちは上手く抜けず、すぐに「お母さーん、やってよー」とほとんど母にやってもらった。母に交代するとなぜか、サクッ、サクッ、と上手くできる。

なんでだろう?生地の端っこから無駄がないように整然と型を抜く母の手つきを、じーっと眺めていた。

生地が少し余ると、母はいつも「好きな形にしていいよ」と言ってくれた。なけなしのクリエイティビティをかき集め、三つ編みにしたり、王冠の形にしたり、星やウサギを作ったりもした。

型抜きは、ドーナツ作り前半のお楽しみ。それが終わると後半のお楽しみに入る。

後半のなにが楽しいのかというと、揚がっていくドーナツの観察だ。母が、揚げもの鍋に油をタプタプに入れる。温度が上がると、黄金色の油は、鍋の中でゆらゆらと模様を描く。

母が生地をポトリとひとつまみ落とし、油の温度を確かめる。うん、と小さく頷くと、鍋の表面を滑らせるようにドーナツをそぉーっと入れる。

油のプールに浸かったドーナツは表面にふつふつと小さな泡をたずさえ、ゆらぁと移動したかと思うと、ふぅわりと浮き上がる。

プールで泳ぐと日焼けするみたいに、油のプールで泳ぐドーナツもこんがりといい色になっていく。

うわぁー、いい匂い。

鍋からほんのり甘い香りが解き放たれ、台所に広がっていく。匂いに誘われて思わず鍋に近づくと「危ないからもうちょっと下がりなさい」と、母にたしなめられた。

この匂いをもっと嗅ぎたいし、白のドーナツがキツネ色になってプカプカ浮くのも見たいのになぁ。

居間から踏み台をもってきて、鍋から1メートルくらい離れた場所に置く。少し高い位置からのぞく油の中のドーナツと、手際よく揚げていく母の手。踏み台から見下ろしているわたしを見て、母は笑った。

「ほら、熱いうちにお砂糖まぶして」

急いで踏み台から下り、母に言われたとおりアツアツのドーナツに砂糖をまぶしていく。母が揚げものに集中しているのをいいことに、わたしは味見三昧だった。

やっぱり揚げたては最高だね

生地を混ぜるときに使った牛乳が、まだテーブルの上に出しっぱなしだ。油の前にずっと立っていたら暑いだろう。トクトクとグラスに入れて、母の手元に置く。

「お母さん、ほら、口開けて。揚げたてで熱いから気をつけて」

鍋に気をとられながらも、母はアーンと大きな口を開け、わたしのほうを向いた。

「んー、やっぱり揚げたては最高ね」

「わたしとおんなじこと言ってるよ」

「なんでも味見のほうが美味しいわ。不思議よねぇ。これは、台所に立つ人の特権ね」

母は口をモグモグさせながら、また鍋の表面にドーナツを滑らせて、油のプールにそっと泳がせる。

あのとき、狭い台所に満ち満ちていた甘い香りと、じゅわじゅわという油の音。母がドーナツを揚げる後ろ姿と、指にくっついた上白糖。お皿にこんもりと山を作るドーナツと、テーブルに置いたままの小麦粉の袋。

いつもお金はなかったけど、ああいう光景を「幸せ」って呼ぶんじゃないだろうか。

今振り返ると、そんなふうに思う。

当時はまったく気づかなかったけど、自分が母親になり、母親目線で思い返すと、ドーナツを作ったあの時間の至るところから「親子」を感じる。ささやかなやりとりに「親子」を感じる。

あのときの母も、そんなことを思っていたのかな。

「ドーナツ」という響きが連れてくるもの。それは、狭い台所で母と一緒に作った、ポソポソした触感の、生地の密度がギュッとした、あの小麦粉の手作りドーナツ。

いつだってそう。

「ドーナツ」ってやつは、わたしの涙腺をヒュンと刺激する。

母が亡くなって25年も経った今もなお。


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