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たとえ自分が1/100であっても「MT車を愛している」と叫びたい

先日こんなニュースを見つけた。


日本人は間違いなくMTが嫌いである。

いやいや待てよ。こんなにキッパリ言われると「そうなのか」と思ってしまうじゃないか。そうじゃない人もいるんだぞ、ということを今回は伝えたい。

誰に向かってなんのために書くのかは設定していないけど、「MT車が好きな人もいる」と知ってほしい。ただそれだけのためにツラツラと書く。

メッセージはいたってシンプル、これだけ。

わたしは日本人だけどMT車を愛しています。

はい、これです。その証拠に、免許をとった30年前からずっとMT車で、いまの車もMT車だ。

「なんでマニュアルに乗ってんの?」

いままで何度そう聞かれたことか。それも毎回いぶかしげな表情で。

さきほどのニュースにも、こんなふうに書かれていた。

MT派の拠り所は趣味性のみになり、一種の変わり者扱いへと転落したのである。


ココを読んで腑に落ちた。あぁ、みんな「MT車に乗ってる人は変わりモンだ」と思っているのか、ってね。だから「なんでマニュアルに乗ってんの?」と聞くときに、よく分かんねーな、みたいな顔をするのね、と。

ところで、わたしをよく知る友人、オット、家族からは「カミーノって変わってるよね」と言われる。

自分ではどこがどう変わってるのかは分からないけど、親しい人の多くがそう言うんだから、わたしは変わりモンなんだろうし、「変わってるよね」と言われて毎回喜んでいるわたしは、まぁ「変わってる」んだろう。

その点からすると、このニュースの【MT派は一種の変わり者】は当たっていると言える。

そもそもわたしが免許を取得した80年代後半には、AT車はなかった。ファーストカーは当然MT車。トヨタのスターレットに乗っていた。

MT車の魅力に目覚めたのは、大学時代の彼氏の影響だ。彼は車イジリもドライブも大好きな人だった。車はトヨタのAE86

いわゆる「ハチロク」と呼ばれるカローラレビン、走り屋の車だ。彼の趣味は「走る」ことで、週末の夜になると、走り屋同士集まって峠道をガンガン攻めていた。

「女の子が来るようなところじゃないから」と言ってその集まりには連れて行ってくれなかったけど、普段のドライブデートでもよく峠道を通った。

峠道での彼のギアさばき、クラッチを踏む左足の動き、スピードコントロール、絶妙なステアリングさばき。

どれもとんでもなくセクシーで、無駄のない動きと、流れるような加速や減速に、車と一体化しているような感覚になったものだ。

わたしもそんな運転がしたい!と、峠道でのギアチェンジのコツやハンドルの操作などを教えてもらった。

その彼とは1年くらいで終わってしまったけれど、彼に教えてもらったMT車を運転する楽しさは、わたしのなかに刷り込まれた。

MT車のなにが楽しいのかって?それはもちろんギアチェンジだ。

街乗りでは、まわりの車との距離を見てすばやく適切なギアに変える。前方の交差点が赤信号だと分かったら、徐々にギアを落としスムーズに減速させる。

峠道では、カーブ手前でギアチェンジ、カーブ過ぎでまたすぐにギアチェンジ、直進部分を突っ走り、次のカーブ前でまたギアチェンジ・・・この繰り返しだ。

ギアを操作する手、クラッチを踏む左足、アクセルを踏む右足、そしてハンドル操作。これらの連携プレーをスムーズにこなすことに、極度の喜びを感じる。

結婚してから四半世紀、いまの車は8台目だ。我が家は新車を買ったことが1度もない。もちろん予算の問題もあるけれど、オットとわたしの車の好みにピッタリ合うものが、新車では見つからないのだ。

わたしもまぁ変わりモンと言われているが、オットもおそらく変わりモンだ(変わりモンのわたしから見て変わりモンということは、実はフツーの人?なのかもしれないが)。

オットが譲れない車の条件、それは「左ハンドル車」。わたしが譲れない条件は「MT車」。

つまり、新車のなかで、2人の条件である「左ハンドルのMT車」を予算内で見つけることはほぼ不可能。

そういう事情で、結婚以来ずっと中古車に乗っている。10年オチの中古車なんてザラだ。

オットは車好きなので、たびたび壊れる中古車をケアしたり、修理屋さんにもっていくことさえも楽しんでいるようす。

そんなわけで、我が家の車はずっと左ハンドルのMT車なのだ。外見はボロい。多くの人はピカピカの日本車に乗っているので、ボロっとした外見の左ハンドル車はわりと目立つ。

「珍しい車に乗ってますね」と声をかけられることも多く、たいていの人は中をのぞいてMT車だと気づき、「なんでまた?」といぶかしげな表情をする。

わたし個人はMT車であれば日本車でもかまわないし、なんなら軽トラでもいいのだ。

そんな話を友人にすると、「イマドキ軽トラでもオートマよ。なんでそんなにMT車にこだわるの?」と聞かれる。

そりゃあ、あなた。愛してるからに決まってるでしょうが。

わたし、MT車を愛してるんだから。愛してるものはそばに置きたいでしょ。

そういうことなのだ。

さきほどのニュースによれば、日本におけるAT車比率は98.6%(2019年時点)らしい。日本人、便利なモノに頼り過ぎじゃね?そんなふうに言いたくなる。

数年前、ベルギーの留学生が家にステイしたとき(我が家はホストファミリー活動をしている)、こんなふうに言っていた。

「ヨーロッパではMT車に乗っている人は『現役』なんだよ。AT車は引退した人が乗る車。だって頭使わなくても運転できるでしょ、AT車って。

ヨーロッパではみんな運転したがらないよ、AT車は。「もう一線から退きました」って自分で宣伝してるようなもんだからね」

なんと辛辣なコメント!と思いつつも、分かるなと思うところも。

先日抽選に当たって、レクサスを試乗できるチャンスに恵まれた。

もちろんAT車なのだが、この先レクサスなんて高級車を所有するお金も予定もまったくないので、一生に一度くらいは運転してみてもいいんじゃないのということになり、いつもよりちょっと上品な服装に身を包み(レクサスだし)、試乗に出かけた。

オットとわたしが1回ずつレクサスを運転し、15分ずつ街乗りを体験。

いやー、便利ですよ、便利。さすがレクサス

でもね、あれはもはやクルマじゃないな、という点でオットと意見が一致した。PCのデッカイ版だ(ザックリしすぎでごめんなさい)。クルマなのにネット世界と繋がりすぎ。レクサスは「かゆいところに手が届きまくる」、あまりにも便利で近未来的な乗り物だった。

普段乗ってる車がボロい中古車でドアも窓も手動だから、レクサスの多種多様な機能にビックリした、というのもあるのだけど。

レクサスは、オットとわたしが求めているクルマ像とあまりにもかけ離れていて、面食らった。

うむ、ここまでしてくれる乗り物に慣れてしまうと、人間の脳って退化する一方なのでは・・・

そんなことをオットと話し合い、我が家ではこれからも泥臭く行こうと決めたのだ。

たとえ変わりモン扱いされようとも、1/100になろうとも、好きなモンは好きだと叫びたい。「左ハンドル車」は譲れないオットと、「MT車」は譲れないわたし。

わたしたちがココにこだわらなくなったら、それはお互い「枯れた」という証拠だ、ずっと枯れずにいたいものだ、と話はまとまった。

いままでもずっとMT車を愛してきたし、これからもMT車を乗り続けていきたい。

おばあちゃんになってもMT車をセクシーに運転しつづけるのだ。車をコントロールしているという醍醐味と、MT車との一体感を、ずっと忘れないでいく。

改めてそう誓い、我が家の中古車のハンドルを撫でたのだった。

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