育児で忙しいときに、なぜホストファミリーをしたのか
「子どもたちに英語を話せるようになってもらいたいからでしょ?」
知り合いにそう言われ「やれやれ、またか」と思った。これまで何度おなじことを言われただろう。
留学生を家に受けいれる = 英語の勉強のため?
ちがう、そうじゃない。英語は二の次だ。
♢
ホストファミリーをはじめたのは、いまから15年ほど前。末っ子が0歳、1番上の子が小6のときだった。当時は、下の子2人を保育園にあずけてフルタイム勤務。恐ろしいくらい忙しかったけれど、あえて留学生を受けいれた。
夏休みや冬休みだけの滞在とか、宿泊しない“ホームビジット”という形式を選んだので、想像よりも大変ではなかった。オットとわたしはそれを、大変どころか「学びの場」だと思っていた。
そんな我が家を見て、まわりの人は不思議そうにしていた。
育児で忙しいときに、おまけにお母さんはフルタイムで働いているのに(当時、フルタイムの母親はかなり少数派だった)、どうしてわざわざ外国人の受けいれ?毎日の生活だけでも大変だよね?
ちょっと変わった家族、と思われていただろう。まぁ、オットもわたしもまわりの目は気にならないけれど。
忙しいのにどうしてホストファミリー?そう感じた人は、冒頭のように聞いてきた。
「子どもたちに英語を話せるようになってもらいたいからでしょ?」
いやいやそうじゃないのよ、うちがホストファミリーをする理由は。
♢
英語が話せれば、そりゃあ世界は広がるし、なんといっても便利だ。情報のチャンネルは増え、いろんなところにリーチしやすくなるわけだから。
でも留学生を受け入れる理由は、英会話の習得ではなかった。それとは比べものにならないくらい、大きな理由。
外国人との生活が、子どもたちにとって貴重な経験になると思ったから。
日本で生まれ育ち、まわりが日本人だらけの環境で育った子どもたちは、自分たちの生活があたりまえで、みんながそうだと思っていた。
街なかで、めったに見かけない外国人を目にすると、自分とちがう外見の彼らをジーッと見たり、「あ、ガイジンさん」などと口にしたりしていた。
「世のなかには、見た目も、考え方も、言葉もちがう、いろんなひとがいるんだよ」と説明したけど、親が言うよりも、子どもたちが直接感じたほうがいいんじゃないか。それなら、早い時期に体験させよう。遅くとも思春期のまえまでには。オットとそんなやりとりをした。
自分があたりまえだと思っていることは、他の人にはあたりまえじゃない。それを子どもたちに教えてあげたい。
世界には、自分とはちがう人がたくさんいて、それぞれいろんな考えをもっている。自分とちがうものを色眼鏡で見るのではなく「へぇー、自分とはちがうんだ」と、まずは受けいれる。子どもたちに、そんなふうになって欲しかった。
それができるようになれば、視野が広がる。人種のちがいだけでなく、たとえばハンディキャップをもつ人に対しても、そのちがいを受けいれられるようになるんじゃない?
留学生の受けいれは、子どもたちの情操教育にすごくイイのでは?
オットと話し合い、忙しい毎日だったけど、ホストファミリーをはじめることにした。
ホストファミリーのマッチングでは、留学生の国籍をリクエストできる。でも、我が家は1度もリクエストしたことがない。
「どこの国でもいい」というと雑に聞こえるかもしれないが、特にこだわりもなく、本当にどこ出身の留学生でもかまわなかった。日本語を流ちょうに話す学生でも、母国語が英語ではない学生でも。
我が家がホストファミリーをする理由は「子どもたちに英語を学んでほしい」からじゃない。「子どもたちにちがいを学んでほしい」のだ。
活動の目的は、家族によってちがう。なかには「英語の勉強のため」なので母国語が英語ではない留学生は受け入れません、という家族もいたし、特定の国の留学生は受け入れません、という家族もいた。
活動の目的も「ちがい」の1つだし、家族ごとにそれぞれやり方がある。
♢
我が家は留学生の国籍を指定しなかったおかげで、いろんな国の学生さんがやってきた。国によってこんなにもちがうのかと、子どもたちだけでなくオットもわたしも驚いた。
インドの留学生が滞在中、我が家の食卓から豚肉と牛肉と生魚の姿が消えた。子どもたちは「なんで?」と聞いてきた。「ヒンズー教徒だから食べないの」という留学生の答えに「へぇー、日本とちがうんだ」と驚いていた。
ムスリムの学生には、1日5回の「祈りの時間」があった。祈りのポーズを偶然目にした子どもたちは「なにしているんだろう?」と不思議そうにしていた。留学生に、お祈りの意味や方法などを教えてもらい、イスラム教の存在を知った。
ブラジルの留学生と散歩にでかけたとき。「日本の道はきれいだね。ゴミがほとんど落ちていなくてびっくり」と言われた子どもたちは「これが普通だよ」と答えた。
でも、それはブラジルでは普通じゃないんだよ、と留学生からブラジルの道路の写真を見せてもらった。子どもたちは驚いて「ほんとだ、日本の道はきれいだけど、そうじゃないところもあるんだね」と言ったという。
こんなこともあった。
ベランダに干した布団をとりこむとき、わたしが布団たたきでパンパンと勢いよくたたいた。すると、子どもたちと遊んでいたパキスタンの留学生が突然大きな声で叫びだし、怖がりはじめた。
子どもたちもわたしもびっくりして「どうしたの?」と聞いてみると「銃声かと思って怖かった」との答え。
そうか、生活のなかに銃声がある環境で暮らしてきたんだなと、いたたまれない気持ちになった。
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こういったエピソードは、ほんの1部。ここには書ききれないくらいたくさんの驚きと、学びと、発見がある。
自分たちの生活があたりまえじゃないし、自分とちがう環境で生きているひとがたくさんいて、ちがう考えをもつひとがたくさんいる。どれが正しいとか間違っているとかではなく、ただ「ちがうだけ」。
それを自分の目で見て肌で感じることは、英語をマスターするよりも、もっともっと大切なことだと思う。
そういった経験を積んでいくうちに、子どもたちがもし英語に興味をもてば、そのときに勉強したらいいわけで。勉強は、やらされるよりも自分で興味をもってやったほうが、断然伸びるのだから。
♢
ホストファミリー活動を通じ、世界のたくさんの地域に「Extended Family」ができた。
短期間でも一緒に生活すると、その留学生の出身国を身近に感じるようになる。それまでは興味もなかった遠い国が、グッと「近い国」になる。物理的な距離は以前とまったく変わらないのに、不思議だ。
留学生の〇〇ちゃんが住んでいる国と思うだけで、その国のできごとやニュースは「ひとごと」ではなくなる。そこでの生活や、そこで暮らす人を想像するようになる。
それは、英語が話せることよりも、もっともっと重要だと思う。
自分たちとはちがう考えをもつ人が、ちがうスタイルで暮らしている。そのちがいを受けいれて、相手のバックグラウンドを想像する力。
その力をさらに育むため、ウィルス騒ぎが落ち着いたらまたホストファミリー活動を再開しようと思う。
子どもたちの情操教育のために、留学生を受けいれてみる。コレ、育児真っ最中の家族にめちゃくちゃお薦めしたい。
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