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ホラーが苦手な人でも楽しめるホラー小説

ホラーが連れてくる緊迫感が苦手だ。

良からぬモノが出てくるんじゃないか、流血シーンがあるんじゃないかと思うと、無意識のうちに手のひらをギュッと握ってしまう。

ホラーは全般的にダメ。たとえイケメンと2人きりでお化け屋敷に行く機会があったとしても、ほんとは行きたいけど行けない。怖くて。

怖いモノは小さいころから苦手だけど、これは遺伝ではないらしい。わたしの母は大の怖いモノ好きだったから。

ホラー好きの母は、サスペンスドラマは欠かさず見ていたし、夏の怪談話なんかもよく見ていた。

「怖いから見るのやめてよぉ」とお願いしても、ドラマに夢中でまったく聞こえないのか、それとも面倒くさいから聞こえないふりをしていただけなのかは分からないが、とにかく母は画面から目を離さなかった。

うっかり血が出てくるシーンなどを見てしまったら、わたしは怖くて1人でトイレにも行けなかったし、お風呂にも入れなかった。

そのシーンが頭の中で勝手にリピートされ、髪を洗っているときに突然なにかが現れたらどうしようと、そればかりが気になり、中途半端に髪を洗い流してそそくさとお風呂からあがった。

意図せず見てしまったサスペンスドラマの怖いシーンは、1週間くらい頭の中にドンと居すわり、ちっとも出ていってくれない。

その1週間は真夏のどんなに寝苦しい夜でも、手のほんの指先さえも、足の指1本さえも、布団の外に出したままでは眠れなかった。

寝ているあいだに、だれかが急に手を触ったりするんじゃないか、足首を引っ張ったりするんじゃないかと怖くて、“気をつけ”の姿勢のまま、布団をピッチリと1ミリの隙間もなくかぶらないと眠れなかった。

1週間前の恐怖が和らいだと思ったら、母がまたサスペンスドラマを見るものだから、もうたまらない。

そんな臆病者なので、人生で可能な限りは、ホラーとサスペンスを避けてきた。映画や小説がどんなにヒットしようとも、友達との話についていけなくても、とことん避けてきた。お風呂やお布団でビクビクするのは、もうたくさんだもの。

ところが、ホラーが苦手なわたしは、ある1冊のホラー小説と思いがけない出会いをする。

その出会いのキッカケは、書店員のサトウ・レンさんのこちらの記事。この記事には、サトウ・レンさんの人生を変えた、ある本との出会いが綴られている。

この本と出会っていなかったら、書店員になっていなかっただろうなぁ、という想いです。

サトウ・レンさんが書店員になろうと思ったキッカケの本って、どんな本だろう。

この本なら、ホラーが苦手なわたしでも読めるかもしれない。そう直感し、早速購入。こういうときの直感は当たるので、したがうことにしている。

やっぱり当たった。

サトウ・レンさんのおススメする恒川光太郎の【夜市】は、わたしがもつホラー小説の概念をガラリと変える、記念すべき1冊となった。

【夜市】は、日本ホラー小説大賞を受賞していて、直木賞にもノミネートされた作品。ジャンルはホラーだが、ファンタジー要素が多く、「怖い」のひとことではくくれない。

あらすじ:
妖怪たちが様々な品物を売る不思議な市場「夜市」。ここでは望むものが何でも手に入る。小学生の時に夜市に迷い込んだ裕司は、自分の弟と引き換えに「野球の才能」を買った。野球部のヒーローとして成長した裕司だったが、弟を売ったことに罪悪感を抱き続けてきた。そして今夜、弟を買い戻すため、裕司は再び夜市を訪れた--------。


この小説は、読者を異世界に連れていってくれる。それはまるで、映画:千と千尋の神隠しのよう。幻想的で不思議な空気感のただよう小説だ。

ホラー好きの人は、“怖いけど読み進めてしまう面白さ”に惹かれるのだと思うが、恒川光太郎のホラー小説は一味違う。

美しい文体、繊細な文章で淡々と紡がれるストーリーは、どこかノスタルジックな雰囲気が漂う。

だからこそ、ホラーが苦手なわたしでも読めるのだろう。その点からすると、ホラーのドキドキするようなスリルと恐怖を味わいたい、と思う人には物足りないかもしれない。

【夜市】には、もう一遍、【風の古道】が収録されている。個人的には、この【風の古道】にドはまりした。

私が最初にあの古道に足を踏み入れたのは七歳の春だった。

この最初の一文を読んだ瞬間、『あの古道』ってどんな古道なの?と、急速にストーリーにのめりこんでいった。

この小説も異界をテーマにしている。ごくありふれた日常の描写を読んでいたのに、ふと気づけば、読者も異界に足を踏み入れている。登場人物たちと一緒に。

物語のなかに、こちらが日常であちらが異界、というようなくっきりとした分かれ目があるわけではない。

その境界線はひどくうっすらとしていて、その存在すら気づかないうちに、そこをまたいで、日常から異界にスルリと入り込んでしまう。

この感覚がとても不思議。

映画にたとえるならば、客席で映画を見ているのではなく、自分もいつの間にか映画の場面に入り込み、目の前で登場人物たちのやりとりを見ているような感じだ。

【風の古道】に出てくる“古道”を、自分も歩いているような錯覚すら起きる。そこに吹く風や、そこから見える風景を直接感じているかのように。

恒川光太郎のこれらの小説を読むと、わたしがただ知らないだけで、異界は実際にどこかにあるのではないかと思えてくる。

もしかしたら、恒川光太郎は異界のありかを知っていて、そこに何度も足を運んでいるのではないか。そんな風に思えてくる。

怖さは控えめの、どこか懐かしい気持ちになるホラー小説。幻想的なホラー小説と言えるかもしれない。

日常と異界との境界があいまいになるような、不思議な読後感が残る。

ホラーが苦手な人にもおすすめできるホラー小説、それが【夜市】【風の古道】である。

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